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7/20

対策パッチ?


朝、会社の空調は壊れていない顔をして、壊れていない温度を吐き続けていた。


壊れているのは人間だけだ。

壊れているのに動けるなら、壊れていない扱いになる。

壊れているのに「了解しました」と返せるなら、返せる方が悪い。


相沢悠は、席に座って、モニターを点けた。

画面の白が眩しい。眩しいのに眠くない。

眠くないのが怖い。身体は限界のはずなのに、脳だけが空回りしている。歯車が噛み合わないまま回転する音が、耳の奥でずっと鳴っている。


鬼塚のチャットが点滅していた。


開いた。

今日は開いてしまった。開かなければ「未読のまま放置した」が罪になる。開けば「読んだ上で対応が遅い」が罪になる。どちらを選んでも罪なら、早い方の罪を選ぶ。それが社畜の最適化だ。


「昨日の件、提出ありがとう。念のため、差し戻し。ここの表現もう少し固く。あと数字の出典明記」


念のため。差し戻し。

この人の「念のため」は、他人の夜を削る呪文だ。丁寧な言葉遣いで、刃だけがよく研がれている。


「了解しました」


文字を打つ。送信する。

送信した瞬間、身体から何かが一グラム抜けた。


了解しました、了解しました、了解しました。

毎日この文字を打つたびに、自分の中の「嫌です」が一ミリずつ削られていく。削られた分がどこに行くのかは、知らない。知りたくない。


午後、社内チャットの雑談チャンネルがざわついた。


「NEOSPHERE、緊急メンテ入るらしいよ」

「昨日の告知、今日も出てる」

「なんかログ壊れるバグがあるとか」

「あの草原のやつだろ」


草原。

画面の中を流れていく文字の中に、その二文字が混ざった瞬間、指が止まった。


心臓が一拍だけ速くなって、すぐ戻った。

自分に関係があるのかないのか、わからない。わからないことが一番疲れる。


関係ない、と思うことにした。

自分は遊んでいるわけじゃない。

あの草原は遊び場じゃない。

沈む場所だ。


でも「緊急メンテ」という単語は、沈む場所の地盤が揺れることを意味する。

眠れなくなるかもしれない——その可能性だけで、午後の残り三時間が灰色になった。


定時を過ぎても帰れず、鬼塚の「念のため」を二つ処理して、終電一本前に会社を出た。

コンビニで何か買った気がするが、何を買ったか覚えていない。袋の重さだけが手にある。


帰宅。靴を脱ぐ。脱いだ靴が倒れる。直さない。

部屋の電気を点ける前に、VRギアに手が伸びた。


今日は、いつもより早く被った。


部屋が狭い。壁が近い。天井が低い。

息が浅い。浅いのに吸えている振りをしている。


早く沈みたい。

現実から手を放したい。

草の冷たさが欲しい。何も要求しない場所が欲しい。


目を閉じた。


---


視界が暗転して、次に開けた時——空は真っ白だった。


いつもと違う。

いつもは草原の朝に直接浮かぶ。風と光の中に、ぽんと置かれるように意識が戻る。


今日は違った。

白い空間の中に、白い文字が浮いている。


```

NEOSPHERE ONLINE

Emergency Maintenance Completed.


SLEEP TRACE v1.0 — updated

Patch Notes:

- Improved sleep record stability

- Enhanced anomaly detection

- Adjusted safe zone behavior

