19, 相坂さんとのデート
……あれ。
なんだか僕はその名前を、随分と久しぶりに聞いたような気がした。七倉さんとはこの1週間、ほとんどなにも話をしていない。それは七倉さんがいつも忙しかったせいだ。もっとも、だからといって僕がそれを残念に思うのはおかしいだろう。だって、そもそも七倉さんが僕と一緒に行動していたのは楓さんの手紙を探すためで――
「聡太!」
相坂さんが叫んで、僕は考えていたことを忘れてしまう。
「それがおかしいのです。七倉菜摘が最近忙しいのは私も知っています。でも、今まで協力し合ってきたのに、聡太はこのところ急に七倉菜摘を避けるようになったのです」
「僕が七倉さんを避けている? そんなまさか」
疑問を置き去りにしたまま、僕と相坂さんは駅前のクレープ専門店に入った。というよりも相坂さんについていったらそこに入ったんだけど。
相坂さんはお店に入るなりすぐにいくつかのクレープを物色していた。お菓子を食べるには遅すぎないちょうど良い時間だったから、僕も食欲に負けて注文する。
相坂さんはお金に関しては苦労していないみたいだった。
僕は祖母から貰った虎の子の一万円札を取り崩そうとも思っていたけれど、相坂さんはその体に収まるかと心配になるほどのクレープの山を注文して、さっさと精算してしまった。
「お金くらいは自分で用意しなければならないのです」
どうやら自力でお金を稼ぐ手段があるみたいだ。アルバイトでもしているのだろうか。
もっとも、相坂さんは物凄く可愛いから、いくらでもアルバイト先がありそうだ。
相坂さんは窓に近い席を陣取ると、次々と口の中にクレープを放り込んで飲み込んだ。それから、シェイクを飲んでからやっとまた話を始めてくれた。なんだか話のほうがついでみたいになってきている気がする。
「御子神叶と出会ってからというものの、聡太は七倉菜摘をあからさまに敬遠し始めたのです。もっとも、悪態をつくわけではないのです。七倉菜摘が僅かな時間を見つけて聡太と話をしようとしても、断って七倉菜摘の邪魔にならないように引き下がる……それを何度も繰り返したのです」
「でも七倉さんは忙しいから、それって当然のことじゃないの?」
「たしかに、七倉菜摘は前よりも時間がないのは確かだと言わざるをえないのです。でも、聡太が思っているよりはずっと時間があります。七倉菜摘が部活動に参加しているとしても、忙しいのは放課後であって、それ以外の時間は暇があるのです」
「それ以外の時間って、七倉さんはいつも友達と話しているんじゃないかな」
「そうだとしたら、聡太はいつ七倉菜摘が忙しいという情報を得たのですか。七倉菜摘から聞く以外に、聡太が七倉菜摘について詳しい情報を得られる手段があるというのですか」
そこまで言われて、僕は相坂さんの言ったことがようやく理解できた。
僕は女の子の行動に関する情報源なんて持っていない。なぜかいま僕とクレープ店でデートしている相坂さんとは、そう頻繁に話をするわけじゃない。
それに、七倉さんは交友関係が広いけれど、七倉さんのことを僕に教えてくれるひとは、他ならぬ七倉さん以外にいるわけがない。最近では、むしろ僕のほうが七倉さんの好みや性格を聞かれるくらいだ。
「僕が七倉さんと話していることは分かったよ。でも、どうして僕はそれを覚えていないの?」
「異様に相性が悪いのです。七倉菜摘の能力と御子神叶の能力は、なぜか相性が最悪に近い。だから、聡太は七倉菜摘を遠ざけるようになっているみたいなのです。ただ、今まではそれを認識すらできていなかったのだから、認識できた今は、それよりも幾分か能力は弱まってきているに違いないのです。それでも、ここ数日間の七倉菜摘は見ていられないくらいに避けられていた。そう言わざるをえないのです」
「七倉さんは、僕が避けている間も、ずっと話しかけようとしていたの?」
「というよりも、聡太の様子がおかしいと判明したのは、七倉菜摘の判断が大きいのです。どうも避けられているらしい上に、聡太が七倉菜摘のことをほとんど認識も記憶もできていないらしい。そう気づいて、今こうしてわたしが話をしているのです。そうしなければならなかったのです」
「どうしてそんなに相性が悪いの? 相坂さんのときにはこんなことはなかったよね」
相坂さんのときには、その能力は仮想の異空間を作り出してしまうくらいだったけれど、今回はそこまでではなさそうだ。
けれども、七倉さんのことを認識できないなんて、実世界に大きな影響を与えるようなことはなかった。
「その理解のためには、七倉菜摘の能力を思い出さなければならないのです」
「鍵を開ける能力がどう関係しているの?」
相坂さんは首を僅かに横に振った。
「同族ならば、誰が能力を使ったのかを判断できる能力です。聡太には地味に感じるかもしれないのですが、これも重要な能力と言わざるをえないのです」
「どういうこと?」
「要するに、能力は能力者にとって都合の悪い部分を成り立たせないようにできているのです。もし同族の誰が使ったのかが分からなければ、七倉菜摘の家の鍵は、一族の誰にでも開けてしまえるのです。だから、能力はそんな不都合は認めないようにしなければならないのです」
