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6/19

運営ログ


朝、会社のエレベーターが開いた。


中には誰もいなかった。

誰もいない箱に乗り込んで、ボタンを押して、扉が閉まるまでの数秒だけ、相沢悠は息を吐いた。


吐ける場所が、ここしかない。


エレベーターは上がった。壊れかけのくせに律儀に上がる。

壊れていても動くなら、動ける扱い。

動ける扱いのまま、止まるまで使われる。


——自分のことだ、と思った。


フロアに出る。席に着く。モニターを点ける。

目が乾く。瞬きをしてもリセットされない乾きが、朝から居座っている。


鬼塚のチャットが点滅していた。


開かない。でも、開かないと。

でも、開けば「念のため」が増える。夜が遠のいたら——眠れない。


眠れないことだけが、いま一番怖い。


(夜まで。夜になれば、眠れる)


その一行だけを胸ポケットに入れて、今日をやる。

コーヒーはブラックにした。昨日のブラックが効いた。これまでは微糖だった。今日は甘さを受け付けない舌になっていた。


昼前に、隣の席の同期が声をかけてきた。


「相沢、顔色……いや、いい。なんでもない」


言いかけて、やめた。

やめたということは、見えているということだ。

見えているのに触れない。触れたら巻き込まれるから。


巻き込まれたくない優しさ。それを責める気力はない。


昼に、社内のニュースフィードに一通のお知らせが混ざっていた。


「NEOSPHERE ONLINE 臨時メンテナンスのお知らせ」


スクロールの指が止まった。一秒だけ。

それから通り過ぎた。


関係ない。

自分はゲームを遊んでいるわけじゃない。

あの草原は遊び場じゃない。


沈む場所だ。


---


視界が暗転して、次に開けた時——草原は、また朝だった。


ネオスフィアの朝は、いつも同じ顔をしている。

鳥が鳴く。草が揺れる。風が冷たくて、でも痛くない。

現実の朝が拳なら、こっちは掌だ。開いた手で、何も要求せずに触れてくる。


YUは身体を起こした。

草に頬の跡がついている気がした。データに頬の跡なんかないのに、そう思った。


——眠れた。


沈んで、浮かんで、また沈む。

それが生活だった。それだけが、まだ壊れていないものだった。


草原の端に人影はある。

でも、昨日までとは空気が違う。

観光客の気配が消えて、距離だけが残っている。

近づけない、という線が引かれたように、誰もが一定の範囲から先に来ない。


(……何か、変わった?)


考えない。

考えると壊れる。壊れていいものは、もう残っていない。


インベントリを開く。


増えている。

金属片。宝石。紋章。黒い布。`???`。

毎朝増え続けるものたち。捨てようとしても捨てられないものたち。


(落とし物だろ。……落とし物だよな)


そう思わないと、次の動作ができない。


画面の端に、通知が出た。


```id="p2c3a1"

System Notice:

Resting record could not be retrieved.

Data partially corrupted.

```


もう数えていない。

数える意味がない。


ただ毎朝、同じ文字列を見て、同じように目を逸らす。

それだけが日課に追加された。


---


初期村に入ると、空気が変わっていた。


門の前の貼り紙が増えている——のではなく、減っていた。

露店の看板が半分畳まれ、昨日まであった「草原マップ」の手書き出品も消えている。

祭りが終わった翌朝の、ゴミだけ残った広場。その匂い。


でも、ゴミは片づけられていた。

誰かが意図的に、痕跡を消している。


ORACLEは、いつもの位置に立っていた。

白いローブ。腕章。背筋は今日も正しい。

その正しさが、いつもは安心させるのに、今日は少しだけ硬い気がした。


RAMPARTも門の内側にいる。

頷く。それだけ。

それだけなのに、今日の頷きは浅い。


(……ふたりとも、何か知ってる)


聞けない。聞く関係じゃない。

自分は寝に来ているだけの初心者で、このふたりが何者なのかも、正直よくわかっていない。


広場を横切ろうとした時、視界の端に——止まった。


見慣れないものがいた。


プレイヤーではない。

衛兵NPCでもない。頭上に衛兵のタグがない。


灰色のローブ。顔の造形が、他のNPCより薄い。目も鼻も口も「ある」のに、どれも「そこにいる」ための最低限しか描かれていない。

手足がない——のではなく、ローブの中に隠れて見えない。


ただ、目だけが違った。

焦点が合っている。正確に、こちらに。


他のNPCは、こちらを「見ている風」に作られている。

これは、「見ている」。

見ている、という動作だけを目的に作られたもの。


頭上の表示。


`OBSERVER`


ギルド名なし。称号なし。レベル表示なし。

ただ、「観測者」。


(……ロールプレイ?)


