141,七倉さんの提案
どうやら七倉さんは文化祭の「文化」という響きをいたく気に入ったみたいで、最近はやけに忙しそうに動き回っていた。それは、先週に七倉さんの弟の守くんが、七倉さんの目を盗んで僕を連れ出したという形で、僕にも影響を及ぼしていた。
七倉さんが高校内の会議や折衝に赴いているからだ。
七倉さんが何をやっているのかは僕にとっては謎だったし、僕たちのクラスメート全員にとっても同じように謎だった。けれども、いま七倉さんがものすごく変な表情をしていた。大きな瞳がなにか人を探しているみたいに教室内を見回しているし、口が開いたり閉まったりしている。
何か言いたいことがありそうなんだけど、七倉さんはいったい何をためらっているんだろう。口火を切ったのは、廊下側の扉の外側だった。
「はーい! はいはいはいっ! 投票は今日ですかっ?」
始まりそうな議論に乱入してきたのは隣のクラスの御子神さん。ホームルーム中なのにどうして僕たちの教室のすぐ外で待機していたのかというのはもっともな疑問なんだけど、これは時々あることなので誰も追及しなかった。
「いえ、今日では皆さんの考えはまとまらないでしょうから、採決は明日とします」
「御子神叶は今すぐに隣のクラスに帰らなければならないのです」
相坂さんはジト目で御子神さんを見つめた。でも、僕はむしろ、七倉さんがものすごく真面目にとぼけた答えを返したことのほうが驚きだった。御子神さんが勢い余って僕たちのクラスに突っ込んでくることはたまにあることだしね。
「ねえねえ聡太くん、聡太くんはどんなことを演し物にしたいの?」
御子神さんが小さくなって僕と相坂さんの席の間に。すらっとしている御子神さんが背を丸めても物陰に隠れているとはいえないけど。それよりも、御子神さんがただでさえ狭い通路を選挙してしまったので、相坂さんは露骨に嫌そうな顔をした。
「聡太がわたしと話していることを理解しなければならないです」
「まあまあっ」
「その案を今から話し合うみたいだよ」
「とりあえずお前も黙っておけ、司」
僕をたしなめたのは河原崎くん。僕の貴重な友人で、相変わらず前髪が長いせいで表情の読めない姿でいる。
「いつの間に隣に来ていたのさ」
「他の連中もそうしているぜ」
ホームルームはこんなふうに、いつの間にか座席を入れ替えていることがよくあるけど、河原崎くんはいつ入れ替わったのか分からない動きをする。相坂さんはますます迷惑そうに唇をとがらせた。
「窮屈だと言わなければならないのですよ」
「七倉の近くにいたほうが楽できるからな。俺は部活があるからクラスの準備に構っていられないんだ」
「それなら七倉菜摘の鞄持ちに名乗り出なければならないのですよ、河原崎圭吾。聡太の隣に居ても七倉菜摘が非協力的な行動を採るはずがないのですから」
「その言葉、そっくりそのまま返したらどうなるんだ、相坂。教室の隅で無関係を決め込んでいられるとでも言うのかよ」
「そうですよ」
相坂さんは短めの髪を触った。それから、河原崎くんにはそれ以上関心が無いみたいな仕草をする。僕は相坂さんがそういう態度を取る理由を知っているし、そうしないといけないことも知っているから、こういう男子とのやりとりを聞いているとはらはらする。
「河原崎くん、やめておいたほうがいいよ。相坂さんは何もしていないわけじゃないんだよ。七倉さんの相談に乗ってくれたこともあるんだ」
「知ってる」
意外にも河原崎くんはそう答えて「結局何をするんだ」と僕に水を向けた。何をすると聞かれても何も分からない。ただ、河原崎くんは僕が七倉さんから何らかの計画を相談されていないかを尋ねたかったらしい。
御子神さんも分かりやすく聞き耳を立てていて、僕が首を横に振ると、念を押して「えー、本当に?」と言った。全然信用していないみたいだ。納得してくれるまで何度も頷いた。
それで、耳元に顔を寄せてきたと思ったら、
「ねぇ、聡太くんの周りって、変なコがたくさんいるよねっ」
と御子神さん自身のことを棚に上げたようなことを言った。
御子神さんも異能力者。
相坂さんが呆れたように溜息をついた。
「先ほども言いましたように、例年は下級生に大がかりな演し物を準備する必要はありません。1年生は高校の文化祭がどのようなものかを知らないからです。しかし、生徒会執行部の決定によって、今年の1年生は上級生と同じように参加することが認められました」
「はいはい! 模擬店は出せますか?」
細い腕を掲げたのは御子神さんだった。完全にこのクラスから浮いているのに、誰からも指摘されない!
