33, 桃子さんと生徒会の雑用
「先輩の家は倉橋家の本家なんですか?」
さっきから七倉さんも言っていたけれど、僕は気になって尋ねた。
倉橋先輩は頷きかけたけれど、結局は首を横に振った。
「いや。きみは七倉さんの家と同じように考えるだろうから、敢えて違うと言っておくよ。ただ、世間一般でいう本家ではある。先祖の墓を持っているし祭祀はつかさどっている。でも、七倉家のような一族の中心ではないんだ。僕の家は倉橋家の幹となる家のひとつ、東倉橋家と呼ばれている」
「それは、東以外にもいろいろな本家が存在しているということですか?」
「そのとおりだよ。ウチが『かける』ことに強い家だということは司君も知っているだろう。そのせいで、うちの家系には山っ気のある人間が多いんだ。橋を架け、大きな屋敷を持つほどに栄える時代もあれば、裏目に出て衰退する時代もある。でもその子孫からまた成功する人間が出て、代替わりすると廃れるのを繰り返してきた。おかげで、倉橋家にはたくさんの本家があるんだ。古い物から順番に、東倉橋家と西倉橋家、川西・門前・総社、それから、本町・新橋だね。ただし、西倉橋家と門前倉橋家はもうほとんど残っていない」
「それじゃ、先輩の東家は、いちばん古い家になるじゃないですか!」
僕は少しオーバーなくらいに言ったけれど、倉橋先輩は曖昧に頷くだけだった。
「歴史的にはね。もっとも、今じゃ古いだけだよ。ただ、きみのお祖母さんが若かった頃には強力な能力者もそれなりにいたんだ。だから、聡一郎さんはけっこうなお嬢様をもらっているともいえるんだけど、今は昔、というところだね」
もっとも、これは曾祖父の受け売りだけど、と先輩はことわった。でも、倉橋先輩はたいしたことがないように言ったけれど、僕はまた祖父に親近感めいた感情を抱いたんだ。
祖母は、自分のことを能力が使えない、大したことのない能力者だと言った。けれども、倉橋先輩の言っていることが本当だとしたら事実は異なる。要するに、祖父は七倉さんのようなお嬢様と結婚したということなんだ。
そのためには、きっと色々な事件があったんだと思う。祖父は僕と同じくらいの年の頃に能力者を捜していたのだけど、祖母と結婚した意味も分かる気がする。
「さて世間話はこのくらいにしておこう。僕の家のことは七倉さんからも聞けるだろうからね。それよりは、僕は僕にしかできない話をしておこう」
僕が首肯すると、倉橋先輩は真剣な表情になって言った。
「単刀直入に言おう。会長と桃子さんの様子がおかしい。きみは昨日がふたりとの初対面だと思うし、本来ならこんな話を下級生にするつもりはなかったけれど、七倉さんが関わっていると分かればもうこれは確信だ。それに、司君はもう半ば関係者といっていい。その上、僕たちは親戚同士でもある。しかも異能の力を知っている。だから言わせてほしかった」
「ひょっとして、僕が昨日生徒会室に呼び出されたのも、単に僕が犯人だと疑われただけじゃないということですか?」
「そんな気がする。たしかに、司君は疑われている。でも、2ヶ月もの間、放置されていたはずの事件だよ。このタイミングでどうして急に蒸し返したのかが分からない」
倉橋先輩はひと呼吸おいて、話を整理しにかかった。
「僕が気になっていることはいくつもあるが、会長についてからだ。まず、新年度が始まってから違和感はあった。4月の末に妹の桃子さんが生徒会入りしたことが、姉である会長にとって影響を及ぼしていることは承知していた。それについては織り込み済みだよ。いくらあの会長でも、妹の扱いが他の役員と全く同じとはいかない。やりづらい面は生じるだろうとは思っていた」
僕はさっき僕に対して自己紹介しようとしていた先輩の姿を思い出した。もっとも、あの生徒会長である優子さんに、同じような姿を思い描くことは難しかった。
「司くんはどう感じたか分からないが、もともと会長はあそこまで厳しいひとじゃない。たしかに他人に対しては厳しいところはある。だけど、それは自分に対する厳しさが前提だし、それだけの実力があるからこそ許される厳しさだ。そして、厳しさを感情で処理しないことが会長の良いところでもあった。だが、昨日は違った」
先輩の言いたいことは伝わってくる。ただ、僕はふたりの普段を知らないので、遠慮無く先輩に尋ねることにした。
「妹の桃子さんとは仲が悪いんですか?」
「いや――妹さんにあんなに厳しいのは今回が初めてだ。もちろん、厳しいことを言うことはある。仕事がいまひとつこなせないことを叱ることもあった。だが、昨日みたいに生徒会のみんなを前にして、繰り返し貶すようなことはなかった。もちろん、2か月の間に不満が蓄積したとも考えられるが、少し過剰すぎる。会長はもともとあんなことをするひとじゃないんだ」
