12, 相坂しとらは死ぬほど可愛い
うわ恥ずかしい!
誰が言ったのか分からないけれど、こんなことを本人の聞こえるところで言ったヤツがいるという事実に頭を抱えたくなる。きっとこんなことを言ってのけた男子は、頭がどうかしているに違いない。
言っている僕も顔が熱い。でもそれは僕だけじゃなかった。さっきまで無表情か怒り顔しか見せていなかった相坂さんの顔が、一瞬にして真っ赤に染まっていた。
「かっ……かわっ……」
実際、相坂さんはとても可愛い。
小柄で、男子からしたら守りたくなるような華奢な体型、少しだけつり目だけれど、それがかえってアクセントになっている顔、冷たくても心地良い鈴の音色を思わせる声。
悩殺とかいう言葉を思い出す。ぴったりまでとはいえないけれど、こんな相坂さんの笑顔を見たら、脳回路のヒューズが1本2本吹っ飛んでしまうのかもしれない。
だから信じられる。僕でさえこう感じるんだ。
「相坂さんは可愛い。僕は笑顔なんて見たことがないけれど、きっと死ぬほど可愛いんだと思う。そう思うヤツはたくさんいたんだと思うんだ。たぶん、何人も、何度も告白されるくらいに。相坂さんはそれを自覚していたはずだ。可愛い女の子が自分の可愛さに気づいていないはずがない。よっぽど鈍感でもない限り。たとえ相坂さんが、他人と関わり合いになりたくないと思っていたとしても。だから相坂さんはこう信じることができる。男を殺せるくらいに自分が可愛いって」
僕は自分がどんな顔をすれば良いのか分からなくなりそうだった。誰が言ったのかは知らないけれど、なんで僕がこんなことを相坂さんに宣言しないといけないのか。
けれども、本当に文句を言いたいのは、目の前にいる相坂さん自身に違いなかった。
「わっ、わたしは可愛くなんかないのです……」
相坂さんはますます俯いて、悔しそうに唇を噛んでいる。
僕はその姿を見て、どこか安心した気持ちになった。
「相坂さんはとても強い能力者なんだと思う。命令することさえできればあらゆることを可能にするのかもしれない。けれども、思考自体はとても常識的なんだ。とてもその能力を使って人を殺した経験なんてあるわけがない。だいたい、そんな危険人物がこんなふつうの高校で日常を送っているわけがない。だったら、殺したというほうが間違っているか、なにか別の解釈をしているに決まっているよ」
それなら、相坂さんは自分の一番か二番に自信のある能力を自信の根拠にするに違いない。それも、相手の心をどうにかしてしまえるほどの。
「まあ、だからって、初対面の相手に手を握るなんてやりすぎだと思うけれどね」
「それは……、ただのあてつけのつもりだったのですっ!」
誰へのあてつけかは言わないでも分かる。七倉さんだろう。どうして相坂さんが七倉さんのことを嫌っているのか、その理由はよく分からないのだけど、とりあえずはこう言っておくべきなんだろう。
「べつに僕の手を握ったからって、七倉さんにケンカを売ることにはならないと思うよ」
相坂さんはなおも何か言おうとしたみたいだったけれど、首を振ってそれ以上何か反論しようとは思わなかったみたいだ。
「まあ……なんにしても相坂さんが人殺しなんかじゃなくてよかったよ。それさえ分かれば、僕が相坂さんに聞きたいことなんてたいしたことじゃないんだよ」
「司聡太が、わたしに聞きたいこと……ですか?」
「うん、実は僕の祖父からの形見で、開けられない箱があるんだ。それを開けてもらおうと思って、ずっと相坂さんと話がしたかったわけ。聞いてもらえなかったけれどね」
「そ、それならそうと言ってほしかったのです。私はてっきり、七倉菜摘にわたしの能力について、悪いことを言われたと思ったのです。そう思わざるをえなかったのです……」
「七倉さんはそんなひとじゃないよ。単純に、相坂さんのことを心配していただけみたいだよ。相坂さんの能力をとりあげて騒ぎ立てようとしたり、日常を壊したりするようなひとじゃないよ」
「司聡太がそう言うのなら、信じざるをえないのです」
そういえば、気がつけば僕と相坂さんはごくふつうの階段の踊り場で向かい合って話していた。僕は手近な手すりにもたれかかった。どっと疲れが出て、座り込んでしまいたいくらいだ。
