餓鬼の群れ
その1 異質空間
あそこを教育機関と呼ぶには、従来のイメージには収まりきらなかった。
何しろ、未成年から中高年まで在学者の年齢は幅広かった。女性が一割を占めた。
その施設は北関東の山奥にあった。私鉄の終点から路線バスを利用した。さながら陸の孤島だった。学生はここで四年間過ごした。
「オレはこんなところに来たくなかったんだ」
若い学生の中には、親や高校教師を怨む者も少なからずいた。
寄宿舎が完備し、地元からの通学者を除いて、入寮を原則とした。寮は特有の人間力学に支配され、耐えきれず、毎年、何人かの中退者を出していた。
酒井は入学して間もなく、コンビニの帰りに先輩と一緒になり、学校の特異な雰囲気については聞いていた。
その先輩は四年生だった。国家試験を目指していた。
話によると、先輩の学年からは学友会役員が出なかった。学友会の運営をめぐって学校側と対立したらしい。仕方なく、次の学年から二年つづけて役員を出した。酒井はそれ以上詳しいことは聞かなかった。
「酒井さんって言ったよね。学友会にあまり深入りしない方がいいですよ」
性格を見抜かれたのか、それとなくアドバイスされた。
その2 愉快犯
酒井が二年に進級し、秋に学友会役員選挙があった。
酒井のクラスから一人、会長に立候補した。酒井より二、三歳上、第一次ベビーブームの申し子だった。
無風選挙と思われた。ところが、ほかのクラスから立候補があった。
多くが首を傾げた。高校新卒、コミュニケーション能力に欠け、およそ会長職には不向きと思われたからだ。愉快犯に乗せられただけだった。
首謀者は酒井のクラスメイトの悪口を広めた。経験豊富なクラスメイトもついに我慢が限界に達した。口論は始業のチャイムが鳴っても終わらず、学校中が聞き耳を立てていた。
酒井は二人のバトルに立ち会った。エスカレートするのを抑えるのに必死だった。
選挙結果は酒井のクラスメイトの辛勝だった。クラスメイトがさらに興奮していれば、結果は逆転していたはずだった。織り込み済みだったのだ。想定外のことがあったとすれば、酒井が間に入ったことだろう。
新しい会長のもと、酒井は会計担当、クラスの長老は総務を担当した。
積極的に下級生からも人材を登用しようということになった。吉田、岡部、近藤の三人の希望者があった。岡部と近藤はいつも行動を共にしていた。
会報を発行することとなり、総務の岡部が中心になって動いた。編集作業が大詰めを迎え、校正刷りが役員会に回された。岡部は自信があったのか、どや顔だった。
その3 なりすまし
酒井は校正刷りを見て、あるページにクギ付けになった。次のようなことが書かれていた。
「自分には女装趣味がある。キャミソールを着て、夜中に寮の廊下をさまようのが至福の時間である。どうか自分に注目していてほしい」
「寮には夜、お化けが出る。それも、キャミソールを着て薄化粧した、気持ち悪いお化けである」
という主旨のものだった。二つの段落には脈絡がなかった。
「これ、なに?」
酒井は訊いた。
「匿名の投稿があったのですよ」
岡部は少しひるんだ。
「じゃ、その原稿を見せて」
酒井がさらに迫ると、岡部は平然と答えた。
「捨てました」
「これは非常に問題がある。特に後段は差別と偏見に満ち満ちている」
酒井は主張した。
酒井の熱弁に、ほかの役員も意見を述べ始めた。
「そうかなあ。そんなに問題があるとは思えないけど」
「こういうのが載ってても別にいいんじゃない」
笑いさえ起きた。
出席者の中で吉田は無言だったものの、酒井は多勢に無勢だった。
結局、会報はそのまま発行になった。
岡部は得意そうに、職員室に配った。
岡部の期待に反し、教員は関心を示さなかった。そんな中、顔色を変えた教員が一人いた。
「これは出せませんよ。とんでもないことです。人権問題ですよ」
その一言により、会報は廃棄処分となった。
その4 失踪
次年度の学友会役員はまったく新しいメンバーで構成された。岡部と近藤は学友会には関心をなくした。寮内で隠然たる影響力を持ち、風紀など寮の運営に関して暗躍している様子だった。
吉田の話によると、なりすまして投稿された本人は、その後、よく嫌がらせに遭った。入浴中、脱衣場のゴミ箱に着替えが捨てられていたこともしばしばだった。三年になってからは、自室に置いてあったノートパソコンが盗まれ、困り果てていた。
彼は四年の授業が始まっても、寮に戻らなかった。
部屋は片付けられ、空の衣装ケースが残されていた。教務課が実家に電話して、失踪が明らかになり、家族が捜索願を出した。
一方、近藤は、あまり授業に出なくなった。岡部が部屋に起こしに行き、時々、言い争う声が廊下に響いていた。
ゴーデンウィーク前に、事件は起きた。
寮の管理人が早朝、岡部の親から連絡を受けた。急用があって、携帯にかけても出なかったので、伝言してほしいというものだった。管理人は岡部の部屋に向かった。
岡部はベッドで死んでいた。口にキャミソールらしきものが詰まっていた。自死でないことは明らかだった。管理人は一一〇番した。
警察が岡部の親しかった友人から話を聴きたい、というので管理人が近藤の部屋に案内した。近藤はいなかった。
近藤は間もなく、中庭の繁みの中で発見された。寮の屋上から落下したものと推測された。
近藤の部屋のロッカーからはノートパソコンとキャミソールが見つかった。ノートパソコンは同級生のものだった。近藤がいつも使っていたパソコンは机の上にあった。
その5 メール
吉田は、酒井と岡部の学友会室でのやり取りを思い出し、警察に話した。
警察が調べたところ、投稿されたという原稿はどのパソコンにもなかった。ただ、ノートパソコンには、おびただしい迷惑メールに混じって、何十通かの個人的なメールがあった。
「代償は重いよ」
どれも同じ文面だった。最近のものは読まれていなかった。
「僕もあの学友会報にはマユをひそめました。でも、岡部と近藤の手前、何も言えませんでした。黙っていたことを今でも恥ずかしく思っています」
吉田は酒井の事務所を訪ねてきて、涙ながらに語った。
「警官から、ちらっと聞いたのですが、近藤の下着はキャミソールだったようです」
吉田の残していった言葉に、酒井は少し安堵していた。夜、外部から侵入した者がいた可能性が排除できない、と思っていたからだ。
この一件は被疑者死亡のまま書類送検された。早晩忘れられるだろう。しかし、あそこが社会の縮図である限り、事件は繰り返されるに違いない。




