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タイトル未定2026/03/20 08:16




挿絵(By みてみん)


 その1


 小杉は二〇日あまり、家を留守にした。一年ほど前に申し込んでいた盲導犬の貸与が決まり、合宿訓練に入ることになったからだ。

 盲導犬はオスで、エヴァンという名前である。庵野秀明さんの『新世紀エヴァンゲリオン』にちなんで命名したものと聞いた。

 訓練を終え、エヴァンを伴って徳島に戻ると、エヴァンは赤シャグマたちに揉みくしゃにされていた。


 エヴァンの一日は、六時に起きてトイレと朝ごはん、昼前にトイレをして体のブラッシング、夕方、トイレの後、近所を散歩して晩ごはん、夜九時くらいにトイレをすませて就寝する。このほか、会合などがあれば、小杉をサポートして外出する。盲導犬の本領発揮の時だ。

 命令、コマンドはすべて英語が使われる。トイレはワン(ONE=オシッコ)ツー(TWO=ウンチ)、待てはステイ(STAY)、褒める時はグー(GOOD)、お休みはツーザベッド(TO THE BED)などといった具合だ。


 エヴァンが家族に加わってから、赤シャグマたちが小杉家で時間をつぶすことが多くなった。

 小杉がエヴァンのブラッシングをしていると、まわりを取り巻いている。

「エヴァン、気持ちよさそう。アタイたちもやってみたいな」

 やらせてみると、自分の身長ほどのエヴァンを、体いっぱい使って、器用にブラッシングする。遠目には、農家の人がまるで牛か馬の世話をしているみたいだ。


 妻がエヴァンをシャンプーしているのを見学して、次回からチャレンジを申し出た。不安そうな妻をよそに、エヴァンを連れてバスルームに入る。

 なんだか騒々しい。

「いつまでやってるのかしら」

 妻が見に行き、大声をあげた。

「まあ、きものがずぶ濡れじゃないの。早く着替えなさい」

 エヴァンが身震いしたのか、キャーという嬌声が聞こえてきた。


 その2


 ひょんなことから、童女妖怪たちを居候させるハメになってしまった。

 小杉一家が関東からUターンし、新居が完成するまで一年近くアパート住まいをした。ある夜、小杉は足の裏がむずかゆくなって目を覚ました。足元にいたのが、おかっぱ頭の女児。赤シャグマのはつゑだった。


 赤シャグマは知る人ぞ知る、中四国の一部に現存する妖怪だ。東北の座敷わらしに酷似するも、髪は赤いのがポイント。気に入った家があれば棲みつき、裕福にするという特技の持ち主だ。ただ、いたずら心が旺盛で、寝ている家人の足の裏をくすぐることがある。新居が赤シャグマのたまり場と化してから、妻は睡眠不足になってしまった。


 毎日ゴロゴロしている赤シャグマたちに妻が業を煮やし、家事全般を教えた。上達は早かった。嬉々として立ち働く様子を見て、小杉は介護センターの設立を思いつく。赤シャグマのサービスはお年寄りに喜ばれた。謝金をいただいても使い道はなく、そのままこども食堂に寄付した。また、保育所の助手に抜擢されるなど、本来の業務と相まって、地域になくてはならない存在になってきた。


 その3


 現在、小杉の家に出入りしている赤シャグマは七人。リーダーのはつゑを筆頭に、キヨ、ユキ、おのぶ、おみよ、おふみ、およしの面々だ。年齢は推定で三百から四百歳ながら、童顔なのはいうまでもない。


 お世話になった小杉一家から独立して、近くの一軒家に引っ越した。ここに、介護事務所がある。ホームヘルパーの傍ら、保育所に勤める。夜は推しの家に出向き、足をくすぐる以外に何をするともなく時間を過ごす。

