133, 七倉さんの暇つぶし
「どうですか」
守くんは期待しているような口調で言った。
守くんの部屋は僕の部屋よりもよほど片付いていた。中学生の部屋だとは思えないくらいに本ばかりある。洋書なんて何のために置いてあるのだろう。推理小説のたぐいがかろうじて親近感をつなぎとめてくれた。
とりあえず、ふかふかのソファに腰掛けておいた。飛び跳ねられそうなくらいふかふかしている。家具はひととおり揃っているし、システムキッチンまであるから、ひと家族くらいなら生活できそうな気がする。でも、それくらいだった。
まさか、このあたりからよくない気が……なんてインチキな霊媒師みたいなことも言えないので、僕は努めて正直に言った。
「分からないよ」
「そうですか」
守くんは特に気分を害したふうでもなく頷いた。さすがにここまで僕を期待しているわけじゃなかった。
「ものがよく無くなるっていうけれど、何が無くなるの?」
「それほど価値があるものではありません。ただ、共通点はあります」
「なんだろう?」
「姉の持ち物だったもの、ということです」
ああ、そこで僕が呼び出されるわけか。
「姉は去年までこの学院に通学していました。春先まではこの寮にも部屋を持っていたわけです。それで、進学にあたり寮を引き払うことになったのですが、荷物をすべて姉の部屋に移すのは手間でしたから、僕の部屋に置いているものもあるわけです」
守くんの部屋は、毎日居住しているわけではないという理由もあるけれども、さして多くの荷物は無かった。収納も僕の自宅よりもよっぽど多いから、ものの置き場所には苦労しなさそう。
「それで何が無くなったの?」
守くんは、とりあえず僕に待つよう言って、校長室に置いてあるみたいな大きな机の棚を開いた。校長室というよりも社長室かもしれない。守くんも商売人という雰囲気じゃないよなあ、と僕は全然関係ないことを考えた。
「先輩ならば驚かないような気はするのですが、念のため、姉には内証でよろしくお願いします」
守くんは僕の対面に座るなり、そんな不安になることを言った。七倉さんといえば、美人で賢くて名家のお嬢様のうえに僕のクラスメートという非の打ち所がない守くんのお姉さんだから、守くんの警告はものすごく困った。まずい、僕の七倉さんに抱いていたイメージが崩れるのはとても困る。
「あの、正直、僕は七倉さんのことを、綺麗で、頭がよくて、ちょっと変わったところもあるけれど、ほとんど完璧なひとだと思っているから、できればそういう七倉さんのままでいてほしい……です」
「そうですか。先輩ならたぶん大丈夫です」
「だ、大丈夫じゃなかったらどうなるの?」
「そのときは、僕が姉に叱られます」
それで済めば構わないけれど、七倉さんが怒るということはよっぽど見られたくないものに違いないのでますます心配だった。
「たとえばこのようなノートです」
七倉さんは案外に少女趣味ではないので、そのノートも小綺麗なことを除いては、僕が持っていてもおかしくないような既製品だった。安物ではないだろうけれど。100年くらいは保存できる紙でできていても僕は何も驚かない。
「中身が問題なの?」
「はい、ご覧になれば分かります」
「なんだか怖いなあ」
といっても開いてみないと何も始まらない。
僕は祈った。七倉さんのイメージに傷がつかない程度のサプライズでありますように。七倉さんのイメージは大切なんだ。なにせ七倉さんと話をするだけで1日のやる気が5割増しくらいになったような気がするんだから!
僕はノートを開いた。
「うわぁ……」
他人には見せちゃダメなものだった。
ただ、七倉さんのイメージは保たれるレベルのサプライズだった。
ノートに書いてあったものは、学院内の見取り図だった。といっても廊下や部屋の構造は厳密じゃない。七倉さんらしく丁寧に定規を使っているけれども、廊下の長さは短めだし階段やエレベーターのような構造物が強調されている。道案内をするために目印を強調したような地図だ。
でも、もっとも目につくものは各部屋の扉の配置だった。そこには七倉さんの筆跡でメモがとってある。
「これは?」
「姉が開けた鍵を開けるコツです」
「ああ……、だから『ここをひねるのがちょっと難しいです』とか書いてあるんだ。この『謝っておきます』っていうのは?」
「そこはたぶん勢い余って壊してしまったものかと」
七倉さんも勢いが余るんだ。
シュールだった。中学時代の七倉さんはノート一冊にわたって、この学生寮の扉のひとつひとつに設置されている鍵をつぶさに解説するという、いったい誰が得するんだろうと思わざるをえない一大著作物を完成させてしまっていた。もしこの大著が分かりやすい現代日本語で書かれていたなら、きっと悪い人たちの垂涎の的だったんだろうなあ、と思うくらいに精緻な代物だった。
でも、七倉さんの解説書はもし日本中の有名書店の店頭に並べたとしても、売れ残り返本不可避の逸品だった。ええと、古代シュメール文字による文学作品の解読をチャレンジしているのかな?
「鍵の構造図らしいです。全くそのように見えませんが、昔、姉が解説してくれたことがありますから、構造を表していることには違いありません。そのあみだくじ状の形に沿って集中して、目印のところで力を入れるのがコツらしいです。もっとも、ほとんど一瞬らしいです。よく分かりません」
七倉さんと同じくらいの能力をもつひとなら分かるのかなあ。
「どうですか? 先輩は分かりますか?」
「もし分かったら今日から僕も七倉家の仲間入りだと思う……」
当たり前だけれど、僕にもさっぱり分からなかった。僕だけでなくて、誰の目に触れたところで、分かる人がごく限られるのは確実だった。七倉さんがこの学院の構造を調べ上げて、怪しげなノートにまとめているという噂がたつことは避けられそうだった。だって、何をどうやっても読めないんだもん。
「常識の範疇にない力を基にしたノートですから、もはや暗号とすら呼べない記法になってしまったみたいです。幸いでした。もし、何らかの規則性が見つけられるようでしたら、悪用されるところです」
もし読めたら大問題だろうなあ……。寮内のセキュリティが完全攻略されているんだから。それにしても、七倉さんもなんて危険な代物を弟に押しつけていったんだ。
「このノートが無くなったの? 今はあるみたいだけれど」
「いえ」
守くんはさらにノートを取り出した。いま僕の手の中にあるものと似たようなノートだ。
「このノートは学院の建物1棟あたりにかならず1冊はあります」
「つまり、寮だけじゃなくて……」
「はい、校舎を調べたノートもあります」
七倉さんの著作物は危険物だらけだった。まず七倉さんはそれぞれの扉の研究を始めるために、人通りの少ない時間帯をチェックしたらしい。各出入り口の警備が手薄そうな時間がチェックされているのはアブなかった。それから、監視カメラの位置もメモされている。これはまあ、扉の前で怪しげな行動をとっているのをカメラで目撃されたら困るからだろう。アブない。
「中学時代の七倉さんはどうしちゃったの? 能力が暴走しているの?」
「いえ、よっぽど暇だったみたいです……」
なにせ閉鎖された学院での寮生活。麗しいお金持ちのお嬢様たちが繰り広げる平穏だけど退屈な午後。ごくフツーで平凡なエスタブリッシュメント(意味はよく分からないけど)との社交界。七倉さんはあまりにも退屈しすぎて欲望のままに鍵を開けまくっていた。要するに暇つぶしだった。