第32章:密会
ルームメイトのあゆみを言いくるめて部屋を空けさせ、宮下先生と二人きりの密室を作り出した少女。巧妙な計画に酔いしれながら先生の部屋に潜り込んだ彼女は、あゆみが彼氏からアクセを買ってもらったという話題を切り出す。
スマホの画面が淡く光った瞬間、心臓が跳ね上がった。待っていたというより、待ち構えていたという表現のほうが正しい。先生からの返信は、驚くほどあっさりと、それでいて絶妙なタイミングで返ってきた。
『どうした?』
画面の文字を見ただけで、あの人の少し気だるげで低めの声が脳内で再生される。私はわずかに口角を持ち上げながら、よどみない指の動きで返信を打ち込んだ。
『せんせー、ひまー。部屋行ってい?』
『森下にバレるだろ』
一瞬のタイムラグのあと、すぐに送られてきたその文字に、私は勝ち誇ったような笑みを漏らした。計画はここからが本番なのだ。
『完全犯罪が成立しております(笑)』
『どういうこと?』
『部屋で話す(笑)』
送信ボタンを押しながら、私は自分の頭の良さに心底しびれていた。周到に張り巡らせた蜘蛛の巣に、あゆみは自ら喜んで引っかかり、私たちは誰にも邪魔されない夜の密室をいとも簡単に手に入れた。
ずるくて、少し意地悪で、でも最高に胸が疼くような夜が、今、静かに始まろうとしていた。
『今から移動するから鍵開けといて! サッと入るから』
私は指先でスマホの画面を滑らせながら、まるで伝説的な怪盗にでもなったような、痺れるほどのスリルと高揚感を味わっていた。周到に組み立てた完全犯罪のシナリオは、いまや寸分の狂いもなく完璧に実証されようとしている。
深呼吸ひとつ。
音を立てないように慎重に自室のドアノブを回し、廊下に人の気配や足音がしないことを確かめる。私は気配を完全に消し去った影のように、しじまに満ちたホテルの廊下を滑るようにして通り抜けた。
「とーちゃく!」
音もなく廊下の角を曲がり、指定された部屋のドアをほんの数センチだけ開けて、私はスルスルと隙間に滑り込んだ。
「おい、森下にバレたらどうすんだよ」
部屋のなかにいた宮下先生は、呆れたような、それでいてどこか冷や汗をかいているような困り顔で、私を低い声で問い詰めた。その少しだけ慌てた大人の余裕のない表情が、私の胸をたまらなくくすぐる。
「大丈夫なんだなぁー、それが! 私、『これから部屋を空けてあげるから、隼人と二人でゆっくり使いな!』って恩を着せてやったの。そしたらあゆみ、感動しちゃってさ。これから私に足を向けて寝られないからって、今夜は逆立ちして寝るんだって(笑)」
「なんだよそれ……(笑)」
先生は呆れたように肩の力を抜き、やれやれといった風に小さく笑った。
誰の目も届かない、夜のホテルの狭い一室。 あゆみの脳内がお花畑で満たされている隙を突いて、私が手に入れたこの絶対的な密室。
やっと、やっと、先生と二人きりの空間を作り出すことができた。 胸の奥からじわりと湧き上がる強烈な幸福感と甘い気怠さが、私の身体の隅々まで満たしていくのを感じながら、私はふわりと彼の近くに腰を下ろした。
「ねぇ、せんせ?」
私はあえて少し湿った、使い慣れない猫撫で声を喉の奥から転がして、目の前にいるその人の袖を軽く引っ張った。
「なんかね、あゆみ、彼氏の隼人にシルバーアクセのブレスレット買ってもらったんだって。……いいなあ」
「そうなのか」
「『そうなのか』じゃなくてさ。ねぇ、いいなあ、って言ってるの」
「あ、そういうこと?!」
「そうだよ! ほかに何を察しろって言うのさ」
「そかそか(笑)。じゃあ、今度どこかで探しに行ってみるか」
「やった!」
「選ぶのは全部、せんせのセンスに任せるからね!」
私の言葉に、宮下先生はふと何かを閃いたような顔をして、ベッドの端に放り出されていたスマホを拾い上げた。慣れた手つきで画面をスクロールさせ、数秒の沈黙のあと、画面を私に突き出す。
「……あ、これこれ。こういうのどうだ?」
差し出された画面を覗き込むと、そこには燻し銀の重厚な輝きを放つ、ネイティブアメリカンな佇まいのリング状のブレスレットが写っていた。無骨なのにどこか繊細で、どんなにくだけた格好にも、少し背伸びした服にも、すっと馴染みそうな洗練されたデザイン。一目で、私の心臓の真ん中がそこへ吸い寄せられた。
「せんせ……これ、すごくいい!」
「だろ? じゃあ、今度休みのときにでも、実物を見に行ってみるか」
「うんっ!」
「でもさ」
先生はちょっと意地悪そうに、でもどこか探るような目を私に向けた。
「そういうのなら、いわゆる『ペアリング』とかにしなくていいのか?」
「ペアリングなんて、できるわけないでしょ!」
私はあきれ返ったように鼻で笑い、その浅はかな提案をぴしゃりと一蹴した。




