13, 七倉家の伝説
僕のクラスメートの七倉さんは、この町きっての名家・七倉本家の長女だ。
七倉さんは肩に掛かるくらいに長い髪をもったとても綺麗なひとで、物腰が穏やかなところといい、いつも清楚な姿でいるところといい、その全てが僕と同い年とは思えないくらいに大人びている。
そのうえ、その目はいつもきらきらと輝いていて、僕が目にするのは楽しそうに笑っているところばかりだ。
背は平均よりも少し高めで、勉強はとてもできるしスポーツも苦手ではない。体つきだって女の子らしいスタイルの良さがある。
だから、七倉さんはクラスの中でもとても人気があって、ひそかに狙っている男子も多いみたいだ。ただ、七倉さんはれっきとしたお嬢様だったから、男子のなかでも話しかけられるひとはそう多くはなかった。むしろ、その数少ない男子の中に、僕が含まれているのが不思議なくらいだった。
その七倉さんには、憧れともいうべきお姉さんがいる。お姉さんといっても遠縁の親戚だ。そのひとは楓さんという名前で、僕たちが通う久良川高校の10年先輩にあたる。今でも、七倉さんは楓さんをとても尊敬していた。
それは楓さんが、七倉さんが持っている能力――触れただけで鍵を開けられるという、七倉の家に伝わる異能の力――を持っていた、いちばん年齢の近い女性だったからだ。
七倉さんは幼い頃、10歳も上の楓さんと話をすることが大好きだった。それは七倉の力を持つふたりだけができる会話で、七倉さんのような特別な能力者にとっては、本当に大切な相手だったらしい。
そんな楓さんが、もしかすると七倉さんに手紙を残しているかもしれない。
明確な根拠は何ひとつないのだけれど、実際に七倉さんはそう信じていて、放課後になるといつも校内を歩いて調べている。ある日、僕はそれが気になってこんなことを尋ねてみた。
「ひょっとすると、七倉さんは近くで能力が使われたり、使えそうになるとそれが分かるのかな?」
「そんなことはないとは思いますけど……、でもそうなのかもしれません。私自身にも説明のつかない直感のようなものが働くときがありますから」
僕には想像もつかないような感覚だけれど、七倉さんは相坂さんが能力者だということを自信を持って断言していたし、鍵を開けたひとが七倉家の人間がそうでないのかは分かると言っていた。
だから、楓さんがこの高校のどこかに七倉さんへの手紙を残しているかもしれないという七倉さんの話を、僕は信じることにしたんだ。
そうでなくても、僕は七倉さんにいつも助けてもらっている。だから、僕はその手助けがしたかったし、七倉さんと話をしているだけでも幸せな気分になれたから、僕には断る理由なんてなかった。
七倉さんが尊敬する楓さんは、七倉家の分家の出だ。といっても、七倉本家からは血縁的にも地理的にもずっと離れた、ごくふつうの家の出身だったらしい。
「でも、名字は七倉でしたから七倉の縁者だということは分かりましたし、本家から血が遠いというだけで、楓さんこそ七倉の能力を持つのにふさわしいひとでした。とても綺麗で、落ち着いたひとです。私の憧れでした」
僕は七倉さんよりも能力者としてふさわしいひとがいるとは思えなかったけれど、そんな七倉さんが尊敬するのだから、楓さんはたぶんとても心がきれいな人なんだろうな、とも思った。
「そういえば前に、楓さんは七倉家の倉の中に閉じ込められて能力が分かったわけじゃないって言っていたよね。どうやって能力があることが分かったの?」
「楓さんは小さい頃、マンションに住んでいました。ある日、幼い楓さんが眠っている間に、楓さんの両親は窓の鍵を掛けて外出したそうです」
「もうそれだけで分かるよ。楓さんは窓の鍵を外したんだ」
「はい。もっとも、窓の鍵はクレセント錠というステンレス製の簡単なものでしたから、小さい子供でも開けられないわけではありません。楓さんは窓から落ちたわけではありませんでしたが、両親は鍵を開けにくいものに換えたんです。でも、楓さんはその鍵も開けてしまいました」
それこそが七倉家の力だった。七倉本家から遠く離れた楓さんの家系で、久しぶりに七倉の力を受け継いだ子供が生まれた。ただ、あまりにも先代の能力者から期間が開きすぎたせいで、もうその能力の正体がいったい何なのかも分からなくなっていたらしい。
「それでも、楓さんのお祖父さんが七倉家の力のことをわずかに覚えていました。楓さんのお祖父さんの更にお祖父さん、高祖父の近親に七倉の力をもつ女性がいて、その話を聞いていたそうです。楓さんのお祖父さんは、親戚中に相談して、ようやく七倉本家に来ることになりました。私が生まれるよりも何年も前の話です」
七倉さんは七倉本家に生まれた80年ぶりの能力者だったけど、楓さんは先代から200年も離れた能力者だったらしい。それはもう気の遠くなるほどの時間の流れだったけれど、それでも、楓さんのことが心配になったお祖父さんは必死になって調べたそうだ。