それは七倉さんに聞いたことがある。七倉さんは、七倉の力を使って開けられた鍵はすぐにそうだと判別できる。
そうじゃないと七倉の能力者にとっては不都合すぎる。七倉家の誰かがその能力を悪用して回ったら、たぶん、七倉家は全員がお互いを疑い合ってとうに滅んでいたはずだ。
でもそうはならなかった。そんな不都合が起こらないように能力が備わっているから。
「七倉菜摘の場合には主に悪用されないように能力が備わっています。けれども、そうした都合の悪いものを排除する能力は、外側にも働きうるのです。つまり、御子神叶にとって七倉菜摘は都合が悪い。だから聡太は七倉菜摘を無視してしまうのです。それが御子神叶の能力の一部だというのは間違いないことです」
やっと僕にも話がつかめてきた。
「一部ってことは、それも御子神さんの能力の全部を説明できているわけではないんだね」
「そうです。そして、それが問題なのです。前に聡太がわたしの能力について探っていたときには、能力が発動する条件はほぼ分かっていたと聞きました。今回はそれが分からないのです」
「そもそも能力の正体が分からないってことか……」
相坂さんはクレープを食べ終えて、やっと微かに笑顔を見せてくれた。今日はずっと不機嫌な顔ばかり見ていたけれど、それが僕に原因があったみたいだ。
「明日からは御子神叶の能力の正体を調べなければならないのです」
「そうだね、それに七倉さんに謝らないといけないのかな」
「能力のせいだと分かっているから、七倉菜摘は怒っているわけではないのです」
わりと辛辣なことを言いがちな相坂さんがそう言うのなら、七倉さんはそこまで気に病んではいなさそうだ。
相坂さんは席を立った。店を出て、どこに行くのかと思えば駅だった。
「隣駅です。本当は自転車通学でも良かったくらいなのです」
僕は相坂さんが電車通学だということを初めて知った。
「だから聡太、また一緒に出かけるのです」
去り際の相坂さんは、なぜか上機嫌にさえ見えた。
***
当然のことかもしれないけれど、相坂さんに御子神さんの能力について教えてもらった次の日の朝には、僕は登校した七倉さんの席まで出向いた。思えば、こんなに堂々と七倉さんに話しかけたことも初めてかもしれない。
「七倉さん!」
「つ、司くん、どうしましたかっ」
これまた初めてのシチュエーションに、七倉さんは驚いたようだった。
僕は勢いのままに謝ろうかとも思ったけれど、なぜかその後の言葉が続かなかった。どうしてだろうと思ったけれど、それはきっと僕には全く覚えがないせいだ。
もっとも、身に覚えがなくても謝った方がいいのかもしれない。けれども、たぶんそんなことをしても中身のない言葉になるだけだと僕は思った。
だから、僕は単純に聞きたかったことを聞くことにしたんだ。
「ええと……今日も、七倉さんは部活に出るの?」
「はい。今日と明日は料理部です。最近、どうしても色々な部活に誘われて予定が埋まってしまいますね。聡一郎さんの箱のことも気になっているのですが……何か進展はありましたか?」
「ううん、でも僕は絶対に開けないといけないとは思っていないよ」
「司くんがそう思っているのなら無理強いはしませんが、できれば開いてほしいと思います。ただ、私はまだ手伝うことができなくて申し訳ないのですが……」
「そんな、七倉さんが謝ることなんてないよ。むしろ謝るのは僕のほうで」
七倉さんは少し困ったように笑ったけれど、これ以上この話題を続けても七倉さんが恐縮するばかりなので、僕は話題を変えた。
「七倉さんは料理は得意なの?」
七倉さんの表情がぱっと華やいだ。
「はい! これでもそれなりに自信があるんです」
これでもと言ったけれど、七倉さんは見るからに家庭的な雰囲気がある。つまり、またひとつ七倉さんの魅力が増えたわけだ。
「そのせいで呼ばれてしまったんですけどね。週に1回か2回、お料理をするだけの部活はあまり負担にならなくていいかもしれません」
「うん、僕も七倉さんに似合っていると思うよ」
「そうですか。そう言って頂けると嬉しいです」
七倉さんはまた笑った。
昨日、相坂さんが言ったとおり、七倉さんは久しぶりに再会を果たしたかのように、何事にもリアクションが大きかった。たしかに、僕はずっと七倉さんを無視していたのかもしれない。
交友関係の広い七倉さんが、僕みたいな地味な男子ひとりに無視されて困るとは思えないけれど、優しい七倉さんのことだから、色々な心配事を抱えてしまうのかもしれない。
僕はそれでやっぱり少し悪い気がして、相坂さんにも少し謝っておくことにした。
相坂さんは昨日見せてくれたみたいな笑顔は見せてくれなくて、ツリ目気味な目を窓の方向に向けたままこう言った。
「まあ、七倉菜摘がそれでいいのならいいに違いないのです」
口調も相変わらずだけど、合格点はもらえたみたいだ。
それから、放課後にはそうしなければならないかのように図書室に向かった。
