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37, 氷上さんと偶然の山

 次に、僕たちは倉橋先輩について考えた。


「倉橋さんには動機はあるでしょうか」

「生徒会長の失脚を狙うのなら、倉橋先輩にも犯行の動機はないとはいえない。でも、優子さんの任期はもうそんなに長くはないんだよね。3年生だし」

「おおよそ秋の文化祭と体育祭が終わるまでです。そして、倉橋さんの次期生徒会長就任はほぼ確実です。選挙は行われますが、基本的には前副会長の肩書きが強力です。むしろ、いま会長の失脚問題を起こして、生徒会のイメージを下げるほうが大変なことになります。生徒会外部から候補者が立って、落選する可能性が高まります」

「そこまで考えられていたかどうかは分からないし、倉橋先輩が生徒会長の座をどれくらい重要視しているかにもよるけど、あまりメリットはないということだよね」


 七倉さんは一応は頷いたけれど、少し考えてから訂正した。


「でも、倉橋さんと桃子さんが親しければ、犯行の動機があります」

「そうか。桃子さんが虐げられるのを見ていられなくて、優子さんを陥れて復讐を果たした……という可能性なら、あるのかな」

「はい、ただ倉橋さんと優子さん、桃子さんの人間関係が私たちには分かりません。ですから、動機の面で絞るのは無理みたいです」


 たしかに、僕たちはこの10日あまりの間、生徒会のメンバーと関わってきたわけだけれど、それ以前には一度として生徒会への関わりはなかったんだ。その中では、七倉さんと倉橋先輩が顔見知り程度の関係だったけれども、学年も違うし、特別に親しい仲というわけではなかったみたいだった。

 人間関係は謎が多かった。でも、だからこそ僕たちは先入観に囚われないで事実だけを積み上げることにした。


「ところで、肝心のアルコールは、どこから入手したんだろう?」

「購入には年齢認証が必要ですし、自宅から持ってきたのでしょうか」

「優子さんや桃子さんの家だとたぶん無理じゃないかなあ。家族も飲めなかったり飲まなかったりすると考えたほうがいいよ。あれだけ弱いと、晩酌の匂いだけで倒れちゃいそうだし」


 七倉さんは口元に指をあてて考えた。


「校内でしたら、家庭科教室はどうでしょう。前に料理部に参加したときに、料理用のお酒があったような気がします」

「それだ! それくらいしかないね」


 七倉さんは目を細めて笑顔になった。


「はい、そもそも学校にお酒の類いが持ち込まれることはまずありません。生徒はもちろんお酒など飲んではいけませんし、先生方はあくまでお仕事をされています。アルコールがあるとすれば、調理実習で使うものくらいしかないと思います」

「なんとかして調べられるかな」

「今日は料理部の活動日ではなかったと思いますが……今回は運が良いです。生徒会の名義を使えばきっと鍵をお借りできます。もし無理でしたら、倉橋さんにお願いしましょう」


 僕たちは職員室に行くと、生徒会の名義で家庭科教室の鍵を借りた。最近は校内の清掃ボランティアみたいなポジションに就いていた僕たちだったから、職員室の中には顔を覚えてくれている先生が何人かいる。それに、顔の利く七倉さんが隣にいてくれるおかげで、僕たちはすんなりと鍵を借りることができた。

 そのついでに、七倉さんは顔見知りの先生に質問をしてくれた。


「最近、生徒会で鍵をお借りしたことはありましたか」


 その結果はすぐに分かった。桃子さんが借用していた。


「桃子さんが?」

「庶務ですから、生徒会名義で借りたのかもしれません。とにかく、借りているということは事実みたいです。どうして借用したのかは後で聞いてみましょう」


 それから、僕たちは家庭科教室に移動した。

 家庭科教室には冷蔵庫や、調味料を保管するための戸棚がある。冷蔵庫を調べた後、戸棚をひとつひとつ開けてゆくと、すぐに目的のものが見つかった。

 持ってみるととても重い。それは、中身がなみなみと入った料理酒の瓶だった。包装は解けていて、開封済みだった。


「あるね、料理酒だ。少しだけど使用された形跡もある。今回の事件で使われたかどうか分からないけど……高校の授業で料理酒はそうそう使わないよね」

「めったには使わないと思います。料理部の関係でしょうか。できれば授業があったかどうかも確認したいのですが、あまり聞き回ると不審がられますから、やめておいたほうがいいでしょう」