「ほんの弱い能力しか持たなくて、能力のことが分からないまま何十年も過ごしてしまうひともいます。楓さんと先代能力者の間にも、きっとそんな女性が1人か2人いたんだと思います。楓さんの能力が分かったのは偶然が重なってのことでした。楓さんのお祖父さんが、能力者と直接会ったひとから話を聞いていたから覚えていたのでしょうね……」
ともかく、楓さんは七倉本家に来ることになった。
七倉さんが生まれる前だったので、当時の七倉本家には能力者はいなかったけれど、能力者に関する記録は残っていたし、他家に嫁いでいた七倉さんの曾祖父の妹さんが戻って来て、楓さんに能力のことを伝えることになった。
「楓さんは七倉の能力者としてはかなり強い力を持っていました。能力については私の曾祖父の妹……大叔母様に教わりました。先代能力者の最後の弟子といってもいいかもしれません。大叔母様は私が10歳になる前に亡くなりましたから、私にとっては楓さんが先生といっていいくらいです」
七倉さんの力の強さはかなりのものだ。
その気になれば自転車の鍵程度なら触れただけで開けられるし、意識すらせずに教室の扉を開けてしまうこともできる。七倉さんはそれを悩んでいるのだけれど、楓さんはきっと自分よりも悩んでいたはずだと七倉さんは言った。
「今日も見つかりませんでした。能力者も見つからずです。ごめんなさい」
「僕のことはいいよ。祖父の箱はいつか開くことは分かっているんだからさ」
七倉さんはとても素直なひとで、祖父の箱について進展がないことを言うたびにしょげていた。
僕はそんな状況をどうにかしたいとはずっと思っていたのだけれども、そんなふうに足踏みしている日々も突然に終わりを告げた。
***
突然のことだけれど、楓さんの手紙が見つかった。
それは僕が放課後に訪れる図書室での出来事で、僕がいつものように郷土史のコーナーの中から本を何冊か抜いて読んでいたときのことだ。
郷土史のコーナーには、高校生に人気があるような本は並んでいない。だから、本棚には何年も読まれないような本がたくさんあった。けれども、そうした本の中には、ときどき七倉さんのご先祖さまが出てくる。だから、僕は飽きるということがなかった。
まるで伝説か昔話の伝承のような不思議な話は、本の所々に出てきて、僕はなんとなくそれが能力者の手によるのかもしれないと思った。でも、能力者でもなんでもない僕には判別がつかなかった。
それでも、七倉さんの不思議な能力は郷土の歴史に必ずといっていいほどに顔を覗かせていた。もしかすると、七倉さんも将来この一ページに書き込まれるのかもしれない。そう思うと僕はこの本を繰る手が止まらなくなる。
それに、僕は思い出していた。祖父の書棚にこれと同じ本が並んでいたことを。
たしか、この本はまだ祖父母の家にあったはずだ。もしかしたら、祖父は僕と同じように、七倉さんのような異能の力を持つ一族のことを思い浮かべながらこうして本を読んでいたのかもしれない。
そして、楓さんの手紙はその本の半ばにあった。
その手紙は、挟まれているページにさえたどり着ければ誰にでも見つけられたはずだ。四つ折りになった便箋にはボールペンの字が透けて見えていて、誰がこのページを開いたとしても中身を確認するはずだった。僕は便箋を開いてすぐに七倉さんの名前を見つけ、すぐにそれが楓さんが書いたものだと結論づけた。
七倉さんが図書室に来たのは5時前で、七倉さんはいつもこの時間に図書室に来てくれる。
もっとも、七倉さんがどうして図書室に来るのかといえば、それは特に深い理由はないらしく、なんとなく今日の成果を僕に報告するのが日課になっていただけだ。
それから、僕の成果だとか、今日読んだ本だとか、最近オススメの本だとかを話した上で、「よろしければ途中まで一緒に帰りましょう」と言ってくれることもある。もちろんよほどの理由が無ければ僕は頷く。
けれども、今日は普段とは違って、七倉さんにとってはとても大切な報告だった。
「楓さんの手紙が見つかった……本当ですか!」
「うん。……ただ、内容は期待しているようなものとは違うかもしれない」
首をかしげる七倉さんに、僕はその手紙を手渡した。
七倉さんが読み始めた手紙には、こう書いてある。
『前略。十年後にこの手紙を読む菜摘へ。本来なら七倉本家のどこかにこの手紙を置けばよかったのだけど、菜摘の家と私の家はほとんど他人と言っていいくらい遠い親戚で、勝手に立ち入ることはできなかったの。それに、あなたはとても頭がいいけれど、まだ小学生だから私の言うことも分からないと思ったわ。でも、あと十年もしたら、菜摘はきっとこの高校に進学するはずです。だから、きっと十年後にも開かれずに、それでも本棚に残されているはずのこの本に、菜摘への手紙を残しておきます。
