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僕は祖父の後継者に選ばれました。  作者: きのしたえいと
2, 相坂しとらの殺人容疑
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10, 僕と七倉さんの推理

「いっ……たた……」


 目が覚めたとき、僕は腕に擦り傷を負わされているのに気がついた。

 教室はいつものとおり雑然とした様子で座席が並んでいて、当然だけれど窓ガラスが散乱しているなんてことはなかった。いつもの風景。4時を過ぎて、吹奏楽部のトランペットの音だけが聞こえる、夕焼けの教室。

 けれども、僕は相坂さんの席の前でへたりこんでいて、理屈のつかない怪我が増えていた。


「なるほど、こういうことなんだ……」

「どういうことなんでしょうか?」


 ひとりごとで言ったつもりの言葉に返事が返ってきた。それだけでも僕は背筋を振るわせてしまう。

 ううん、やっぱりさっきの経験はあまり良い思い出にはなりそうにない。恐怖体験だ。


「七倉さん!」

「司くん、大丈夫ですか?」


 七倉さんはかいがいしく僕の様子を聞いてくれているけれど、今の僕にはその行動が不自然に思えてしまった。七倉さんの笑顔も、意味深なものがあるようにしか見えない。能力者が恐ろしい。


「七倉さん、相坂さんの能力、言っていたのと全然違ったよ」

「えっ!」


 七倉さんは大げさなくらいに驚いてみせる。ただし、驚く仕草も上品だった。まるで作り物みたいだ。


「相坂さんは七倉さんがあんな能力者だって知っていたのに、僕を相坂さんのもとへ行かせたの? 相坂さんがあんなに強力な力を持っていて、逆鱗に触れたら命だって危ないかもしれないのに、知っていて僕を危険な目に遭わせるなんてひどいよ――」

「あのっ!」


 七倉さんは叫んだ。七倉さんが大きな声を出すのはとても珍しい。僕は七倉さんへの不満を言うのをやめた。すると、七倉さんはとても神妙な面持ちになった。


「そうだとして、私が得をすることがありますか。聡一郎さんの箱は私には開けられません。それは前にお話ししたとおりです。だから相坂さんのような能力者を捜すことになりました。それは司くんのためでもありますが、私自身のためでもあります。なぜなら、私は司くんに私の能力について、色々なことを教えてほしいと思ったからです。楓さんの手紙のこともあります。私には分からないから司くんを頼みにしなければならないんです。それなのに、私が司くんに嘘をつくようなことがあると思いますか?」


 七倉さんは僕を責めるような口調で一気にまくし立てた。それは僕が初めて見るような必死な姿で、僕はとても驚いたのだけど、そのおかげで僕は気がついた。

 そうだ。どうして僕は七倉さんが嘘をついているなんて思ったんだろう。

 七倉さんの言ったことが、少しだけ相坂さんの実態と食い違っただけなのに、七倉さんが相坂さんの能力について隠し事をしていたなんて、どうしてこんなに勝手なことを考えてしまったんだろう……。


「ごめん、七倉さん」


 僕が謝ると、七倉さんはそれですぐに許してくれたみたいで、いつものように微笑んでくれた。


「いえ、司くんが悪いわけではないです」

「でも、あの能力はいったい何なのかと思ったのは確かだよ。あんなの非現実的すぎるよ。何かの仕掛けがあったとしか考えられない」

「相坂さんは能力を持っていること除けば同じ普通の高校生です。でも、司くんはそうとは思えないほどに不思議な体験をしたのでしょうね。何が起こったんですか?」

「相坂さんがしなければならないとか、する必要はないとか。ああいうふうに命令するとガラスを叩き割ったり風系の魔法みたいなものを使ったんだ。しかも、変な結界の張られた異世界に吹っ飛ばされて出られなくなっていたよ」


 そのおかげで僕は死にかけたといっていい。どこの世界に呪文も唱えずにマジックポイント非消費の無制限魔法を使える女子高生がいるのか。せめてそれっぽいルーンのひとつでも書いてくれればまだいいのに、ノーモーションで結界を張れるなんてありえない。


「結界……ですか? 耳慣れない言葉です。でも、意味は分かりました」


 七倉さんは頷いてから、


「それで、相坂さんとは話がつきそうですか?」

「決裂もいいところだよ。話しかけられただけで殺すなんて言わてさ。脅迫されたことなんて生まれて初めてだ」

「私も好かれていませんでしたが、司くんでもダメですか……」


 七倉さんは気落ちしたような様子だった。


「でも、僕が見たところだと相坂さんは無制限に能力が使えるようだけれど、そうじゃないんだよね」

「もちろんです。いくら能力が優れているといっても、何もかも思いどおりになるわけがありません。相坂さんは思ったことを口にしているだけです。翻訳なしに。そうですね……、たとえば司くんは相坂さんと、その、手を繋ぐ口実としてなんというふうに言われたか覚えていますか?」