「――でも、これは犯行に使われた可能性が高そうだよね」


 七倉さんはびっくりしたような表情で、僕の顔をまじまじと見た。


「どうしてですか? 可能性はあるとは思いますが、料理で使った可能性のほうが大きいと思いますが……」

「少しだけ使用した形跡がある、だよ。本当に少ししか減っていない」


 七倉さんは瓶の中身をまじまじと見て、納得するように頷いた。


「ああ、なるほどです。分かりました。本当に少ししか減っていませんね。たしかに、調味料は一度の料理で大量の使用を行うものではありませんが、学校での料理なら、人数が多いですからそれなりに使用量が必要なはずです。ほとんど未使用と変わらないのは、ちょっとおかしいです」

「未開封かと思ったくらいだよ。この使用量だと、スプーン何杯分にもならなさそうだ」


 もっとも、料理酒が使用されたかどうかはまだ分からなくて、僕たちの推論は確実とまでは言えなかった。でも、何かしらの理由で生徒会が家庭科室の鍵を借りていたのは確かだった。

 僕たちは蒸し暑い家庭科教室を出た。夏場にひとの出入りが少ない教室に居続けるのは耐えられなかった。外は燦々と日差しが降っている。だから、僕たちは比較的涼しそうな廊下を見つけて、そこで話を続けることにした。


「次はどうやってコップの中にアルコールを入れたかですが、これは簡単です。途中で若干のトラブルはあったようですが、基本的には計画通りだったと思います。使われた飲み物は、優子さんが飲みかけにしていたペットボトル入りのジュースでした。その中にアルコールを入れておくだけです。あれほどまでにアルコールに弱いとなりますと、優子さんが口をつければ成功は確実です。

 問題は、桃子さんが気がついたタイミングです。あれが故意のタイミングでしたら桃子さんが怪しいです。でも、もしかするとあれは優子さんだけでなくて桃子さんも狙ったのかもしれません。そうだとすれば、倉橋さんが怪しくなります。ただし、桃子さんの自作自演という可能性もありますね……」


 七倉さんは可愛らしい声を漏らしていた。腕組みをしてとても真剣にものを考えている姿を見て、七倉さんを真似するように僕もまた考えると、不思議なことにとても集中することができた。

 たくさんの引っかかることがあった。僕たちは細々とした謎を解決せずに、大きな手がかりを追いかけていたけれど、その結果は常に一緒だった。桃子さんと倉橋先輩のどちらかが怪しい。けれども、なぜかそこから推理が進まない。


 凶器、状況証拠、それと不十分だけれど人間関係……。凶器は確実ではないけれどアルコールだということは分かっていて、飲ませた方法も簡単に分かってしまう。人間関係は謎が多いけれど、見る限りは桃子さんが怪しい。そうでなければ倉橋先輩の二択。

 そんな簡単な理屈なのに、そこから先の一歩が進まない。

 その結論は簡単だった。いま、僕たちは間違っている。


「凶器も状況証拠も人間関係も、今回の事件には関係ないかもしれない」


 僕はふと思いついたように言った。七倉さんが首を傾げたのは当然だった。


「全部ですか?」

「うん」


 僕は頷いた。頭の中の回路が動き出して、僕は少し上の空になった。


「全部偶然で説明してしまったほうがいいことばっかりなんだよ。意味を付けようとするとおかしなことばっかりだ」

「でも、偶然で優子さんの飲んだジュースにお酒が入ったりはしません」


 七倉さんは首を振る。それはそのとおりだった。偶然ばかりが目立つ事件だけれど、決してそうじゃないはずだった。

 けれども、この偶然の山を片づけないことには、僕たちが先に進めないことも確かだった。偶然の中には必然が紛れ込んでいるはずなんだと、僕は確信していた。


「まず、事前にペットボトルにお酒が入っているとしたら、桃子さんに気がつかれるおそれがあったということ。微量のアルコールだから気がつかなくて当然なんだけれど、ふつうなら気がつかない量でも結果的に桃子さんは気がついているんだよ。だから、優子さんも桃子さんもアルコールに対して僕たちよりも敏感だと考えたほうがいい」

「ぞれは……そうだと思います。でも、特定のコップにだけお酒を入れることができたかもしれません。ただ、直前にマグカップから紙コップに変えられてしまいまったから、それは困難のように見えます。もっとも、桃子さんはどれも同じと言いましたが、ひょっとしたら、すり替え……のようなことが行われたのかもしれません」

「すり替えかぁ……」


 たしかに、そういうトリックは知恵を絞れば出てくるかもしれない。他人をあっと言わせるような驚くべき方法が行われて、優子さんの手元へコップが確実に届くようになっていたのかもしれない。けれど。