相坂さんはそんな僕の様子をどう思ったのか分からないけれど、普段よりもずっととっつきやすい雰囲気で、僕のことを観察していた。
相坂さんは僕のことを上目遣いに見つめてくる。ちょっと目が潤んでいて、それだけでたいていの男子は恋に落ちてしまいそうになるのだけれど、僕はギリギリ踏みとどまってもう一度頷いた。
「もう見破られてしまったのですから、司聡太の言うことは聞かなければならないのです」
「いや、見破ったといっても誰にでも分かることだよ。相坂さんのことは男子のみんなが褒めているし」
「そうではないのです。わたしの能力が、わたしの解釈にあるということを見破ったことを言っているのです。命令形はその結果に過ぎないのです。ただ、申し訳ないのですが、わたしにはきっとその箱を開けることはできないのです。わたしの能力は人間相手でないと通用しなくて、しかも男のひとでないとうまく働かないのです」
それは予想していた答えでもあったから、僕はそれほど落胆することはなかった。
相坂さんの能力では、自分の解釈したとおりに相手を誘導できれば、相手に様々な命令を下すことができる。
その能力は一見万能に見えるけれど、一種の暗示みたいなものだ。僕が異世界に放り込まれたように思ったのも、完全に相坂さんに圧倒されていたからだ。
でも、そういう能力は、祖父の箱を開けるような、現実に存在する物体に作用することには向いていないようだった。
「そうなんだ。でも、いいよ。祖父の箱を開けられる能力者は、また捜せばいいんだし」
「司聡太はとても優しいのですね。それに、わたしの能力を知っても全然怖がらないのです」
「そんなことないよ。すごく驚いたし、また使われたらどうしようかと思っているよ」
「……もう使わないのです」
「えっ?」
僕が聞き返すと、相坂さんはちょっとだけむきになったような目で僕を睨みつけた。何かを決意したような目。
「司聡太にはこの能力はもう使わないのです。いえ、使ってはならないのですっ」
相坂さんはそう宣言してから、その目を伏せた。髪が揺れて、わずかに良い香りが漂ってくる。相坂さんは頭を下げていた。
「だから許してください。ごめんなさい、と謝らなければならないのです」
相坂さんが謝るなんてことは僕の予想の範疇を超えていて、思わず僕のほうがうろたえてしまうくらいだった。
誰かが通りがかったら誤解されてしまいそうだ。もっとも、シチュエーション的には僕が相坂さんに告白してゴメンナサイされているようにしか見えないんだけどさ。
「い、いや、べつに謝らなくてもいいよ。もし本当に殺されかけたんだったら、慰謝料のひとつでも要求したかもしれないけど、僕は危ない目に遭うなんて思っていなかったんだよ。だから別に謝る必要なんてないんだ」
「それでも……わたしはこうしなければならないのですよ。だって、わたしの言葉は魔法みたいなものなのですから」
僕ははっとして、相坂さんが頭をあげるまで何も言わないでいるほかなかった。相坂しとらが能力を持っていて、僕が多かれ少なかれその影響を受けているのは事実だった。いま相坂さんはそれを解こうとしていて、そのために、僕に対して一生懸命に謝ろうとしているのだということがわかった。
「でも、本当に何の警戒もなしに来てしまうのですね。わたしは本当に強い力を持っているのですから、もっと用心しなければならないのです」
その言葉に僕は吹き出してしまいそうになって、相坂さんのしかめっ面を見ることになってしまった。相坂さんは僕がいる方向とは反対側に駆けだして、さっき対峙していたときと同じように、すこし離れた場所で立ち止まると振り返った。
「その様子では、どうせそのお人好しで痛い目をみるときがきますっ! いずれ大怪我のひとつやふたつくらいは負わなければならない日がきて、泣くことになりますよっ」
当然だけど、僕はその言葉に命令形が含まれていることに気がついて、思わず文句を言ってしまいそうになる。けれども、そんな僕の様子を見て取った相坂さんは、小さく舌を出してこう言った。
