24, 球技大会の雑談
僕が通学する県立久良川高校は、大都市の郊外にある、ごくごくフツーの進学校だ。けれども、高校の所在する久良川沿いには、ふつうとは違う人々が多く住んでいる。
たとえば、手で触れただけで鍵を開けられる能力を持った名家のお嬢様であるとか、相手に向けて命令することができる、とびっきり美人のクラスメートだとか。はたまた、陸上部とオカルト研究会(自称、占い研究会)掛け持ちの元気な女の子であるとか。
それに付け加えて、この僕・司聡太の父方の祖母も、手で触れただけで様々なものの鍵を掛けることができる能力者だ。もっとも、僕は生まれてからつい先日までその事実を知らなかったのだけれど。
実際、そのことを知っていたのは、今年の3月に亡くなった僕の父方の祖父――司聡一郎だけだったんだ。
僕は知らなかった。祖父・聡一郎がそんな不思議な能力者をあちこち捜し回っていたり、見つけるやいなやその能力について感心してベタ褒めして、ついにはその女性と結婚して3人の子供を儲けていたり、結局そのあと70年近くもずっと一緒にいたなんて。機会があれば、こんどは母方の祖父母にも尋ねてみようかとも思ってしまう。案外、能力者だったりするかもしれない。
ところで、そんな不思議能力者が跋扈するこの久良川高校だけれど、6月も半ばを過ぎた今日、球技大会が行われていた。衣替えが終わり、制服も半袖に変わったこの時期だけれど、おかげで肌に直接照りつける日差しは真夏といっていいほどに厳しかった。
僕はあまりスポーツが得意とはいえないから、同じくあまり積極的でない友人の河原崎くんと一緒に、できる限り日陰のほうでのんびりとくつろいでいた。
僕がそうして校庭の隅のほうでじっとしていると、僕の姿を見つけた七倉さんがわざわざ近寄ってきた。七倉さんは肩にかかるほどの綺麗な髪と大きな目、それから、見るからに清楚な雰囲気をもったクラスメートの女の子だ。
そして、手で触れただけで鍵を開けられるという、とても不思議な能力を持った一族・七倉本家の長女でもある。
七倉さんはとても美人で、それでいて能力者についてとても詳しくもある。こんな女の子が、僕とクラスメートで、僕といちばん親しい女の子なのが僕の自慢だ。
「司くん、おめでとうございます」
僕は首を傾げた。いきなりだったので僕には分からなかった。僕は何に対しておめでとうと言われたのだろう。
「七倉さん、男子の結果は見ていない? そりゃあ、うちのクラスにしてはよくやったほうだとは思うけど、それでも、おめでとうなんて言ったらみんなが怒り出しそうだよ」
「あっ、いえっ、そうではありません。球技大会の話ではないんです」
七倉さんは慌てた。僕の隣では河原崎くんが苦笑して、いそいそとどこか他の場所に移動してしまった。河原崎くんは、僕と七倉さんが話を始めると、いつもこんなふうにどこかへ行ってしまう。河原崎くんからすると、僕と七倉さんがする話というのは、関わり合いになりたくないような面倒な話らしい。
「それだと、何の話なんだろう?」
「はい。司家の後継が決まったことを、正式にご連絡を頂きました。祖父の聡一郎さんの遺言どおり、司くんが跡を継がれるとのこと、私からもお祝いさせてください」
球技大会とはまるで関係のない話だった。
それは、3か月前に亡くなった僕の祖父と、その祖父が遺した小さな箱に関する出来事の話だった。たしかに、僕はつい最近になって小さな箱を開けた。それはあっているのだけど……
「でも、正式な連絡……って、ひょっとして僕があの箱を開けたことって、そんなに大ごとだったの?」
「はい! 生前の聡一郎さんは、私たち異能の力をもつ家系の人たちとおつきあいがありました。その聡一郎さんが亡くなったことは、私たち能力者にとってとても残念なことだったんです。でも、聡一郎さんは生前からご自分の子供か孫のなかから後継を選ぶとおっしゃっていました。それを聞いて、私たちは後継の方が選ばれたあかつきには、主立った者を集めて、ご挨拶とお祝いをするつもりでいるんです」
「お、お祝い?」
「はい、お祝いです」
お祝いってどういうことなんだろう。それに、僕はたしかに箱を開けたけど、いったい誰がそんな連絡をしたのだろう。七倉さんは箱を開けたその場にいた。……というか祖父の箱を開けたのは七倉さんだったのに。
「司くんのお祖母様です。実家の倉橋家に連絡をとって、跡継ぎが司くんに決まったことを伝えられました。司くんには言われてなかったんですね」
「お祖母ちゃんが……」
そうか、だから祖父はあの箱を開けるように僕に遺言したんだ。あの箱を開けることができたとき、その箱を開けたのが誰で、跡継ぎとしての資格があるのかどうかを見極められるのは、倉橋家の血を引いた能力者である、僕の祖母だったんだ。
そういえば、祖父・聡一郎の葬儀には、祖母の親戚の弔問があったことを、僕は今さらながら思い出した。祖母のきょうだいは全員80代を超えていたから、僕からするととても遠い存在に思えて、話をすることもなかった。思えば、僕の大伯父や大叔母にあたるひとたちは、みんな能力者だったんだ。