いや、違う。

ロールプレイヤーなら、もう少し楽しそうにやる。これは楽しんでいない。仕事の顔だ。


周囲のプレイヤーたちが、妙に静かだった。

OBSERVERの前を通る時だけ、歩幅が小さくなる。足音を消そうとしている。

見てはいけないものが広場に立っている時の、あの空気。


ORACLEが、いつもより一歩だけ近くに来て、声を落とした。


「——公式が、置いていきました」


公式。

運営。

この世界を作って、動かして、数値を決めて、メンテナンスをする側。


その言葉の重さが、一拍遅れて腹に落ちた。


(僕……何かした?)


何もしていない。寝ているだけだ。

草原で横になって、沈んで、浮いて、アイテムが増えて、通知が壊れて——それだけだ。


それだけなのに。

世界を作った側が、わざわざ「目」を置きに来ている。


背筋が冷えた。ゲームの中で背筋が冷えるのはおかしい。

おかしいのに、冷えた。


ORACLEが、何かを言いかけて——やめた。

やめて、一歩下がった。


その一歩が、「これ以上は言えない」の距離だった。


---


宿屋に向かった。


今日は室内で眠りたい。壁が欲しい。天井が欲しい。

視線を切りたい。あの焦点の合った目から、物理的に離れたい。


金はある。昨日の献上で、インベントリの中にはYUの身分に不釣り合いな額が入っている。壁を買う金くらい、ある。


宿屋の扉を押す。

受付のNPCが、いつも通りの笑顔を浮かべた。

この笑顔は「作られたもの」だとわかっている。わかっているのに、今日は少しだけありがたい。

少なくとも、焦点が合いすぎてはいない。


「いらっしゃいませ。本日は——」


間があった。


NPCの台詞に「間」があるのは、はじめてだった。


「——申し訳ございません。本日は臨時点検のため、満室扱いでございます」


満室扱い。


(やっぱりか)


口には出せない。出す相手がNPCでは意味がない。

でも胸の中で何かが軋んだ。小さな、乾いた音。折れたのではなく、曲がった音。


背後に気配があった。


振り返ると、`OBSERVER` が立っていた。

宿屋の入口の横。壁に寄りかかるでもなく、ただ直立している。


封鎖しているのか、と一瞬思った。

でも違う。遮ってはいない。止めてもいない。


ただ——そこに立って、「ここで眠るな」と言っているだけだ。


わからない。わからないことが、一番怖い。


YUは宿屋を出た。

出た瞬間、ORACLEが遠くから小さく頭を下げたのが見えた。

謝っている——のではなく、「戻ってきてくれ」の頭の下げ方。


草原しかない。


眠れる場所は、結局あそこしかない。


壁もない。天井もない。視線も切れない。

でもあそこだけが、`Resting...` を許してくれる。


足が重い。ゲームのアバターに疲労パラメータはないはずなのに、足が重い。


---


夕方、草原に戻ると、空気がさらに変わっていた。


輪が小さい。

昨日まで遠巻きに見ていた野次馬が、ほとんどいない。

残っているのは——ORACLE。RAMPART。そして、数人の無言のプレイヤー。


その外側に、`OBSERVER` が立っていた。

草原の東端。ローブが風に揺れている。本体は揺れていない。


さっき宿屋の前にいたのと同じ個体なのか、別なのかもわからない。

わからないまま、視線の焦点だけがこちらに合っている。


RAMPARTが、いつもより一歩内側にいた。

守る範囲を狭くしている。狭くしなければならないほど、「外」の圧が増している。


ORACLEが膝をついていた。

祈りなのか、疲労なのか、判別がつかない。

でも、顔を上げた時の目は——穏やかだった。穏やかすぎるほどに。


「お待ちしておりました」


待たれている。

寝に来ただけなのに、待たれている。


YUはいつもの場所に座った。

草の感触。冷たくて、硬くて、でも要求しない。


ここだけが何も聞いてこない。ここだけが「やれ」と言わない。


鬼塚は「念のため」と言う。

運営は「観測する」と言う。

ORACLEは「お待ちしておりました」と言う。


全員が、何かを求めている。

誰も、「寝ていいよ」とは言わない。


——自分で言うしかない。


目を閉じた。


```id="5mns8n"

SLEEP MODE (Beta)

Safe Zone detected.

Proceed? [Y/N]

```


Y。


横になる。草が冷たい。冷たさが頬から首に伝わって、そこから先は——ゆるむ。


```id="dwy1v9"

Resting...