私は、菜摘に言わなければならないことがあるの。菜摘は賢いから、もしかしたら感づいていたのかもしれないわね。私は七倉の能力者ではありません。
菜摘は本家に八十年ぶりに生まれた能力者だった。先代の大叔母様は高齢で、菜摘が成長するまで生きていられないかもしれない。それで、遠縁の親戚である私が、菜摘の面倒を見るように頼まれて本家に来たの。本当は能力者で年の近い子供がいればよかったんだけど……子供の数が減っているから、見つからなかったのね。
はじめは、十一歳も下の子の面倒を見るなんて大変だと思ったけれど、菜摘はとても大人しくて手はかからなかったわ。私もとっても楽しかったもの。ただひとつ大変だったのは、菜摘に私も能力者だと思わせること。
それでも、まだ力の弱い菜摘をごまかすことは不可能ではなかったわ。そのために、できる限り難しい鍵を作ることが必要になったけれど、大叔母様と相談してなんとかしていたの。いつも菜摘からの手紙をはぐらかしていたけれど、それも、菜摘の質問にはどうしても答えられなかったから。
騙していてごめんなさい。あの力は菜摘だけの特別のもの。菜摘はそれを誇りに思ってね。ごめんなさい。そして、さようなら。』
読み終えた七倉さんは、当然だけど人目もはばからずに叫んだ。
「嘘です! こんなこと、絶対に嘘に決まっていますっ!」
七倉さんがそう言うのも無理はないと思う。
僕も手紙を読んでその内容の意外さに驚いた。それまで七倉さんが言っていた楓さんに関することを、全部ひっくり返すような内容だったからだ。
けれども、この手紙自体はおそらく本物だ。几帳面そうな達筆で、最後に「楓」という名前と10年近く前の日付が書かれている。七倉という言葉だけは避けられていたけれど、誰が誰に宛てて書いたのかは明らかだった。
「でも、楓さんの言うことは常識的にはそのとおりだよ。それに、七倉さんに黙って引っ越した理由の説明も、後ろめたかったからだってことで筋が通る」
そもそも、能力者の家系である七倉の血を引いているとしても、七倉さんのような能力者が生まれてくることは本当に珍しいことだった。現に、七倉本家では七倉さんは80年ぶりの使い手だ。
そんな七倉さんに能力の使い方を教えられるとしたら、なるべく年齢の近いひとがいいだろう。でも、この国では近年、生まれる子供の人数は減っていて、そんなに都合良く七倉さんと年の近い能力を持った子供なんて見つかるわけがないと思う。
「僕には、楓さんが本当に能力を使っていたのか分からないんだ。七倉さんの話を聞くと、鍵を掛けた箱をやりとりするくらいだし、楓さんが初めて能力を使った話では、窓の鍵を開けたっていうけれど、クレセント錠は内側から掛ける鍵で、七倉さんが鍵のない自転車のリング鍵を開けたことや、教室の鍵を外から開けたのとはわけが違うよ」
七倉さんは首を振った。
「分かっています。それでも、クレセント錠は、小さい子供が簡単に開けられるわけではありません。窓にしてもガラス戸にしても、子供にとっては高さがありすぎて、手が届かないからです」
「でも、よじ登って開けることはできるんじゃないかな」
「もしそうだとしても、掛け替えた鍵はどうやって開けられるんですか。クレセント錠よりも開けにくい鍵なら、きっと鍵穴の開いたもののはずです。子供の手では絶対に開けられないものでなければ意味がありません」
「でも、もしそれが作り話だったとしたら……」
「ありえません!」
七倉さんは強情なくらいに僕の主張を認めようとはしなかった。もちろん、僕だって、これまでに聞いた七倉さんの話と楓さんの手紙の内容があまりにも食い違っていることは分かっている。
けれども、七倉さんの話に楓さんの能力の話はそこまで具体的に出てきたわけではない。
それはきっと七倉さんがまだ幼かったので、あまり力が強くなかったせいだ。ひょっとすると、七倉さんと楓さんがやりとりしていた箱も、本当に先代の大叔母さんが開けていたかもしれない。今の七倉さんなら楓さんが開けていたと断言できるはずだけど、その頃は今ほどの自信はないはずだった。
それでもこの手紙を偽物だと言うのにはそれ相応の理由があって、七倉さんはまっすぐな瞳で僕に訴えかけてくる。
「私はこれが本物の手紙だとはとても思えません。だって、箱に入っていませんから」
「七倉さんは、楓さんの手紙が箱に入っているという確信があるんだ」
「私は箱に入っていない限りは信用しないつもりです。ずっと、そうしてきましたから」
「でも、もし楓さんが言うとおり、楓さんが能力者でなかったとしたら、箱に入れないことで七倉さんと決別するという意思を表しているかもしれないよ」
「その可能性も考えられます。でも、むしろ私を試すためにこんな書き方をしていて、本物が別にあることを示しているとは考えられませんか?」