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9/19

討伐の噂


朝、会議室のホワイトボードには昨日の議事録が残っていた。


消し忘れじゃない。「消すな」という意味だ。

決まったことを視界に置き続けて、逃げ道を塞ぐ。ホワイトボードは上司の共犯者だ。


相沢悠は、会議室の端の椅子に座っていた。

端の椅子は、発言を求められにくい。求められにくい場所を選ぶことだけが、社畜のスキルだ。


鬼塚が資料をめくった。

紙の音が静かだ。静かな紙の音は、怒鳴り声より怖い。


「念のため、ここ差し替え。先方に"安心感"出したいから」


安心感。

誰かに安心感を与えるために、誰かが削られる。

削られる側はいつも同じだ。「了解しました」が速い人間だ。


「了解しました」


今日で何回目だろう。

数えるのをやめたのは、いつからだ。やめた瞬間に少しだけ楽になった。

数えないということは、減らない。減らないものに痛みはない——という嘘を、脳が勝手についた。


会議が終わって席に戻る。

モニターを点ける。未読が十数件。

その中に「念のため」が何個あるかは、開く前から分かる。


昼休み。

エレベーターの前に立っていた時、視界の端を何かが横切った。


黒い影。

コートではない。でも目が勝手に「あの色」を拾った。

ゲームの中の黒い外套と同じ色を、現実のオフィスの蛍光灯の下で。


一秒だけ立ち止まって——歩いた。

振り返らなかった。振り返る体力がない。

それに振り返っても「黒い外套」はいない。いるのは同僚のスーツか、清掃業者のベストだ。


(疲れてるんだ)


疲れている。それだけだ。

ゲームの記憶が現実に漏れ出すほど境界が薄くなっている、とは思わない。思わないことにした。


午後、鬼塚の「念のため」を二つ処理した。

二つ目の「念のため」は、一つ目の「念のため」で直した箇所の、さらに「念のため」だった。入れ子構造。

再帰の終了条件が定義されていない。つまり終わらない。


終電一本前。

改札を抜けた時、空が暗かった。暗いのに星がない。都会の空は、暗いくせに何も見せない。

ネオスフィアの空の方がまだ正直だ。暗い時は暗く、明るい時は明るい。


帰宅。靴を脱ぐ。脱いだ靴が無造作に転がる。直さない。

冷蔵庫を開ける。何もない。何もないのを確認するために開ける。確認したら閉める。

開けて閉めるだけの行為に、数秒の安心がある。


VRギアに手が伸びた。


今日も早速、行く。

行く理由は分かっている。あそこに行けば沈める。沈めれば、鬼塚の再帰呼び出しが止まる。


被る。目を閉じる。


落ちる。


---


草原の朝は、今日も嘘みたいに綺麗だった。


空が広い。雲が白い。風が草を撫でる。

現実の朝が殴ってくるなら、ここの朝は頬に手を当ててくる。冷たい手。でも痛くない。


YUは身体を起こした。


——眠れた。


もう何日も、同じ草原で眠っている。

最初はただの初心者エリアだった。草と風と鳥しかなかった。


今は周囲に人の気配がある。遠いけれど確実にある。

線の外側に灰色のローブ。OBSERVERが、今日も回っている。足元の青い円。記録中。


数は一定じゃない。

増えて、減って、また増える。

今朝は、昨日より少ない。夜の間に、また“欠けた”のだろう。


インベントリを開く。


増えている。

もう驚かない。驚く代わりに、ため息が出る。ため息の方が体力を使わない。


金属片。宝石。紋章。黒い布。`???`。


通知。


```

Sleep record saved.

```


```

Data partially corrupted.

```


希望と否定の二段重ね。毎朝出てくる定型文。


(まあ、いいか)


良くない。良くないけれど、良くないことに慣れるのは得意だ。会社で鍛えられた。


立ち上がる。草を払う。


今日は——村に行く前に、少しだけ草原を歩いてみようと思った。

ずっと「寝る」「起きる」「戻る」しかしていない。景色を見る余裕がなかった。


草原は広かった。思っていたより、ずっと。

初心者エリアのはずなのに端が見えない。


東に森。西に丘。南に——何もない。草だけが広がっている。地平線が低い。

風が吹いて草が波になり、波が遠くまで走って消える。


綺麗だった。


初めて「綺麗だ」と思った。

寝ることしか考えていなかったから、景色を見ていなかった。


(……僕、ここでゲームしてないな)


