15, 楓さんの手紙
「うん、僕は七倉さんがパソコンが使えないとは思っていないよ。パソコンは箱だから楓さんの手紙を保管するにはぴったりだし、10年の間、文書を保存するのにも向いている。ただ、10年の間にパソコンが入れ替えられたらデータも失われるから、今も楓さんの手紙が残っているわけがない」
「私もそう考えました。ただ、もしかしたらデータが引き継がれているかもしれませんから、コンピュータ研究会の皆さんに断って調べさせてもらったんです」
「もしデータの引き継ぎが行われるのだったら、楓さんのデータはひそかにパソコンの奥底に残っていたのかもしれない。きっと誰にも解けないような複雑なパスワードで保管されていたはずだよ。でも、もしそうだとしたら、七倉さんはコンピュータ室のパソコンを操作したときにきっと見つけられたと思う。七倉さんはパソコンを使えるから、鍵の掛かったファイルを開けられる」
七倉さんは自信を持って頷いた。七倉さんの能力は電子機器に掛かった鍵でも通用してしまう。
「七倉さんは前に、七倉の力を使えば、扉の鍵だけではなくて指紋認証やパスワードのようなものでも開けられるかもしれないと言っていた。それは楓さんも同じだった。それを使って、たとえパソコンが入れ替えられたとしてもデータが残るようにしてあったんじゃないかな。ただし、それにはひとつだけ10年後も残っているものが必要だった」
「何ですか?」
「インターネット回線だよ。これだけは10年前と変わらない。いや、回線そのものは新しくなっているよ。10年前はもっと低速の回線で、通信量も少なかった。でも、10年前も今も、インターネットと接続されていることは変わらない」
七倉さんは立ち上がると「行きましょう」と言った。僕はもちろん頷いて、図書室をあとにする。
ただ、七倉さんは急ごうとしたけれど、結論を急ぎたくもないみたいだった。
「この高校で10年間変わっていないものがコンピュータ室のパソコンで、インターネット回線を使っていることは納得しました。でも、インターネット回線と接続されているのは学校の外部です。七倉の力は鍵を開けることはできますが、広大なインターネット空間から、どこかに保存されているデータを見つけ出すことまではできません」
「それができたら問題は全て無くなるんだけど」
僕は知っている。七倉さんの能力はそこまで便利な物じゃない。鍵が関わっているといっても、そこにはおのずと限界がある。
それは、同じ七倉の能力を持つ楓さんも同じだったはずだ。
「――たぶん、楓さんには協力者がいるよ。いまの七倉さんがひとりでは手紙を見つけられないのに、楓さんがひとりで手紙を隠せたとは思えないよ」
「協力者……」
「七倉さんが能力を持っていることで長所があって、そのぶん悩みや問題もあるけれど、楓さんもきっと全く同じだったはずだよ。それを克服するにはどうしてもひとりではダメだったはずだ。それなら、協力者がいたと考えたほうがいい」
「では、協力者がいたとして、どうすれば10年の間、手紙を保管しておけますか?」
七倉さんは立ち止まって、僕の前に立ちふさがった。
ここが重要だった。七倉さんが鍵を開けるには、どうしても仕組みを知らないといけない。
僕は考える。七倉さんは、この高校に手紙を隠した箱があることを直感的に分かっている。でも、その感覚は相坂さんの能力を見破るときに発揮したよりも、ずっとおぼろげで頼りないみたいだ。
たぶん、楓さんの手紙は素直に高校の内部に隠されていない。高校の中から手に入れられるけれど、高校にはない。だから、きっとこの方法で手紙は隠されているはずだ。
「高校のパソコンからインターネット回線を通して、手紙が保管されている特定のコンピュータに接続する。そのコンピュータは協力者のものなのかもしれないけれど、どんなものでも構わない。とにかく、楓さんの手紙は高校の中にあって、高校の中にはないんだと思う。高校とそのコンピュータの関係を切らないようにしておきさえすれば、どんなに高校のパソコンを入れ替えても、いつでも保管されている手紙を取り出すことができる」
それは決して特別なことではなかった。最近ではクラウドコンピューティングとかいう名前がついているけれど、会社や学校のような大勢のひとが、ある特定のコンピュータが提供するサービスに接続することは10年前にもされていた。
