131, よくものが消える学院
本学院は国内最高レベルの専任・特任教員を集め、中学校と高校の一貫教育を行うだけでなく、生徒にエスタブリッシュメントにふさわしい紳士淑女たるふるまいを学ぶ機会を与えます。
また、提供する教育サーヴィスも、集団教育にとらわれません。生徒のレベル、性格、必要性、心身の状態によって、個別教育などの各人に合わせた方法を採ります。もちろん、保護者様の要望にはいつでも対応させて頂くよう、柔軟な運営を行っております。
守くんが通う中学のパンフレットより抜粋。
……いくらか予想していたとはいえ、守くんはお金持ちの子女が通う私立学校に通っていた。学院というだけでリッチな響きがする。遠目に見た校舎は、レンガで造られているんじゃないかと思うほど美しく装飾されている。本当のところは嵐が来ようと地震が来ようとびくともしない鉄筋コンクリート製なんだろうけれど、外面を凝っていることは確実だった。僕が通っている久良川高校とは大違い。
それに、パンフレットに書かれていた教育方針も違う。僕ですら見たことがある有名講師が並んでいる。クラスは20人以下の少人数に分けられているし、さらに少ない人数での授業にも対応しているらしい。そりゃあ、お金もかかって当然だ。
ついでに、ひょっとしたら守くんがこのパンフレットのどこかのページに載っていないかどうかを調べた。結果的に、守くんが写真を飾っていることはなかった。
けれども、守くんの容姿は、お姉さんである七倉さんと同じように整っているんだ。ひと目、見ただけで育ちの良さが分かる優しい瞳。髪は長髪というわけではないけれど、中学男子のわりには少し長めに伸ばしている。そのせいで、七倉さんに似ていて中性的な顔に見えるのだろう。声はいつも落ち着いていて、僕よりも少しだけ高く、比較にならないくらい澄んでいる。守くんが僕の高校に在籍していたら、制服の着用モデルに選出されること必定だ。
これで七倉さんという美人のお姉さんがいて、大金持ちなんだから世の中は不公平なんだけれど……今日は僕に頼み事があるらしい。守くんが僕に頼むことといえばひとつしかない。
正門で車から降りた僕は、守くんに気の済むまで質問している。守衛さんの目が意外と優しい。さすがに、ぴかぴかに磨かれた運転手付きの高級車から降りれば、不審人物とは見られないみたいだ。
「ここ、ひょっとして日本一学費が高い高校なんじゃないの?」
「いえ、もっと高い高校はいくつもあります。世間には医科高校もありますから」
「お医者さんになるための高校があるんだ」
「はい、それに比べれば安上がりです」
そう聞くと金銭感覚が麻痺しそうだ。
でも、実はこのパンフレットには、寄附金が1口1,000万円と書いてあるんだ。こういうお金持ちが通う学校の寄附は、寄附という言葉をつかっているけれども、実際のところは合格するために払わなくちゃいけないものだと聞いたことがある。しかも、たぶん1口だけじゃダメらしい。どんなに少なくても3口くらいは出さないと格好がつかない。たぶん5口か、10口、人によってはもっと多く。
ううん、せっかく守くんが気を遣ってくれているのだから、お金のことは気にしないように気をつけよう。でも、この見ただけで圧倒されてしまうこのお金持ぶりはどうしようもない。
寮は敷地内に併設されている。こちらも落ち着いた煉瓦色のアパートメントだった。コンドミニアムといったほうがいいのかな。エレベータはもちろん設置されているし、どう見てもセールスマンや勧誘が入り込めそうもない。絶対に受付で止められる。
「この寮も広い部屋なのかなあ」
「すぐにご覧になりますか」
「えっ、見学なんてできるの?」
「見学というよりも見物です。僕の部屋がありますから入れますよ。あいにくB棟ですけれど」
A棟を目にしたら僕はきょう自分の家に帰るだけで溜息をついてしまいそうだからB棟でも充分だ。
でも、この学院は久良川本町から通学できないほど離れているわけじゃない。それに、まだ中学生の守くんがひとり暮らしをしているとは聞いたことがなかった。
「守くんって寮住まいだったっけ?」
「ずっと寮にいるわけではないです。授業や課外活動で遅い時間になることがありますし、少しは見聞を広げた方がいいと父が言うものですから、平日だけは寮に泊まっています。
もちろん、屋敷に戻っていることも多いですから、一人暮らしというほど立派なものではありません。結局、一晩中学院にいるのは週に3日くらいです」
「へえ、羨ましいなあ」
要するに守くん専用の別荘みたいなものらしかった。庶民の僕から見ればものすごく贅沢な話だ。
意外なことだけれど、正門の受付で僕が止められることはなかった。守くんが守衛さんに声を掛けて、守衛さんがちらりと僕の顔を見てニコリと笑って頷いただけだった。
「これでいいの? ものすごく杜撰な気がするんだけど」
「来客は前もって説明しておけば構わない方針なんです。生徒のなかでも、ほとんど一人前の著名人みたいに活動しているひとがいますから」
エスタブリッシュメントさんの日常はよく分からない。そもそもエスタブリッシュメントってどういう意味なのか。なんとなく、学院パンフレットで使われている意味と、僕が七倉さん姉弟に抱いているイメージとは、かなり食い違っているような気がする。
寮にも初老の管理人さんが在駐していて、守くんが会釈すると同じように会釈を返してくれた。
「まずは先輩の気になるところをご覧になってください。ただ、今日僕が先輩をお呼びした理由だけ説明いたします」
「うん、力になれるようなことかどうか分からないけれど、とりあえず言ってみてよ。僕が好奇心で守くんの中学校を見学しているだけじゃ悪いからさ」
「ありがとうございます」
なんだか何もしないうちから感謝されてしまった。守くんが僕にものを頼むとすれば、常識では考えられない異能の力――七倉さんが持つような不思議な能力に関係することで、分からないことがあるということだ。
実は、お姉さんが強力な能力者だというのにもかかわらず、守くんは異能力を全く使えないし、ほとんど理解することもできないのだった。
もちろん、存在していることを知らないわけじゃない。あの神秘的な七倉さんが「鍵開け」の力をもつ、魔法使いのような存在だということは分かっている。だからこそ守くんは七倉さんのことを尊敬していた。
というよりも、中学生のわりにはシスコン気味だと思う。ふつうはあんなにも自分の姉の話をする弟はいない。
ただ、守くんは以前、僕にこう言ったことがある。
「先輩、僕は異能の力を目にすることはできますが、解釈することはできません」
守くんらしい真剣な声。それは今も同じだった。
「最近、よく物が消えるんです」