当たり前だ。ゲームをしに来ていない。眠りに来ている。

クエストもほとんどやっていない。レベルも上がっていない。武器も持っていない。


それなのに世界が勝手に騒いでいる。


笑えるような、笑えないような。

でも少しだけ——ほんの少しだけ——勿体ない、と思った。


この景色の中を歩けたら、少しだけ楽しいかもしれない。

モンスターを倒してみたら、少しだけ気が紛れるかもしれない。


——思っただけで、やらない。

体力は全部、鬼塚の「念のため」に持っていかれている。


草原を一周する気力はなかった。

途中で引き返して、村に向かった。


---


初期村の門をくぐった瞬間、空気が違った。


昨日までの「戒厳令」の空気ではない。

もっと熱い。静かなのに熱い。火が見えないのに煙がある。


広場の中心に人だかりができていた。


罰則の掲示が出てから、人は減ったはずだ。減ったのに、今日は集まっている。

集まる理由はすぐに分かった。


広場の掲示板——運営の金属フレームではなく、古い木の掲示板——に、新しい告知が貼られていた。

手書きではない。ゲーム内のUI形式。正式なフォーマット。


```

【 草原異常・調査討伐レイド 】

主催:有志連合(暫定)

推奨:上級者以上

参加人数:制限なし

集合:近日中に告知


※ 安全は保証されません

※ 運営非公認

```


討伐。


その単語が、木の掲示板の上で堂々と光っていた。


YUは立ち止まった。

読んだ。読んだけれど、意味が自分に向いていることを認めたくなかった。


草原の異常。調査討伐。

つまり、草原で何かおかしいことが起きているから、集団で乗り込んで解決する。


何がおかしいのかは、自分が寝ていることだ。

寝ているだけで世界がおかしくなる。

それを“討伐”する。


(討伐って……僕を?)


いや。そうは書いていない。

「異常を調査する」と書いてある。異常は自分じゃない。夜に起きる何かだ。自分は寝ているだけだ。


寝ているだけの人間を討伐することはできない。

できないはずだ。——たぶん。


周囲のプレイヤーが熱を帯びた声で話していた。


「ついに動くのか」

「有志って誰が仕切るんだ」

「REGALIAは参加するのか」

「人数制限なしって……本気だ」


YUは人だかりの端を通り抜けようとした。

その途中でORACLEが見えた。


いつもの位置ではない。掲示板の前に立っていた。腕章の列を従えて、紙を読んでいる。

読んでいる目が冷たい。穏やかな狂信の目じゃない。冷えた刃の目だ。


YUが近づくと、ORACLEが振り返った。

振り返った瞬間に温度が変わる。冷たさが引いて、いつもの敬虔さが戻る。器用な切り替えだ。


「お目覚めですか」


「……はい」


「お散歩をされていたようですね。草原を歩かれるお姿、初めてお見かけしました」


見ていた。朝の散歩を見ていた。

YUは何も言わなかった。言えば変換される。沈黙だけが安全だ。


ORACLEは掲示板に視線を戻した。


「討伐、だそうです」


声が平坦だった。平坦すぎる。嵐の前の海と同じだ。


「人の子が、神に剣を向ける。——歴史は繰り返しますね」


(やめてくれ)


思ったけれど言わなかった。

言っても変換される。


YUは掲示板の前を通り過ぎようとして——足が止まった。


自分の口から、言葉が漏れた。


「……最近のゲーム、イベント多いですね」


言ってから後悔した。

どうして余計なことを言った。疲れているから口が緩んだ。


背後の空気が吸われた。


ORACLEの息が止まった。腕章の列が一斉に静止した。

広場の端にいたプレイヤーが何人か振り返った。


ORACLEが震えていた。


震えているのは怒りじゃない。歓喜だ。


「"イベント"——」


言葉を舌の上で転がすように繰り返した。


「神は、万軍の討伐を——"催し"と呼ばれた」


飛んだ。

意味が飛んだ。自分は雑感を言っただけなのに、着地点が「万軍の討伐は神にとって催し」になっている。


ORACLEの目が潤んだ。


「討伐が催し。殺意の行軍が催し。——剣を束ねた者どもの決死が、神にとっては日常の一頁に過ぎない」


腕章の一人が嗚咽を漏らした。別の一人が膝をついた。


(勝手に泣くな)


