14, 七倉さんの弱点
七倉さんを試している可能性。
もちろんそれも考えられないわけじゃない。可能性を挙げるのなら、ひょっとすると、この手紙の存在自体が楓さんとは全然無関係だなんてこともありうる。ひょっとすると、フェイクなのかもしれない。
でも、たしかに――箱に入っていないのはおかしいように感じる。さっきは七倉さんと決別するためだなんて提案してみたけれど、
10年前、七倉さんと楓さんが、手紙を鍵の掛かった箱に入れてやりとりしていたことは聞いていた。けれども、それは僕が考えていたよりもずっと厳しいルールの下で行われていたことみたいだい。
そうだとすれば、七倉さんが箱に入っていない手紙を信用しないことくらい想像できそうだ。それなら、偽物の可能性は高いようにも思えた。
「七倉さんはもう一通の手紙があると思っているんだね」
「はい、10年前の手紙がもう1通。現にこうして1通はありましたから、もう1通あってもおかしくはありません」
「もしもう1通あるとしたら、どこにあるんだろう」
「分かりません。司くんはどこか分かりませんか?」
僕は七倉さんが入学直後からずっと放課後に楓さんの手紙を捜し続けていたことを知っている。当然、すぐに思いつくような場所は捜し終えているはずだ。
「10年もの間、残っている場所なら――部室はどうかな。部室のロッカーの中みたいに個人的な用途で使われている場所なら、10年間、開かないロッカーのようなものがあってもおかしくないかもしれない」
「それは部活動の体験入部で調べたんです」
「そっか、それで4月のうちから七倉さんは遅くまで残っていたんだ」
「はい、入部する意思もないのに体験入部に参加したこと、先輩方には申し訳ないと思っています……」
七倉さんは罪悪感を感じているようだけど、1日だけでも七倉さんが参加しただけでも喜んでいる先輩は多いんじゃないかと思う。七倉さんは能力者ということを除いても、地元ではけっこう有名人だからだ。
その七倉さんが僕には悩みごとを打ち明けてくれる。
それが僕には密かな自慢だったけれど、七倉さんの悩みは深刻でもあった。
「正直に言うと、校内にはないかもしれないと思っています。ここ1か月以上のあいだ、校舎はもちろん、周辺も捜しました。鍵の掛かっている部屋もできる限り先生に頼んで開けてもらいましたし、どこかに楓さんの痕跡のようなものがあればと思ってみましたが、さっぱりです」
「そもそも、うちの高校はこの辺りでは新しいほうだけど、それなりに歴史もあるから、10年間ずっと放置されているような場所なんてあまりないんだよね」
「確実に、とまではいかなくても、おそらく10年後もそのままで残されている場所というのが難しいです。どこも10年の間に少しは使用されています。今は空き教室の部屋でも、10年も遡ると使われていることもありました。それに、生徒が使用することを前提とした教室は、物を隠すことには向いていないような気がするんです。新入生が入ってくる頃には必ず掃除をするでしょうし……」
「家庭科室、音楽室、和室も部活で使われているよね。……そうだ、コンピュータ室は? 古いパソコンが置いてあって、その中に楓さんが記録を残していないかな」
「10年の間に何度かコンピュータの入れ替えがあったそうです。古いパソコンは廃棄済みで、旧型は1台も残っていないそうです。この高校は意外とそういうことに厳しいみたいで……」
僕は驚いて尋ねた。
「1台も残っていないの? コンピュータ室だけでなくて、どこの教室にも?」
「職員用のパソコンなら古いものがありますが、それでも、10年前からあって、生徒が触れられるような用途で使われていたものはありませんでした。コンピュータ室以外に1台くらいあればと思いましたが……」
「旧校舎のようなものがあれば、10年間手つかずの教室があっても不思議ではないんだけど、そんなに確実に10年前から使われていない部屋はないよね」
「もちろん、この高校にも古い棟はありますが、木造の旧校舎というものはありません」
それはかえって幸運なことかもしれなかった。10年の間に校舎が取り壊されたら、どんなにうまく隠したって、校舎が撤去されるときに瓦礫と一緒に処分されてしまっただろう。
「10年って長いんですね……とても」
七倉さんはぽつりと呟いた。七倉さんの言うとおり、10年はあまりにも長かった。
校舎は楓さんがいた頃とほとんど変わっていないだろう。少し汚れたくらいで、町の様子もほとんど変わっていないはずだ。でも、校舎の中にいる人間は違う。この久良川高校は県立なので、ほとんどの先生は転任で入れ替わってしまっている。
まだ何人か残っている先生や職員のひとはいるけれど、おそらく楓さんの能力のことを知っているひとはいないだろうし、それは七倉さんが調べたに違いなかった。
