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38, 氷上さんの二択

 優子さんが目を覚ましたのは、6時が過ぎた頃だった。外はまだまだ明るくて、傾き掛けた日差しが生徒会室に入ってきている。僕たちは生徒会室に戻ってきていて、桃子さんや倉橋先輩と同じように、与えられた席に着いていた。保健室の先生には、お礼を言ってもう戻ってもらっていた。


「会長、お加減はいかがですか」

「あまり良くはないな。アルコールを口にするといつもこうだ」


 上半身を起こしながら優子さんは言った。ずっと眠っていたはずなのに、優子さんはまるで全ての状況を把握しているかのようだった。

 目元にかかる長い髪を指で払いながら、目をこする。それから、じろりと僕たちを睨みつけて言った。


「誰がこんなことをした」


 僕は、それには答えずに聞き返した。


「その前に、会長にお聞きしたいことがあります」

「なんだ」

「会長は、妹さんのことをどれほどご存じですか」

「全てだ」


 優子さんは桃子さんに視線を向けることすらせずに、間髪を入れずに答えた。いま、桃子さんは心配そうに優子さんのことを見つめている。

 僕は続けて質問した。


「次に、倉橋先輩のことはどれくらい知っていますか」

「さあ、倉橋に彼女でもいたらそいつよりは知らないかもしれないな」


 倉橋先輩が困ったように苦笑しながら頬を掻いた。


「七倉さんのことは」

「調べなくても耳に入ってくる噂だけで充分だ」


 七倉さんは優子さんのことをじっと見つめていた。

 それから、ひと呼吸だけ置いて僕は尋ねた。


「じゃあ……僕のことは」


 優子さんと視線がぶつかった。けれども、優子さんはふと目を逸らして、ゆっくりと立ち上がるといつもどおりの生徒会長席に着いた。


「まず、きみが所属するクラスで教室に侵入されたことを知ったのは4月だった。それから、七倉菜摘と親しいことを知ったのは5月だ。様々な部活に顔を出している七倉のことは、友人から聞いた」

「分かりました」


 僕はそれで全てを理解することができた。優子さんは、たまたまこの6月の暮れに僕を呼びつけたのではないということに。それはずっと前から計画されていたことで、いま、僕が祖父の後継者になるからこそ、この時期になったんだ。

 僕は少しだけ勿体をつけて宣告した。


「ジュースの中にアルコールを入れた犯人は、氷上優子会長、あなた自身です」


 会長は小さく頷いた。桃子さんはただ驚いて、いつもは眠たげな目を見開かせている。倉橋先輩はそれよりは冷静だったけれど、驚いているのは同じようだった。


「……そのとおりだ、私は桃子のためにジュースに料理酒を混ぜた」

「どうしてですか」


 眼鏡の奥から、倉橋先輩がわけがわからないといったふうな不安な目が覗いた。


「会長、どうしてこんなことをしたのですか」

「優子さんは、桃子さんの能力を知らしめるために――能力者のことを知っているひとを集めて、ひとつの事件を起こしたんだ」

「能力者だって? 桃子さんが?」


 倉橋先輩が信じられないでいる。肝心の能力者がまるで気がつかなかったなんて、なんだかとてもおかしかったけれど、それはすぐに分かってしまう七倉さんが飛び抜けているせいなんだ。僕はもうそれを知っていて、倉橋先輩を呆れるようことはなかった。

 間を置かずに七倉さんが断言した。


「はい。桃子さんは能力者です。ただし、能力はそれほど強くありません。近くに強い能力の持ち主がいなければ、気づかれることもなかったでしょう。でも、紛れもなく異能の力を持っています。それを、優子さんは気づいていらしたのだと思います」

「そうだ。これは私たちの両親ですら知らないことだ。桃子がどうしてそのような力を持っているのかも分からない。だが、私だけは気がついていた。ずっと以前から、私たちがまだ学校にも行かなかった幼い頃から、私だけは桃子が不思議な能力を持っていることを知っていた。小学校や中学校では、図書館に入り浸って桃子が持つ能力のことを調べたものだ。そして、この久良川にはまだ多くの能力者が生き残っていることを知った」


 優子さんは桃子さんを優しく見つめた。それは、桃子さんが倒れて保健室に運ばれた日にみたような、とても優しい眼差しだった。


「桃子は私の妹だ。たったひとりの血を分けた妹だ。だからなんとかしてやりたかった」


 桃子さんははっとして、顔をあげて優子さんの顔を直視しようとした。けれども、そのときにはもう優子さんの視線は僕のほうを向いていた。

 倉橋先輩、七倉さん、そして僕。そして能力者である桃子さん。あまりにも能力のことを知っている人間ばかりが集まっていた。これが偶然だとは思えない。それは、仕組まれたものに違いなかった。


「会長は実力で生徒会長に就任したひとです。教師の判断にも影響力があります。詳しくは知りませんが、おそらく頭はとてもいいんだと思います。……妹の桃子さんと同じ高校に進学することがおかしいほどに」