でも止められない。止めると意味が増える。


そこへ——低い声が割り込んだ。


「今の、やめて」


MINAだった。


いつの間にか広場にいた。黒い外套。フード。足音がない。

上位プレイヤーの歩き方。「いた」と気づいた時には、もうそこにいる。


MINAはORACLEに向いた。怒鳴らない。でも「やめろ」が滲んでいる。


「本人は雑感を言っただけ。翻訳しないで」


ORACLEが微笑んだ。柔らかい笑み。柔らかいのに退かない笑み。


「失礼しました。——しかし、言葉は放たれた以上、残ります」


「残さないで。消して」


「言葉は消せません。聞いた者の中に残ります」


MINAの目が細くなる。怒りじゃない。面倒臭さだ。

論理で切れない相手だと分かっている顔。


腕章の列がMINAを見ていた。目の種類が分かれている。

警戒と、畏怖。夜を見てまだ立っている女への畏怖。


MINAはそれ以上ORACLEに構わなかった。

構っても終わらないと判断したのだろう。切り替えが速い。


YUの横に来る。


「ねえ」


「……はい」


「今の見た?」


掲示板を指している。


「見ました。イベント多いな、って」


MINAが一瞬、目を閉じた。閉じて、開いて、深呼吸した。

殴りたいのを我慢する深呼吸だった。


「そうじゃなくて。討伐レイドの募集。あれ」


「はい」


「“噂”じゃないの。もう動いてる」


MINAはスクリーンを開いた。

ギルド募集板。冒険者掲示板。匿名スレ。

複数の場所で、同じ話が同じ速度で増殖している。


「分かる? もう止まらない」


「……止まらないって」


「運営が止められなかった。パッチも効かなかった。目も毎晩落とされてる。——だからプレイヤーが“自分たちでやる”に切り替わった」


運営が駄目なら自分たちで。

その構造をYUは知っている。会社で見た。

システムが落ちた時、マニュアルが通用しない時、「各自の判断で対応」と言われる。各自の判断——つまり、責任の薄まりだ。


「討伐って……僕を、ですか」


「あなたを、じゃない。あなたの“夜”を」


「僕の夜って——」


「あなたが寝た後に起きること。あれを止めたい人がいる。暴きたい人がいる。倒したい人がいる」


倒す。

寝ている間に起きる何かを、倒す。


自分は寝ているだけなのに。


MINAはYUの目を見た。


「今夜、下見じゃなくて“確認部隊”が来る可能性が高い。人数も増える。止める理由より、行く理由の方が増えてるから」


「理由……」


「“戻ってない”が出たから」


MINAの声に焦りが混じった。あの足音のしない女が、焦っている。


「昨夜、線を越えた連中。戻ってない。人数も正確には分からない。配信も途中で切れてる」


戻ってない。

その言い方が軽くない。


「あのさ」


MINAが言った。声が少しだけ低くなる。


「あなた、さっき草原を歩いてたでしょ」


「……はい。初めて」


「どうだった」


「……綺麗でした」


MINAの目が少しだけ細まる。怒りでも呆れでもない。


「そっか。——綺麗なうちに、もう少し歩いた方がいいかもね」


意味が分からなかった。

分からなかったけれど、背筋が冷えた。


「綺麗なうちに」の「うちに」が、期限を含んでいた。


---


夕方。


草原へ向かう道で、異変があった。


人が増えていた。


罰則の掲示が出てから、この道は空いていたはずだ。

野次馬は消え、残ったのは本気の目だけだった。


今日は違う。

本気の目に加えて、「別の目的の目」が混ざっている。


武装したプレイヤー。鎧。武器。

初心者エリアでそれは場違いだ。場違いなのに、散らばって歩いている。全員、同じ方向へ。


怖いから行く。

怖いから確かめたい。

怖いから倒したい。


人間の構造はゲームでも現実でも同じだ。


草原に着いた。


線の外側にOBSERVER。灰色のローブ。青い円。

数はまた変わっている。今は三つ。回っている。


線の内側にRAMPART。盾を地面に突き立てている。いつもより深い。


ORACLEは立っていた。今日は膝をついていない。

立って草原の外を見ている。見ているのは武装した人影たちだ。


「始まりますね」


ORACLEの声は穏やかだった。穏やかすぎた。嵐の前の海が穏やかなのと同じだ。


YUはいつもの場所に座った。

草が冷たい。硬い。要求しない。


——ここだけが変わらない。

人が増えても。掲示が増えても。討伐が近づいても。

草の冷たさだけが初日と同じだ。


MINAが三歩離れた場所にしゃがんだ。

近すぎず遠すぎない。いつもの距離。

でも今日は、距離の意味が違う。三歩の中に「守る」が入っている。


「今夜、来る」


MINAの声が低い。


「下見じゃない。“確認しに来る”。確認で済めばいいけど——」


「済まなかったら?」


「戦闘になる」


戦闘。

その単語が草原に合わない。ここは草と風と鳥の場所だ。

でも戦闘が来る。


「僕は——寝てていいんですか」


馬鹿な質問だと分かっていた。

でも聞いた。聞かないと、ここが怖くなる。


MINAが一瞬だけ口角を上げて、すぐ戻した。


「寝てて。それがあなたの仕事」


仕事。

現実の匂いがした。

でもMINAの「仕事」は削るためじゃなく、守るための仕事だ。


目を閉じた。


```

SLEEP MODE (Beta)

Safe Zone detected.

Proceed? [Y/N]

```


Y。


横になる。草が冷たい。頬から首へ。首から肩へ。ゆるむ。


```

Resting...

