03, 七倉さんの推理
はいはい、みんな静かに。
おはようございます、早速ですが今日は連絡が2つあります。
まず1つ目。
実は昨日、校舎内で自転車の鍵を紛失した生徒からの届け出がありました。昨日一日じゅう捜したのですが、まだ鍵は見つからないとのことです。もし校内で自転車の鍵が見つけら、先生まで届けるか、職員室まで届けてください。
それから2つ目。
昨日の放課後、教室の施錠管理がうまく行われていなかったために、教室内に置いてあった荷物や備品が無くなっているおそれがあります。
特に貴重品について、大切な物を学校に置きっ放しにしているとは思いませんが、もし失くなっているものがあったり、見つけたりしたら先生まで知らせてください。
それと、司君には話がありますので、後で先生のところへ来て下さい。
連絡は以上です。
***
高校に入学してから初めての事件といっていい出来事だった。
もっとも、それが落とし物だなんて、なんだか僕がうっかり者のように思えるけれど、実際のところ僕は昔から集中力散漫で、こういうことはたまにある。
もちろん、いつも集中していないわけじゃなくて、その代わりに、僕なりに気をつけていることもあるのだけれど。
自転車の鍵をなくした翌日、僕はもちろん七倉さんに改めて礼を言った。
「七倉さん、昨日は助かったよ。結局、鍵は見つからなかったからチェーンの鍵を付けてきたんだけどね」
七倉さんはとても上品に微笑んだ。
「先生も捜していますから、きっと見つかりますよ」
もっとも、七倉さんは首を傾げて、朝に担任が言ったことのうち2つ目のことを気に掛けているみたいだった。
「自転車の鍵が失くなっただけでなくて、教室からも何か物が失くなったみたいですね。大丈夫なのでしょうか」
「そうみたいだね。ひょっとしたら、僕の鍵もそのせいで失くなったのかもしれない」
「そうかもしれませんね……」
七倉さんは感情が顔に出やすいみたいで、自分のことでもないのに心配している、とても優しいひとだということがすぐに分かった。
クラスの中でもとても目立つ存在の七倉さんは、けれども、見かけはクラスメートの女子に比べてずっと落ち着いている。可憐ともいえるけれども美人ともいえるのは、表情は豊かなのに行動に育ちの良さを感じるからなのだと思う。
頭はすごくいい。それはもう外見からにじみ出るくらいに利発だと分かる。
運動神経は特別良くもないけれど、悪くもないみたいだ。部活には所属していないらしいので、むしろ並みよりもいいくらいなのかもしれない。
口調は丁寧だけれども、話し方は高校生らしくてとても明るい。
そして、七倉さんがお嬢様だというのは、どうやら印象だけでなく本当のことらしい。
なんでも、七倉さんの実家は7つの倉を持つほどの名家なのだとか。これは河原崎くんに聞いてみたらすぐに答えてくれたので、どうやら有名なことらしい。なんだかできすぎていて嘘っぽい。
「だが、七倉の家は大きな屋敷だぜ。倉もちゃんとあるしな」
河原崎くんがこうして断言してくれている以上は、七倉さんの家がちょっとしたお金持ちであるのは間違いないようだった。
けれども、そんな七倉さんと僕が、どうして接点を持ってしまったのだろう。
自転車の鍵を落としたことで、こんなふうに話をできるなんて、夢みたいだ。
「司くん?」
どうやら僕はまた考え事をしていたみたいだった。
七倉さんが僕を呼んでいたのは話の途中だったからで、僕はつい昨日起こったことから今までのことを整理していて、七倉さんの前にいることを忘れかけていた。こんなふうに注意力散漫だから自転車の鍵をなくしてしまうんだろうな。
「自転車の鍵、まだ見つかっていないんですね」
「新しい鍵を用意するからもう諦めるよ。出てきてくれればそりゃ嬉しいけど」
「しかも、教室の施錠に問題があったそうですね。私は大切な物は全て持ち運んでいますから何も盗られていないと思いますけど……」
「七倉さんもよく調べておいたほうがいいんじゃないかな。なにも盗られるものは貴重品とは限らないし」
僕は前に近所の中学で不審者が侵入して、女子生徒の荷物をあさるなんてことがあったことを思い出した。
七倉さんみたいに可愛い女子が身につけた物だったらなんでもいい、なんて男も世の中にはいるんだろう。もっとも、そんなことを七倉さんにいちいち説明するのはなんとなくはばかられた。
七倉さんは首を傾げて僕に尋ねた。
「そういえば、朝のホームルームの後に先生に何か聞かれていましたけど、どうかしましたか?」
「事情聴取されたんだよ。俺が鞄を取りに戻った時間には施錠された後だったのに、僕が鞄を取りに戻れたから真っ先に話を聞かれたんだ。本当は鍵が締められていないとおかしい時間帯だから。ひょっとしたら疑われているのかも」
