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27, 京香さんの死角

 さて、京香さんについてはとてもたくさんの不自然な点があった。

 僕はそれが気になっていた。もちろん、聞かなくたって僕が困ることになることはなさそうだし、それを解く必要性だってなかった。けれども、京香さんの行動には気になることがいくつもあったし、七倉さんもそれを知って黙っていたんだ。

 僕はいつかそれを聞く機会があればいいと思っていたのだけど、そのチャンスは思いのほか早く訪れた。なにせ、その日の放課後にまた京香さんと会うことができたからだ。


 七倉さんはこの日も部活動に参加していた。春先にいろいろな部活に顔を出していたせいで、七倉さんは相変わらず引っ張りだこだった。最近はようやく義理を果たしつつあるみたいだ。ただ、今日も文芸部に行っているんだけど。

僕はといえば相変わらず帰宅部だった。もっとも、祖父の跡を継ぐことになってから、毎日の放課後に何も予定がないというわけでもなかった。

 僕は時には七倉さんや相坂さんと下校することもあったり、河原崎くんのコンピュータ研究会に顔を出したり、図書室に行くこともあったりしたけれど、ここのところは早めに帰る日もあった。たまには自宅でゆっくりするのもいいと思ったんだ。


 でも、放課後、僕が自転車にまたがって正門を出ようとしたところ、門の脇にスーツ姿の女性が直立不動でいることに気がついた。相変わらず生徒の視線を集めている。

 京香さんだった。黒塗りの車と一緒だ。

 僕が自転車から降りて京香さんに近づくと、京香さんはうやうやしく一礼した。


「司様、そろそろいらっしゃると思っていました」

「七倉さんは乗らないと思いますよ。それに、今日は文芸部に顔を出していましたし」


 京香さんは首を横に振った。


「司聡太様とお話がしたいと思い、お待ちしておりました。できれば校内でお待ちしたかったのですが、お嬢様に見つかりますときっと追い出されると思いましたので」

「話って、ひょっとして車に乗れってことですか?」

「はい。司様ならば、遠慮をなされることはありません」


 僕はここまで乗ってきた自転車をまた駐輪場に戻す手間を想像したけれど、京香さんのことはやっぱり気になっていたので、こう答えることにした。


「今度は自転車を置いてきてもいいんですよね。それとも、トランクに自転車を乗せてくれるんですか」


 京香さんは静かに答えた。


「お待ちしております」


 僕が駐輪場に自転車を置いて戻ると、京香さんは扉を開けて待っていた。僕はいつも七倉さんがそうされているように、後部座席に乗り込んだ。今度は朝よりも緊張していない。今までに乗ったどの車よりも快適な乗り心地に、シートに体が沈み込んでゆくのを感じた。


「お見せしたいものがありましたので、この車を使わせて頂きました。お嬢様はこの車をお嫌いのようですが、やはり遠出にはこのような車が良いのです。疲れにくいですから」

「僕なんかのために車を使っていいんですか」

「お許しは得ています。それに、余程の無理をしても、お嬢様が首を縦に振りさえすれば通ります」


 京香さんは指示器を出して、ゆっくりと車を出した。


「どこに行くんですか?」

「行けば分かります。30分ほどかかりますので、しばらくおくつろぎください」


 僕は頭の中で地図を作り出す。30分で行ける距離といえば、高層ビルが立ち並ぶ都心か、隣町の中心街だ。だいたいの見当はついたけれど、行き先はまるで分からなかった。


「お嬢様のご様子はいかがでしたか」

「もう怒っていないと思いますけど、二度と車で通学したくはないみたいです」

「そうですか。それならそれで構わないのです」


 京香さんはスピードを上げる。僕と京香さんはそれで少しの間なにも言わずにいた。

 けれども、僕はついに耐えきれなくなって、京香さんに尋ねた。


「京香さんは、いったい何者ですか」

「菜摘お嬢様の護衛ですが」


 京香さんは即答した。それは正しいと思う。でも、僕は納得することができなかった。


「護衛なら、どうして昨日になって初めてお会いしたんですか。僕は昨日になるまで京香さんのことを全く知りませんでした」

「私は護衛に過ぎませんから、お嬢様が紹介なされるまでもないと思ったのでしょう」


 京香さんはハンドルを操りながら、平坦な口調で言った。


「お嬢様がお怪我をなされば、駆けつけるのは当然だと思われますが」

「僕もそのとおりだと思います。でも、どうして七倉さんの診察が終わって、僕たちがくつろぎ始めるほどの時間が経って、ようやく現れたんですか」


 僕は革張りのシートから体を浮かせた。


「護衛ならもっと早く現れないと間に合わないはずです。あんなに時間が経ってからでは、護衛の意味がないじゃないですか」


 京香さんは無言のままハンドルを切った。

 4時前だけれど、道は徐々に混雑し始めていた。


「僕はずっと気になっていました。京香さんは保健室に姿を現したとき、七倉さんが頭を打ったと思った、と言いました。でも、どうしてそう思ったのかが分からなかったんです。たとえば、七倉さんが頭を打ったことが、高校から七倉さんの家に電話で伝えられたのなら分かります。きっと七倉家から京香さんの勤める会社に連絡が行くでしょうから」


