136, 能力禁止のルール
百鳥さんの部屋も鍵は同じ。七倉さんなら開けられそうだけど、僕らでは決して開けられない鍵だ。監視カメラはないけれど、時々生徒が通りがかることもある。もちろん、体当たりで開けられる、なんてオチもない。
無駄とは分かっているけれどノックしてみる。返事はなかった。
「うーん……」
本当に居るのかな。
物音が聞こえてこないし、よく分からない。
「ただ、七倉さんの持ち物をこっそり持ち出している人も、この学院の生徒がふつうは使えないはずの能力を持っているひとも、もう分かりきっているんだよね」
「百鳥さんですか」
「もちろん。守くんもそれは分かっているでしょ?」
守くんはおずおずと頷いた。
「姉が書いたノートにふたつのヒントが書かれ、ひとつの部屋にはどこからどう見ても能力とは無関係なひとがいました。もちろん、そのひとは僕たちふたりには利害関係を持ちそうもない中立の立場にいるひとです。いえ、僕たちだけでなくこの学院の中の誰に対しても中立でありそうなひとでもあります」
「親しい友達に対しては味方になるだろうけどね」
僕は補足する。
「でも、七倉さんとはそこまで親しいとは思えない。あまりにも生まれ育ちの環境が違いすぎるよ。七倉さんはたしかにお金持ちの家に生まれて、所作も心持ちも、高校のクラスメートと比べたら桁違いに綺麗なんだ。それは、十条先輩に近いと思う。それでも、七倉さんは十条先輩とはぜんぜん違う。
七倉さんはいつも一生懸命なんだ。まじめで、自分の能力にかかわることは何でも大切なものと考えている。だからこそ、七倉さんは能力にかかわることと、そうでないことを分別しているよ」
「十条先輩とは表面的な関係にすぎないということですね」
「表面的は言い過ぎかもしれないけど、少なくとも七倉さんが持っている能力とは無関係だよ」
これが前提だった。
まず、十条先輩は七倉さんに何かを口止めされている、ということはないということ。頼めばそうしてくれるのかもしれないけど、十条先輩には秘密を共有するような動機がまるでなかったんだ。
「次に、十条先輩の部屋も何も変わったところがなかった。鍵はもちろん何も変わったところがない。いかにも七倉さんが何かをしたはずなのに、七倉さんが謝る理由がないんだよ」
「十条先輩も謝られた理由に思い至っていませんでした。物事に頓着しない方のようですが、姉が鍵開けの力で何か迷惑を掛けたなら、印象に残ってもいいはずです」
七倉さんが嘘を書き込んだ?
そうなると、十条先輩に理由もなく謝る必要は無い。たった数回出会っただけのひとに他に謝る理由があるとも考えにくい。
まだ説明の付かないことがある。
「それからこの部屋の扉もおかしなところがないように見える。鍵が複雑なのかも知れないけど、少なくとも見た目の上では他の部屋と同じに見えるんだ」
「付け替えていないようにも思えます」
「度を超した箱入り娘なら、お父さんかお母さんが心配して取り替えるかもしれないけどね。でも、見た目の上では中学時代の七倉さんが難しいと感じるほどとは思えないし、なにより七倉さんが能力のことをおおっぴらに書き留めるのも少しおかしいよ」
「意図があるということですよね」
「きっとね」
僕はもういちどノートを開いた。七倉さんのノート。
例の十条先輩と、いま目の前にある百鳥さんの扉にだけはメモがある。ここまではおさらい。さらに、これも新しい情報ではないけれども、廊下の随所に書かれているメモがある。
「人通りが少ない時間を書いてある。これは、七倉さんが能力を使えるからというだけじゃないよね。七倉さん以外の能力者も、同じように能力を使うことができる時間帯を表している」
「いずれにしても見られてはならないから、ですか」
「うん。だから、このノートを手に入れれば、特別な能力をもっているひとが、どのくらいの時間に能力を使うことができるか、ということがだいたい分かるということになるんだ」
でも、考えるまでもなく分かることがある。
しかも、それは守くんにもすぐに分かることだった。
「でも、先輩。どこで、いつ能力を使うことができるんですか」
守くんはずっと引き締まっていた口元を緩ませた。
きっと、ここまでのことは守くんも考えていたはずなんだ。
おそらく守くんも、今回の事件で重要なところは全て抑えているんだと思う。
はじめに、七倉さんの持ち物のなかで無くなったもの。きっといくつかあるはずだけど、重要なものがこのノートだった。どうしてなくなったものを全て挙げなかったかといえば、犯人が能力者だからなんだ。
魔法のような能力をもったひとが犯人なら、魔法を使えないひとはほとんど無抵抗になる。そもそも気がつきにくい。
とすれば、なくなったものは無関係のものから重要なものまでありとあらゆるものがあるに違いない。
でも、七倉さんにとっていちばん重要なものとはなんだろう?
それは、七倉さん自身がふつうの人とは違うという証拠だ。他のものは、お金でなんだって買い揃えられるんだから。
だから、守くんはこのノートが最も怪しいと思っていたし、おそらく七倉さんの持ち物が消えているとすれば、このノートも一度は持ち出されているんじゃないか、と考えているわけなんだ。
だって、このノートの記述だけはどこからどう見ても怪しすぎる。
そもそも、こんなに大切なものを手元に置かないことがおかしいんだ。
そのせいで、このノートを読んでみると当然の疑問を抱くことになるし、それが守くんの行き詰まりだった。
結局、僕の回答も必然になる。
「この寮の廊下で能力を使うことはできないよ。できるとすれば深夜だけだね」
さて、当然だけどここは学校の寮だ。
僕から見ると信じられないくらいの大金持ちの家に生まれたひとたちが通っている学校だった。けれども、たぶんそういった舞台とは無関係の事柄がいくつもある。
「いくらお金持ちだからって、みんな24時間勉強しているわけじゃない。それに、お金持ちだからこそ、お互い遊んだり、交流したりすることがあると思う。だとすれば、部屋同士の行き来は頻繁にあると思う。頻繁にはないとしても、とても予測できない。
だから、絶対に誰にも見られることがないとすれば深夜ということになる。でも、深夜に出歩くとなれば今度は監視カメラがある。ふだんは生徒が出歩いていたとしても何も言われないだろうけど、深夜に出歩いていたらさすがに怪しまれるよ」
守くんが頷いた。
「そのとおりだと思います。このノートが示すとおりに考えれば、姉は能力を使うことができない場所で能力を使っていた、それなのに能力の痕跡は何も残っていないということになります」
「うん。だからこのノートが示しているのは、能力を使ってはいけないことだと素直に捉えないといけない。でも、そう考えれば、七倉さんが『このノートを読む人に』向けて書いていることはわかる」
ここでは守くんは何も言わなかった。守くんは僕の推量を聞くことに集中したいみたいで、じっと僕を見つめていたんだ。
「七倉さんのノートを読む人はふたりいる。ひとりは百鳥さん、そしてもうひとりは百鳥さんの部屋にたどり着こうと考えるひと。七倉さんはどちらにも分かるように書いてくれているよ」