「想像はできないのですけど、要するにいつもの会長はもっと優しいんですよね」
倉橋先輩は自信をもって頷いた。
「司君はあんなふうに容疑者扱いされた手前、優しいと言われてもピンとこないかもしれないが、少なくとも昨日の態度は異常だと思っていい」
「……分かりました。会長はそれでいいとして、桃子さんはどうなんですか?」
僕が尋ねると、ここで倉橋先輩は重要なことを思案するような顔になった。まるで言うべきかどうかためらっているかのような沈黙が、何秒か続いた。
けれども、やがて先輩は口を開いた。
「会長を見る目が変わってきたような気がする。前と違って、会長に対して思うところができたような、そんな視線をすることが多くなった」
それは、あまり良くないことを告げるような、低い声でだった。先輩は思い出したように眼鏡の弦を抑えた。
「急にうまくいかなくなってきているんですか」
「良くはなっていない……と思う。1か月ほど前まではもっと無邪気な子だったんだ。むしろ姉妹仲はとても良かった。姉の会長は妹に対してあれをやれこれをやれと言うが、妹さんはとても素直に言うとおりにしていた。もちろん、意見を言ったり、軽口を叩いたりするときもある。ふつうの姉妹だよ。でも、最近はそういう関係には見えなくなってきた。会長は妹が失敗をするとしつこく糾弾するし、妹さんは泣き出しそうになるまで叱られているが、ふと見ると何かを考えているような、底の知れない雰囲気を感じる。そこへ来てこれだ」
生徒会の仕事を僕と桃子さんのふたりで回す。
僕に対しては、証拠が不十分だとかいろいろな問題はあるけれど、僕が起こした不審な行動を考えれば考えられない処分じゃない。
問題は桃子さんだ。
僕は入学してから今日までの桃子さんの働きぶりを知らない。たしかに、桃子さんは生徒会には向いていない性格をしているように思えるけれど、たかだか入学して3か月足らずだ。いくらなんでも、3か月も経たないうちに、罰としてたったふたりで仕事をしないといけないなんて、厳しすぎるようにも思う
「生徒会のみんなは不審には思っていないんですか?」
「微妙なところだよ。一応は納得できる。たしかに会長の言うとおりしばらくは行事もないし時期としては悪くない。回せないことはないとは思うんだ。会長がフォローするとは言っているし、司君の事件も小さくはない。だから、不信感を抱くまでには至っていない」
もっとも、優子さんは実力のある会長なんだろうけれど、いくら会長でもいくらでも無理を通せるわけじゃない。ということは、それだけ僕の嫌疑が強かったということなんだろう。
「だが、それにしても姉妹が互いを憎み合っているなんて想像したくもない。そして、これは舞台裏を知っている僕たちだから分かることだけど、司君は半ば冤罪だ。理屈の上ではきみが鍵を開けて教室に侵入したとは思っていないと言っていたが、実態は処分を行っている。あの会長が冤罪を作り出すようなミスをするとは信じたくなかった」
過去形。
つまり、優子さんはもうミスを重ね始めているんだ。
その日から、放課後になると、僕は急いで生徒会室に向かう生活が始まった。
倉橋先輩が生徒会長の様子がおかしいと教えてくれたものの、僕はおかしくなる前の氷上優子さんを知らない。それに、裏側はどうあれ、今の僕は生徒会に弱みを握られている状態だった。だから、些細なことでもミスをすることは避けないといけなかった。ましてや遅刻なんてもってのほかだ。
幸い、優子さんが真っ先に生徒会室に来ているということはなかった。3年生だし、生徒会長だということはクラスでも人気があるのだと思う。それは、七倉さんを見ていると分かった。優秀なひとはけっこう忙しい。
でも、だからといって桃子さんが先に来ているとは思わなかったんだけれど。
「つっ、司さん、こんにちはっ!」
桃子さんは、すっきりとした顔を赤く染めながら僕に頭を下げた。
僕が入ってくるまでは、桃子さんのために置かれた庶務の席でくつろいでいたみたいだけど、それを邪魔してしまったみたいだ。
でも、桃子さんは僕が来るなり気になったことがあったみたいに、そわそわとし始めた。なんだろう。
「あ、あのぅ……」
「どうしたの?」
「私の名前と、お姉ちゃんの名前、ちゃんと覚えているかなって。しっ、失礼だとは思うんです。で、でも、昨日は急なことで、ぜんぜん紹介とかできないまま、何もかも決まっちゃいましたから……」
「うん、氷上優子さんと桃子さんだよね。ちゃんと覚えてるよ」
僕は倉橋先輩が言ったことを思い出して、桃子さんの態度との食い違いを感じた。さっそくお姉さんの話題が出てきたけれど、これでも優子さんとの仲が悪くなっているんだろうか?