```


文字を読んだ。

読んだけれど、半分は意味がわからなかった。


「睡眠記録の安定性向上」。「異常検知の強化」。「安全地帯の挙動調整」。


全部、自分のことじゃないか。


自分のことなのに、自分に向けて書かれていない。

「ユーザーの皆様へ」の体裁で、たった一人に刺さっている。


少しだけ、安心しそうになった。

運営が手を入れた。改善された。これで夜の記録が残って、あの不気味な欠損が消えるかもしれない。


——安心しそうになって、自分で止めた。


安心すると、期待する。

期待すると、裏切られる。

期待の後の裏切りは、最初から期待しなかった場合の十倍疲れる。


現実で学んだ。

鬼塚の「検討します」に三回期待して、三回全部差し戻されて、学んだ。


白い空間が溶けて、視界が切り替わった。


草原。


朝だった。

朝露が光っている。鳥が鳴いている。風が冷たくて、優しい。

世界はいつも、何も起きなかった顔をする。


YUは身体を起こした。


——眠れた。


沈んで、浮かんで、それで一日が成立する。

その骨格に、昨夜、運営が手を突っ込んだ。


草原の端を見る。

人影はある。でも輪がない。

昨日あった「距離の線」が、今日はさらに広がっている。

誰も近づかない。近づけないのではなく、近づく気が失せたように見える。


線の外側に、灰色のローブが二体立っていた。


`OBSERVER`


見ている。記録している。

昨日と同じ配置。昨日と同じ焦点。


でも今日は——OBSERVERの足元に、小さなエフェクトが追加されていた。

淡い青の円。記録中を示すインジケータ。

パッチで足された機能だろう。「記録していますよ」と可視化された監視。


(……見せるための目になった)


隠れて見ていたのが、堂々と見ていることに変わった。

どちらが怖いか、わからない。


インベントリを開く。


増えている。


金属片。宝石。紋章。黒い布。`???`。

一度も減ったことがない。一度も説明がついたことがない。


(落とし物だろ)


その言い訳が自分に効かなくなってきている。

でも他の説明を探す気力がない。落とし物でいい。落とし物じゃないと困る。


画面の端に通知が出た。


見慣れた場所に、見慣れない文言。


```

System Notice:

Sleep record successfully saved.

```


——え。


指が止まった。


成功した。保存された。

ずっと壊れていたものが——今日は「成功」と出ている。


心臓が一つ、大きく打った。


パッチが効いた? 記録できた?

なら——夜の間に何が起きたのか、分かる?

あの欠損の向こう側に何があったのか、ようやく——


期待が浮かんだ。

浮かんではいけないと知っているのに、浮かんだ。

水面に顔を出すように、一瞬だけ息を吸った。


次の瞬間。


通知がもう一行、追加された。


```

System Notice:

Sleep record integrity check failed.

Data partially corrupted.

```


保存された。でも壊れている。

成功した。でも失敗した。


二つの通知が、縦に並んでいる。

上の行が希望で、下の行がその否定。


(……結局、同じじゃん)


浮かんだ期待が、そのまま水底に引き戻された。

浮かんだ分だけ、沈み方が深い。期待しなければ、この落差はなかったのに。


パッチは入った。文言は増えた。通知の行数が一つ増えた。

それだけだ。

結果は同じだ。夜の記録は壊れている。


「変えようとした痕跡」だけが通知欄に残って、夜は変わらない。


——会社と同じだ。


改善提案を出す。承認される。実行される。でも結果は変わらない。

「改善しました」の報告書だけが増えて、残業時間は減らない。


世界を作った側が手を入れても、夜は揺るがない。

それは——怖いことなのか、安心することなのか。


どちらでもない。ただ、疲れる。


---


初期村に向かうと、門の前の風景が変わっていた。


変わった、というより——硬くなっていた。


木の掲示板の隣に、金属フレームの公式告知板が立っている。

ファンタジーの村に、現実のデザインが刺さっている。フォントが違う。色が違う。温度が違う。

周囲の木と石と草の中に、一枚だけ「会社の通達」が混ざっている。


```

Official Notice:

Grassland area is under enhanced observation.

Please refrain from unauthorized gathering near the designated zone.

Violation may result in account penalties.