「でも、メリットがないんだよ。そういう渾身のトリックが決まったら気分はいいだろうけれど、実際に得るものがまるでないんだ。犯行が多少困難に見えるかな……という些細なアドバンテージのために、大がかりなトリックを使う犯人がいたら、僕はむしろお目にかかってみたいくらいだよ」

「あのとき、私たちは誰も席を立ちませんでしたし、わざわざ容疑者から外すほどの行動をしたひともいません。私たちですら、疑おうと思えば疑うことは可能です」


 それをくつがえすとしたら、七倉さんが持つような能力だ。不可能を可能にしてしまうような能力者がどこかにいることはたしかだった。倉橋先輩の『かける』能力はもちろん、氷上さんの姉妹のどちらかが能力者なのかもしれない。ひょっとすると、それ以外に見落としていた第三者かもしれない……。

 でも、これだけは確かだった。


「たとえ、能力との組み合わせがあったとしても、僕たちをあっと言わせるようなトリックはないと思う。トリックを使うなら、もっと大勢のひとの前でやるか、アリバイが確保できるような遠い場所でやらないと意味がないよ」

「でも、そうだとしたら、この事件はあまりにも偶然の重なりで構成されすぎています。優子さんがアルコールに気づかず、桃子さんがアルコールに気づいたのも偶然。マグカップから紙コップに代わったのも偶然です。優子さんが奥のコップを選んだことも偶然ですか?」

「そう、それともうひとつ偶然があるよ」


 七倉さんが興味に満ちた視線で僕を見つめていることが分かった。でも、僕はそれに何か反応を返してあげることができなかった。僕の頭はいま必然だけを組み立てようと、必死にものを考えていた。

 僕は向かいの壁を見つめて言った。


「能力を使ったタイミングだよ。七倉さんは能力が3回使われたと言ったけれど、そのうちの2回は必然だったから能力が使われたと思う。でも、あともう1回は偶然に使われたんだと思う。逆に言えば、偶然に使わされたんだ」

「能力が使われたのは、桃子さんが窓を拭いて倒れる直前、優子さんがジュースを飲んで倒れる寸前にコップを手に取ったとき……それから、優子さんが右奥のコップを選んだ瞬間、ですか?」

「右奥の紙コップを選んだ瞬間だよ。あれは、もしマグカップが汚れていなかったら使われることがなかったタイミングになる。だから、これだけが他とは違うはずなんだよ」

「他とは違う、偶然だけれど、偶然でない……」


 七倉さんも、だんだんとこの事件の不思議なところを分かってきたみたいだった。


「それに、いま挙げたなかで偶然ではないことがひとつあるんだよね」

「どれですか?」

「洗ったはずのカップがなぜか汚れていた。これは偶然のようで偶然じゃないよ。必然的にこういうことを意味しているんだ。つまり、洗っていないにもかかわらず、桃子さんがそのことを忘れていたか――誰かが洗ったはずのマグカップを汚しておいたんだ」

「言われてみればそのとおりです。あのとき、桃子さんは随分と意外に思っていたみたいです。あれが演技だとは思いにくいです。それに、確実に誰のものかが分かるマグカップから、優子さんが指定した紙コップに変わることは、予想していたことだと思えません。いえ、桃子さんは怪しいはずなのに、これではまるで手出しのしようがありません……」


 僕は思い出す。桃子さんが紙コップを取りだした瞬間を。


「汚れていたマグカップの代わりに、紙コップを使うことになった。それで優子さんは紙コップの中からどれかを選ぶことになった」

「――やっと分かりました。優子さんはあのとき、選ぶ必要があって選んだわけではありませんでした。奥に置いてあったコップのほうが冷えていると思って、右奥のものを指定したんです。あれは偶然ですが、あの瞬間に使われた能力は、使わなければならなかったものです」


 僕は頷いて、やっと七倉さんの顔を見ることができた。暑いせいもあるけれど、七倉さんの頬には少し朱が差していた。


「つまり、『選ぶ』ことがその瞬間に使われた能力に関係しているということですね。それならば、ほかのふたつもそれで説明がつくはずです!」


 七倉さんはとても難しい数学の問題が解けたときのような、すっきりとした笑顔になった。


「だとしたら、選ぶことにどのような能力を使ったのでしょう。……いえ、これはたったひとつしかありません! 選ぶことに都合が良いということに決まっています。その選択をすることで、能力を使ったひとが都合がいいに決まっています」


 僕もそうだと思ったので、七倉さんと同じようなことを考える。

 でも、そのとき気がついたんだ。この事件で最も説明ができない部分に。そして、それは七倉さんもすぐに気がついたみたいだ。


「でも、おかしいです……。これは、説明がつきません」

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