129, あの方はわたくしの義兄になる方かもしれないな
「七倉の縁者ですか」
男が訊ねました。あまり力強さがなく、武辺者とは違って柔和な雰囲気を受けます。なつひめさまが好みそうな男なのかもしれません。
弟は答えました。
「幼き頃よりなつひめさまにお仕えしているのです」
さて、ここで弟は考えなければなりませんでした。まず、なつひめさまが捜している男は、この男で間違いはなさそうです。しかし、弟はどうにもこの男を試したくて仕方ないのでした。そもそも、この若い男がつまらない男であれば、なつひめさまに引き合わせたところでがっかりさせるだけです。
だから、弟は敢えて七倉家の中でもなつひめさまに近い立場にあることを主張したのでした。これなら、男も迂闊なことは言えません。
「祭りの夜、七倉の社に参られましたか」
弟は単刀直入に訊ねました。もし、男がなつひめさまに会ったのなら、このように村の外からひとが訪ねてきたことに、何かしらの感情を抱いているに違いありません。
「参りました」
「七倉のなつひめにお会いしましたか」
「お会いしたとして何を申されるのですか」
「なつひめさまは七倉の惣領、おいそれと人とはお会いにならぬし、お会いになれば相応の疑いを掛けられるのです」
「疑い」
もちろん、弟はなつひめさまが男に言われたことをあらかた知っています。なつひめさまの秘密を知っていた男のことです。あるいは他国の間者で、なつひめさまにあらぬ事を吹き込むつもりだったかもしれない。物事を知っているということは、そういうふうに疑われることもありえたのです。
男は少し考えた後、弟が思いもよらぬことを言いました。
「なつひめさまの側近、七倉の縁者ならば鬼のことはよくご存じであられるか」
「当然のこと。鬼のことも知らずして七倉の侍など名乗れぬ」
弟は受けて立ちました。質問に質問で返されたことは、このとき気になりませんでした。むしろ、男が下手な弁明などすれば、まず取るに当たらない男だと思えたことでしょう。でも、この挑戦は弟にとっては望むものです。男は知らないことでしょうが、なつひめさまの実の弟なのです。なつひめさまの家臣には少々弁の立つ若衆もおりましたが、ことなつひめさまに関することならば勝ります。
男は威儀を正して言いました。
「このあたりは見てのとおりの辺鄙な土地ゆえ鬼どもなど参りませぬ。しかし、古今、万葉の頃はさておき、鉄砲、大筒のごときもある今、鬼ごときが現れてひとが敗れるものか。ただ、南蛮より来たるという鬼を見たことがありますか」
弟は首を横に振りました。
「南蛮人ですか。わたくしはお会いしたことがありませぬが、なつひめさまは会ったことがあると」
「おお、さすがはなつひめさま」
男は目を輝かせて言いました。
「わたくしもひと目見たいものだ」
「南蛮人が何かいたしましたか」
「うん。南蛮人はいずこより来たるかご存じか」
「舟に乗りて遥か西の遠国から来たりと申します」
「思しきこと。では、七倉の城を襲うたという鬼どもはいずこより来たりや?」
弟は言葉に詰まりました。全く分からないというわけではないのです。しかし、弟は正確なことを知るには幼すぎました。それに、鬼どもの襲来はあまりにも恐ろしいことでしたので、深く聞くことは差し控えるべきだと考えていたのです。
「若き身、知らぬとも理あり」
「面目もございません」
「まあ、なつひめさまですら、鬼を討ち果たしたのは十五、六の頃でしたから」
しかし弟は反省しました。これは失敗だと思ったからです。七倉家の使いであれば、それくらいのことは知っておいてもよかったのです。
「其方は、鬼どもが海より来たりとお思いか」
「そうではないでしょう。七倉の城は海からは遠い地にあります」
「では鬼どもは山より下りてきたのか」
「いえ。この地には高き山は少なく、とはいえ、七倉の城は山々の上に築かれておりました。これよりも高きところからは下りては来れませぬ」