```


意識が沈む。


鬼塚の「念のため」が遠くなる。

同期の「顔色」が遠くなる。

ORACLEの呼吸が遠くなる。


`OBSERVER` の視線が——残っている。


残っているだけで、眠りが浅くなる気がした。

気のせいだ、と言い聞かせた。言い聞かせないと沈めない。


最後まで、視線だけが水面の上にある。

他の全部が沈んだのに、あれだけが沈まない。


でも——沈む。


沈むしかない。沈まないと、明日が来ない。


視線ごと、夜に巻き込んで——沈んだ。


風が止んだ。

草のざわめきが消えた。

空が——暗転した。


---


その頃。


ネオスフィア運営本社ビル、地下一階。サーバー監視室。


蛍光灯は消えている。点いているのはモニターだけだ。

三十二枚の画面が青白い光を吐き続けて、人間の顔色を均一に塗り潰す。

この部屋に朝も夜もない。あるのは、ログが流れるか止まるかだけ。


羽賀直樹は、椅子の背に体重を預けたまま天井を見ていた。


COO。最高執行責任者。

肩書きはそうなっている。名刺にもそう書いてある。

でも今この瞬間、彼がやっているのは天井のシミを数えることだ。

シミは三つ。先週は二つだった。増えている。天井のシミは勝手に増える。問題も勝手に増える。


「……来ましたね」


隣の席で、佐久間修司が言った。

主任エンジニア。二十八歳。髪を最後に切ったのはたぶん二か月前。

声は静かだが、目が光っている。画面に何か映っている時の目だ。


壁一面のモニターに、ログが流れていた。


サーバー負荷。セッション数。トラフィック。異常検知フラグ。

数字と文字列の川が、右から左へ絶えず流れている。

その中に——ひとつだけ、毎晩同じ赤い行がある。


`INCIDENT: GRASSLAND / SLEEP MODE / RECORD LOST`


赤。赤。赤。

数日間、同じ行が同じ色で流れ続けている。


「ここ数日、ずっとです」


佐久間が、確認するように言った。

眠そうな声。でも、目は冴えている。

運営は眠れない。眠るユーザーを見守る側は、眠れない。皮肉が利きすぎていて笑えない。


羽賀がゆっくり椅子を起こした。


「上から来たか」


「来ました。REGALIAのASTERが正式レポート出してます。"無効化"って単語使ってますね」


佐久間が画面を切り替えた。

添付ファイルがひとつ。動画。再生する。


——真っ黒だった。


画面が黒い。音声もない。途中から何も記録されていない。

ただ、最後の数秒だけ——かすれた呼吸が残っている。

誰のものかわからない呼吸。吸って、吐いて、途切れる。


羽賀が画面を見つめたまま言った。


「例のアカウントは」


「`YU`。レベル帯、初心者。ログイン時間、深夜帯固定。最終接続——昨夜。活動履歴は——」


佐久間の指がキーボードの上で止まった。


止まった指を、羽賀は見た。

エンジニアの指が止まる時は、バグを見つけた時か、バグですらないものを見つけた時だ。


「……活動履歴、存在しません」


「ない?」


「"休息"のレコードだけはあります。毎晩、スリープモードに入った記録。でも、その区間の詳細が毎回欠損する。欠損というか——」


佐久間が言葉を選んでいた。選ばなければならない言葉があるということだ。


「——記録の生成自体が、キャンセルされてます。サーバー側に書き込みリクエストが来てない。来てないんですよ、そもそも」


羽賀の奥歯が鳴った。噛みしめたのが自分でわかった。


「OBSERVERは」


「配置しました。GM権限の観測アバター。可視化は最低限。接触なし、干渉なし、記録だけ」


佐久間が別のログを開いた。


「——三時間前に、接続が切れました」


「切れた? 落ちたのか」


佐久間が首を横に振った。

ゆっくり、正確に、否定した。


「落ちたログじゃないです。落ちた場合のエラーコードとは違う。これは——"戻された"ログです」


画面に、短い行が表示されていた。


```id="ow4nqm"

OBSERVER SESSION: terminated

Reason: PERMISSION REVOKED