そこでは、既に御子神さんが机で本を読んでいて、僕が図書室に入るとひらひらと手を振ってくれた。
すると御子神さんは立ち上がって、歩く度にその長い髪を靡かせながら、僕の前の座席に移動してきた。読書用の仕切りのある机ではなかったから、僕の読んでいる本は御子神さんから丸見えだった。
「聡太君、昨日は珍しく図書室に来なかったね!」
「御子神さんは昨日も来たの?」
「そ、聡太君が来ないかなと思ってずっと待っていたんだから」
「陸上部とオカルト研究会はいいの?」
「オカルト研究部じゃなくて占い研究会だよ!」
御子神さんは怒った顔も綺麗だった。見かけは上級生でも通りそうなのに、言動はまるでいい加減だった。陸上部は相変わらず出たり出なかったりしていた。
でも、それはそれで御子神さんの魅力なのかもしれない。猫みたいに気まぐれな御子神さんは、僕が相坂さんと初めて出会ったときのような敵対心とは無縁のように思える。それに、裏表があるようにも思えなかった。
だから、僕は御子神さんに直接聞くことにした。
「御子神さんは能力者だっていうのは本当のことなの?」
僕は真剣とまではいかなくても、慎重には聞いたつもりだった。だけど、御子神さんはいつもの調子のまま答えた。
「そうだよっ。気がついたのは聡太君? それとも、七倉さんか相坂さん?」
「はじめに気がついたのは七倉さんだけど――」
僕の想定だと、御子神さんは驚くか秘密を知られて本性を露わにするかもしれないと思ったのだけど、御子神さんはくすくす笑っただけだった。
「そっかあ。やっぱり七倉さんは聡太君のことをきちんと見ているんだね」
「御子神さんは七倉さんとはどういう関係なの?」
これまた意外なことに御子神さんは首を傾げるだけだった。
あと聞きたいことがあるとすれば相坂さんとの関係だけれど、これは敢えて聞くまでもなく明らかだった。最近の様子からだと不思議なことにも思えるけれど、相坂さんにはほとんど友だちづきあいがない。昨日は七倉さんのことを気に掛けていたけれど、あれだってとても珍しいことだ。
「御子神さん、御子神さんは僕に能力を使ったよね」
「そうだよっ。聡太君なら気がついてくれると思った!」
「その能力で僕は七倉さんを避けるようになったんだ。御子神さんはいったい僕に何をしたの?」
僕は相坂さんに教えられたことを基に、核心を突いたつもりだった。なのに、これまた御子神さんは困った顔をするどころか喜んだくらいだった。なんだか、相坂さんと聞いたこととは随分と違うような気がする。
「そうなの? そういうこともありうるかもしれないけど、私は聡太君を操っているわけじゃないよ。だから安心して。七倉さんのことを避けるようになっちゃった理由は、私には分からないな……」
御子神さんは口元に指をあてて考える仕草をした。
もしかしたらそれは僕を騙すための演技なのかもしれないけれど、僕にはそんな悪意はまるで感じ取れなかった。ひょっとすると、僕が御子神さんのことに悪意を持たないというのが、御子神さんの能力なんだろうか……?
でも、御子神さんは椅子から立ち上がって、僕の目の前に顔を寄せた。
御子神さんの瞳は楽しそうに輝いていて、僕はそれに吸い込まれそうになる。
「ねっ、聡太君が推理してみてよ。私の能力。私がどんな力を使っているのか分かれば、聡太君が七倉さんを避けることはなくなるし、私が使った能力も無効化されると思うの」
それはとてもまっとうな理屈だったし、僕はいちど相坂さんを相手に、その能力を見破って無効化するということをやっている。でも、それだと御子神さんは、せっかく僕に対して使った能力を無効にするのだから、意味がなくなってしまうんじゃないだろうか?
今、御子神さんが僕に悪意を持たれない能力を使っているとして、僕が少しおかしくなっているとしても、それが無効化されれば、僕は御子神さんにもっと疑いを持つだろう。
それに、御子神さんの能力が推理されてしまえば、そのときには御子神さんが僕にどんな能力を使っていたのか分かっているはずだ。もしその能力が僕にとって都合の悪い能力だとしたら、僕は絶対に御子神さんを許さない。
ということは、御子神さんは絶対に能力を見破られない自信があるのだろうか?
やっぱり僕には分からない。御子神さんはいったい何を考えているのだろう。
けれども、僕には御子神さんの挑戦を受けるしかなくて、首肯するしか選択肢がなかった。御子神さんが自分の能力を見破ってほしいと言っているのだし、僕にとっても見破って能力を解いてしまうのがいちばんいいはずだ。
御子神さんは僕が推理することをとても喜んで、それから、なぜかこんなことを聞いてきた。
「ところで、聡太君は蜂蜜は好き?」
「僕は甘い物は好きだよ。でも、それがどうかしたの?」
「ちょっと聞いておきたかっただけ! ありがとう、参考にするねっ」
何の参考なのかは分からなかったけれど、御子神さんは裏表のあるひとにはとても見えなかったのは確かだ。御子神さんは僕にどんな能力を使ったんだろう。