135, 不可侵のルール
「先日、姉の荷物を整理していましたら、その中に十条先輩に謝らなければならないことがあると書いてありました。姉は既に謝ったとは思うのですが、もしや僕に関わりのあることではないかと心配になったのです」
さすが守くん、うまく誤魔化せてる。
あの気遣いの上手な七倉さんなら、守くんの失敗を伏せて、ひとに謝ることもあるかもしれない。実際にこの守くんがそんな失敗をしたことがあるとは思えないけど、このおっとりした十条先輩に質問する理由にはなっている。
十条先輩も、特に疑問を抱かずに答えてくれた。
「たしかに――だいぶん前に――謝られたことが――ありました――けれど――私には身に覚えのないこと――でした――」
ええと、つまり七倉さんは謝ったけれど、何について謝ったのかは言及しなかったのかな。それはそれで不可解なことかもしれない。
続けて十条先輩は、
「むしろ――わたくしのほうが――謝ることが――あるくらいです――わたくしは――世事に疎いですから――何事も――菜摘様のような方に――頼っておりますから――」
あとは守くんと十条先輩の会話。
七倉さんは中等部の執行部にかかわっていたことがあるらしい。
それで、七倉さんと十条先輩は互いに顔見知りだったみたいだ。十条先輩は高等部の執行役員に所属している。というよりも、じつは会長らしい。
もっとも、学年は2年も離れているので、直に話をすることはあまりなかったらしい。でも、七倉さんは中学時代もいまと変わらず利発だったようだ。だから、十条先輩も七倉さんを会食に誘ったことがある。
ただ、接点といえばそれくらいだった。
そもそもクラスメートでもなければ同じ部活でもない。ついでに十条先輩は近県の出身で、七倉家とは地域も地盤も違う。守くんが解説してくれた。
さらに、七倉さんが中等部1年生のときに十条先輩は中等部3年生だったけれど、その頃はお互いのことを知らない。まあ、七倉さんがいくら人当たりのよいひとだといっても、中等部に入学したばかりで2年上の先輩と急に親しくなるのは難しいよね……。
ちなみに、十条先輩は中等部でも会長だったらしい。
話はそれくらいだった。
あとの細かい会話は守くんに任せて、僕は機械みたいに頷いていた。
「十条先輩は絶対に能力者じゃない! それらしい雰囲気が全然ないよ!」
「やはりそうですか。さすがに僕もそうではないかと考えることができました」
十条先輩が能力持ちでない理由は山ほど挙げられるんだけれど、いちばん大きな理由はやっぱり雰囲気だった。
七倉さんや相坂さんのように、時折見せる鋭さがないんだ。
僕が知っている能力者のなかで、いちばん身近にいるふたりは、初めて僕に会ったときになんとなく特徴的な反応があったような覚えがある。関心を持っているというか、注意深くなるような感じ。
でも、十条先輩にはそんな反応がまるでなかった。もちろん、十条先輩が常識を外れて優雅なことも影響しているだろうけど、それにしても変化がなさ過ぎたんだ。まるで無警戒なんだから。
「結局、十条先輩ってどういう人なの?」
「先ほども少し申し上げたように、出自は学院内でも名門中の名門です。あまりにも長い歴史と古い伝統をもつ一族です。高等部での立場もあのとおりです」
「この学院でも有名人だっていうことなんだね?」
「ただし、なにかの計画や争いに巻き込まれるような人でもありません。立ち入れない聖域のような場所に居るひとです。巻き込まれるとすれば仲裁を頼まれたときです。学院内で大きな争いが起きると、十条先輩が間に入ります。それだけで解決します」
「ひょっとして、十条先輩の機嫌を損ねると良くないことが起こるの?」
「そういうことはないと思いますが、暗黙のルールのようなものです」
いろんなルールがあるんだろうなあ。
もっとも、僕も魔法みたいな能力をつかうひとを何人か知っていて、そのひとの目に見えないルールを相手にしなきゃいけないから、似たようなものなのかもしれない。
僕が十条先輩を見てむずがゆい感覚を抱いたように、十条先輩には僕が謎めいた人物に見えているのかもしれない。もっとも、僕自身はわりと普通のつもりなんだけど、そういうとまた守くんが異議を唱えそうだからやめておいた。
「でも七倉さんは謝っているんだ。七倉さんがわざわざ十条先輩に失礼なことをするとも思えないし、やっぱり能力のことなんだろうね」
「十条先輩は身に覚えのないことと言っています。これもどう解釈したらいいでしょうか」
そういえば、十条先輩の部屋の鍵も調べてはある。
答えは特に異常なし。壊れていないし、他の部屋に据え付けられているものと変わらない。十条先輩は玄関にはとくに執着していないみたいだ。(これは一目で僕にもわかったけど。)
他の部屋も同じ。扉の鍵は基本的に電子的な認証を行うように設計されている。静脈だとか、指紋だとか、鍵穴の要らない鍵が主になっている。十条先輩の部屋はこの形式だった。
でも、絶対にこの形式だという決まりがあるわけでもない。
「付け替えることが多いので、部屋によって全く違う物になっています。入寮生が不安を感じれば、すぐに取り替えますから」
要するに、鍵の種類にはパターンがない。
ただ、七倉さんから見ればちょっと楽しくなりそうな設計になっていることは確かだった。少なくとも複雑だといえる構造にはなっている。これよりも複雑な鍵を探そうとすれば、七倉家が経営している会社の工場に行くか、街なかの銀行に行くしかない、というくらい。
「ところで、守くんの部屋には誰かが来たことはないの? そのときに七倉さんの持ち物を探して持っていったら、話は簡単だと思うんだけど」
「ありません」
守くんは言い切った。
「断言できるの!?」
「鍵開けの力を持ったものの弟として生まれたからには、何時も油断するなと祖父から厳しく言われていますので」
うーん、その点については守くんよりも徹底しているひとはいないだろうなあ。
ということは、守くんは七倉さんの持ち物が置かれているこの部屋には、自分以外の人間は立ち入らせていないと考えてよさそうだった。たとえ立ち入ったところで、七倉さんと同じように能力をもった人でないと何も気づくことはないだろうけれど、守くんが断言するなら間違いない。
「七倉さんが守くんの部屋に来たこともないの?」
「これまでのところは。姉は卒業してからはこの学院には来ておりませんので。先輩の通っている高校が楽しいそうです」
「もちろん鍵が無理矢理こじあけられていたこともないんだよね」
「言い忘れていましたが、僕の部屋の鍵だけは特別製です。姉の実力を圧倒的に上回る能力者でないと開けられないでしょう」
「つまりは楓さんレベルだね……」
さすがにそれはありえない。たとえ七倉さんを軽く上回るような実力者が登場するにしても、七倉さんの持ち物を持ち出していくのは、七倉家に宣戦布告をするようなものだ。話はもう守くんや僕の間で済むようなレベルじゃない。
逆に考えると、無くなったものはそこまで重要ではないということなんだよね。