130,守くんとの暇つぶし
お久しぶりです。じつは筆者、このたび博士号を取りました。また余裕が増えてきたので小説も書いていきます。
「なつひめさまの物語はこのような話です。探せばまだまだあるとは思いますが、僕は鍵開けの力を持つ資格がありませんから、あまり多くを教えてもらっていません。詳しいことは姉に聞いてください」
遠い昔話から現実に引き戻された。隣で自動車のソファに行儀良く座っているのが守くんだった。七倉さんのたったひとりの弟。目元のあたりが七倉さんによく似ている。幼さとは違う、優しい顔立ちをしているけれども芯は通っている。
文化祭が近づいた10月だった。僕はある日の放課後、守くんにいきなり呼び出された。理由は「先輩の力を貸してください」とだけ。それで、恐ろしく値が張りそうな車に乗せられている。運転席は京香さんじゃなかった。楓さんの知り合いでもなさそうだ。
車内での守くんは不気味に静かだった。僕は守くんのことをあまりよく知らないけれど、目に見える態度からなんとなく分かる。
集中したいようだった。
いったい何の用事なのか尋ねたいのは山々だったけれど、守くんが喋り出してくれないと聞きようがない。七倉さんとのつきあいで少しは慣れたつもりだったけれど、僕はホンモノの名家のひとと気安くおつきあいできるような器量や気立ては持っていないんだから。
そんな気詰まりな状況で守くんが暇つぶしにしてくれた話が、なつひめさまの昔話だったというわけ。暇つぶしにはなったけれども、ちっとも気安くはなっていない。
守くんは真面目なんだろうなあ、と思う。七倉さんも真面目だけれど、七倉さんの比じゃない。肩が凝っちゃいそうだ。
「なつひめさまのこの物語の後に続く部分は、それほど珍しい展開ではありません。先輩は天照大神のお話をご存じですか?」
たしか、機嫌を損ねて洞窟のなかに隠れてしまったので、太陽も昇らなくなってしまったという話だ。太陽が昇らなくなってしまったら困るに決まっている。ええと、理由はなんだったっけ?
「弟が乱暴者だったそうです」
「じゃあ今の話とは反対なんだ」
「そうですね。というよりも、反対のことだったからこそ、今にまで伝わったのだと思います。七倉家の伝説ですから」
「伝説かあ……」
僕が祖父から伝え聞いた話も伝説なのかもしれない。魔法使いみたいな力をもつ女の子の存在も。
でも、守くんは能力を使うことができない。お姉さんである七倉さんはたぶん天才的な「鍵開け」の使い手なのに、立場は僕とあまり変わらないんだ。
「ところで、この話のなかには僕の名前の由来が出てきました」
「ああ、守くんのご先祖様だよね。守鍵さまだっけ」
「なんのひねりもありませんが、立場を表している名前だと思いませんか」
「うん、そう思う」
なんとなく守くんの言いたいことが見えてきたような気がした。たしか、守くんのお父さんやお祖父さんも「守」という文字が名前に入っていたはずだ。前に七倉さんの屋敷に呼ばれたときに見たような気もするし、新聞かテレビで見たような気がする。ふたりとも華々しい分野ではないけれど、立派な大企業の重役を務めている。
「和守と守安です。意味は……先輩が考えているとおりです。それ以外にありません」
「ひいおじいさんも、ひいひいおじいさんもそうなんだよね?」
「たまに違う場合もあります。後を継ぐと考えられていなかったり、早く亡くなったりして。でも、手続きを踏んだ者ならば、全員『守』が入ります」
「手続きかあ……やっぱり、旧家ならではの儀式があるの?」
僕は興味本位のような聞き方をした。僕の知るところでいえば、楓さんは儀式というには生ぬるいほどの徹底的な教育を受けたらしいので、「そういうもの」が残っているらしい。
だから、僕は守くんが僕の予想を上回るような答え方をしても動転しないように、心構えだけはしておいたんだ。
「いえ、僕は能力が使えませんし、姉や楓さんのようなしきたりはありません」
よかった。まだ現実的な回答が返ってきそう。
ただし、守くんは前を向いたままだった。
「ただ、守という名前は正式なものではありません。父も祖父も若い頃は守という名前でした。ひいおじいさんもその前のご先祖様も。いずれ、父に認められれば僕も正式な名前を貰えます」
「へえ、どんな名前か決まっているの?」
守くんは笑った。意外にも無邪気な笑顔だった。たぶんクラスメートの女子の何人かが本気で好きになっていそうな顔。
「守鍵です」
僕は守くんにその質問をしたことをちょっと後悔した。