140. 自由演題?
139は書いている途中のファイルをどこかに置いているので後日追加します。
僕の所属しているクラスには、ややこしく言うと相互不干渉の間柄を保っている女の子がふたりだけいる。その一方は七倉さんといって、容姿端麗、頭脳明晰、およそ欠けているところが見つからない久良川高校いちのお嬢様だ。
この七倉さんには、密かな思いを寄せている男子が両手の指では数えられないくらいいるらしい。むしろ多すぎて数えられないくらいだ。どのくらい多いかというと、七倉さんが歩いていると自然と視線を集めてしまうので、誰がどう思っているのかを判別できなくなってしまうほどなんだ。七倉さんのことを目で追っている男子を数え上げたら、非現実的な数字になってしまいそう。
何を隠そうこの僕、司聡太も七倉さんに声をかけただけでその日一日は気分よく過ごせてしまう。でも、これは僕が特別なのではなくて、七倉さんのことを知れば知るほどその不思議なすがたに惹かれてしまうからなんだ。
七倉さんは異能力者である。
それも、七倉家といえばその異能の力によって栄えてきた旧家の中の旧家という家柄なんだ。だから、七倉さんは自分がふつうの人とは違う能力を持っていることを自然に受け入れているし、特に強い力を持っていることを誇りにしている。
これが七倉さんの秘密。
ところが、こんな完璧な七倉さんにも対抗心を抱くような相手がいる。誇りにしている強い鍵開けの能力を、軽く上回ってしまう能力の持ち主がいるんだ。
その女の子が、相坂しとらさん。
この相坂さんも、七倉さんと同じように注目を浴びる女の子だった。でも、相坂さんは七倉さんとは違って愛想はとても悪い。教室にいるときのほとんどの時間は仏頂面で過ごしている。
クラスメートとはほとんど喋らないし、話をするときも氷のように冷たい目つきで、見下すように応対している。それは、相坂さんがうかつに笑顔を見せると、見せられた相手がほんとうに「心を奪われてしまう」からなんだ。
これが単に恋愛感情を持ってしまうだけならいいんだけど、相坂さんの場合はそうじゃない。心を奪われてしまった相手は、相坂さん以外のことを全く考えられなくなってしまう。
逆に、相坂さんからみると、相手は意のままに操れる人形のようになってしまうみたいだ。心の中から支配してしまうので、ありもしない幻覚を見せたり、精神的に痛めつけることもできる。
実は、僕も相坂さんに初めて出会ったときに、その能力を身に受けたことがある。
いまから思えば、これほど強力な異能力を持った女の子に、丸腰で対決していたのは無謀にすぎる。幸いにも、僕は祖父からもらったノートや、七倉さんの存在のおかげで相坂さんの能力を破ることができた。
ただし、もうひとつ大きな理由があることも明らかなんだ。
それは、相坂さんがいつも能力を抑えているということ。
相坂さんはいつも独りで居るから、クラスメートが相坂さんに魅了されることは滅多にない。目線すらほとんど合わせない。合わせても冷徹な無表情しか見ることができない。
そうしていても、誰もが相坂さんを美少女だと捉えている。教室ではいつも頬杖をついて板書を書き写している。ときどき、色の明るい短めの髪を触っている。休み時間になると姿を消していた。
何か欠点らしいものがあればそこをきっかけに近づけると思うひともいるかもしれないけど、相坂さんは孤独でいるための努力を惜しまない女の子だった。成績は七倉さんに並ぶほどだし、体育の授業では涼しい顔で協議に参加しているのが常だった。要するに、目立ちすぎないように調整しているみたい。
強いていえば小柄なことで、相坂さんも気にしているらしい。だけど、それはそれで相坂さんの魅力と化しているので欠点とはいえなかった。
こういうわけだから、10月に入っても相坂さんがクラスに溶け込んでいるということはありえなかった。ただし、この時期の相坂さんは、少なくとも入学以来ではいちばん多弁だった。
なぜならば、相坂さんが席替えで僕の傍に座席を置いているんだ。前にも相坂さんと僕とは席が近くなっていたことがあったのだけれど、何の因果かいまは僕のすぐ隣に相坂さんがいる。
そして、相坂さんはクラスメートの中でも僕だけには話しかけてくれる。だから、この10月にはとても珍しいことに、相坂さんが孤立していない姿をみることができたんだ。
「聡太、聡太」
この日も、相坂さんは休み時間の合間に僕の肩をつついた。
相坂さんは自分の机を僕の方向に寄せているので、僕と相坂さんの空間はほとんどなかった。教室の通路を塞いでいるから僕としては恥ずかしいことなんだけど、相坂さんにそのことを指摘するクラスメートは一人もいないんだ。
「どうしたの、相坂さん」
僕が右隣をみると、相坂さんは猫みたいに気まぐれな人懐っこい表情だった。
滅多にみられないのだけれど、相坂さんは口元を緩ませているだけでものすごく可愛い。それに、相坂さんからはいつも柑橘類のような甘酸っぱい不思議な香りまでする。
相坂さんはいつものような命令形の言葉を囁いた。
「聡太は日曜日にわたしと出掛けなければならないのですよ」
「どうしたの?」
思い当たる節がないので僕は尋ねた。相坂さんが命令形で話すのはいつものことなんだけれど、これは僕が本当に「しなければならない」というのではなく、相坂さんの口癖のようなものなんだ。
「ひょっとして何か事件でも起こったとか?」
「七倉菜摘の弟が聡太に何か無理を言った、ということに決まっているのです」
「ああ、七倉さんの弟の守くんが、七倉さんに内緒で僕に相談してきたんだよ」
「それで、七倉菜摘が聡太に頭を下げなければならなかったのでしょう」
「そういえば七倉さんが気にしていたなあ」
これがつい先週末のことだった。七倉さんの弟・七倉守くんが僕に解いてほしい課題を持ってきた。この課題というのが例によって異能力者がらみの事件だったのだけれど、七倉さんは弟の行動をちっとも知らなかったらしい。
それで、守くんにさんざんお説教を食わせたうえに、僕にも何度も謝ってきた。
丁寧な七倉さんらしいともいえたけど、守くんが涙ぐんでいたくらいだから、僕にとっては意外なことでもあった。七倉さんが叱りつけるところを想像できない。
「でも、見たところ七倉菜摘の機嫌はよいと見なければならないのです」
「それはそうだね、今も張り切っているからね」
ちなみに、今はホームルームの時間で、七倉さんが教壇に立って議場を仕切っていた。論題は文化祭について。
七倉さんは丁寧な楷書体で『文化祭の演し物について』と書いた。
そして、七倉さんはいつにもまして目を輝かせて言った。
「――さて、文化祭のことです。今年の演し物は各クラスの自由な決定に任されました。ですので、クラスの皆さんからアイデアを募り、投票で決めたいと思います」
「……あれ? 自由演題? 毎年そんなふうに決めていたんだっけ?」
「調べてみなければならないのです」
「いえ、今年の特別な試みです」
僕の疑問に答えたのは七倉さんだった。
というか聞こえているのか七倉さん。
でも、そういえば僕にも心当たりがあった。