101, 3人の自分
御子神さんが手放した刺繍入りの御守りを、こんどは相坂さんが手に取った。
見た目はごくふつうだけれど、この神社の御守りは「アタリ」なんだ。そこには異能の力を無効化できる呪力が秘められている。
「所詮は御守り程度、と言わなければならないです」
「そうなの?」
「でも充分です」
御子神さんも僕も、次に相坂さんがどんな行動をとるのかを注目していた。まるでお祭りの最中の喧噪なんか忘れて、神域に踏み入れたようにも感じた。
でも、相坂さんがやったことは、案外とっても乱暴なことだったんだ。
相坂さんはその御守りで僕の頭を叩いた。
「痛てっ」
もちろん、御守りは手の中に納めてしまえるほどの大きさしかなかったから、それは痛みというほどの衝撃ですらなかった。単に、僕がとてもびっくりしたというだけのことだった。
けれども、どうやら僕のなかにいた彼女は、僕よりもずっと驚いたみたいだった。
『痛いっ!』
女の子の声。
僕はすぐに声の元をたどって、その犯人が誰なのかを確かめようとした。でも、不思議なことに僕たちの周りには3人以外の誰もいなくて、声の主らしきひとを見つけ出すことはできなかった。
もっとも、僕はその声に聞き覚えがあるような気がした。
「志野原さん?」
「聡太くんのお友達?」
御子神さんが首を傾げて、僕は頷いた。
***
「痛いっ!」
私は思わぬ衝撃をつむじのあたりに感じて飛び起きました。どうやらすっかり寝入っていたみたいです。志野原美涼、と書かれた模試の成績表が目の前に映りました。学習机の上でそれを開封して、その成績が思ったよりも良かったことにちょっと喜んで、それで居眠りをしてしまったみたいです。
今日は休日だというのに夕方まで予備校に通っていたので、ちょっと疲れていたみたいでした。外はすっかり暗くなっていて、開け放していた窓から涼しい風が流れ込んでいます。このあたりは司君が暮らしている町――ええと、久良川町と言ったと思います――よりもずっと早く秋が来てしまいます。
いつもの、思い出の能力でした。
私はほんの少しだけ不思議なチカラを持っています。それは他人の思い出――過去の記憶を覗き見ることができるという能力です。誰に対してもというわけではないのですが、他人の記憶の奥深くに刻みつけられたものを追体験することができます。
それで、今日は司君の思い出を見ていたみたいです。
ちょっとだけ、私の能力を詳しく話させてください。
まず、私の能力を使うとき、対象になったひと――今日は司君の中に、3つの人格が現れるんです。そのことに気づいたでしょうか?
ひとつは、もちろん高校生になってお祭りを楽しんでいる司君。
もうひとつは、当然ですが私、志野原美涼。
そして最後のひとつが、まだ幼い司君がお祭りに来ていた姿です。
3つの人格がないことには、思い出を見ることは叶わないですし、逆に3つもの人格が成り立つのは私のような能力じゃないとダメだってことが分かると思います。もし心や行動を操ってしまうのなら、そこには抵抗する人格が存在するか、あるいは一つ目の司君の人格が消えちゃいます。
もちろん、私のチカラはそんなにコワいものじゃないんです。
それで、私は司君の思い出を見ていました。でも、司君はその思い出のことは忘れているんです。私たちの記憶のほとんどは、うまく整理されて重要度が低いものは思い出しにくくなるんです。
それでも、本人が忘れてしまっている記憶を引き出してしまうのが、私の異能の力です。私だけが友達の言ったことをいつまでも覚えていたり、司君の携帯電話の番号をいつの間にか知っているのも、記憶の隙間を縫っているからなんです。
けれども、私はとても意外でした。
司君が久良川町の出身だということは、ある程度は知っていました。司君は転勤を繰り返していたけど、お父さんもお祖父さんも久良川の出身です。それなら、司君自身が小さい頃に久良川にいたとしても不思議じゃありません。
ただ、司君が相坂さんと幼い頃に出会っていたということは意外でした。ふたりとも忘れていたみたいだし、そもそもお互いの名前も知らなかったみたいです。
もちろん、私はふたりの顔も名前も分かります。でも、それは私の人格が理解しているだけで、幼い日の司君は理解していなかったです。だって、あれはお祭りの日に偶然迷子になってしまったふたりが出会ったというお話だったのですから。
「あーあ、いいなぁ」
私は伸びをして、それから天井を見上げました。
司君の思い出を見ると、私はいつも2年前のことを思い出します。
なんとなく不思議な雰囲気は感じていたんです。司君はごくフツーの、目立たない男の子だったけれど、どこか特別でした。もっと話しかけておくべきでした。私は中学校のクラスで学級委員なんてものを務めていましたが、今思えば、そのせいで司君にちっとも近づけなくなっちゃいました。
そのうえ、やっと高校生になったと思ったら、司君はお祖父さんの跡継ぎになっていて……
「しかも、ライバルが相坂しとらさんってどういうことなんですか!」
私は本棚に差してある雑誌を広げました。そこには、さっきまで目の前にいた、相坂しとらさんの成長した姿――可愛らしい流行の服を着て、ポーズをとっている相坂しとらさんのモデル姿が映っています。
小柄だけど可愛くて、瞳の奥に何か秘密を抱えているミステリアスな女の子。
それは当然です。相坂しとらさんは、男のひとを魅了するホンモノの異能の使い手なんですから!
たしかに、高校生になった相坂しとらさんは、あまり人前では笑わないけれど。
でも、小さい頃、司君と手を繋いであどけない笑顔を見せるその姿は、司君を虜にしてしまうのに充分な可憐さがあるんです。
そんな女の子が相手になってしまうなんて、とっても分が悪いこと。
ただでさえ、私たちの能力のことを分かってくれるひとが少ないのに、競争になっちゃうなんて、私は2年前の自分に出会って、お説教をしてあげたいような気分です。
「相手が強すぎるよぅ。せめてもっと近くにいないと……」
私は机の上で突っ伏しながら、司君の思い出のことをノートに書き起こしておきました。