```


罰則。


ゲームの草原で寝ていたら、罰則。

何もしていないのに、「するな」と書かれている。


この書き方を知っている。

会社の「コンプライアンス研修のお知らせ」と同じ書き方だ。

やるなと書くことで、やった場合の責任をこちらに移す。

禁止する側は、禁止した事実だけで仕事が終わる。


露店は消えていた。

手書きの草原マップも、非公式ガイドも、「記録がありません」の旗も——全部ない。


祭りが終わったのではなく、祭りが潰された。

潰したのは運営だ。「罰則」の二文字で、熱を冷ました。


ORACLEは、いつもの場所に立っていた。

白ローブ。腕章。背筋は正しい。

でも今日は、その正しさの中に——怒りがある。


怒りという言い方は正確じゃない。

ORACLEの怒りは、声が大きくなる種類のものじゃない。

静かになる種類のものだ。いつもより言葉が少なく、いつもより目が据わっている。


腕章の列も、整列が微かに歪んでいた。

昨日までの「信じる熱」が、公式の掲示で冷やされた。冷やされたけれど、消えてはいない。

冷えた金属は、熱い金属より硬い。


RAMPARTは門の内側。今日も言葉はない。頷くだけ。

でも盾の角度が昨日と違う。ほんの少し、前に傾いている。

守りの構えが、一段階上がっている。


YUが通り過ぎようとした時、腕章の一人が小声で囁いた。


「——神は、試されておられる」


声が震えていた。

震えているのに、信じている声だった。

怖がっているのに、逃げない声だった。


ORACLEが静かに頷いた。


「運営は、神を計測しようとしている。計測できるものは、神ではない。——計測を超えたものだけが、ここに残る」


計測。

その言葉が、胃に落ちた。


自分も計測されている。会社で、毎日。

工数管理。進捗報告。稼働率。生産性。

人間を数字にして、数字が足りなければ「念のため」が来る。


ここでも同じことが起きている。

運営がYUを計測しようとしている。パッチを当てて、OBSERVERを置いて、記録を強制して。


ORACLEはそれを「神への冒涜」と呼ぶ。

YUにとっては——ただ、疲れる。

計測される疲労は、現実で十分だ。


何も言わなかった。

何も言わないことだけが、ここでは安全だ。


---


夕暮れ。


草原に向かう道が、静かすぎた。


野次馬が消えた。公式の「罰則」が効いている。

怖いもの見たさの群衆は、罰則の二文字で霧散する。好奇心は無料だが、アカウント停止は有料だ。


その代わり、残った視線が重い。

数は減ったのに、圧が増えている。

軽い百の目より、重い十の目の方が、背中に刺さる。


草原の線の外側に、OBSERVERが——三体になっていた。


増えた。パッチと一緒に、目も増やしたのだ。

三体とも同じ灰色のローブ。同じ薄い造形。同じ焦点。

足元に青いインジケータが回っている。「記録中」。


三つの「記録中」が、草原を三方から見つめている。


線の内側には、RAMPARTがいた。

盾を地面に突き立てている。突き立て方が深い。今日はここから動かない、という意思の深さ。


ORACLEは膝をついていた。

メモ帳は閉じている。今日は祈りだけだ。

祈りの声は聞こえない。聞こえないけれど、唇が動いているのは見える。


その外側に——白銀の光があった。


《REGALIA》。

ASTER本人ではない。部下らしき数人が、運営の掲示に従って黙って立っている。

黙って、観測している。運営とは別の目で、同じものを見ている。


運営の目。トップギルドの目。信者の目。守護者の目。


全部が揃って、草原で一人の初心者が眠るのを見ている。


(……なんだこれ)


笑えない。

笑う気力も、突っ込む気力もない。

ただ——「寝るだけなのに、こんなに大勢の目が集まるのか」という事実が、重い。


会社では誰も見てくれない。

ここでは誰もが見ている。

どちらも、欲しい形じゃない。


YUはいつもの場所に座った。


草。冷たくて、硬くて、でも要求しない。

この感触だけが、変わらない。

通知は変わった。人の数は変わった。運営が手を入れた。OBSERVERが増えた。


でも草の冷たさだけは、初日と同じだ。


それだけで——少しだけ、息が吸える。


目を閉じた。


```

SLEEP MODE (Beta)

Safe Zone detected.

Proceed? [Y/N]

```


Y。


迷わない。迷うためのリソースは、鬼塚の「念のため」に全部持っていかれた。


横になる。


草が冷たい。頬から首に伝わって、首から肩に伝わって、肩から——ゆるむ。


```

Resting...

```


意識が沈む。


鬼塚の「念のため」が遠くなる。

同期の「顔色」が遠くなる。

パッチの文字列が遠くなる。

ORACLEの祈りが遠くなる。


OBSERVERの青いインジケータが——残っている。


記録中。記録中。記録中。

三つの目が水面の上で回り続けている。

他の全部が沈んだのに、あの青い光だけが沈まない。


でも——沈む。


沈むしかない。沈まないと、明日が来ない。


手を放す。

何の手を放したのかはわからない。でも、何かを握っていた手が開いて、指の隙間から意識が零れて——


落ちる。


---


闇。


音が消える。

草のざわめきが消える。風が止まる。鳥が黙る。


いつもの闇だ。沈んだ先にある、何もない場所。


——のはずだった。


今回は、何かが違った。


闇の中に、光が走った。


細い光。青白い光。ファンタジーの光ではない——データの光だ。

運営のUIに似た、硬い直線。モニターの残像みたいな人工の光が、闇の中に格子を描いている。


```

SLEEP TRACE ACTIVE

Recording...