 事務所に監査が入った時はさすがに、児童労働ではという指摘を受けた。監査官は赤シャグマたちに面接し、膨大な知識と経験にシッポを巻いて退散した。


 その4


 赤シャグマの中でも、人一倍、エヴァンになついている子がいた。おゆきである。

 エヴァンはデビュー早々、雷神の手荒い歓待を受けた。震えるエヴァンをおゆきは抱きしめてなだめた。上空に雷神が居座り、夜中になっても閃光と雷鳴が続いた。

 妻が仲間のもとに帰るよう促した。

「おばあちゃん。アタイは怖くなんかないよ。今夜のお勤めキャンセルして、エヴァンと一緒にいてあげてもいい?」

 その夜、おゆきはエヴァンに寄り添い、一睡もしなかった。


 おゆきには生まれ故郷の記憶がほとんどない。神社の参道で泣いているのを、香具師(やし)に拾われた。

 その年、四国は大飢饉だった。香具師が連れ帰っても、おゆきの面倒を見ようという村人はいなかった。餓死させるに忍びなく、村人は神に願いを立てた。


 おゆきの一命は救われ、食べ物を欲しない替わりに、姿かたちは永遠にそのまま、一般の子どもと識別するためか髪を赤くされてしまった。


 赤シャグマは例外なく、食うや食わずの境遇で育った。なかでも、おゆきの場合、絵に描いたような不幸な幼年期だった。


 その5


 小杉がエヴァンと散歩に出ると、よくおゆきが同行した。道行く人は言ったものだ。

「お孫さんですか」

 そうも見えなくもなかっただろう。


 小杉は小高い山の中腹で休憩し、引き返すことにしていた。それ以上は息切れがする。ところが、おゆきが一緒だと、尻を叩く。

「じゃあ、おじいちゃん。その先のため池までエヴァンと行ってきていい。おじいちゃんはここで休んでてよ。ノスタルジーっていうのかなあ、あそこに得も言われぬ郷愁を感じちゃうんだ」

 などと、年少者には分かったような分からないような理屈をつける。


 OKを出すと、ハーネス(胴輪)を外し、リードを手にした。

「エヴァン。フォワード(FORWARD=前へ)」

 と、英語も板についている。


「みんな、よく頑張っているね。困ったことがあったら、おじいちゃんとおばあちゃんに何でも相談してね」

 山道を下りながら、小杉はおゆきに話しかけた。

「ぜんぜん大丈夫よ。今ね、こども食堂にきてる男の子の相談相手になってるんだ。荒れてて、子どもたちは近寄らないけど、アタイは平気。いろんな悩み、聴いてあげてるんだ。イジメにも遭ってるんだけど、現代のイジメって複雑な背景があるよね」

 よく観察している。何世紀も世渡りしていると、いやが上にも気づかされるのだろう。


 その6


 ヤンママから、こども食堂に電話が入った。

「うちの健治、まだそちらにいますか」

 スタッフは翌日の仕込みをしていた。

 友達の家で道草するのはよくあることだった。しかし、健治に限って、それはおよそ考えられなかった。みんなの嫌われ者だったのだ。


 ほかの子どもたちに連絡しても、食堂で目撃したのが最後ということだった。

 一人だけ

「おゆきさんと歩いてたよ。おゆきさん、泣いてた。いじめられたんじゃない」

 という証言をした子がいた。

 友達を泣かせるのはいつものことなので、スタッフは大して気に留めなかった。

 いくら待っても、ママに有力情報はもたらされなかった。


 赤シャグマ介護センターから小杉に電話が入ったのは、夜も七時を回っていた。

「もしもし、もしもし。あ、おじいちゃん。今夜はおゆきちゃん非番のはずなのに、まだ帰ってないのよ。おじいちゃんとこに寄ってない?」

 はつゑはいつもの落ち着きをなくしていた。


 探しに行こうにも、雲をつかむような話だった。みんな集合して小杉の家で待機し、不測の事態に備えることになった。

 時間だけがいたずらに過ぎていった。


 肩を抱き合って泣いている赤シャグマもいる。みんなで楽しく旅行した写真を見せて、妻が元気づけようとしても、かえって嗚咽の輪は広がるばかりだった。


 沈思黙考していたエヴァンが突然、立ち上がった。山の方角を向いて唸り出した。

「分かったよ、エヴァン。みんなを連れてって」

 小杉がエヴァンを庭に放った。

 エヴァンが振り返り振り返り、妻のクルマを案内する。

 エヴァンは山道に入り、いつもの休憩スポットを通過、まっすぐにため池へと向かった。

 ヘッドライトが二人の姿を照らし出した。


 その7


 夕方、利用者さん宅からの帰り、おゆきが街の公園を横切っている時だった。

 健治に呼び止められた。健治は思いつめた表情だった。

 おゆきは健治とベンチに腰かけた。


「また、上級生にいじめられたの?」

 おゆきが訊くと、健治は顔をくしゃくしゃにして泣き出した。こども食堂では見せたことのない顔だった。


(どこかでこんなシーンがあった‥‥)