「でも、楓さんは10年後のことをものすごく考えて書いているよ。もしかすると、七倉さんに宛てて書いたものではないのかもしれないと思うくらいに」
「その理由を教えて下さいますか?」
「この手紙にはきちんと日付が書いてある。差出人は名前しか書いていないけれど、七倉さんが読めばすぐに分かるようになっている。でも、この日付は七倉さん宛てに書かれたものじゃない。この日付だけは、楓さんが手紙を書いてから、七倉さんが手紙を読むまでの間に、この手紙を偶然に見つけてしまったひとに宛てている」
「そうですか? 単に書いた日付を記しただけにも見えますが……」
「まず手紙の冒頭に『十年後にこの手紙を読む菜摘へ』なんて書き方をしている。遠回しなこの文章から分かるのは、10年後にこの手紙を読むだろう菜摘という名前の女の子がいるということだよね。そして、いつから10年後のことなのかは文末の日付を見ればわかるよ。つまり、この日から10年後まではこの手紙を残しておいてほしいという意味になる」
これは当然のことなので、七倉さんも当然頷く。
「学校の図書室の本はきっと10年後も残っている。たまにしか読まれない綺麗な本を選べばよかった。この本はほとんど読むひとがいないけれど、この高校周辺の歴史を書いてある。七倉さんの家についても書いてあるくらいに詳しいから、10年、20年と残されるのは確実だよ。ただ……、七倉さんが読むとは限らない」
七倉さんが目を瞬かせた。
「どうしてですか? 私の家のことが書いてあるなら、読むのではないですか?」
「ううん。この本……多分、七倉さんの家にもあるんじゃないかな」
僕は七倉さんに手紙の挟まっていた本を見せた。どの本でも良かったわけではないと思う。
七倉さんに見つけてほしいのなら、もっと見つかりやすい本もあったかもしれない。
けれどもこの本を選んだ。
「この辺りの歴史を書いてある。七倉家のことも調べてある。読まれることは多くないけれど、この地域のことを書いているのならいつかはたどり着くくらいに詳しい本。能力者のことを覚えていた、僕の祖父が読んでいた本。それなら――、たぶん誰かが七倉さんのお祖父さんかお父さんに渡したはずだよ」
僕は考えた。七倉家の歴史について書かれた本は、いったい何の資料をもとに書かれたんだろうと。それは七倉さんの家に伝わっていた古文書なのかもしれないし、伝承なのかもしれない。具体的に何かまでは分からない。
けれども、少なくとも七倉家について調べられている以上、その子孫である七倉さんは知る権利があるんじゃないか。きっと、この本の著者は七倉本家に断りを入れたんじゃないだろうかと。
七倉さんは少しだけ考えて、頷いた。
「……はい、あります。謹呈の栞が付いていました。きっと、筆者さんから贈られたのだと思います。でもそれで、私が調べないとは限らないでしょう? たしかに私はその本を読んだことがありますが、読んだのは楓さんがいなくなった後のことです」
「ふたつ理由があるんだ。たしかに、七倉さん自身がその歴史を調べる可能性はあるよ。でも、このあたりの歴史を調べるなら、七倉家以上に資料のそろえられる環境はないと思う。家に帰ったほうが簡単に調べられると予想できるのがひとつめの理由。もうひとつの理由は、七倉さん自身よりも、きっと七倉さんのことを知りたいひとのほうが、この本を読むと思うから」
それは僕自身のことだ。七倉さんの能力に興味があった。それは言わないけれど。
「そして、ほとんど読む人もいない郷土史を読む人なら、10年という時間の流れを大切にしてくれると思ったんじゃないかな。きっとこの手紙に気づいても、10年が経っていなければ元に戻してくれると願って、こんな書き方をしたんじゃないかな」
「きっとそうです! それじゃ、楓さんは私じゃなくて、私のことを知っている誰かが読むことを期待して、この本に手紙を挟んだということですね」
「うん、そういうことになると思うんだ」
「それなら――楓さんは何かを期待していたのではないですか?」
七倉さんは僕の顔を覗き込む。髪が揺れて、とてもいい香りがする。
たぶん、楓さんは成長した七倉さんを想像して、きっと僕みたいに七倉さんのことを調べるひとが出ると考えたはずだ。それなら、楓さんは何を期待したんだろう。楓さんは色々なことを考えていたんだろうけれど、この答えだけは簡単な気がする。
「ねえ、七倉さん、七倉さんは本当に学校の中を全て調べ尽くしたのかな?」
七倉さんは虚を突かれたみたいに一瞬だけフリーズしたけれど、それからしっかりとした口調で僕の質問に答えた。
「はい、そのはずです。10年前から存在しているものは全て調べたはずです。もちろん、10年前から存在しないものでも、隠し物がありそうな場所は捜しました」
「どれくらい詳しく捜せたの?」