「きみの言うとおりだ。中学時代、私はこの高校に進学することを勧められていなかった。この高校も悪くないが、もっと上に行けと言われていた。だが、私はこの高校に進学したかった。桃子が能力者だから、その情報を集めたかったんだ」


 優子さんは静かに語り始めた。この事件のはじまりのこと。

 ――つまり、3年前、この高校に進学することを決めた時のことを。


「中学3年生のころから、私は必ず久良川高校に進むつもりでいた。成績的にはもう2つ上のランクの高校を薦められた。だが、私はそのとき既に能力者捜しをすることに決めていた。妹の桃子も、どんな手を使ってでも久良川に進学させる気だった。妹と同じ高校に進めば、私がいくらでもお膳立てをしてやれる。

 もちろん高校には合格した。相当な成績だったはずだよ。おかげで生徒会に入ることも簡単にできた。それから、私は桃子が入学するまでの2年間、高校内での足場を固めることにした。生徒会に入り、先輩からこの地域についてできる限りの情報を集めた。七倉と倉橋の家のことを知ったのはその頃だ。

 1年後、倉橋家の跡継ぎが生徒会に入会した。

 私は狂喜した。どうしてなのかは司には分かるだろう? 奇跡としか言いようがない能力を使う一族のひとりが、向こうからやって来たんだ。私は幸運を引き当てたと確信した」


 それから、優子さんは恨めしそうに倉橋先輩を見た。


「ところが、私は失望したよ。倉橋春高はまるで能力を持っていなかった。まあ仕事はできるほうだったが、能力者とは思えない現実的な働きぶりだ」


 倉橋先輩は心底申し訳なさそうな顔をして、頭を下げた。


「面目ありません。こればかりは生まれつきの才能で、僕にもどうしようもないもので」


 優子さんはとても楽しそうに笑った。もう秘密にするつもりはなかったみたいだ。笑うと、妹の桃子さんと同じようなとても柔らかな笑顔だった。


「もっとも、倉橋が高尚な能力を用いる能力者でなくて良かったかもしれないな。私のイメージが崩れてしまう」

「会長、勘弁してください。これでもそれなりに歴史だけはあるんですから」

「それは分かっているが、肝心の能力がまるで使えないと知った私の落胆に謝ってからだ。とにかく、能力者との接触はそれで頓挫してしまった。私は能力者とのコネクションがまるでなくて、どう接触していいかも分からなかった。下手を打って警戒されては意味が無い。

 だが、今年の春、七倉菜摘が入学していたことを知った。これが最大にして最後のチャンスだと思った。

 七倉菜摘は相当な使い手のはずだ。それは、七倉家が大企業を経営している繁栄した一族だからということもあるが、この前の騒ぎで確信したことだ。ほら、高校の目の前に、高級車を横付けしたことがあっただろう。その時、七倉菜摘は単なるお嬢様以上の、とても大切なお姫様のように扱われていたそうだ」


 僕は叫びたくなった。京香さん!


「そこにいたのが1年の司聡太だということを知るのは、そう難しいことではなかった。そして、4月に起きたちょっとした事件に関与していることもすぐに思い出せた。調べ直すと、その事件の影に、ほんのわずかに七倉菜摘の姿が見える。

 私にはすぐに分かった。

 状況的には司聡太が教室の鍵を開けたはずなのに、まるで証拠が見つからないことも、私の確信を強くさせた。七倉一族の長女、そして、その七倉とどうやら昵懇の中らしい司聡太の関係。いつの間にか仲良くなっていた、という周囲の証言もなかなか面白かった」

「司君はどうしてそんなことが分かったんだ?」


 倉橋先輩は、眼鏡を直してから僕に尋ねた。さっきは少しだけ格好をつけた僕だけれど、それは決して難しいことじゃなかった。


「みんなも分かっているように、今回の事件ではたくさんのおかしなことがあって、犯人は桃子さんでも倉橋先輩でもないことはすぐに分かります。もちろん、僕と七倉さんでもありません。優子さんがジュースを飲むまでに3回だけ能力が使われて、結局、その能力を使えたのは桃子さんと優子さんに絞られます」


 倉橋先輩ではないのはすぐに分かると思う。たとえ倉橋先輩が『かける』能力を使えたとしても、七倉さんに気づかれないで桃子さんや優子さんに能力を使うのは無理だった。倉橋先輩はやっぱり能力の使えない能力者の末裔で、この事件にはなんの関与もしていなかったんだ。


「3回の能力はどんなふうに使われたんだい?」


 僕の代わりに七倉さんが答えてくれた。


「桃子さんがアルコール溶剤を使って窓を拭く寸前、優子さんが飲みたいコップを選んだ時、優子さんが飲む紙コップを手に取る寸前――つまり、桃子さんが優子さんに渡すために、コップを手に取った瞬間です」

「要するに、桃子さんがひとつの結果を選び取ったときです」

「なるほど、それで桃子さんが能力者らしいというのは分かったよ。だけど、その3回の中で、4つの紙コップの中から1つだけを選び取ったというのは、それだけがアルコール入りだったからだとは考えられなかったのかい?」

