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31, 優子さんの裁定

「さて、4時30分から5時10分までの40分もの間、教室の施錠がいつ開けられたのかは明らかでない。しかし、何らかの方法で鍵を開けるには40分もあれば充分だ」


 違う。それは本当は正しくないんだ。

 あの日、僕は5時前に七倉さんと出会っている。そのとき、七倉さんは教室に出入りしていなければおかしい行動を、いくつもしていた。七倉さんが教室に入ったのは、おそらく4時40分から50分ごろ。だとすれば、教室に侵入するために必要な時間は10分程度しかなくなってしまう。でも――


「5時前だが、きみの同級生が、きみときみのクラスメートの女子……七倉菜摘がふたりで談笑していたことを目撃している。だが、それを考慮しても4時30分から5時前までの30分近くのあいだ、きみが何をしていたのかが明らかでない。単刀直入に言おう、きみのアリバイは保証できない以上、きみが最も怪しいと言わざるをえない」


 氷上優子さんは手に持っていた紙を投げ捨てて、その綺麗な顔を僕に向けた。


「このような事件が2か月も放置されていること自体が異常だ。だが、経緯がどうあれ、今からでも解決しなければならない」


 その表情には確信がありありと浮かんでいて、僕は疑われているというよりも、既に責められているのだと分かった。

 桃子さんは、呆然とした様子で僕を見上げている。副会長の倉橋春高先輩は、僕たちの様子を傍観しているみたいだった。その表情に、僕に対する露骨な感情が表れていないのがせめてもの救いだった。


「ほかに参考とすべき生徒がいるのなら、その生徒の意見も聞いて検討しよう」


 参考とすべき生徒には、もちろん心当たりがある。

 僕は今すぐにでも七倉さんの名前を挙げれば良かった。きっと七倉さんはすぐに生徒会室に駆けつけて、生徒会長の目の前に歩み出てこう言ってくれるだろう。


 ――申し訳ありません。その扉を開けたのは私です。


 きっと、七倉さんはすぐにそれらしい理由を考えると思う。どうしても持って帰らなければならない私物があって、職員室の鍵を持って行ってしまったとか、ありえそうな過失を作り出すと思う。

 それは真実じゃない。けれども、七倉さんは本当のことを言うわけにもいかない。たとえ言ったところで、触れただけで鍵を開けられて、しかも七倉さんの場合には無意識に発動することすらある――なんてことを信じてもらえるわけがない。

 だから、僕はこう言ったんだ。


「無理です。誰を呼んでも僕の無実を証明できません」


 たしかに僕は自分自身の無実を証明できない。でも、逆に、扉の鍵を開けたという明確な証拠もなかった。だからこそ、僕は疑われていたかもしれないけれど、罰を与えられるなんてことはなかったんだから。

 だからこうするのが最善だと思った。僕は嘘をついていないし、七倉さんが嘘をつくこともない。もちろん、七倉さんの秘密を話してそれを生徒会と教師の全員に認めてもらえば解決するけれど、当然それは不可能なんだ。

 それなら、現状を維持しておくのがいちばん分かりやすい結論だ。


「そうか、悪あがきをしないことは好感が持てる」


 優子さんは無感動に言った。


「でも、僕がやったという証拠もないはずです」


 言った瞬間、僕はしまったと思った。この言い方、まるで推理小説で追い詰められた犯人が言うような台詞じゃないか。桃子さんは僕を見上げて、まるで凶悪犯を警戒するような目つきで僕を見ている。副会長の倉橋先輩も腕組みをして考え事をしている。

 そして、生徒会長の氷上優子先輩は口元に微笑をたたえていた。


「あいにく、物証はなくとも状況証拠というものがある。刑事事件化するのなら物証の必要性は大きいだろうが、校内での規律維持なら状況証拠で充分だ。きみは校内暴力やイジメの犯人を捕まえるために、わざわざ物証を揃える教師を見聞きしたことがあるか?」

「……ありません」


 優子さんは呆れたように息をついた。


「聴取を続けよう。あの日、きみは自転車の鍵を紛失したので捜し回っていたという話があるが、それは正しいのか」

「はい」

「また別の情報だが、きみはわざわざ教師に対して非常に細やかな気配りをしている。教室からなくなったものはないのか。鍵を施錠し忘れたのではないか。なくなったものが無ければ事を荒立てる必要はないのではないか。そして、もうひとつ」


 僕は戦慄した。いったい、優子さんはどこまで調べているんだ。


「きみは、自分の名前を出さないようにと教師に言ったそうじゃないか。それはなぜだ」


 僕は何も答えられなかった。これだけは答えられない。

 それは――、七倉さんの正体を知りたかったからだ。僕のそれまでの常識では絶対に信じられないような、とても不思議な能力をもつであろう、七倉さんの気を引きたかった。


 僕はあの時、とてもどきどきしていたんだ。あの美人で、肌が白くて、今までに聞いたどの女の子の声よりも綺麗な声で、清楚で聡明な七倉さんが、祖父のノートに書かれていた能力者の姿にそっくりだった。

 締まっているはずの教室の扉が開いていたとき、まさかと思った。職員室に行ったときに、施錠を担当した教師が自信を持って鍵を掛けたと言い張ったとき、僕は嬉しくてしかたなかった。

 僕は直前に七倉さんに出会っている。あれは偶然じゃない!