```


意識が沈む。


沈む直前、MINAの声。


「来たら、私が止める」


止める。

止められるのか、止められないのか。


その答えを聞く前に沈んだ。


---


夜。


MINAは目を閉じなかった。


遠くで足音。ひとつじゃない。複数。

草を踏む音が不揃いのリズムで近づいてくる。


来た。


線の外側に影が集まる。武装したプレイヤーたち。

数は二十前後。下見ではない。「確認部隊」。


先頭の一人が線の前で立ち止まる。

OBSERVERの灰色のローブがその視界を遮る。


「運営が立てた線か?」


「制限区域って出てる。入ったら罰則」


「罰則なんか食らった奴いるのか? 昨日の連中、罰則じゃなくて“戻ってない”んだろ」


笑い声。怖いから笑う笑い声。


RAMPARTが盾を少しだけ前に傾けた。たった数度で空気が厚くなる。


ORACLEが振り返る。YUの寝顔を一瞬だけ見て、前に向き直った。


「通しません」


穏やかな声だった。穏やかなのに、広場の端まで届く声だった。


先頭の男が舌打ちする。


「通さないってお前、何の権限で——」


「権限はありません。ここにあるのは信仰だけです。——信仰は、権限より重い」


噛み合わない。噛み合わない会話は長引くか暴発する。


MINAは音を立てずに立ち上がった。黒い外套が風に揺れた。


「あんたたち、募集見て来たの」


MINAの声は低くて平坦だった。情報だけを通す声。


「……誰だ」


「通行人。あんたたちに聞きたいことがある」


MINAは腕を組む。


「昨夜の下見組。何人で入った?」


「知らねぇよ。俺たちは別の——」


「“戻ってない”が出てる。配信も切れてる。ログアウト確認もできてない」


突きつけた。

聞いたのではなく、事実として置いた。


空気が止まる。二十人の足音が一斉に止まる。


「それでも入る?」


先頭が口を開きかけた、その瞬間——空が暗転した。


夜が落ちた。


昼から夜への移行ではない。ゲーム内の時間経過とも違う。

空の色が一瞬で切り替わった。スイッチを落としたみたいに。


誰かの声が途切れた。


OBSERVERの青い円が一斉に脈打つ。記録が加速する。


闇が降りる。


降りた瞬間、空気の密度が変わった。

温度ではない。「いてはいけない」の濃度。


最前列の数人が動けなくなった。

足が止まったのではない。動くという選択肢が消えた顔をしていた。


闇の中心に深さが生まれる。


形はない。色もない。

でもそこだけが他の闇より深い。


MINAは歯を食いしばる。

昨日の夜より深い。観客が多いから深い。


青い円が、ふっと消える。

ひとつ。ふたつ。

消える瞬間に音はない。ただ“監視の色”が抜け落ちる。


武装した集団の中で悲鳴が上がった。


「何だこれ——」

「動けな——」

「ログアウトが——」


ログアウトができない。

その恐怖はゲームの中でいちばん重い。


RAMPARTの盾が鳴った。金属が何かを弾く音。何度も。

盾だけが夜の中で鳴り続ける。


MINAが叫ぶ。


「下がれ! 線の外に出ろ!」


声が届いたのか届かなかったのか、集団は総崩れになった。

走る者。固まる者。座り込む者。


闇は静かだった。静かすぎた。


`Resting...`


YUは沈んでいる。何も知らない。

その横で世界が悲鳴を上げている。


---


朝。


草原は何事もなかった顔をしていた。


朝露が光る。鳥が鳴く。風が草を撫でる。

今朝も昨日と同じ温度で、同じ匂いでこちらを迎える。


YUが身体を起こした。


——眠れた。


今日はよく眠れた気がする。いつもより深く沈めた。理由は分からない。


目を開けると、人が多かった。


MINAが三歩先にいる。目が赤い。掠れた顔。夜を越えた顔。

ORACLEが少し離れた場所で立っている。ローブの裾が草の色に汚れている。

RAMPARTも立っている。盾の傷が増えている。深くなっている。


線の向こう側に座り込んでいる人たちがいた。


武装したプレイヤーたち。