「七倉さんにも言いましたが、トリックを使うようなメリットがありません。しかも、カップが汚れていたせいで、直前に容器が紙コップに変わってしまいました。これは優子さんの仕業です。たぶん、前に使ったときには綺麗に洗われていたカップを、事前に汚しておいたんでしょう」


 優子さんは「ああ」とだけ言って、僕に話を続けさせた。


「それによって、4つとも、どれを選んでも結果は同じになっていました。それでも、全く均質な紙コップを選択しないといけなかったんです。そのとき、桃子さんの能力が発揮された――。その事実は、桃子さんが持っている能力をとても雄弁に説明してくれます」


 つまり、優子さんがカップを汚したのは、全く均質な四択を作るためだった。それで、桃子さんの能力をより分かりやすくした。

 だから、僕は優子さんの思惑どおりに、その能力に簡単にたどり着くことができた。


「つまり、あのとき桃子さんが選んだのは、――取るか、取らないかの『二択』です」

「……ああ、桃子の能力は『二択』に発揮されるらしい。私がその能力に気づいたのはこういうことだ。小さい頃から、桃子と私がものを分けるとき、ときどき桃子は困ったような顔をしていた。一見、どちらを選んでも同じようなものなのに、桃子が選んだものにはなぜか悪い結果がついてまわった。一方、必然的に良いほうを選ばされた私には、必ずと言っていいほど良い結果が待っていた。これが何度も続いてみろ。私じゃなくたって桃子の能力に気がつく」

「つっ、つまり、未来が見えるってことか!」


 桃子さんに視線が集中する。僕だってそうした。桃子さんの能力は、いくらか分かりかけてきた今ですら、驚くべきものだったからだ。


「……はい、ほんの一瞬だけど、見えます。でっ、でも……二択のうちの、悪いほうだけです……」


 桃子さんはとても小さく体を縮こまらせて、俯いて、自信なさげに言った。


「いや……、悪いほうが見えているってことは、良いほうもほとんど見えているってことじゃないか。それは凄い能力だよ。驚きだ」


 でも、驚くべきことはそれでは終わらなかった。


「それに気がついたとき、僕はこうとも思いました。もし、桃子さんが二択の結果を見ることができる能力を持っているのなら、桃子さんは今回の結末をある程度まで知っていたんじゃないかと」


 ほんの小さな、桃子さんの吐息が聞こえたような気がした。


「つまり、桃子さんは優子さんが何かを企んでいることを知っていた。そして、その結果、優子さんが倒れることを知っていて、その選択肢をできる限り選びたくなかった。だから、桃子さんは僕を呼び出すのをできる限り遅らせた。桃子さんは気が強いとはいえないけれど、僕に話しかけられないほど気が弱いわけでもありません。あのとき、桃子さんはきっとものすごく悩んでいたんです。でも、優子さんは桃子さんを叱りつけるので、結果を変えることができなかった。

 すると、今度は僕たちにアルコールのことを伝えるために、わざと自分が気絶するような選択を取った」


 赤い顔をした桃子さんが、所在なさそうに身じろぎした。


「桃子さんが極度にアルコールに弱い体質なのに、ふだんの生活に支障をきたさないのは、その能力のおかげなんだよね」

「うん」


 桃子さんは控えめに肯定した。それは桃子さんにとっては当たり前のことだったのかもしれないけれど、僕はもちろん、倉橋先輩にとっても驚愕の事実だった。


「なんてことだ」


 倉橋先輩は天を仰いだ。ただひとり冷静な七倉さんがいなければ、僕だってそうしていたと思う。


「未来視の能力は……珍しいです。滅多にお会いできるものではありません。私、少し桃子さんの能力の強さを測り間違っていたのかもしれません」


 優子さんは満足げに言った。


「私はその顔が見たかった。七倉はそうでなくとも、桃子の能力を知ったとき、男ふたりは腰を抜かすほど驚くだろうとね。そうだ――、桃子は二択の結末が見える! 私はそれを伝えたいがためにこの3年間を過ごしてきた」


 優子さんは笑顔になっていた。それから、声のトーンを落として、これまでの高校生活を振り返るような、少しもの悲しい口調で続けた。


「私はいつだって歯がゆかった。どこの誰に見せても、桃子の能力は気づかれることはなかった。いつも、桃子には気弱な、頑張りやだが飛び抜けたところがないという評価がくだされるばかりだった。信じられない。桃子にはこんなにも優れた能力があるというのに。こんなに素晴らしい能力を持っていながら評価されずに生きてゆくのは、私ならとても耐えられないことだ。いや、もし私が同じ立場に置かれたなら、心はばらばらになりそうなほどの屈辱で埋め尽くされていただろう。だが、桃子はいつだって我慢してきた。認められなくても何も言わずに能力を隠してきた。だが、もうそろそろ報われてもいいだろう」

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