「たしか……『ついてこなければならない』とか言われたような気がするよ」

「それを聞いて司くんはどう思いましたか?」


 そのときは相坂さんとは初対面だったんだから、印象も記憶もなにもない。僕が感じたことといえばこれしかなかった。


「変な言い方をするなあ、とは思ったけど」

「ついてきてほしい、という願いは、実質的にはついてこなければならないということです。これは相坂さんの視点での話ですが。けれども、言われた相手にとっては都合が悪いこともあります。面倒だとか、信用できないと思うこともあります。だからこそ、私たちはもっとオブラートに包んだような言い方をするわけです。そういう言い方をしたほうが波風も立ちませんから。でも、彼女はそれをしません。相坂さんは司くんについてきてほしい、とは言いませんでした。私に呼び出されて、司くんを連れてくるという依頼を達成するためには、司くんについて来てもらわないといけませんでした。それは任意じゃなくて、義務です。彼女はこういうふうにものを考えて、口にしているだけです」


 七倉さんが説明してくれるおかげで、僕が直に感じた相坂さんの能力の正体が、なんとなくだけどつかめてきた。命令形で喋っているときに能力が発動することは分かっていたけれど、その能力には上限がありそうだ。


「なんでも思いどおりにできるわけでは無いはずなんです。もしなんでも自分の思いどおりになるという能力があるとすれば、その能力を持っているひとは既に人間ではありません。なにか問題があれば、考えるだけで解決してしまいますから。たとえ相坂さんがどんなに奇矯な行動や倫理にもとる行為をしたとしても、私たちが問題に思うことすらないでしょう。その能力の存在にすら気がつかないはずです。だから完全無欠の能力なんてものはありえません」


 それはそうだと思う。相坂さんが気に入らないことがあって僕や七倉さんを嫌っているとしたら、僕たちがいなくなるように命令すればいいわけだ。でもそんなことはできない。

 七倉さんは断言した。


「相坂さんも、矛盾のない不完全な能力の持ち主に違いないんです」


 矛盾のない不完全な能力者。それは要するに相坂さんは相坂さんなりのルール内で能力を使っているということだ。


「でも、相手を異空間に飛ばすほどの能力ってどういうことなんだろう」

「それです。私は異空間というものがどういうものなのか知りませんが、少なくとも司くんがそう感じるくらいに奇妙な体験をしたわけです。相坂さんはいったい何をしたんですか?」

「僕が異世界に飛ばされたと感じたのは、相坂さんの謎の風魔法を受けたからなんだ。教室内なのに台風の暴風域の中にいるみたいな」

「その魔法が真空波や衝撃波や爆風を伴うものでなくて良かったです。特に爆風などは肉体的な怪我がなくても脳にダメージを負っている場合がありますし、教室内でそんな呪文を使われたなら机や椅子が飛んで危ないでしょうから」

「うん――、相坂さんはあの教室で僕の前で窓ガラスを割って見せた。でも、その割れ方がおかしかったんだ。ガラスの破片が飛び散るというよりも粉々になったんだけど、僕はそれをちゃんと見ているんだ。ふつう、ガラスが粉々になって教室の内側に破片が飛び散るくらいなら、窓の外側からよほど強い衝撃が加わらないといけない。でも、そんな衝撃があったのなら僕は目を開けていられなかったはずなんだよね」


 七倉さんは大きく頷いた。


「司くんの言うような体験なら、司くんはもっとひどい怪我をしていておかしくないです。それはまるで映画を見ているような、特撮を見ているような光景だったということでしょう」


 僕はすこしずつ冴えてきたみたいだ。思い出してみると変なことがまだある。


「風が巻き起こったとき、教室の中は机や椅子が飛び交っていたけど、そんなことになったら教室内になんていられないはずなんだ。もっとも、外に出ようにも出られなかったんだけど」

「たしかにそれもおかしいです。外に出ようと試みる程度の余裕があったんですよね。普通のひとが暴風の中で行動することは難しいはずです。つまり、司くんがこの世界の法則では収まらない、相坂さんの都合の良い空間に閉じ込められたのは確実みたいです」


 そうだ、僕が相坂さんに対していちばん気になったことは、最後に言われた警告だっだ。


「あとは……これ以上関わり合いになったら、僕のことを殺さないといけないと言っていたんだ。あれはどういう意味だったんだろう」


 七倉さんは少しだけ考えて、とても真剣な表情になって言った。


「言葉のニュアンスから考えれば、過去に相坂さんは人を殺したことがあり、その経験を敵に伝えることによって相手を脅していることになります」


 それが正しいとすれば、相坂さんはあの能力を使って、人ひとりの命を奪ったことがあるということになる。そんなことがありうるのだろうか?