メールサービスや、文書作成ソフトの提供サービス、そして様々なファイルを保管しておけるレジストリサービスは、インターネットで調べればいくらでもあることを、僕は七倉さんに説明した。
七倉さんはとても頭がいいから、僕の拙い説明でもすぐに理解してくれた。
インターネットを介することで、会社や学校にある全部のパソコンにソフトウェアをインストールしなくても済むこと、サービスが改良されたときにもすぐにアップデートできることなど、色々なメリットがあることを知って、七倉さんはとても感心したみたいだ。
「たしかに、10年ものあいだ手紙を隠すということは、10年の時を耐える必要があります。インターネット回線を介すれば、10年の時を超えて手紙を管理することができることは分かりました。では、この高校ではファイルを保管しておくようなサービスとずっと契約していたのでしょうか? 司君の話を聞くと、そのようなサービスをこの高校が契約する必要性はかならずしもないように思えます。私たちは授業でパソコンを使う機会はあるでしょうけど、高度な作業を行うわけではありませんし……」
「多分、そのサービスを用意したのが協力者だと思う。もしくは、協力者はアイデアを提供した、コンピュータに詳しい人だったんじゃないかな。楓さんは高校からそのサービスに接続して、七倉さんにしか開けられないような複雑な鍵を掛ける――つまり、この高校のインターネット回線を通して、七倉さんへの手紙を保管しておいた。ただ、その力がどこまで及んでいたのかまでは僕には分からないけれど――たぶん、楓さんは、インターネット回線の鍵を開けたんだ」
「回線の鍵……ですか? どうしてでしょうか?」
「鍵さえ開けておけば、外部から操作することも可能だから」
七倉さんが一瞬だけ怪訝そうな顔をした。どうしてなのかは分かっている。それはハッキングを意味するからだ。僕は慌てて訂正する。
「でも、多分そこまでは必要にならないよ。楓さんは、きっとそこまでしない」
もう僕たちはコンピュータ室の前にいた。七倉さんは扉に掛けた手を止めた。
「でも、10年前です。この高校に協力者さんはいないと思いますが……」
「いないと思うよ。でも、楓さんが10年後のことを考えているとしたら、パソコン以外にはありえないよ。コンピュータの入れ替えが行われているとしたら、あとはネットワークを介したものしかない」
七倉さんは頷いて、扉を開けた。
「たびたび申し訳ありません。パソコンを1台、どれでもいいですから使わせて頂けませんか」
コンピュータ室には10人くらいのコンピュータ研究会のメンバーがいて、思い思いの場所でパソコンを扱っている。それで何をやっているのかは分からないけれど、七倉さんの登場で部員たちの何人かは振り返って、少しだけ色めきだった様子だった。
僕は上級生の誰かが応対するのだと思っていたけれど、出てきたのは河原崎くんだった。つい最近まで知らなかったけれど、河原崎くんはコンピュータ研究会の部員だ。
「よう、司。パソコンが使いたいのなら、適当にやってくれ」
「使うのは七倉さんだよ。ところで河原崎くん、この学校では何かインターネット上のサービスと契約しているってことはないかな?」
河原崎くんは例によって伸びきった前髪で、口元しか見えない笑みを浮かべた。
「いいや、どこでも入っているようなウイルス対策ソフトと、フィルタリング機能くらいだな」
「コンピュータ研究会では、先代から何か受け継いでいることはない?」
「さあ、俺にとっては何を受け継いでいるか判別できないからな」
なぜだろう。河原崎くんは明らかに何かを知っているような口ぶりだったけれど、それが七倉さんの能力に関することかどうかまでは分からなかった。僕はとりあえず河原崎くんにお礼を言ってから、デスクトップパソコンを立ち上げた七倉さんの隣に座ると、ディスプレイを覗き込んだ。
「ネットワーク上に不自然なものはない?」
「いえ……、あっ」
七倉さんは声をあげて、ひとつのフォルダに指をさした。ネットワークを介しているから、それにはきっと鍵が掛かっているはずだった。
「これ――鍵が掛かっていますが、開けられる気がします」
前に七倉さんが鍵を開けたとき、僕はその鍵に手を触れるのを見た。
けれども、今は七倉さんはマウスを握った手で、そのフォルダにポインタを重ねているだけだ。それは七倉さんの能力を知らなければ、ただのクリックにしか見えなかった。