 それでも僕の経験ではとても考えられないことだけれど、七倉家ならそれくらいは簡単にできると思う。


「でも、七倉さんにボールが当たったことはたしかに大騒ぎになりましたけれど、それは七倉さんが重傷で、起き上がれなかったから騒ぎになったんじゃありません。綺麗で、みんなに人気がある七倉さんが、ボールに当たって転んでしまったから騒ぎになったんです。それは僕たちにとっては大事件です。でも、高校から家庭に連絡が行くような事件ではありません。七倉さんの友達や、クラスのみんなが心配して、その心配を収めるために形式的に保健室で診察を受けて、念のため七倉さんが大事を取りたいと言えば、家の人に連絡して車で下校する――そんなやりとりです。僕の感覚からすれば、七倉さん以外ならこれでも大げさすぎると思うくらいです」


 向こう側の信号が赤に変わる。都市高速の入り口が近くにあるので、ここの信号はとても長い。京香さんはスピードを緩めてゆく。


「あのとき、京香さんはどこかで見ていたはずなんです。それで、七倉さんが大した怪我ではないと知っていたはずです」


 車が停まった。京香さんの視線は前を向いたままだ。


「そのとおりです。私はお嬢様を見守っておりました。ですから、昨日、司様ともお会いできたわけです。それが何かおかしいですか」

「護衛の任務が校舎外の活動だけなら、それでおかしくないと思います」


 それには、少しだけ皮肉が込められていたのかもしれない。けれども、僕は敢えて言い直さずに先を続けた。


「もうひとつだけ、おかしいと思ったことがあるんです。むしろ、これに違和感を覚えたから変だと感じました」

「なんでしょうか」

「今朝、僕が車に乗せてもらったあと、高校近くの公園に横付けしたときです。七倉さんはシートベルトを外して、ドアに手を掛けて外に出ようとしました。そのとき、京香さんは振り返って、血相を変えて七倉さんを止めました。そして七倉さんはドアから手を離しました。これは絶対におかしいです」


 京香さんはわずかに眉を動かした。


「どうしてでしょうか。朝にも申しましたが、お嬢様がドアに手を触れることは本当に危険なことなのです。司様もシートベルトが役に立つとは限らないと言われたではないですか」


 僕がシートベルトのことを指摘したのは京香さんの言うとおりだ。でも、僕は確信して京香さんに尋ねることができた。


「七倉さんはドアに手で触れただけです。それなのに、京香さんはどうして振り返ることができたんですか」


 つまりこういうことだった。


「七倉さんがドアのロックを解除したり、ドアノブを引っ張ったなら気がつくかもしれません。音がしますし、動作も大きいですから。でも、七倉さんはドアに触れただけ――それどころか、すぐに手を引っ込めたので、触れてすらいなかったかもしれないです。結局、京香さんは、七倉さんがシートベルトを外した音を聞いただけで、血相を変えて後ろを振り返ったんです。あれはありえません。あのタイミングでは普通は気がつきません」


 京香さんは僕に聞こえるか聞こえないかくらいの声の大きさで、「そんなことが……」と言った。


「あのとき僕はびっくりしました。僕がびっくりしたのは、ずっと無表情だった京香さんが取り乱したことと、京香さんの反応があまりに良かったことです。それともうひとつ、京香さんは車の中でバックミラー越しに僕と目が合いました。ということは、バックミラーは僕の目線の高さだったんです。これはもちろん後続車両が見える高さなので、常識的な高さです。でも、七倉さんの手元は絶対に見えません。そもそも、僕と目が合うということは、七倉さんの体の動きは見えていないはずなんです」


 京香さんは信号を確認した。まだ赤は長そうだ。


「車の中で、たぶん京香さんは僕の様子を見ながら七倉さんと話をしていたんです。少なくとも、七倉さんのことは見ていないはずです。でも、それ自体は別におかしいことではなくて、むしろ自然なくらいです。気心が知れていて、喧嘩をしつつも七倉さんと京香さんは仲がいいんだな、と思いました。ただ、だからこそ普通の人間ではありえないようなことをやっているんです。

 僕は驚きました。当然です。七倉さんはふだん絶対にドアには手を触れないはずなのに、今朝は怒っていたからドアノブに手を伸ばしたんです。きっと京香さんに反発するつもりだったんだと思います。でも、京香さんはそんなイレギュラーな行動を一瞬のうちに感じ取って、七倉さんが手を伸ばした瞬間に振り返ったんです。僕じゃなくてもびっくりするに決まっています」


 僕は感じたままのことを言ったつもりだった。だって、京香さんの行動は明らかに不自然だったように見えたから。けれども、運転席の京香さんはとても驚いているように見えた。