```


権限剥奪。


羽賀は、その文字を三回読んだ。

三回読んでも、意味が変わらなかった。


「……GMの権限が、剥がされた?」


「そうなります」


「誰が剥がした。俺は出してない。お前も出してないだろう」


「出してません」


佐久間がもう一枚、ログを開いた。

慎重に。指先の動きが、爆弾処理のように丁寧だった。


```id="mth0x6"

AUTH EVENT:

principal = [UNKNOWN LABEL: NOX]

action = grant / revoke

scope = observer

result = success

```


沈黙が落ちた。


モニターの冷却ファンだけが回っている。

三十二枚の画面が青白く光り続けている。

その光の中で、`NOX` という三文字だけが黒い。


「……何だ?、これ」


羽賀が言った。

COOが「何だ?」と聞くのは、本来あってはならない。

自分の管轄の、自分のサービスの、自分のサーバーの中で起きていることを、「何だ?」と聞かなければならない。


佐久間が正直に答えた。


「わかりません。このラベル——既知のアカウント名じゃないです。既存の自動付与タグ体系にも該当しない。内部のどの一覧にも載っていない。……見たことがないです」


「見たことがない主語が、GM権限を剥がしたのか」


「ログ上は、そうなります」


羽賀は目を閉じた。


目を閉じても、闇は来ない。

ここは現実だ。現実は、閉じた目の裏側まで追いかけてくる。

まぶたの裏にモニターの残像が焼きついて、青白い長方形がちらちらと瞬いている。


目を開けた。


「対策」


佐久間が頷いた。待っていた顔だ。


「案はふたつ。ひとつ、草原エリアのスリープモードを無効化する。ふたつ、該当アカウント `YU` のスリープモードだけを個別停止する」


「やれ」


「——やれません」


羽賀の眉が動いた。


佐久間が別の画面を出した。

リクエストログ。今夜、佐久間が自分で試した記録。


```id="qt57ge"

REQUEST: disable_sleep_mode (area=GRASSLAND)

EDEN CORE: denied

Reason: user safety risk

```


「コアが弾きました」


「コア?」


「EDEN CORE。ネオスフィアの基幹AIです。ゲームの正式名称は変わっても、社内のコードネームは旧称のまま残っている。安全管理を統括する——我々が作った、我々のAI。そのAIが、我々のリクエストを蹴ってます」


羽賀は笑った。

笑いではない。喉が引きつっただけの音だ。


「ユーザー安全……。ユーザーは寝てるだけだぞ」


「はい。寝てるだけです。だからコアは"このユーザーの安全な睡眠を妨害する操作"として拒否してます。仕様通りです。仕様通りに、我々が詰んでます」


佐久間の声には棘がなかった。

棘を出す余裕がないのだ。疲労が棘より先に来ている。


羽賀は立ち上がった。

立ち上がったら、決めなければならない。

座っていれば考えていられる。立ったら、動かなければならない。


「パッチを入れる」


佐久間が顔を上げた。


「スリープモードを止めるんじゃない。ログを"強制的に"生成させる。欠損を欠損のまま放置するんじゃなく、欠損している事実を記録させる。戦闘が起きてるなら戦闘ログを、移動してるなら移動ログを——何が起きていても、イベントキューを残させろ」


佐久間が数秒、考えた。


「技術的には可能です。コアの安全判定には抵触しない——睡眠を止めるわけじゃなく、睡眠中の記録方法を変えるだけだから」


「やれ」


「……やります。ただ——」


佐久間が言葉を切った。

切ったまま、`NOX` の三文字を見ていた。


「相手が、それを許しますかね」


許す。許さない。

その主語が「ユーザー」ではなく「相手」になっている。

佐久間自身が、無意識にそう呼んでいる。


羽賀は答えなかった。

答える代わりに、言った。


「OBSERVERをもう一体出す。今度は接触するな。近づくな。見ろ。記録しろ。——それだけでいい」


佐久間がキーボードを叩き始めた。

画面にデプロイスケジュールが表示される。


```id="k3c8h9"

Hotfix: SLEEP TRACE v1.0

Deploy: 02:00

Status: pending