「これは、あまり明らかにしたくはありませんでしたが――。教室については、春休みのうちに調べてもらいました。不審な物が見つかったら連絡してもらうように、知り合いに頼んでおいたんです。ただ、私が頼むまでもなく、10年間手がつけられていないような場所はどの教室にもありませんでした。私が調べたのは、先生や生徒の目につきにくい特別教室や部室が中心です。そこですら、10年間そのままという場所はほとんどありません」
僕は七倉さんを疑ったわけじゃない。ただ、七倉さんが僕の考えている以上の捜し方をしていたのには驚いたけれど、全然予想していなかったわけでもなかった。
たぶん、七倉さんは10年の間に動かされていない場所は探し尽くしている。
「10年間変わっていないものはいくつかありました。まず、校舎そのものです。これは動かせませんが、ヒントにもなっていないことは明らかです。それから大型の設備。体育館に備え付けられている備品、器具はまだ何年も使えますが、物を隠すことには向いていません。電気設備、通信設備もあります。学校として使用されている以上は絶対必要です。ただ、そうした設備は点検もありますからすぐに見つかります――どうでしょうか」
それは全て間違いではなかった。10年間残っているものはそれくらいで、あとは図書室の本が唯一の例外と言って良かった。
でも、僕には七倉さんの捜し方が不完全だと分かった。それは七倉さんの思い込みから来るものだけど、七倉さんが間違っているというわけでもない。
だから、僕はなるべく七倉さんを責めないように気をつけながら、もう一度だけ七倉さんに質問した。
「――七倉さん、コンピュータ室のパソコン、本当に調べたんだよね?」
「はい、できる限りは。でも、先ほども言いましたがパソコンは10年の間に何度か入れ替えられています。デスクトップパソコンですが、入れ替えの際にはデータが引き継がれることはありません。古いコンピュータに入ったデータは全て消去されますし、新しいコンピュータは全く手つかずの新品が入ってきます」
「それを起動させて調べたの?」
「はい。でも、完全かと聞かれればそうではないんです。調べられない私物や、管理物がどうしてもあります。コンピュータ室はコンピュータ研究会の部員さんが活動していましたから、何台かコンピュータをお借りして調べました。もちろん、パソコンは新しいもので、10年前から使われているものは1台もありませんでした。コンピュータ研究会の活動場所と言っても、コンピュータの導入を決めるのは学校です。コンピュータ研究会にはそんな権限はありません」
この高校のコンピュータ研究会はレベルが高いらしいけれど、もちろん、高校の予算に口を出せるほどの影響力は持っていないフツーの部活動だ。河原崎くんが何をやっているのか知らないけれど。
けれども、七倉さんはたぶん誤解している。
きっとその誤解は七倉さんの盲点で、それは楓さんにとっても同じだったのだと思う。それで楓さんは七倉さんではなくて、七倉さんの近くにいるひとに期待した。
「七倉さんは前に言ったよね。僕の祖父の箱が開けられないのは、仕組みが分からないからだって。七倉さんはたぶん、楓さんの手紙を開ける方法が分からないから見つけられないんだよ」
「そんなことが……」
七倉さんは言いかけて、けれども、それ以上を続けようとはしなかった。
僕はそこが七倉さんのいいところだと思う。七倉さんはとても強い鍵開けの能力者だけど、自分自身の能力のことを決して過大評価していない。
僕はそんな謙虚な七倉さんが好きだと思った。
「私が分からないこと、司くんには分かるのですか」
「七倉さん――、パソコンを扱った経験はある?」
七倉さんは目を逸らして答えた。
「は、はい。授業に遅れない程度には使えるつもりです。自信はありませんが」
「七倉さんって、携帯電話は持っていないんだっけ」
「……いえ、持っています」
「そっか、ヘンなこと聞いてごめん」
一瞬の間。それはものすごく分かりやすい沈黙だった。
七倉さんは泣きそうな目をして僕を見ていた。頬が赤く染まっている。うん、七倉さんは簡単に嘘を突き通せるような性格じゃない。
やがて、七倉さんは勢いよく頭を下げた。
「すみません。私、鍵の掛かっている可能性のある電子機器は極力触らないようにしているんです」
「やっぱり。七倉さんって、携帯電話もほとんど使っているところを見ないもんね」
七倉さんは嘘をついた子供のようにしょげてしまいそうになるけれど、すぐに気を取り直した。
「そっ、それでもパソコンの基本的な構造は理解しています。機械音痴でもなく、私がパソコンを全く使わないわけでもありません。ハードディスクにデータが保存されていることは理解しています。パスワードが掛けられていればそれを開錠することも考えていましたからっ」