134, 十条絃
「でも、七倉さんにも今よりも子供っぽい頃があったんだね。今じゃクラスメートの誰よりもしっかりしているけど、七倉さんだって退屈するときはあるもんね」
「ここには3年間在籍していましたから、あらかた調べ尽くしているみたいです」
「七倉さんのノートを見ながら、できるかぎり校内を回れないかな?」
「できます。今の時間帯ですと生徒の行き来も少ないですから、暗くなるまでは歩けます」
「じゃあまずはこの棟から見ていこう。変わった場所が見つかるといいんだけど」
とはいえ、僕の基準からみるとたいていは変わっているんだけど。
上階は個室になっている。これを全て見て回るわけにはいかないんだけど、その必要はなさそうだった。各階には談話室が設けられているけど、ごく小さなものなので手がかりはありそうもない。
ただし、1階だけは特徴的だった。会議室、事務室、備品室、倉庫とあって、急な来客や必要に備えられている。なんと搬入口まである。大型の荷物を出し入れするときには利用されるらしい。
僕たちは廊下に設置された監視カメラを見上げたり、七倉さんのノートと照らし合わせたりした。けれども、それで分かることは殆どなかった。
「正確だけど、手がかりらしいことは書いていないんだよね」
「そうですね」
七倉さんのノートの大部分は事実を記録したものにすぎない。
要するに、七倉さん自身の考えはほとんど鍵の構造図に描かれていた。(それでも、僕や守くんにはさっぱり分からないのだけれど。)だから、七倉さんのノートの中で僕たちが見るべき場所はわずかだった。
つまり、書き置きがある場所が中心だ。
「七倉さんの書き置きはたったの数カ所しかない。しかも、部屋に書いてある注意書きとなると2か所だけだね」
「共通点を見つけるのは不可能でしょうか」
「2か所じゃ無理だよ。せめて同じ階に固まっているとか、七倉さんの部屋の上下左右だったとか、関わりがはっきりしていれば糸口が見つかりそうなんだけどなあ……」
それに、七倉さんのコメント自体を読んでも、片方は『ここをひねるのがちょっと難しいです』なので、七倉さんが鍵を開けたときの感想を示しているだけだと思われた。もう片方は『謝っておきます』なので、もう少し意味が含まれていそう。
「この2人については何か分からないかな?」
守くんは頷いて説明してくれた。
「僕の部屋の1つ下の階にあるのが高等部3年の十条絃先輩、僕と同じ階にあるのは中等部2年の百鳥しずくさんです」
十条先輩が『謝っておきます』のほうだった。
それから、百鳥さんは『ここをひねるのがちょっと難しいです』。
だから、怪しいのはどちらかというと十条先輩のほう。
「2人は能力者なのかな?」
「十条家はこの学院の中でも一目置かれるほどの名門です。ただ、能力持ちの家系ではないはずです。百鳥さんは大地主です。本家はかなり山奥のほうで、かなりの箱入り娘だそうです。こちらの断定はできません」
「守くんの調査を信用すれば、十条先輩は的外れだけど、百鳥さんは可能性がありそうということになるね」
「はい」
でも、そうなると七倉さんのコメントから受ける印象とは逆になる。
今度は、百鳥さんが能力者だから鍵を開けようとしたときに『ここをひねるのがちょっと難しいです』と感じたことになる。そして、十条先輩の部屋の鍵を壊してしまったから『謝っておきます』と書いておいたのかな。
「この2人には会えないかな?」
「十条先輩にはお会いいただけます」
「百鳥さんには?」
「残念ながら。先輩がいらっしゃるので引き合わせたかったのですが、百鳥さんに会える生徒はいないのです。百鳥さんは先輩が想像するよりも遙かに箱入り娘です。なにしろ、授業も出ていないで専門の教師を付けてもらうことが殆どのようですから」
「そ……、それって相当な箱入り娘じゃないの?」
そもそも、守くんは箱入り娘と言っている。だから、百鳥さんは学校に登校するのが精神的に辛いとかそういった事情があるのではなくて、もともと学校に行かなかった子ということになる。