```


運営のフォント。現実のフォント。

夜の底に、会社の通達みたいな文字が光っている。


記録している。


パッチが生きている。スリープの中に手を伸ばして、何が起きているかを書き留めようとしている。


光の格子が広がる。

闇を区切るように、測定するように、計測の網が夜に被さっていく。


OBSERVERの三体が——一斉に“焦点”を寄せた。


物理的には動かない。

でも、視線だけが一点に集まる。

三つの「記録中」が、三方から同じ場所を刺す。


接触しない。干渉しない。ただ見て、ただ書き留める。

それだけのはずだ。


光の格子が、もう一段階密度を上げた。


その瞬間——


格子が歪んだ。


歪んだのは光ではない。

光を通そうとした空間そのものが、拒んだ。


書き込もうとした先に、紙がなかったのではない。

紙が、避けた。


OBSERVERの足元の青い円がちらついた。

回転が不安定になる。

記録しようとした瞬間だけ、何かに弾かれている。


文字列が乱れた。

読めない文字が一瞬だけ混じって、すぐに消えた。


次に浮かんだのは、短い拒絶だった。


```

ACCESS DENIED

```


主語はない。

でも拒絶の輪郭だけは、はっきりしている。


OBSERVERの一体が、沈黙した。

焦点が外れる。

目が「見ていた形」に戻る。

青い円が止まり、光が抜ける。


二体目も、同じように静かになった。

落ちた音もない。倒れる音もない。

ただ「記録していた状態」だけが剥がれていく。


三体目だけが残った。

残って、最後まで一点を見続けた。


青い円が、脈を打つ。

一回。二回。

必死に回転を保とうとしている。


そして、ふっと消えた。


三つあった青が、消えた。

闇の中から“監視”という色だけが抜け落ちた。


残ったのは静寂だった。


静かになった、というより——静寂を許可した。

騒がしかったから静かにしたのではなく、静かであることを「こちら側が決めた」。


`Resting...` だけが残っている。


運営の格子は薄れ、文字列は消え、青い円はすべて止まった。

でも「休息中」だけが、最後まで残った。


眠りは、守られている。

覗こうとした「記録」だけが、剥がされた。


誰に守られているのかは、まだ分からない。


---


朝。


草原は、何事もなかった顔をしていた。

朝露が光る。鳥が鳴く。風が草を撫でる。

世界は毎朝、リセットされた表情でこちらを迎える。


YUは身体を起こした。


——眠れた。


それだけが確かで、それ以外は分からない。


画面の端に、通知が積もっていた。

昨日より多い。運営の痕跡が、朝の光の中に散らばっている。


```

System Notice:

Sleep record saved.

```


```

System Notice:

Sleep record integrity check failed.

Data partially corrupted.

```


```

System Notice:

SLEEP TRACE interrupted.

```


最後に一行。短く、硬い。


```

System Notice:

Observation session terminated unexpectedly.

```


上から順に読むと——「記録した」「壊れてた」「中断された」「目が落ちた」。

全部まとめると、「何もできなかった」。


(効いてないじゃん)