```


佐久間が最後に言った。


「"それだけ"で、済めばいいんですけどね」


羽賀は答えなかった。


答えられなかった。


三十二枚のモニターが青白く光る部屋で、ふたりの人間が「寝ているだけの誰か」を追いかけている。

追いかけているのに、追いつけない。

追いつけないどころか、こちらの手が届く前に、手そのものが弾かれる。


相手は——寝ているだけなのに。


---


草原の上で、YUは何も知らない。


運営の目が増えたことも。

パッチが今夜入ることも。

三文字のラベルが、サーバーの奥で誰かの胃を灼いていることも。


知らない。知るはずがない。

眠っている人間は、夢の外のことを知らない。


ただ——


夜は来る。

呼ばなくても、夜は来る。


そして夜が来た時、草原に何が起きるのか。

運営は、見届けるしかない。


---


翌朝。


草原はいつもの顔をしていた。

朝露が光る。鳥が鳴く。風が草を撫でる。

何事もなかったかのように——何事もなかったことになっている。


YUが身体を起こした。


画面の端に、見慣れない通知がひとつ増えていた。


```id="tobzdt"

System Notice:

SLEEP TRACE v1.0 applied.

Some functions may behave differently.

```


そしてその直後に、いつもの文字列が続く。


```id="u7tmyg"

System Notice:

Resting record could not be retrieved.

Data partially corrupted.

```


変わっていない。


変えようとした。パッチを入れた。02:00に走らせた。

それでも——変わっていない。


「変えようとした痕跡」だけが通知欄に残って、結果は同じだった。


草原の端に、`OBSERVER` が立っていた。


二体。


昨日は一体だった。今日は二体。増えている。

同じ灰色のローブ。同じ薄い顔。同じ焦点。


でも——今日の視線は、昨日と違う。


「見ている」だけではない。「記録している」。

証拠を残すために開かれた目。


YUは、その目から視線を外した。


外したかった。外せたかどうかは、わからない。

見ていない振りをしても、記録する側はやめない。


立ち上がる。草を払う。

初期村に向かう道の途中で、空に小さな告知が浮かんだ。


```id="6s4vda"

Official Announcement:

Emergency maintenance scheduled.

Details to follow.

```


風が止んだ。

告知の文字が、白い空に溶けずに残っている。


YUは立ち止まった。

眠りたいだけなのに。

眠る場所に、公式の目が立ち、公式の手が伸びてきている。


でも——眠るしかない。

ここ以外に眠れる場所がないから。


足を動かした。

重い足を、それでも動かした。


---


NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 38


`211:`

今朝ログインしたんだけど、草原に灰色ローブが二体いるんだが


`212:`

あれ増えたのかよ


`213:`

OBSERVERだっけ? 昨日は一体だった。今日二体。明日三体とかやめてくれ


`215:`

てか臨時メンテ告知出てるじゃん。あの草原絡みだろどう考えても


`218:`

REGALIA勢が帰ってきてから空気変わったよな。ASTERが報告書出したって噂あるし


`222:`

初心者帯にGM権限のアバター二体配置って、歴代で見たことない。どんだけヤバいの


`224:`

つかあの寝てるやつまだいるんだろ? 毎日同じ場所で寝てるだけなのに周りだけ大事になってるの草


`228:`

草じゃねーよ。あいつが寝るたびに何か起きてるんだよ


`230:`

何が起きてるかは誰も知らない。見た人間が全員「説明できない」って言う。REGALIAの連中も黙ってる


`233:`

OBSERVERの目、見た? あれ絶対プレイヤーの目じゃない。ゲーム内で初めて「視線が怖い」って思ったわ


`237:`

次のメンテで何か変わるんかな


`238:`

変わるといいな。変わらなかったら、運営が負けたってことだし


`241:`

寝てる初心者vs運営。何の話?


`242:`

俺たちにもわからん


---


夜が来る。


今夜は、運営が本気で覗いてくる。

パッチを入れた。目を増やした。記録を強制した。


それでも——


夜は、来る。


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