そう、昨日、教室の鍵が掛かっていなかったことは先生からの連絡でも言われたとおりだけれど、困ったことにそのことを真っ先に知ったのはこの僕だった。僕が昨日、この教室に最後に入ったのは夕方の5時過ぎだったけれど、普段その時間帯には、教室には施錠がなされているはずだった。
そして第一発見者は僕だった。
そりゃ、いちばん怪しいのは僕になってしまう。
もっとも、犯人が僕だとしたら、僕が職員室にわざわざ鍵が開いていることを報告するのはおかしい気もするけれど、犯人が敢えて第一発見者になって捜査を攪乱することも考えられる。
「七倉さんは何か心当たりはない?」
「私ですか? いえ、私は特に何も……」
「でもさ、昨日、僕が自転車の鍵を失くしたことを言い当てたじゃないか。あの調子で推理してみたら何か分かるんじゃないかな。ひょっとしたら僕の自転車の鍵も見つかるかもしれないし」
「いえ、あれは別に推理というほどのものではないのですが……」
七倉さんは思いもよらなかったらしく目をしばたたかせていた。
けれども、僕はこのままでは困ってしまう。もちろん、僕が犯人だという証拠が見つかったわけではないのだけど、もしこのまま他に何の可能性も見当たらないままなら、僕が犯人ということにされてしまうかもしれない。
僕の必死な態度に、七倉さんも何かしら胸に響くものがあったみたいだ。
「んん……でもそうですね。やってみましょうか」
それから七倉さんは本当に調査を開始した。
鞄の中から小さなメモを取り出して、自分の席に座って悩んでいた。それから、それが済むと僕に状況を尋ねに来た。
「教室の鍵を施錠したのは間違いないのですか?」
「それは確認する手順になっているから信用していいらしいよ」
「ここは4階ですから窓からは入れないでしょうし……。それでは、職員室に行って尋ねてみましょう」
「そのほうがいいかもしれないね」
僕がそれだけ言って自分の席に戻ろうとしたら、急に強い力で手を引っ張られた。
何事かと思って見たら、七倉さんの柔らかな手が僕の手を握っている。一瞬、何が起こったのか分からなかったけれど、僕は慌ててその手を離した。
「ど、どうしたの」
七倉さんは、とても綺麗な瞳で僕をじっと見つめていた。
その目のまっすぐさに、僕は息をのんで、何も言えなくなってしまった。
「あの、頼んだ以上は一緒に来てください。それに、私ひとりが捜すよりもふたりで捜したほうがいいでしょう?」
僕は返事に詰まったけれど、七倉さんも一歩も引かなかった。
結局、七倉さんは僕が首を縦に振るまで視線を逸らしてはくれなかった。
「まあ、それもそうかなあ」
僕のものすごく間の抜けた返事を聞くやいなや、僕は七倉さんに引き連れられて、職員室まで行くことになってしまった。
「さあさあ、行きましょう。先生に事情をお聞きすれば情報を整理できるかもしれません。ほら、早くしないと休み時間が終わってしまいます!」
もっとも、僕がするべきことはほとんど何もなかったのだけれど。
七倉さんは校則にしっかりと従った長さのスカートを翻しながら、僕を急かしたわりには優雅に歩く。僕はその背後を、お供か秘書になったような気分で目立たないようについていった。なんだかとっても恥ずかしい。
ただ、職員室ではこれといって新しい事実は明らかにならなかった。
そもそも、僕たちのクラスの担任は教室の施錠がされていなかったことを報告した教師ではなくて、昨日の事件について詳しい状況を把握していたわけではなかった。
だから放課後までに僕と七倉さんが手にした事実は、それほど目新しいものはなくて、依然として僕が第一発見者には変わりなかったし、僕以外のひとが鍵を開けたという手がかりが見つかったわけでもなかった。
「新たに判明したのは、昨日の夕方4時半ごろに鍵を掛けて、5時過ぎには既に鍵が開いていたことが分かっていたということだけですか……。今朝分かったわけではなかったんですね」
「まあ、今のところ生徒の荷物が盗まれたわけでもないらしいから良かったよ」
「それはそうですけれど……」
七倉さんは答えを出すのを迷っていたようだった。
窓際の席に座っていて、ずっとノートに何かを書き込んで、まとめながら考え事をしていたのだけど、放課後にはどうやらそれがまとまったらしい。ホームルームが終わって30分も経つと、教室には人けがなくなって、僕は自然と七倉さんの話を聞くことになった。言い換えれば、僕はその時間まで七倉さんに付き合わされて帰ることができなかった。
今日は外がまだ明るい。時間は4時前で、まだ施錠までは30分以上の時間がある。
七倉さんはふたりきりになると、僕に向かってこう切り出した。
「ごめんなさい、私、今からとても失礼なことを言ってしまうかもしれません」
「ひょっとして、もう分かったの?」
「はい」
僕は廊下側にある自分の机に腰掛けて、それを聞くことにした。七倉さんの席は窓際にあるので、僕と七倉さんの距離はちょっとだけ離れている。でも、こんなふうに離れて聞いていたほうが、なんとなく雰囲気があっていい気がした。