「お見事です、司様。いえ……、素直に参りました。自然な行動だと思っておりましたが、言われてみると気づかされます」

「でも、護衛としては完璧だと思います」


 京香さんは優しい声で「ありがとうございます」と言った。


「もうお分かりだと思いますが、見なくても分かってしまうというのは、異能の力の効果にほかなりません。護衛だというのに、まるで役に立たないような遅さでお嬢様のもとへ駆けつけたのも、その力があるからです。お嬢様がそうであるように、私もまた異能の血筋を引いています」


 異能の血を引く。それはつまり七倉さんとは別の血を引いているということだ。七倉家の能力は鍵を開けること。だから、京香さんが別の能力を持っているのなら、京香さんは七倉家の人間ではないということになるんだ。


「私は、もともと七倉という名字ではありません。七倉京香というのは頂いた名前です。元の名前を、鷹見京香と申します」


 鷹見――それは僕には聞き覚えのない名字だった。つまり、七倉さんとは全く関係が無いし、この町の出身でもないだろうということは、僕にもすぐに分かった。


「本来、私はお嬢様の親戚などではありません。まして、血の繋がった存在でもありません。鷹見家は七倉家とは無縁の家系です。私は故あって養子に入ったのです。私はお嬢様のお父様のはとこにあたるので、親戚ということになります。しかし、私自身は血の繋がりのない他人です」

「七倉さんはそんなことは気にしないと思うけど……」


 バックミラーの向こうで、京香さんが困ったような顔をした。


「たしかに、お嬢様はそういう方です。お優しい方です」


 前の車が動き出して、京香さんもアクセルを踏んだ。

 周りの車も一緒に動き出して、景色が後ろへ流れてゆく。


「鷹見の力は、遠くのものを見ることです。ただし、遠くとは距離だけに限りません。全く目に映らないようなもの、そして場所でも見ることができます。私の場合は、対象人物を観察することに長けています」

「目で見なくても、見えるんですか」


 僕は驚いて身を乗り出してしまいそうになるけれど、京香さんの「お気を付けください」の一言で大人しく座り直した。


「見る、もしくは感じ取ることができます。ですから、たとえお嬢様が人けのない道をひとりで下校されても、私にはお嬢様がどのような状態にあるのかがすぐに分かります。不審な者がいればすぐに監視を強化します。もちろん、私もなるべく近くにいるようにしておりますし、私に他の仕事があれば他の者を付けます。お嬢様がなるべく自然な日常生活をお送りできるようにするための能力です。この能力があるために、私はお嬢様のお側に置いて頂けるのです」

「つまり、春先に七倉さんがいつも夕方まで学校に居残れたのは、京香さんの能力があるからだったんですね」


 七倉さんは5月の半ばくらいまで、夕暮れになるまで学校にいた。七倉さんの家は高校からそう遠くないけれど、久良川町は都心から離れているけれど田舎ではない。ときには、変な事件だって起こることがある。


「お嬢様が楓様の手紙を捜しておられることは存じておりました。私は、高校の近くにいるようには心がけておりましたが、余程の危険が迫らない限りは、遠方にいても充分に間に合います」

「でも、そんなに凄い能力があるのに、なんで……」


 そこまで言いかけて、僕は口をつぐんだ。

 僕は京香さんが養子に入って、七倉さんの護衛をしていることが不思議でならなかった。他人の行動が手に取るように分かるなんて、ものすごい能力じゃないかと。

 でも、京香さんの口調には悲壮感はひとかけらもなかった。


「数百年前には役にも立ったそうですが、平和な時代には無用の長物です。この能力は、私自身がこれと決めた近しい人物でなければ対象にはならないのです。家族や大切な親友、ほんの近しい人でないと見ることはできません。守るための能力なのです。もっとも、それ以外の人間に使えたとすれば、おそらく私の祖先はとうに滅んでいたことでしょう。いくらでも悪辣な使用法が思いつきますから」


 僕は考える。追跡、諜報、暗殺……血なまぐさい使い方はいくらでも思いつく。たぶん、その能力を売り込めば、引く手あまただったと思う。

 でも、引く手あまただとしても、本当にそれでいいのだろうか。たぶん、その能力を利用するのは、相手に危害を加えても何とも思わないようなひとだ。そして、相手側も同じようなことを考えて、同じような能力者を雇うはずだ。

 それだと、結局利用されるだけ利用されて、ろくな結果にならなさそうだ。

 僕は身震いした。


「鷹見の家では、この能力をむやみに使ってはならないと言われておりました。使えば、かならず利用され尽くされ、その害は能力者のみに及ぶと伝えられています。ですから、私も守るために力を使いますし、実際それ以外の使い方はできないのです。それから、私が養子入りしたのは経済的な理由ですが、その気になれば今でも鷹見の両親にも会えますし、七倉の養父や養母にも良くしてもらえています。なにより……、お嬢様にお会いできましたから」


 僕は、それでもどことなく心の中でもやもやしたものを抱えていた。それを察してか、京香さんは話を続けた。


「女性は名字が変わります。いつまでも七倉でいられるとは限りません」


 京香さんは、やっぱり僕よりもずっと大人なんだと思った。


「司様は男性ですから分からないのです」

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