「そんなこと、ありえるとは思えません。ただ――」

「あの空間があれば、どんなことだって可能だよね。ひと一人を消すことくらいならなんでもない」


 結論は僕が引き取ったけれど、七倉さんも同じことを言おうとしたんだろう。神妙に頷いた。


「相坂さんは、この世界を責任を取らなければならない世界だと言っていた。僕が相坂さんに話しかけないといけない理由があるから。でも、相坂さんはそんな僕の責任を負うといって、話を聞いてくれた。でも、その代わりに怪我を負ってもらうと言っていった」

「理不尽というわけではありません。相坂さんに司くんと話をする義務はありません。だから、相坂さんは司くんの依頼に応える代償に怪我を負わせるわけです。きっとそれがカギなのでしょうが……」

「相坂さんの命令は、たぶんスジが通っている。僕はこの世界で叶えられないことを相坂さんに叶えてもらったんだ。それなら、理屈さえ通っていれば殺人のひとつやふたつくらいは実行できるのかな?」


 七倉さんは回答を避けたけど、それが肯定だということはすぐに分かった。

 相坂しとらの能力で人を殺せるかどうかと問われれば、僕はできると思う。

 そのためには、たぶん相坂さん自身が殺人に見合うだけの苦痛を受けたり、それだけの怒りを買ったりする必要があるのだと思う。人がひとり死ななければならない対価はそう安いものではないはずだ。

 もっとも、僕には自分の命に値段を付けられないし、他人の命にはもっと付けられない。

 でも、僕は確信する。相坂さんの考えている能力が、僕たちが考えているようなものならば、おそらくは可能だ。


「それでも、相坂さんが人殺しをしたなんて信じられない。そりゃあ、あの能力があれば可能だけど、能力があるからといって他人に危害を加えるわけじゃないはずだよ。家に包丁があってそれを扱えるからって、他人を刺すひとなんて何人もいないよ」

「私もそう思います。相坂さんは他人と関わらないようにしていますが、それは自分の能力で他人に迷惑をかけないようにしているから、という理由があるはずなんです」


 嫌われているはずなのに、七倉さんは相坂さんに同情的だった。どうしてだろう。たしかに七倉さんは誰に対しても優しいひとだ。まるで敵を作らないけれど、七倉さん自身がまるでそんな感情なんて持ち合わせていないかのようですらある。

 正直なところ、僕は相坂さんが七倉さんを嫌うことに少しだけ腹が立っていた。

 それなのに、七倉さんは相坂さんに邪険に扱われてもちっとも怒っていない。七倉さんのそういう性格は、世間知らずなせいなのかもしれないけど、僕は嫌いじゃなかった。

 それに、七倉さんは自分にも身に覚えがあるように、こんなことを言った。


「私や相坂さんが能力者だということを知っているひとはごくわずかです。誤解を受けることも多かったはずです。もちろん、覚悟している部分もあると思いますが、嫌がらせを受けるようなことだってあるかもしれません。それでも司くんと話をするのは、司くんが能力のことを知っていて、それでいて能力者ではないからです。そういう立場はとても珍しいですから」

「そんなに珍しいの?」

「はい、司くんも聡一郎さんが亡くなるまでは私たちみたいな能力者がいるとは思わなかったでしょう? それと同じことを相坂さんも思っていると思います」


 そう言われると、七倉さんが相坂さんのことを悪く言わないのも分かるような気がした。


「じゃあ、もういちど相坂さんと話してみるよ」


 もちろん、七倉さんは自分のことのように喜んだ。


 相坂さんは次の日も教室の片隅でひとりでいた。クラスメートのみんなは気がつかない、強力な能力を持って、できるかぎり誰ともかかわらずにいようとする。

 僕は相坂さんが笑ったところを見たことがない。

 微笑したことなら一度だけ見たことがある。


 けれども、それ以来にも以前にも、僕は相坂さんが誰かと談笑しているところも、教師のくだらない冗談に笑ってしまうところもみたことがない。笑えば絶対に可愛いのに。

 僕と相坂さんはクラスメートだけれど、席はとても遠い。

 だから、僕と相坂さんの目が合うことはなかったし、相坂さんみたいな可愛い女の子からすれば、僕みたいに平凡な男子に何の興味も抱かなくて当たり前だった。

 でも、いくら相坂さんが、無口で無表情で妙な口調の女子だといっても、人殺しには見えない。きっと違う。

 僕はその日の間に考えをまとめた。


 大丈夫、相坂さんは殺人なんてしていない。

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