思って、すぐに、疲れた。

パッチが効かなかったことに怒る余裕はない。期待した分だけ沈んだ朝と、鬼塚の「念のため」が重なって、感情が底を打っている。


草原の端を見る。


OBSERVERが——二体になっていた。


昨日の夕方は三体だった。一体、減った。

減ったのか、戻されたのか、落とされたのか。

どちらでも同じだ。公式の目が、夜に拒否された。


残った二体は立っている。立ってはいるが、足元のインジケータの回転が遅い。

昨日の青い光が、今日は少しくすんで見える。


RAMPARTは立っていた。

いつもの場所。いつもの沈黙。

でも盾に——傷がある。

昨日までなかった傷。横一文字。浅いが、長い。

金属の傷というより、表示が“引かれた”みたいな一本線だった。


夜の間に何かがあった。何かから守った。守り切ったが、無傷ではなかった。


何を守ったのかは、聞けない。

聞いても「あなた様の眠り」と返されるだけだ。

自分の眠りが何かを傷つけている。その事実が、草の冷たさよりも冷たい。


ORACLEは膝をついていた。

今日はメモ帳を開いていた。ペンを握っている。

ペンが震えていた。文字を書いているのに、震えている。

震えているのに止めない。書くことが呼吸になっている人間の手だ。


YUが立ち上がると、ORACLEが顔を上げた。


「……運営は、見たのですか」


その声は穏やかだった。穏やかすぎた。

嵐の目の中にいる人の穏やかさだ。


YUは何も言えなかった。

見たのは自分じゃない。寝ていた。何も知らない。何も見ていない。


でも通知欄に「観測セッションが予期せず終了した」と書いてある。

運営の目が「予期せず終了した」と書いてある。


何も知らないのに、証拠だけが手の中にある。


ORACLEが小さく頷いた。

YUの沈黙を、何か別のものとして受け取った顔で。


「見ようとして——拒まれました」


その言葉の方が、通知欄より正確だった。


---


初期村に戻ると、公式掲示板の前に人だかりができていた。


だかり、というほどの密度はない。

「罰則」の掲示が効いて、近づく人間は減っている。でもゼロにはなっていない。


罰則を恐れない人間は、二種類しかいない。

何も失うものがない人間と、失うことより知ることを選ぶ人間だ。


掲示板の内容が更新されていた。


```

Official Notice:

Emergency maintenance will be extended.

Additional observation measures will be implemented.

Details to follow.

```


追加の観測措置。

運営が引いていない。引けないのだ。


一度手を伸ばして弾かれた。でもまた伸ばすと書いてある。

弾かれても弾かれても手を伸ばす——それは執念なのか、責任なのか。


どちらにしても、その手が伸びる先に自分が寝ている。


YUは掲示板の前を通り過ぎた。


通り過ぎる時、誰かの声が耳に入った。


「次のメンテ、今夜だって」


今夜。


今夜また、運営が来る。

もっと目を増やして。もっと光を強くして。もっと記録を硬くして。


それでも——夜は来る。


そしてYUは、眠るしかない。


他に行く場所がない。他に沈める場所がない。

草原だけが、「了解しました」を言わなくていい場所だから。


---


**NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 39**


`312:`

パッチ入ったのにまた欠損してて草


`314:`

草じゃないんだよなあ。SLEEP TRACE入れたのに記録が壊れてるってどういうこと?


`317:`

しかもOBSERVER一体減ってるんだけど。昨日の夕方は三体いたのに今朝二体


`319:`

落ちたんじゃなくて落とされたんだろ。昨日と同じパターン


`322:`

盾のやつの盾に傷ついてたって見た人いる?


`325:`

いる。横一文字。昨日まではなかった。あいつ一晩中何と戦ってたんだ


`327:`

戦ってたのか守ってたのかもわからんだろ。あの寝てるやつは何もしてないんだから


`330:`

何もしてない初心者の周りだけ毎晩何か起きてる。でも何が起きたかは誰も言えない


`333:`

REGALIA勢は何か掴んでんのかな


`335:`

掴んでたら報告書もう一回出してるだろ。黙ってるってことは「説明できない」か「説明したくない」


`338:`

運営がパッチ入れて、OBSERVER増やして、記録強制して——それでも「記録できません」って。何と戦ってんだよ運営


`341:`

寝てるだけの初心者


`342:`

だからそれがおかしいんだよ


`345:`

次のメンテ今夜入るってさ。追加措置って書いてある


`347:`

追加措置ってなに。OBSERVERさらに増やすの? 増やしたところで毎晩減ってくだけじゃん


`349:`

運営の胃が心配


`350:`

俺たちの睡眠時間も心配しろ。毎晩草原が気になって眠れないんだが


`354:`

寝てるやつだけが安眠してる説


`355:`

皮肉が利きすぎてて笑えない


---


夜が来る。


今夜も運営は手を伸ばす。

昨夜弾かれた手を、また伸ばす。

もっと硬く、もっと多く、もっと深く。


それでも——夜は来る。


来てしまう。


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