「いまのは能力でもなんでもありませんっ。わたしだって、自分の能力くらいコントロールできるんですから! これでも能力者なんですよっ。いまのはあなたみたいに油断しているのをからかっただけなのです」
それから逃げるように相坂さんが走り去る。
けれども、そうしようとして相坂さんは思い出したように駆け出すのをやめて、また僕のほうを振り返った。
「そうだ、これも言っておかなければいけないです」
透き通るような双眸が僕から逸らされる。けれど、そうはならなかった。
ただ、躊躇していることはわかる。それから、相坂さんは聞き逃してしまいそうになるほどの小さな声でこう言った。
「ありがとう、司聡太」
そして僕は見た。
相坂さんの、本当の笑顔を。
僕はそれで危うく殺されかけそうになる。そんなふうに、通り魔みたいなことをやってのけて、相坂さんは走り去ってしまう。言葉ひとつでなんでも命令してしまえる能力者が。
相坂しとらの殺人容疑は、これで晴れた。
***
相坂さんとの顛末は、その次の日に七倉さんに話した。
七倉さんは、僕が相坂さんの能力について話すのにひとしきり感心してから、結局、それでは箱が開けられなさそうなことを知って、少し残念そうな表情をした。
「相坂さんの能力ではダメだったんですね」
「一応、こんど試してもらおうと思っているけど、多分開かないと思う。でも、相坂さんの能力が危険なものじゃなくてよかったよ」
「そうですね……」
僕と七倉さんは同じクラスに所属しているから、もちろん昼休みや授業の合間に話をすることもあるのだけれど、それでも放課後にお互いの捜し物について話をすることが日課だった。
だから、だいたいの日で帰りは部活動の終わりの時間くらいに遅くなってしまう。いつもは運動部や吹奏楽部のように練習の厳しい部活に所属しているクラスメートに会うのだけど、この日は、意外にも昇降口で河原崎くんに出会った。
「よう、司。随分遅い時間まで学校にいるんだな」
「あれ、河原崎くんこそどうしてこんなに遅く残ってるの?」
河原崎くんはいつもと同じように口元だけで笑みを浮かべた。
「俺はコンピュータ研究会所属だぜ」
「そうだったんだ」
たしかに、河原崎くんは電子機器に詳しくて、いわゆるオタクの正道を行っているのかもしれなかった。河原崎くんの知識量は単なる趣味の領域を超えていて、僕にはよく分からないくらいだ。
けれども、僕は河原崎くんが部活動に所属していたことを知らなかった。
「ウチの研究会にはツテとコネがあってな、入学初日から普通に参加していたんだよ」
「そうなんだ。それにしてもコンピュータ部じゃなくて研究会なんだ。なんだか変わってるよね」
「ウチの研究会はレベルが高いのさ」
僕は河原崎くんがアヤしげな集団に所属していることは理解したけれど、それ以上深くは聞かないことにした。どうして初日から参加できたのか疑問だし、ウチの高校の部活動に繋がりがあったのかも気になるけど。
けれども、七倉さんは僕よりももっと気になることがあったみたいだ。
「あの」
七倉さんは河原崎くんに声を掛けてから、深々と頭を下げた。
「こんにちは、七倉菜摘と申します」
「知ってる。有名人だからな」
「そうでしたか。司くんのお友達に知ってもらえるなんて光栄です」
河原崎くんはそれにとても無愛想に答えただけで、「じゃあな」とだけ言ってひとりで帰ってしまった。ひょっとしたら気を遣ってくれたのかもしれない。
七倉さんといえば、首を傾げて河原崎くんの後ろ姿を見送っている。それから僕のほうを見てこんなことを言った。
「河原崎さんは何かの能力者なのですか?」
「ううん、普通の友達だよ。……でも、ひょっとして何かの能力持ちなの?」
「そんな気がしたのですが、どうでしょう」
どうでしょうと聞かれても、僕には河原崎くんが異能持ちだなんて判別がつかないし、もちろん本人からそんなことを聞いてもいなかった。
七倉さんはなおも首を傾げて考えていたみたいだけど、結局結論がでなくて、もう一度だけこんなふうに言った。
「やっぱり、司くんは不思議なひとです」
僕には不思議なところなんてないと思うのだけど。