それから、桃子さんは少しだけ警戒するような目をした。
「あの、司さんって本当に教室に入ったんですか……?」
「それはお姉さんも言っていたけれど、僕にメリットがないことだよ。お姉さんが言ったように、僕が犯人だとしたら、自分が疑われるように行動し過ぎているんだよ」
「じゃ、じゃあ、司さんは誰かをかばってそんなことをしているんですか?」
「お姉さんに反対するようで申し訳ないけど、それだってメリットがないよ。僕はこんなに大変な思いをしているのにさ」
それは嘘なのでちょっぴり胸が痛んだ。僕はこの件の真相を隠すことに、僕なりのメリットがある。それも、生徒会の雑用くらいならやってもいいかと思えるくらいのメリットだった。
でも、それにしても優子さんの処分は見切り発車だと思うし、冤罪の部分だってある。だから、桃子さんには悪いけれども、僕はどんなに追い詰められても本当のことを言わないほうがいいとも思った。
「そ、そうですよねっ。それに、もしそうだとしてもきっと理由があるような気がします。だって、盗まれたものが何もないって言ってました」
「ところで、今日から僕は何をすればいいんだろう?」
僕の質問に、桃子さんは表情を明るくさせた。
「あっ、私それ分かります。あの、6月が終わりますから、窓や掲示板に貼られている部活動勧誘ポスターを剥がすんです。それから、窓にテープの跡が残っている場合には跡が残らないように綺麗にします。だから、バケツと雑巾を使います」
「それって毎年やってるの? けっこう大変そうだよね……」
「そっ、そうなんです。お姉ちゃんは生徒会のみんなで取りかかって、いつもの年は2日、かかっても3日くらいで終わらせるって言っていたから……」
単に剥がすだけなら僕たちだけでもそれくらいの日数で終わりそうだけれど、そのあと美化もしないといけないとなると、何倍もの時間が掛かりそうだ。1週間……といっても平日だけだから5日だけど、それくらいは見ておかなければならない。
「やっぱり今年もバケツと雑巾を使わないといけないんだよね」
「は、はい……」
「だよね。手を抜いたら生徒会の責任だもんね……」
僕は少しだけ期待したけれど、その希望は儚く消えた。まあ手抜きが認められるのだったら、僕の罰則にはならないし、こんな年中行事があるということは優子さんが分かっているはずで、きついからこそふたりでやれということなんだろうな。
「お姉ちゃんが来ないうちに始めたほうがいいみたい。また怒られちゃうから」
「うん、道具の場所は分かる?」
「はっ、はい。それは任せてくださいっ」
桃子さんは生徒会室の用具入れから掃除用具を取り出してから、迷いながらも書類入れを開けて、クリップで綴じられた紙の束を取りだした。それを覗き込んで見ると、各部が貼り出すポスターの枚数と、場所が書かれていた。
「枚数と場所については届け出が必要なんです。ほかの部との場所の兼ね合いもあるから、完全に一致していないといけないわけじゃないけど、なるべく近くなるようにはしなきゃだめなの」
「へええ、しっかり管理しているんだね」
「う、うん……。こうしないと大量の枚数を作っちゃう部活が出ちゃうんだって。自分たちで張って自分たちで剥がすのなら構わないんだけど、窓でも壁でも張りすぎると美観を損なうってお姉ちゃんは言ってました。少しなら大したことないように感じるけど、大量にベタベタ張られたポスターほどうるさいものはないって」
たしかに、いつまでも貼り出したままにしていると、ガラス窓からとられる日の光を遮って、見栄えはとても悪そうだ。
「でも、文化祭の時にはそれくらいたくさんのポスターが貼られるんじゃない? 僕の中学校では窓1枚につきポスター1枚みたいなイメージがあるよ」
「それは1日で外しちゃうの。遅くてもその次の週には全部外しちゃわないといけないんだって。お祭りで使ったものをお祭りが終わってからもずっとそのままにしていたらおかしいもん。これは中学校の話だけど、たぶんお姉ちゃんは高校でも同じようにしてると思う」
「ひょっとして、お姉さんって中学時代も生徒会長だったの?」
「うん! 小学校のときからそう」
僕はそれを聞いて感心する反面、あのお姉さんなら当然だとも思った。たぶん、小学生の頃からあんな雰囲気だったんじゃないかと思う。あんなふうに、自分の正しいと考えたことを実践できる行動力があれば、どこでだって上に立つことになるんじゃないかと思う。
僕たちは生徒会室をあとにした。
もちろん、優子さんへの連絡はしておいた。
「連絡はきちんとしなさいって言われてるから」
そういって桃子さんは生徒会長の机にメモを残した。それを見ると、桃子さんは決して仕事ができないようには見えなかった。なんとなく舌っ足らずだし、自信がないようにも見えるけれど、僕よりもよほど仕事をこなせそうに見えた。
「じゃっ、じゃあ、まずは部室のある棟から。1年生の教室は、明後日以降になっちゃうね」
「しょうがないよね」
なにせ、各部の部室の周辺にはとても多くのポスターが貼られていて、ふたりが1日でそれを片づけるのは大変なことだったんだ。
「お姉さんは来てくれないのかな」
「私たちが生徒会室を開けているから、た、たぶんだけど、生徒会室にいて細かい仕事をしてると思います。それから、司さんのことを先生に報告する必要があると思うし……」
「あ、そうか」