「はい。百鳥本家は人里からかなり離れた集落にあるので、周囲に同年代の子供はいなかったそうです。小学校は近隣の分校に通い、中学校からはこの寮に暮らしています。ただ、もともと人と会うことは苦手のようです」
「それでも七倉さんなら会えるね。たとえ部屋に籠もっていても、鍵さえ開けられるならチャンスがあるよ」
本当は七倉さんに尋ねたいところだけど、守くんの手前だからその提案はやめておいた。七倉さんの持ち物をなくしたなんて知られたくないだろうしね。
それに、百鳥さんが人と会うのを苦手としていると分かりきっているなら、百鳥さんの様子を秘密にしておきたいと考えるかもしれない。
さておき、僕は守くんに頼んで十条先輩の部屋を訪ねることに決めた。
守くんが事前に調べてくれていたので、すぐに案内してくれる。
年下だけど、頼りになるよなあ。
十条先輩の部屋は守くんの部屋がある階の1つ上。
ただし、守くんの部屋とは隣接していない。だから、床に穴を開けるなんて荒技はもちろん使えない。これは確認済み。もちろん僕たちもごくふつうに玄関から訪問している。
「はぁい」
声はすぐに聞こえたけれど、扉が開くのには時間が掛かった。
ひょっとしたら都合の悪い時間帯に訪ねちゃったのかな、と心配していたのだけど、僕はすぐにそれを杞憂だと知ることができた。
十条絃先輩は和服だった。
笑顔しか知らないような穏やかな表情のひとだった。
色は白い。このひともほとんど外に出ないのかもしれない。
華のような色の衣装に、ほとんど背丈の長さまで黒い髪が流れている。
以前、僕は七倉さんの和装を見たことがあるから、このときもそう驚いたわけではなかった。でも、十条先輩の和装は七倉さんの和装とは大きく違っていた。
七倉さんは時々和服姿になるだけのようだけど、十条先輩のそれはどう見ても普段着だった。そもそも、生地が高級品に過ぎて自由に動ける姿とは思えなかったし、履物も走れるようなものではなかった。
「あぁ――七倉の御曹司様――」
なんだかものすごく間延びしている。
この語尾の――だって、息が続くのか心配になるくらい声が漏れていた。
「お忙しいところありがとうございます。今日も尋ねたいことがあって伺いました」
「気忙しさなど――ありませんよ――またなにか――お困りですか――?」
「はい、姉の……七倉菜摘のことで」
「菜摘様とは――何度かお食事をご一緒しまして――とても可憐な方だと――好ましい方だと――感じました――」
うわああっ、話しにくい!
そりゃあ、僕だって話し上手とは言えないけれど、このゆっくりとしたテンポにだけはついて行けない! 今は隣に守くんが居て、七倉さんと同じような人当たりの良い雰囲気でたたずんでいるからいいけど、僕ひとりだったら焦れているところだよ!
「できましたら――高等部で吟詠か――お華か――雅楽を――ご一緒に楽しめたらと――思っておりましたのに――転学なされて――残念に思って――います」
「姉は家業の勉強に励まなければならなかったものですから」
十条先輩は2年も違うとはいえ七倉さんのことをよく覚えているようだった。ずっと笑顔のせいで表情の変化が乏しいけれど、七倉さんとは知人くらいの間柄ではありそうだ。
さすが七倉さん、どんな人とでもお付き合いできるんだ……。
十条先輩はスローモーションみたいな動きで僕のほうに顔を向けると、見た目ではほとんど判別できないような角度で小首をかしげた。
「ところで――こちらの――方は――?」
「家業でお世話になっている方です」
「七倉の――」
あ、この瞬間の笑顔だけは何を考えているか分かった。
僕が守くんといったいどういう関係にあるのか分からないから、守くんに質問しようか迷っている顔だ。
守くんも同じことに気づいたようで、僕の顔を見た。すぐさま首を横に振る。七倉さんの思い出話を聞きたい気持ちはあったけど、この人と話し始めたら夜中まで話が終わらない!