100, 御子神さんのアルバイト
僕たちはどうにか社務所にたどり着くことができた。問題は社務所がお祭りの準備や運営活動のせいで忙しくて、御守りなんて売ってくれないんじゃないかということだった。
けれども、久良川惣社は僕が思っているよりもずっと商売っ気があるらしく、意外にも社務所は通常営業していた。社務所ではあるけれど、お祭りの運営本部はここにはないらしかった。それで、境内に並んでいる屋台よりもずっと人数は少なかった。
もちろん、こんなお祭りの日にわざわざ御守りを買い求めるひとなんてそう多くないだろうということは簡単に想像できたけれど、それでもアルバイトの巫女さんを雇って僕たちのような妙な客を待ち受けてくれていたんだ。
ところで、僕がどうして社務所につとめている巫女さんがアルバイトだと分かったのかにはちゃんとした理由があった。巫女装束に身を包み、あんまり神社らしい神秘性が感じられない営業スマイルで窓口に座っていたのは御子神さんだったんだ。
御子神さんは僕と相坂さんの姿を見つけると、窓口の奥から顔を出して叫んだ。
「聡太くん、いらっしゃいませ!」
「御子神さん、何をやっているの?」
「アルバイトだよ!」
もちろん、それは見て分かったことなんだけれど、窓口には御子神さん以外につとめているアルバイトのひとはいなかった。もちろん、社務所の奥や本殿のほうには人がいるのだろうけれど、たった一口のアルバイトを御子神さんが射止めたんだろうか?
「でも、御子神さんの家ってこの辺りじゃなかったよね。わざわざアルバイトの募集を探して応募したの?」
御子神さんは首を振った。そうすると、白い巫女装束に御子神さんのポニーテールはとてもよく似合っているように感じられた。
「私、いま夏休みだからお祖父ちゃんの家にいるの。この近所なんだよ!」
「そうなんだ、知らなかった」
御子神さんは僕の耳を貸すように手招きしてから、わざとらしい小声で囁いた。
「だって、お祖父ちゃんは鍵掛けの能力者だもん。七倉さんの家の近所なんだよ」
そういうことなんだ、と思った。
御子神さんは母方から能力者の血を受け継いでいる。「かける」ことを得意とする倉橋家出身のお母さんから、御子神さんもまたその能力を継いでいる。だから、いま御子神さんが帰省しているのは、倉橋家のお祖父ちゃんの家ということみたいだ。
そういえば、僕は前に聞いた倉橋家の一族の話を思い出した。倉橋家には主な家がいくつかある。東、西、川西、門前、惣社、本町、新町……。
ひょっとしたら、御子神のお母さんさんは惣社倉橋家の出身なのかもしれない。もっとも、倉橋の家はとてもたくさんの家に分かれているので、他の流れの子孫が、たまたま今この惣社の近くに住んでいるというだけのことかもしれないけれど。
「それで、近所に住んでいるから今年は巫女さんのアルバイトをしないかって話が来たの。だからお祭りの時期までお祖父ちゃんの家にいるわけでもあるんだけど! このお祭りが終わったら家に帰るつもり」
それから御子神さんはまた声を落とした。
「巫女のアルバイトは、こっそり能力者の家系を優先に選んでいるみたい。どうしても見つけられない時や、能力が使えないひとがどうしてもやりたいって言い出したときは諦めるみたいなんだけどねっ」
「そうなんだ、知らなかった」
「内緒だよ、内緒」
御子神さんは口元に人差し指をやってウインクした。やっぱり、この神社は他の神社とはすこし違うのかもしれない。能力者とともにある町、その中でも神社は昔から久良川の中心部に建っていたのだと思う。
それに、七倉さんの家のすぐ近所でもあるわけだし、調べてみれば面白い歴史が隠されているのかもしれなかった。
「相坂さんもお祭りに来たんだねっ」
御子神さんは僕の後ろを覗き込むようにした。どうしてそんなふうに見たのかといえば、いつの間にか相坂さんが僕の背中の後ろに隠れて、まるで御子神さんと僕との会話になんて興味がないかのように素知らぬ顔をしていた。
相坂さんはさっきまで上機嫌だったことが嘘みたいに、ぶっきらぼうに言った。
「暇だったからです」
「いいなあ、私も聡太くんと一緒にお祭りで遊びたかった! あ、でもまた今度お祭りがあるから一緒に行こうよっ、ねっ」
僕は御子神さんが次々挙げるお祭りが、どこで開催されるんだっけ、なんてことを考えながら相坂さんの様子を窺った。
相坂さんが溜息をついたような気がする。
「御守りをひとつ、買わなければならないのです」
「おまもり? どうかしたの?」
「なんだか、僕に誰かが能力を使っているみたいなんだって」
御子神さんは「へえっ!」と言って僕の顔をくりくりした目で見つめたり、角度を変えて観察したり、腕組みして大げさに唸ってみたりした。
「だめ、ちっとも分からないっ」
「当然です」
相坂さんが僕にしか聞こえないくらいの声で呟いた。もちろん、それは御子神さんを馬鹿にするつもりで言ったわけではなくて、相坂さんは自信があるということだった。
僕は社務所の陳列棚に置かれた御守りを見比べながら聞いた。
「それで、この神社の御守りは能力を祓うことができるって聞いたんだけど……」
「そうだよっ! といっても、べつに数年分の妖力を込めて編んだ護符……みたいなスゴいアイテムじゃないから、どんな強力な異能のちからでも跳ね返せるものじゃないんだけどね」
「妖力?」
「あ、それは喩えっ。本当はお祈りくらいはするみたいだけど!」
どの御守りにすればいいんだろう。まさか学業成就だとか安産祈願だとか書いてある御守りだとは思えない。ということは、刺繍が入っている昔からある御守りなんだろうけれど……。
僕が考えていると、傍らから細い腕が伸びて僕と御子神さんの間に御守りが置かれた。
「これを貰います」
相坂さんが御子神さんに目を合わせないようにしながら、ひとつの御守りを差し出していた。それは僕が探していた御守りのひとつだったけれど、相坂さんが選んだのは、御守りの束の中ほどから意図して引き抜いたものだった。
御子神さんはそれを見て、いくつもある御守りとを見比べた。
「うん……違うのかな、これって」
御子神さんは五百円硬貨を受け取りながら、相坂さんに尋ねた。相坂さんは御子神さんと仲が悪いわけではないけれど、他のみんなにするのと同じように目を合わせないまま断言した。
「気にするほどの差ではない、と言わなければならないです」
つまりは、ほんの少しだけれど違いがあるということだった。もちろん、僕には違いなんて分からない。でも、相坂さんがわざわざそれを選んだということは、それでなければならないという理由があるみたいだった。
御子神さんはまた気むずかしい顔を意図的に作って、それからおどけて肩をすくめた。
「だめっ、やっぱりこういうの苦手!」