23, 祖父と僕と(祖父の箱編・完結)
6月の休日のある日、僕は七倉さんと相坂さんを祖父母の家に招待した。招待というのは少し仰々しすぎるかもしれないけれど。
今日は祖父の百か日にあたる。法要があるわけでもないし親戚が集まるわけでもないのだけど、祖父と会ったこともある七倉さんと、そんな七倉さんと最近仲の良い相坂さん、とびっきりの美人ふたりと話をしたかった僕が、誰からともなく約束をして集まったのだった。
僕たちは仏壇に線香をあげてから、親戚がいつも集まる長机について、これまでに起こったことを整理した。
祖父の遺言と開けられない箱のこと、七倉さんと相坂さん、そして祖父・聡一郎と連れ添った妻――つまり、僕の祖母が、不思議な能力を持つ一族の出身であることについて話をした。
「倉橋家は何百年も前に枝分かれした七倉の親戚筋です。経済的に成功し、私費で川に橋を架けるまでに繁栄して屋敷と倉を構えた家が、倉橋の姓を名乗ったのが始まりだと聞いています。今は公道のコンクリート橋になってしまいましたが、県道の途中に架かっている橋は、もともと倉橋家が架けた橋だったそうです。昔は、この辺りはそれほど拓けていませんでしたから、橋を架けることは相当な財力を必要としたみたいです」
七倉さんの解説は明快だった。やっぱり、僕はこの地域についてはほとんどわからない。
「ヘンだとは思っていましたが、司聡太が異能者の血を引いていることは、意外だったと言わざるをえないのです」
相坂さんがふてくされたように言ったけれど、祖母にそんな能力があるなんて、僕も知らなかったし、祖母の子供である父や叔伯父だって知らなかった。あれほど能力者を捜していたのに、僕の血のつながりのあるひとがそうだなんて。
「お祖父ちゃんにしか言っていないんだよ。たぶん言っても信じてもらえないだろうからねえ」
祖母は僕たちに茶菓子を出してから、僕たちの話に少し離れた所で耳を傾けていた。
「お祖母様が倉橋にいたとおっしゃったのは、倉橋にふたつの意味があるからです。ひとつは倉橋という名字、もうひとつは倉橋という地名です」
「この辺りで倉橋って地名あったっけ?」
僕は相坂さんにも聞いてみたけれど、「知らないです」といって首を振った。かなりマイナーらしい。
「あります。といっても、古い地名ですから現在の住所としては使われていません。まだこの辺りの村や町が合併される前に使われていましたが、その頃ですら古い呼び方で、地元に住んでいる人しか使っていませんでした」
「そうか、それで気がつかなかったんだ……」
祖母は遠い目をして言う。
「お祖母ちゃんが結婚する前の名字――倉橋は『かける』ことが得意な家だったんだよ。それはね、大昔のご先祖さまが川に橋を『架け』たからなのかもしれないし、元は一緒の家だった七倉の対になる力だったのかもしれないねえ」
「お祖母様か御子神さんに調べてもらったら、おふたりが親戚にあたることが分かるかもしれません。もっとも、倉橋姓はこの町にもいくつもの家がありますから、私たちが思うよりもずっと遠い親戚なのでしょう。ただ、共通の『かける』力を持っているからには、血のつながりがあることは間違いありません」
小さい町のことだから、先祖をたどっていけば繋がっているというくらいの関係なんだろうけれど、僕はなんとなく不思議な気持ちになった。
「それで――あの箱の鍵を掛けたのは、お祖母ちゃんなの?」
祖母は目を細めて頷いた。
「お祖父ちゃんと結婚したときに掛けたんだよ。でも、七倉のお嬢様にも開けられないとは思わなかったねえ。実は、お祖母ちゃんは弱い力しか持っていないんだよ。鍵を掛けることが精一杯で、他のことはなーんにもできなかった。もっとも、その力で聡太のお父さんを締め出したこともあるよ。たまには役に立つんだけどねえ」
祖母はころころと笑いながら、父がまだ子供の頃を思い出したみたいだ。
「そうか、七倉さんの能力は鍵を開けることだけど、『かける』能力とは正反対なんだよね。だから御子神さんやお祖母ちゃんの能力とは相性が悪かったんだ」
「そうみたいです。でも、私と楓さんの手紙のやりとりでもそうでしたが、今の七倉家でも、鍵を掛けることの大切さは変わっていません。だから、もともと七倉の能力と倉橋の能力はふたつでひとつだったのだと思います」
「鍵を掛けることは能力者じゃなくてもできるからね。それだけじゃなかなか食べていけないんだよ。だから、ご先祖さまは色々なものを『かける』ことで生きてきたんだろうねえ」
それから、祖母の話は祖父の思い出に移った。
祖父・聡一郎は異能の力を持った人間のことを知っていて、今の僕と同じような年頃の頃に、能力者のことを捜していたらしい。その途中で、祖父は祖母のことを捜し出したみたいだ。
「お祖父ちゃんは、なんにもできないお祖母ちゃんの力でもたいそう驚いてね。何度も何度も褒めてくれた。それが嬉しくて、ついには結婚してしまったんだよ」
「その気持ちは、分からなくもないのです」
それは七倉さんも同じみたいだった。僕も少しだけ分かり始めていた。御子神さんが僕にその能力のことを知ってほしいと思ったのは、単にそれが嬉しいからだ。
誰に対しても言うことはできない秘密が、誰かに知ってもらえて褒めてもらえたとしたら、きっとそれは何にも代えがたいほどに嬉しいはずだ。自分の能力に自信を持っている七倉さんや、強力な能力を持っている相坂さんも。
「それで……、箱には何を入れたのでしょうか?」
「70年も前にお祖父ちゃんが入れたものだからね、今の聡太たちにはたいした物じゃないかもしれないけれど、開けて確かめてごらん」
祖母の言うとおり、七倉さんは今や祖父の遺した箱を開けられる。
いまや祖父の箱は僕たちの前に置かれていて、その小さな鍵穴が70年ぶりに開くのを待っているかのように、鈍く光っていた。
「早く開けなければならないのです!」
相坂さんが急かして、七倉さんは僕に目配せした。
もちろん、僕はそれに頷いて、その箱を手に取ると七倉さんに渡した。
「不思議です。今は開けられる気がします」
七倉さんは箱に手を掛ける。70年ものあいだ開かなかったその箱は、きっと次の瞬間にはまるで鍵が掛かっていなかったかのように開いてしまう。
僕は箱を覗き込んだ。そこには、小さな紙片が納められていた。折りたたまれた紙の間に何かが包まれている。僕はそれを手にとり、開封して、そして笑ってしまった。
「何が入っていたんですか?」
七倉さんが質問する。その様子はなんだかとても意外そうだ。相坂さんも目を丸くしている。祖母だけがいつもどおりの笑顔だった。
「鍵だよ、こんなところにあったんだ」
僕は考える。能力者でしか開けられない箱に、その箱の鍵が入っていた。それは夢でも幻でもなく、とても不思議なことが目の前で起こったんだ。能力者ではない祖父が起こした、悪戯みたいなパラドックス。
「――つまり、この町には、不思議な能力を持つひとがいるんだよね。お祖母ちゃんがいたから鍵が掛けられて、七倉さんや相坂さんがいてこの箱が開いたんだ」
僕は祖父の気持ちを理解した。何の能力も持たないからこそ、僕には祖父の気持ちが分かった。そして、孫である僕のためにとても大切なものを遺してくれたことも。
「ありがとう、お祖父ちゃん」
僕の言葉は、祖父に聞こえただろうか。