それで七倉さんは鍵を開けてしまう。七倉さんが電子機器に触れないようにしている理由も分かる。どんな鍵でも開けてしまう七倉の力。
――その力が、10年越しに楓さんの手紙を開封する。
この高校の中にあるはずのものは、たしかにあった。この高校に10年前からある、インターネット回線を通じて。
そして、七倉さんはディスプレイから目を離して、潤んだ目を僕に向けた。
「司くん、この手紙が本物です。これが、10年前に楓さんが私に宛てた、本物の手紙です」
それから、七倉さんは僕にも手紙を読んでほしいと言って、ディスプレイの前から少し横に移動した。
僕は七倉さんに体が触れないかどうか緊張しながらも、その手紙を読み始めた。
『前略。菜摘へ。この手紙を見つけたということは、きっと菜摘は私が知っている菜摘よりもずっと成長しているのね。そのとき、菜摘は高校何年生なのかしら。
図書室での手紙ではひどい嘘をついてごめんなさい。でも、菜摘のことだからあんな露骨な嘘は通用しないわよね。菜摘は小さい頃から理屈に合わないことは認めない子だったから、きっとあんな嘘はすぐに見抜けたんじゃないかしら。
私があの手紙を書いたのにはきちんとした理由があります。
それは、菜摘に本物の手紙を捜し出してほしかったという単純な理由。
多分、菜摘はすぐにはこの手紙にたどり着けないと思う。もしたどり着けたとしたら、菜摘は私が知っている菜摘とは別人になっていると思うの。
でも、きっとそれはないはずね。
七倉本家の長女である七倉菜摘は、きっと私以上にその能力を持っていることに縛られていると思う。それは不用意に鍵を開けてしまうことへの恐怖。
菜摘は正直だから、たぶん機会がなければパソコンに触ろうともしないでしょう。もし触ったとしても、この手紙のようにほんの少し隠し方を工夫するだけで、たぶん見つけることはできないでしょう。
どう、当たっているかしら?
けれど、図書室に書いた手紙のような下手な嘘をつけば、菜摘はきっと必死になって本物を捜し出そうとするでしょう。そのとき、きっと菜摘だけではうまく捜し出せないから、誰か手伝ってくれるひとがいるはず。
この手紙を読んでいるということは、菜摘はとても素晴らしいひとに出会えたんでしょうね。そのひとは菜摘の友達なのかしら? ひょっとすると彼氏なのかも? もしそうだとしたら、私はとても嬉しいです。
もう菜摘には分かっているでしょうけれど、菜摘はとても強い能力の持ち主だけど、それが弱点にもなりうるということを言いたかっただけ。菜摘はきっとパソコンを触りたがらないでしょうけれど、それでも、ときにはそういう苦手とするものにも立ち向かわなければならないときがある。
そんなとき、菜摘の隣にいるそのひとのように、助けてくれるひとを見つけてほしいの。
七倉の力をうまく使いこなすには、それはきっと必要なことで、七倉の力をきちんと理解しているひとを見つけてほしい。
それは私自身にも言えることなんだけれどね。
私は、この手紙を10年後も保管してもらうために、ある男の子の力を借りたの。
河原崎くんという男の子なのだけど、心当たりはあるかしら。菜摘と同い年の弟さんがいるそうだから、菜摘のお友達か何かになっていればいいのだけど。
彼と私は小学校で一緒になった時期があるの。私が6年生で彼が1年生でね、小学校に慣れるまでの間は一緒に登校していたわ。その縁で今でも時々は遊んであげるの。
彼は能力者なのかしら。私には機械のことはよく分からないけれど、コンピュータにとても強いという能力を持っていたわ。彼の弟さんも一緒らしいの。まだ小学生にもなっていないのに、キーボードも打てるらしいわ。この手紙が10年後もあるとすれば、河原崎くんは私との約束を守ってくれているのね。
これは私の勝手なお願いだけど、できれば菜摘からもお礼を言っておいて。もっとも、菜摘のことだからそういう礼儀は絶対に忘れないでしょうけれどね。
菜摘がこれを読む日がいつになるのかも分からないし、そのとき私がどうしているかも分からない。けれども、いつか菜摘と会える日が来て、その時、私も私なりの答えを得られるように、この力とうまくつきあっていくつもり。
またいつかどこかで会いましょう。そのとき、成長した菜摘と話ができるのを楽しみに待ってているわ。その日が来るまで、さようなら。かしこ。』