137, その扉は本物か
寮のなかに能力を使える場所はない。とはいえ、寮の外はありえない。それだと、百鳥さんが外に出ないといけない。度を超した箱入り娘だというひとに、それは無理だと思う。きっと、百鳥さんは外に出ていない。
「要するに、七倉さんは『この扉を開けてはいけない』と書いたんだ」
もちろん、七倉さんは単に禁止するために『この扉を開けてはいけない』と書いたわけじゃない。誰かがノートを読むことを予想して書いていた。それなら、『この扉を開けてはいけない』というのは、こう解釈するべきということになる。
「本当の部屋にたどり着きたければ、廊下を通って『この扉を開けてはいけない』、べつの道を通って、扉を開けなければ正解にはたどり着けない」
「べつの道……」
守くんは俯いて考えると、顔を上げて答えた。
「僕たちはエレベーターを使ってこの階に上がりました。では、階段を使えということですか」
「七倉さんの能力を考えれば扉がある経路だよ。この寮の階段には扉がない。2階や3階に部屋を持っているたくさんの生徒が階段を使うから、扉はないんだよね。これは校舎も一緒だと思う」
もちろん久良川高校もそうだ。階段に扉はない。
「まさかエレベーターではありませんよね」
「もちろん違うよ。鍵は掛かっていないし、降りると勝手に開いちゃうからね。能力者が力を使うのに条件を満たしているとは思えない。
当然、玄関は対象外だよ。なにせ能力者だろうとふつうのひとだろうとお構いなしに立ち入るんだから。
もっとも、そんなにくまなく探さなくても、七倉さんが必ず能力を使える場所があるんだよ。僕はこの学院のことを詳しく知っているとはとてもいえないけど、絶対にあると断言できる扉がある」
「先輩、それはどこですか」
僕は天井を指さした。
そこには、今日も何度も見かけているはずなのに、まるで視界に入っていなかったかのように忘れ去られているものがあった。
ちなみに、僕が通っている久良川高校にも点々と設置されている。
それは、いつもどおり煌々と緑色の光を放っていた。
「非常階段」
僕たちが向かったのは寮の外だった。
だんだんと昼間が短くなっているとはいえ、まだ久良川の方角が夕焼けで染まっている。明るみが残っていたおかげで、僕たちはひとけの無い非常階段に立ち入ることができた。
この階段だけは、僕の通っている久良川高校とあまり変わりばえしない。
ごくシンプルな金属製の階段が、寮の側面に取り付けられている。
監視カメラはあるけど、寮の内部に比べればもちろん少なかった。
「七倉さんはありとあらゆる扉を開けられる力を持っている。いまの七倉さんほどではなかったとしても、中学時代の七倉さんも大抵の鍵は開けられたはず。それは、百鳥さんの部屋の扉でも例外ではなかったはずだよね」
「はい。それに、ノートの記述を信用すれば『ちょっと難しいです』としか書いていないのですから、開けられなかったとは考えられません」
僕は守くんの目を見て頷いた。
「でも……きっと、七倉さんは扉に手を触れた瞬間に気がついたんだ。百鳥さんが単なる箱入り娘ではないことに。まあ、それまでも百鳥さんを訪ねてくる人はたくさんいただろうから、ちょっと閉じこもっているだけの女の子が、この学院で部屋の中にずっといられるとは思えないけどね」
結局、満たすべき条件はこうなる。
鍵は他の部屋と何も変わっていない。
鍵は七倉さんが開けられなかったわけではない。
でも、七倉さんは少し難しいと書いている。
ただし、僕たちが今いる寮の中では能力を使うことはできない。
「それなら、七倉さんのノートの答えは『百鳥さんは、自分専用の空間を作ってしまえる箱入り娘の能力者』だということだよ。そして、『百鳥さんの部屋に入るには、まず非常階段にある一つ目の扉を開けなければならない。そうすると、百鳥さんの作り出したもうひとつの空間に入れるので、二つ目は部屋の扉を開ければいい』」
つまり二重扉になっているんだ。
これなら、寮の中で能力を使う必要は無いし、七倉さんが百鳥さんの部屋の扉を『ちょっと難しいです』と書き残している理由も成り立つ。たぶん、百鳥さんの部屋の扉はふつうに開けると空っぽなんじゃないかな。
さらに、寮の中では能力が使えないのに、部屋に入るためには扉から入るしかない。これも、さっきまで目の前にあった寮の扉は偽物で、本物の扉がどこか別の場所にあると考えるしかない。
そうなると、七倉さんが注意書きを書き留めた気持ちがよくわかった。
これはノーヒントだと分からないよ。
「姉が鍵開けの力の使い手だということを、よく理解されているんですね」
非常階段の踊り場で守くんが足を止めた。
守くんは悔しがっているように見えた。
「先輩は、やっぱり普通ではないです」
僕は笑って言い返した。
「でも、僕から見たら守くんのほうがずっと普通じゃないよ」
「僕は七倉菜摘の弟として生まれただけです」
「だったら、僕だってお祖父ちゃんの孫に生まれただけだよ」
ひょっとすると、僕は宝探しのような謎を解いて、得意げになっているせいかもしれない。
それとも、男同士だからつい口が軽くなっているのかもしれない。
「七倉さんは可愛いから」
これは本当の理由だった。
「僕は七倉さんにいいところを見せたいんだよ。内緒だけどね」
ちょっと恥ずかしいことを言ってしまった。
僕は誤魔化すみたいにたどり着いた扉に手を掛けた。七倉さんと違って僕たちが扉を開けられるかどうかは分からない。ふつう、非常階段の扉には鍵が掛かっているはずだから、開けられなくてもしょうがない。
それに、扉は1つだけではなかった。この扉が正解とは限らない。
でも、目の前に扉があると、ついドアノブに手を掛けてしまう。
「そういえば、十条先輩の『謝っておきます』というのはどういう意味になるのでしょうか」
「ああ、それはね――」
ところで、このときの僕に何かを警戒する必要があったわけじゃない。
百鳥さんが不思議な能力の使い手だからといって、僕になにか危害を加えるはずもなかったし、そうすることもできないはずだった。
だから、僕はすっかり油断していたんだ。
もし、百鳥さんが僕を歓迎しているとしたら。
僕がこうして七倉さんのノートを読み解いていることを知っていたら。
入れないはずのその空間に、扉一枚だけ隔てた場所にまで近づいていることに気づいていたら。
「しまった!」
百鳥さんが鍵を内側から開けて、僕だけを引きずり込んでしまうことくらい、やってのけるかもしれないんだ――!