「先生のミスがなければ、鍵を開けたのは司くんということになってしまいます。それは本来ならば施錠されているはずの時間帯に教室に入ったためです。おそらく、先生方も同じことを考えているでしょう」
やっぱり、七倉さんは僕のことを疑っているようだった。
けれども、その言葉には責め立てるような声色はなくて、表情も僕の様子を覗うような顔だった。なんとなく自信が無さそうにも見える。
ただ、次の瞬間にはその不安げな様子は消えて、昨日見たような推理好きな一面が顔を覗かせた。
「司くんは怪しいです。第一発見者ですから。ただ、それで決めつける前に、先生が朝に言ったことを思い出してください」
たぶん、さっきまで七倉さんがノートに書き入れていたのはこのことだったんだろう。
七倉さんは記憶力もいいみたいで、僕がもう忘れかけている朝の担任の言葉を教えてくれた。
「先生は『校舎内で自転車の鍵を紛失した生徒からの届け出がありました』と言いました。ここで、生徒というのは明らかに司くんのことを指しています。私は昨日、司くんが自転車の鍵をなくしたことを聞きましたから、それは間違いありません」
もちろんそのとおりだった。
僕は昨日、放課後になってすぐに紛失物が職員室に届いていないか確認した。そのときに紛失の届け出もした。七倉さんが言っているのはそのことだ。
「それから、次に先生は『教室内に置いてあった荷物や備品が無くなっているおそれがあります』と言いました。私が気になったのはこの2つの言葉の関係です。この2つは関係しているのでしょうか」
僕は、2つの問題が同じ原因をもとにしているかもしれないと言ったことを思い出しながら、もう一度慎重に考え直した。
「たしかに、関係していない可能性もあるかもしれないね」
「いえ、私も関係していると思っています。ただ私は、この2つははじめに考えていたよりももっと密接に繋がっているような気がするんです」
つまり、と七倉さんは続けた。
「2つ目の問題は、誰が先生に伝えたのでしょうか?」
僕はその質問には答えられない。七倉さんがその大きな目で僕の目を覗き込んでいるけれど、僕はそれにどう答えていいのか悩ましかった。
「自転車の鍵が失くなったことは、司くんがたぶんこう言って伝えたのだと思います。『自転車の鍵を失くしてしまいました。今日一日じゅう捜したのですが見つかりません。申し訳ありませんが、明日のホームルームでみんなに捜すように言ってください。ただ、誰が落としたのかは言わないほうがいいと思います。疑うわけではありませんが、誰の自転車の鍵かが分かってしまうと、自転車が盗まれる可能性がありますから』というふうに。こうして念を押すほうが安全でしょうから、このようなことを言うこと自体は不自然ではありません。強いて言うのなら、そのような注文をつける慎重さが自然ではないかもしれませんが」
七倉さんは一呼吸置いた。
「それから、司くんはきっと先生にこう言ったんです。『いま教室に行ったら気づいたのですが、教室の施錠がきちんとされていなかったみたいです。念のため無くなっているものがないか調べたほうがいいんじゃないでしょうか』というふうに。どうでしょう」
僕はそれには首を縦にも横にも振らずに言い返した。
「だけど、それは気がついた以上は報告するのが当然じゃないかな?」
「教室が施錠されていることを知っていたとすれば、です。司くん、部活にも所属していませんよね。この高校で教室が施錠される時間帯をいつ知りましたか?」
僕が部活に所属していないことが、有名だなんてことはありえない。
それに、七倉さんが僕の素性を知り尽くしているとも思えなかった。
けれども、それでも七倉さんの言うことは正しかった。部活動に所属していない僕が、夕方5時過ぎまで高校に残っていたことは、これまで1日もなかった。それまで毎日、放課後になるとすぐに家に帰っていたからだ。
だから、僕は昨日まで教室が施錠されるのだということを知らなかった。それなのに、僕が先生に教室の施錠がされていないことを敢えて報告したとすれば、なんだか不自然な行動に見えるのかもしれない。
僕は七倉さんの考えを尋ねた。
「じゃあ、どうして僕がそんなことを言わないといけないの?」
「それは、疑われないようにするためじゃないでしょうか」
つまり、僕は教室の鍵が開いていたことを教師に伝えることで、教師により強い印象を残して疑われないようにしたと推理したみたいだ。たしかに、鍵が掛かっているはずの時間帯に僕が教室に入っていたんだから、いちばん怪しいのは僕に違いない。
それに、この教室には誰かが侵入したとか、不審者を見かけたというような情報すら寄せられていない。当然だけれど、部活動でも使用されていない夕方の遅い時間に、教室の周辺で不審者情報が寄せられることなんて、そう都合良くあるわけがなかった。
七倉さんは悪戯っぽく笑った。それで話したいことは全て話してしまったらしい。