 あの時、僕は七倉さんの笑顔を思い出して胸が張り裂けそうになったんだ。七倉さんのような可愛い女の子が、実はとても不思議な能力者で、その女の子が僕に話しかけてきて、その能力で困っている僕を助けてくれた。

 祖父の遺言は間違いなかった! しかも、僕が思っていたよりもずっと素晴らしい遺言だった。僕はあらゆることが嬉しくて、七倉さんともっと話がしたかった。

 だから僕はあんなことをしたんだ。


「なぜだ」

「司さん、どうしてそんなことをしたんですか……?」


 もう僕は尋問をされている容疑者のような立場だった。優子さんも桃子さんも、同じような不審な眼差しで僕を見つめていた。優子さんは氷のような、桃子さんは涙ぐんだような目で、僕を責め立てている。

 ふたりの目には、僕は犯人のようにしか見えていないだろう。たぶん、誰だってそうだ。僕だけが自分は犯人でないことを知っていた。

 優子さんは繰り返した。


「なぜそんな情報をわざわざ付け足したんだ」

「それは――もし、みんなの荷物が消えていたとして、それに気づかないひとがいたら、きっと困るだろうなと思ったからです」

「そんなことをわざわざ言わなくても、貴重品がなくなっていたら気づくだろう。なにより、きみはわざわざ犯人をかばうかのような誘導をしているが、犯人を野放しにすることに何の得もないはずだ。ほかでもない、犯人以外はな」

「でも、何かの間違いだったかもしれません!」


 優子さんは鼻で笑った。桃子さんは諦めたように顔を伏せた。


「間違いで施錠されている鍵を開けてしまうことがあるとでも?」


 それがあるんだ!

 僕は心の中で叫んだ。

 ただ、僕は責め立てられてはいたけれど、僕が犯人でないことは僕自身がいちばんよく分かっていた。それは態度にも出ていたはずだ。だからかもしれない。おずおずと手を挙げて、桃子さんが発言した。


「お、お姉ちゃん……」

「なんだ、桃子」

「しょ、証拠がないのに犯人扱いするのは、よくないよ……」


 桃子さんは小さな声で反論してくれた。ただ、優子さんはその意見をを採用するつもりはなかったみたいだ。


「もちろん、断定まではできないことは確かだ。だが、犯人をかばうかのような行動を取り、捜査を攪乱していることも確かだろう。彼が犯人を知っている可能性も充分に考えられる。彼はあまりにも積極的に動きすぎている」


 それは否定できなかった。僕は、ただの第一発見者にしては思えない行動を繰り返している。

 優子さんは続けた。


「そして、教師の中には司がやったのではないかと思っているひともいる。証拠がないだけに断定するわけにもいかなかったが、よくよく調べてみたらこれだ。彼はなんらかの工作を行ったようにしか見えない」


 これを聞いてしまった僕は、黙っていはられなかった。

 僕が疑われていることはありうるけれど、証拠がないのに疑われるほど、僕は自分の素行が悪いとは思っていなかったし、実際そのはずだった。


「僕を疑っている先生は、そんなにたくさんいるんですか」

「生憎だが、これは脅迫でも揺さぶりでもなく事実だ。きみのクラスの担任教師はかばったし、証拠もなく実害もなかった。それに、きみは決して不真面目な生徒という評価を受けていない。だから、教師に目をつけられているとまでは言わない。だが、疑いを抱いている教師はいる。主に2、3年担当の教師だが」


 僕は知らなかった。けれども、たとえ証拠がなくても、犯罪の容疑者にリストアップされただけで信用をなくすということは、理解できないことではなかった。

 たとえ冤罪だと証明されても、有罪扱いされた事実が消えることはないんだ。


「微妙な一件だけに徹底的な調査が行われなかったのが災いの元だ。現在まで教室内から盗まれた物があったという報告は受けていない。もちろん、若干の調査は行われたし、担任による事情聴取もあった。しかし、実害が無かったために調査は打ち切られた。教師は仕事を大量に抱えているし、被害が無ければ実際上の問題はないともいえる。だが、これは曖昧にすべきでなく解決すべき問題だろう。そしてできることならば犯人に反省を促すべきだ」