「七倉の村は海から遠く、山は低し。では、鬼どもはいずこより来たりや。また、なつひめさまが討った後、鬼どもはいずこへと消えた?」
弟は、なにひとつうまく答えるすべを持ちませんでした。
七倉城に攻めこんだ鬼は、あるとき突如として現れたのは確かです。ただ、なつひめさまが討ち果たした後のことなど、知る由もありませんでした。完全に滅亡させたことは確かです。そうでなければ、未だに争っているか、和睦しているかのいずれかでしょう。
弟は、鬼を討ち果たした後の事情には詳しいのです。しかし、鬼と直接戦ったときのことは知りません。ただ、それはこの男も同じはずでした。それなら、弟は敢えて知りもしないことを憶測で言う必要はありません。
ただ、この男は弟にはまるで見えないものが見えているかのようでした。
「もし、ひとを操るすべを持った者どもが幾千も居るならば、七倉の城、村々、ただちに攻め滅ぼされるのみならず、この国またたく間に鬼どものの手に帰せり」
「それはそうでしょう」
なつひめさまは、ひとを操るという恐ろしい能力を抑えたからこそ、七倉家の絶対的な当主なのです。だからこそ、城を落とされ、戦に敗れたときも、後に七倉城に戻り、恩賞を分け与えたときも、誰も謀反を起こそうとは考えなかったのです。
「では、なぜ七倉のみが城を落とされたのか。勢力を持たず、他国よりの援軍もなく、盟約もなく、一夜にして七倉の者を操りて城を落とし、また一夜にしてなつひめさまのお力により消えた鬼とは何者か?
されば、鬼どもとは、七倉の家にのみ災いをもたらすものではないか。七倉の家にとり、鬼とは不倶戴天の仇であり、鬼にとり、七倉の家とは仇ではなかったか。
――七倉一族は、他の一族とは異なり、ただならぬ力をもつのではないか」
一息に言い切って、男は言葉を句切りました。
弟は驚くばかりで、言葉を忘れていました。思えば、七倉を討ち滅ぼしたという鬼の話は、常識からすれば不自然なところばかりなのです。なぜそのような不自然なところが生まれるかといえば、七倉家には秘密があるからなのです。
「なつひめさまに申し上げたのは、そういうことです」
もはや、弟にこの男を試そうという気持ちはなくなっていました。突如として現れ、消えていった鬼の存在。それをたったひとりで抑えた七倉のなつ姫。それらを全て理解することができる男は、なつひめさまと同じであることは疑いもなかったのです。
弟は、いつもなつひめさまにしているのと同じように平服してしまいそうになります。でも、このときの弟は七倉家の遣いでしたから、迂闊にもそのようなことはしません。ただ、小さく頭を下げて教えを請いました。
「お教えくだされ。なぜ、其方様はわたくしどもの秘密をご存じなのですか」
「今は亡き祖父の教えです」
弟は男に、急に訪ねたことを詫びて、家を後にしました。
おそらく、男の言ったことは真実なのだろうと思いました。そして、弟は自分が幼かったとはいえ、自分の姉の能力がどんな意味を持つかを、全く分かっていないことを思い知らされました。
そのうえ、男はなつひめさまとは違い、ごくふつうの人間なのです。なつひめさまが、このような異能力のことを見誤ることなどありえません。しかし、なつひめさまのように不思議なちからをつかうことができなくとも、異能力のことをよく知っているひとがいるものなのです。
昔、いまほど大きな町がなく、田畑ばかりが広がる時代には、いま会った男のような者に会えることは、めったにないことでした。なつひめさまは会ったこともあるでしょうが、弟がこのような男に会うことは初めてでした。そして、なつひめさまの実の弟である自分が分からないことを、いともたやすく言い当ててしまう男に、たいへん驚いたのです。
「さすがは姉上、これは大名のぼんくら息子や、ただの金持ちとはわけがちがう。わたくしも身なりを整え、礼を尽くさねば追い返されてしまうぞ」
弟が抱いた思いはこのようなことです。
さらに、このように考えました。
「あの方はわたくしの義兄になる方かもしれないな」