 おゆきは一生懸命に思い出そうとした。


(確か、あの時、兄者(あんにゃ)は泣きながら、池に沈んでいった)


 どこかのため池だった。

 お腹が空くと、よく野山に分け入って、野イチゴ、桑の実、豆柿、栗などを食べた。池のまわりにはイタドリがいっぱい生えていた。そのうち、食べられる物はすべて村の衆に取り尽くされ、池のコイやフナも姿を消した。

 何もなくなった池に、ふたりは足しげく通った。目的はカメだった。つかまえて、二人で焼いて食べたことがある。生臭くて、まずかった。何日も下痢をした。それでもお腹に入るものなら何でもよかった。

 その日、兄者は棒でカメをおびき寄せていた。体を乗り出しすぎ、兄者は池に落ちた。おゆきが無我夢中で手を差し伸べても、届かなかった。


 健治の泣き顔が、あの時の兄者の顔に重なった。つらくて、苦しくて、記憶の彼方に押しやることに努めていたものだった。


 その8


 兄者は池の底に沈んでいるところを、引き揚げられた。お(とう)とお(かあ)が兄者に取りすがって泣いた。


「それにしても、不憫な子じゃった。こんなに痩せ細って。けんど、これでやっと、ひもじさから解放されたのう。女子(おなご)なら神様に頼んで赤シャグマにしてもらう手もあったけんど、百姓の息子は生まれ落ちた瞬間からずっと生き地獄じゃもんなあ」

 村の衆はしきりにお父とお母をなぐさめていた。


 おゆきに次々と記憶が蘇ってきた。

 今でこそ県道は広くなり、脇に家が建ち並んでいる。しかし、県道から見上げる山々には見覚えがあった。一歩、山道に入ると、牛や馬が行き交った当時の様子をどこかに残していた。

 そうだ、エヴァンと散歩に行った池こそが、兄者を奪った池だったのだ。


 翌年は年貢が加増されるとかで、大騒ぎになった。百姓一揆が起き、お父は村の何人かとともに斬首の刑に処せられた。

 お母はおゆきをとなり村に住むおばちゃんにひっそりと預け、兄者の後を追って入水自殺した。これはおばちゃんから聞かされた。おゆきはお母の死に顔を拝んでない。


 おばちゃんの家も貧しかった。確か、庭にスモモの木があった。

 ろくに食事にありつけないおじいちゃんとおばあちゃんの手前、おばちゃんはこれ以上、家族を増やすわけにいかなかった。ある日、おばちゃんは遠出して縁日に連れて行ってくれた。お金もないのに、お店を見て回った。気が付くと、おばちゃんはいなくなっていた。


「そういうことだったのか!」

 すべてがつながった。

 おゆきは人目もはばからず泣いた。今度は健治がなぐさめる側に回った。

「おゆきさんのお兄ちゃん、ずっと寂しい思いしてきただろうな。これから、ため池に行ってあげようよ」

 健治はおゆきの手を引いて、夕闇せまるなか、ため池へと向かった。


 その9


「そうなの。健ちゃん、あなたはベリーグーね。やさしい子なんだね」

 おゆきの話がひと段落し、妻がしきりに感心しながら、紅茶とケーキを出した。

 ケーキは妻と健治の二個。小杉と赤シャグマたちは、いつものように紅茶だけだった。赤シャグマはもとより食べない。小杉は辛党なので、スイーツは出しても妻の口に入る。


 連絡を受け、健治のママが飛んできた。

「女の子、いじめてたらしいじゃないの。何度いったら分かるの」

 健治を叱るママをなだめ、小杉があらましを説明した。


「『ボクには年上の友達がいるんだ』って言ってたけど、あなた方だったのですか。ありがとうございます」

 ママはしばらく顔をあげなかった。

 おゆきは感極まって、ママの手を握りしめた。

「アタイ、未来永劫、健ちゃんのこと忘れないからね」


 まだ帰りたくない、という健治をママが立たせた。

「おじいちゃん、おばあちゃん。おゆきさんとまた遊びにきてもいいですか」

「ああ。いつでもおいで。エヴァンも待ってるよ」

 小杉が答えると、健治はおゆきとエヴァンにハグしてクルマに乗り込んだ。


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