 優子さんはそこで言葉を句切った。


「反論があれば聞こう」


 どうすればいいんだろう。

 僕は考える。ここは落としどころかもしれなかった。優子さんは100パーセントの有罪までは考えていない物言いをしている。

 限りなく僕が怪しいとは考えている。でも、僕が犯人とまでは断定していない。そしてそれは間違いではないんだ。僕は犯人ではないけれど、七倉さんをかばう言動をしている。ただ、なぜそんな行動をとっているのかが分かっていないだけだ。


 優子さんはさすがに生徒会長だけあって聡い。なんとなく僕が犯人じゃないことは察しているようにも見えた。厳しい言い方をしているけれども、優子さんは絶対にミスを犯してこない。無理な決めつけや強引な追及をしてこない。安全圏から確実な論理だけを積み上げてくる。

 まるで、真実までの細い道筋が見えていて、それを目隠しで歩いているかのようなバランス感覚だった。


 このひとを相手にするには、反発するだけじゃダメだ。小学生の頃や中学生の頃みたいに、人気だけでリーダーに選ばれたひとじゃない。この高校で、実力と実績を兼ね備えて選び抜かれた高校生の代表者なんだ。しかも、僕よりも2年も上の先輩だ。感情的になって突っぱねても、勝ち目があるわけない。

 僕は意を決して言った。


「軽率だったと思っています。僕は余計なことをたくさん言ってしまって、先生や生徒会の皆さんを困らせたと思います。でも、犯人は僕じゃないんです。それだけは信じてください」

「容疑は否認するんだな」

「そうです。けれど、僕が疑われるようなことをやったことは確かです。そのことは反省しています。僕がもっと早く行動していれば、犯人を捕まえられたかもしれません」


 優子さんは、先ほどまでよりも少し口調を和らげた。


「そのとおりだ。特に、犯人に対して温情的ともとれる発言をしたことが致命的だった。あれは共犯者か内通者がするような発言だ。きみがきみ自身の名前を伏せるように言ったことも、理由があることだとは察するが、大いに誤解を招く行為だ。あれのせいできみは疑われていると言っていい」

「悪いことをしてしまったと思っています」


 優子さんは頷き、席を立ち上がった。そして、小さく口元を緩ませてくれた。とても頼りになりそうな、自信に満ちた笑みだった。


「きみが反省していることは分かった。私としても、きみが犯人であるとまでは思っていない。きみの言動は疑わしいが、犯人としては目立ちすぎている。そして、それだけ大きなリスクを冒しているのにメリットがまるでない」


 僕は感嘆した。優子さんは僕に不利な状況証拠だけでなくて、僕に有利な証拠も取り上げてくれたんだ。僕は、このひとが生徒会長に選ばれた理由を理解した。


「生徒会は教師の補弼機関ではなく、生徒のための自治組織だ。きみに対して懐疑的に思っている教師には生徒会から釈明しよう。きみが犯人ではないことは、私が責任をもって報告する」


 僕は素直に感謝して、頭を下げた。先生のなかにも疑っているひとがいるとすれば、その誤解を解いてくれるという優子さんの申し出は、率直にありがたかった。


「ありがとうございます」

「ただし、きみが不必要な発言をしたことに関しては、不快に感じている人間がいるということを覚えておくように。その不快感を和らげるためには、態度で示す必要がある」


 優子さんは、その鋭い視線を右腕の倉橋春高副会長に向けた。倉橋先輩はそれが分かっていたかのようなタイミングで、眼鏡の弦を押し上げた。


「倉橋っ」

「はい、会長」

「会長命令だ。しばらく副会長以下は休暇とする。生徒会室にも出てこなくていい。雑務はここにいる桃子と司にやらせる。私物は今日中に持ち帰るようにしろ。明日以降、私の許可無く生徒会室に姿を現せば、司や桃子と同じ仕事をさせる。不服がある者はいますぐに言え」


 それで僕は現実に引き戻された。生徒会室には会長・副会長をはじめとして、桃子さんを含めて何人かの庶務がいた。けれども、みな会長の指令には異議を唱えず、口々に賛成の言葉を告げた。

 桃子さんは涙目になって俯いて、僕は黙ったまま立ち尽くしていた。

 そんななか、倉橋先輩だけが手を挙げた。


「会長。不服ではありませんが、副会長として質問したいと思います」

「倉橋、発言を認める」

「ありがとうございます。司君と氷上桃子さんが我々の職務を代行する理由については、今の論議で大方は把握できましたが、特に氷上桃子さんにつきましては、改めて理由を明確にすべきだと思います」


 優子さんは頷いた。

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