鎧は無事だ。武器も持っている。怪我のエフェクトもない。

でも全員、座り込んでいる。立てないのではなく、立つ気力がない顔をしている。


放心。

「何が起きたか分からない」と「二度と行きたくない」が同時に載っている顔。


YUは素直に聞いた。


「……何かありました?」


MINAが一瞬、目を閉じた。閉じて、開いて、深呼吸して。


「あのね」


「はい」


「あなたが寝てる間に、人が来て、みんな動けなくなって、叫び声が出て、盾が鳴って、朝になった」


「……大変でしたね」


MINAの目が据わった。


「“大変でしたね”じゃない」


「すみません」


「“すみません”でもない」


「……寝てました」


MINAは長い息を吐いた。怒りと疲労と覚悟が混ざった息。


「知ってる。寝てたの。知ってるよ」


その「知ってる」に、昨日までとは違う重さがあった。

信頼ではなく、覚悟の重さ。


ORACLEが静かに言う。


「彼らは戻りました。全員無事です。——ただ、“無傷”ではありません」


「怪我してるんですか?」


「身体は無事です。心が——折れています」


心が折れる。

会社で何度も見た状態だ。顔は無事。身体も動く。でも目が死んでいる。


座り込んでいる彼らは、その目をしていた。


YUは草原の上に座ったまま呟いた。


「……僕、寝てただけなのに」


MINAが返す。


「うん。——だから最悪」


最悪。二回目だ。


草原の端を見ると、灰色のローブがまた立っていた。

昨夜消えた目が、朝には戻っている。

増えて、減って、戻って——それでも追いつかないみたいに回っている。


---


NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 41


`501:`

昨夜の確認部隊、全員戻ったらしい


`503:`

戻ったのか。昨日の下見組は戻ってないのに


`506:`

下見組も朝に再ログインできたってよ(未確定)。BANじゃなくて強制ログアウトだったっぽい


`509:`

じゃあ死んでないの?


`511:`

死んでない。でも全員「二度と行かない」って言ってる


`514:`

何があったんだよ


`517:`

聞いても答えない。「説明できない」としか言わない


`520:`

REGALIAの時と同じ。見た奴が全員黙る


`523:`

黙るんじゃなくて言語化できないんだろ。「怖かった」しか残らん


`527:`

人数で押しても折れるのは心のほう、ってこと?


`530:`

「何がいるか分からない」が一番怖い


`534:`

で、討伐レイドどうなる?


`537:`

逆に盛り上がってる。「今度はもっと人数集める」って


`540:`

頭おかしい


`542:`

頭おかしいやつが集まるのがレイドだろ


`545:`

運営は?


`548:`

目が夜に消える→朝に戻る、の繰り返し。胃が痛い


`554:`

黒外套の女が叫んで引かせたって目撃情報ある


`557:`

あの女何者だよ。夜を見てまだ立ってる


`560:`

寝てるやつは?


`562:`

寝てた。朝起きて「何かありました?」って言ったらしい


`564:`

のんき


`565:`

のんきじゃなくて「知らない」んだろ。本当に寝てるだけ


`568:`

寝てるだけの初心者の周りで心折れてるの、何のゲーム?


`570:`

分からん。でもスレは伸びる


---


討伐は止まらない。


「人数を増やせば勝てる」。

その発想は、怖いものに対する人間の癖だ。


倒せなかったら数を増やす。

数を増やしても倒せなかったら、もっと増やす。


その先に何があるのか、YUは知らない。

知らないまま今日も草原に座っている。


草が冷たい。風が吹く。鳥が鳴く。

草原はまだ綺麗だ。


MINAが言った「綺麗なうちに」の意味が、少しだけ分かった気がした。

分かりたくなかった。


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