「飲食店を出店することは認められます」
「お客さんは来ますか!」
「地域に開放する予定です。また、宣伝にも注力するそうです」
教室がどよめいた。たしかに、これは驚くべき内容だったんだ。どれも、去年までは認められなかったはずの内容だった。文化祭は高校内限定の祭典だったし、模擬店を出店するのは3年生だった。
そもそも来場者数が足りないから、模擬店を乱立させても訪れる人がいない。でも、公開開催するならその前提は崩れるはずだ。
んん、七倉さんが奔走していたのはこのためだったんだ。
「もちろん、どのような店舗でも認められるわけではありません。また、あまりにも偏りがある場合には生徒会執行部や教員で調整を行います。これらに気をつけて案を出してください、とのことです」
「私は甘いものがいいな。だから、」
御子神さんは自分のクラスで実現すればいいんじゃないかな、と思っていると御子神さんの首の根っこに手が伸びた。相坂さんの手だ。相坂さんはブラウスの襟を掴むと、見た目からは信じられないくらい強い力で御子神さんを引っ張った。
「出て行かなければならないのですよ」
「なーんーでー!」
「自分のクラスでしなければならないのですから」
「だって七倉さんと聡太くんに合わせるほうが楽なんだもーん、きゃー!」
「それは御子神さんが変なちからを持っているから……あー……」
ついには御子神さんはポニーテールをつまみ上げられて、相坂さんにぐいぐい引っ張られた。これは大した力じゃないので、相坂さんにいじめられている御子神さんはちょっと楽しそうだった。
結局、犬を相手にするみたいに相坂さんが御子神さんを追い出した。御子神さんよりも小柄な相坂さんだけど、こういうふうに、ほかの人と関わり合うときは常に対等以上の関係になっているような気がする。
今だって、何事もなかったみたいに椅子に座り直して、暇つぶしの小説を取り出している。それで、その姿が近寄りがたいくらいに綺麗なんだから、不思議な女の子なんだと分かるんだ。
「でも、演し物といっても何を出せばいいんだろう。展示物でもいいんだよね」
「美術部や書道部はそうだな」
相坂さんもそのほうが良さそう。頷いているし。
でも、僕たちは同時に七倉さんの顔色をうかがった。七倉さんは人当たりがいいのでクラスのまとめ役に抜擢されている。けれども、普段は積極的にクラスをまとめようとはしないんだ。
七倉さんはふつうじゃないからだ。
けれども、今日の七倉さんは発案者だった。
「私が意見を出してもいいですか」
七倉さんは絶対に断られない前置きを宣言した。ちなみに、このクラスで七倉さんに口を出すような無謀な生徒はいなかった。それなのに七倉さんがわざわざ言い出したから、よほどのワガママに違いない。
僕たちは七倉さんが気恥ずかしそうに俯くのを観察した。
「あの、そのう、喫茶店を出したいと提案します……」
「あ、七倉さんがふつうだ」
「ベタだな、七倉」
「ふつーだねっ!」
「平凡だと言わざるを得ないのです」
「みなさん一斉に言わなくてもいいでしょう!」