僕にはそれがとても不思議に思えた。
「もっとも、お祝いをするといっても、まだ先のことです。聡一郎さんの初盆が終わってからのほうがいいでしょう。本来ならば一周忌まで待つべきなのですが、聡一郎さんは百か日までに跡継ぎを立てると言われましたから、聡一郎さんの遺志を尊重させて頂きます」
「……うん、そうだね」
祖父が亡くなってから百日が過ぎた。僕たち家族にとって、せわしい時期は過ぎつつあった。けれども、まだまだ祖父の面影は色濃くて、それを忘れたくもなかったんだ。
夏には、親戚が集まって祖霊を迎えることに決めている。
「そのときには、また私も参りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」
七倉さんはとても丁寧にお辞儀した。七倉さんはこうした礼儀に関してとても丁寧だった。
「七倉菜摘は真面目すぎるのです。せっかくおめでたい話をするのなら、それらしい雰囲気のときにすればいいのです。球技大会の最中にわざわざしなくてもいいのです」
僕たちの会話に割り込んできたのは相坂さんだった。わざわざ人混みの合間から僕の背後にたたなくてもいいのに、僕を驚かせて満足げに口元を緩ませていた。
なにせ小柄だから気づかなかった。それを言ったらたぶん相坂さんは怒り出してしまうだろうけれど、微笑する相坂さんはとても可愛かった。
ちなみに相坂さんも、他人に命令できるという、とても強力な能力の持ち主だ。
「七倉菜摘は空気が読めないのです」
「で、でもっ、ちょうど昨日その連絡が来たので仕方なかったんですよ!」
七倉さんが慌てるけれど、これは分が悪そうだ。よっぽど球技大会の空き時間が退屈だったのかもしれない。
「ただ、聡太にはおめでとうと言わざるをえないのです」
「ありがとう。といっても、まだまだ僕が祖父の跡を継げるとは思えないし、実感も沸かないんだけどね」
「聡太ならきっとおじいさまの跡を継げるのです」
「うん、そうなるように頑張るよ。ところで、球技大会の話に戻るけれど、女子のほうはどうだったの?」
「まだ勝ち残ってはいるのです。次の試合で準決勝です。面倒なことに」
ちなみに、球技大会の種目はバレーボールだった。
相坂さんが面倒だというのは、なるべく目立ちたくないということもあるのだけれど、単純に相坂さんが小柄だからバレーボールをすること自体に乗り気でないみたいだった。
「……あのコートの中央にあるネットなど、無くなってしまえばいいのです。あのような障害物、あってはならないのです」
「能力は使わないでね。男子だけが原因不明の集団ヒステリーを起こしたなんて、シャレにもならないよ」
「球技大会を中止に追いやってしまいたいくらいですよ……」
なんだか物騒なことを言っているけれど、相坂さんはわりといつもこんな調子だから心配無用だ。もっとも、七倉さんは相坂さんの冗談を真に受けているのか、
「で、でも、相坂さんのレシーブは正確で素晴らしいです!」
なんてフォローになっていないようなフォローをしていた。むしろ逆効果な気さえする。
なにしろ、相坂さんは体格差を補うくらい運動神経がいいから、勝ち続ける限り出ずっぱりだった。それにひきかえ、七倉さんは出たり出なかったりできる。半分くらいは他人に譲ると言いながら、疲れたときに休憩できる感じだ。
結局、七倉さんはクラスでもとても人気があるから、試合の合間には友達と話し込んでいた。僕は気がつかなかっただけで、今もクラスの女子が呼んでいたみたいだ。
「七倉菜摘、むこうで呼んでいるのです」
「あ、相坂さんも次の試合みたいだよ」
ちなみに、本人が気がついていないだけで、相坂さんも呼ばれていた。相坂さんはなぜか不機嫌そうな顔をしたけれど、相坂さんは思っていたよりもクラスから浮いているということはなかった。七倉さんも気を遣っているし、小さくて可憐な相坂さんは、男子だけでなくて女子にも意外と人気がある。
「聡太、暇なら試合でも見てゆくのです」
「あ、私も補欠ですから行かないといけないんですね。司くんも、行きましょう」
相坂さんが先に走り出した。体を動かすことは嫌いでないみたいで、機嫌が少し直ったみたいだ。それから、七倉さんが歩き出して、僕がのろのろとあとをついてゆく。
河原崎くんはどこに行ったんだろう。なんとなく、こんなふうな流れになるのを察知して逃げられたような気がする。
それで気がつかなかった、というわけではないのだけど、そのとき、バレーボールが見当違いの方向にぽーんと上がった。気がついたときには、そのボールは七倉さんめがけて落ちていくところだった。
僕は慌てて声をあげた。
「七倉さん!」
もうコートに入っていた相坂さんも気がついた。
「避けなければならないのです!」
でも、僕たちが声をあげた次の瞬間には、七倉さんの頭にボールが当たって、可愛らしい声が聞こえたと思ったら、七倉さんの体が倒れた。