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4/21

献上


朝、会社の蛍光灯は昨日と同じ明るさで、昨日と同じ顔をしていた。


昨日がどれだけ壊れても、世界は「翌日」を当然のように出してくる。壊れたままでも出社できるなら、壊れてない扱いになる。壊れているのに「おはようございます」と言えてしまうなら、言える方が悪い。


相沢悠は、机に座って、息を吐いた。


画面の右下に、未読のチャットが点滅している。鬼塚からだ。開かない。開けば「念のため」が増える。増えれば夜が遠のく。夜が遠のけば、眠りが遠のく。


(夜まで。夜になれば、眠れる)


それだけを握って、指先を動かした。修正。報告。返信。丁寧語。丁寧語は、優しい顔で人を削る道具だ。もう何周目か分からない。


昼休み、同期が小声で言った。


「お前、最近顔色ヤバくない? 大丈夫?」


大丈夫です、と言いかけて、喉の奥で止めた。


大丈夫じゃない。大丈夫じゃないのは分かっている。でも「大丈夫じゃない」と言った瞬間、何かが始まってしまう。心配が始まる。質問が始まる。「何がつらいの」「病院行った?」「上に言おうか」——全部ありがたいはずの言葉が、全部重い。ありがたさの重さに耐える余力が、今の悠にはない。


「まあ、寝れてないだけ」


嘘じゃない。半分だけ本当だ。


同期は心配そうに笑って、缶コーヒーを置いていった。甘い匂いがした。ブラックじゃなくて、カフェオレ。悠がブラックを飲めないことを覚えている。


それが、現実の優しさの限界だった。缶コーヒー一本分の優しさ。それ以上は、誰も踏み込めない。踏み込まないのが大人で、踏み込まないのが正解で、踏み込まないから人は壊れていく。


夜まで。夜になれば、眠れる。


缶コーヒーを飲んだ。甘かった。甘いものが胃に落ちると、少しだけ身体が動く。少しだけ動いた身体で、また修正を始めた。


---


視界が暗転して、次に開けた時、草原は朝だった。


ネオスフィアの朝は、いつも白い。空が白くて、鳥が鳴いて、草が揺れて、風が冷たくて、世界が静かだ。現実の朝が殴ってくるのに対して、こっちの朝は撫でてくる。


YUは身体を起こした。


——眠れた。


ここで眠りに落ちて、ここで目が覚める。それだけのことが人生を支えている。一日の中で「良いこと」がこれしかないのは悲しいはずだが、悲しむ余裕すらないので、ただ「嬉しい」だけが残る。


風が草を撫でている。朝露が光っている。


そして——今日は、草原が静かだった。


昨日までの見学者の輪がない。人影は遠くにいるが、距離が開いている。近づこうとしない。


(……何かあったのか)


分からない。分からないが、静かなのはありがたい。視線が減るだけで呼吸が楽になる。


YUは立ち上がって、草を払った。


インベントリを開く。開きたくないのに、開いてしまう。開かないと不安だから開く。不安を確認するために不安の元を見る。人間は矛盾した生き物だ。


増えていた。


金属片。宝石。紋章。黒い布の切れ端。いつもの「説明のつかない素材」に加えて——今日は、見慣れない形のアイテムが混じっていた。


紫色の紋章。装飾が細かい。見るからに「所属」を示すものだ。会社の社員証みたいな。


そして、その横に——名前のないアイテム。


```

???

```


説明文なし。アイコンもぼやけている。タップしても何も起きない。捨てようとしても「破棄できません」。


二つ目だ。この間の夜にも同じものがあった。意味不明の、捨てられないアイテム。


(……何これ)


初心者サポートでは説明がつかない。放置報酬でも説明がつかない。落とし物でも——いや。


(落とし物だろ)


そう思うことにする。そう思うしかない。思わないと、朝が始められない。


紫色の紋章のほうが気になった。どこかの組織のものだろう。PKのとは違う。もっと「公式っぽい」デザイン。


でも——考えない。考えると壊れる。


画面の端に、通知。


```

System Notice:

Resting record could not be retrieved.

Data partially corrupted.

```


また。


もう驚かない。驚く余裕がない。驚ける余裕は、全部会社に持っていかれている。


---


初期村の門をくぐった瞬間、空気が違った。


静かだ。人はいるのに、昨日までの熱がない。代わりに、ひんやりした緊張が漂っている。空気に金属の味がする。見えない刃物が空中に浮いているような。


広場の端に、見慣れない旗が立っていた。


金色の糸で縁取られた布。紋章が入っている。商会のマークだろうか。まぶしい。まぶしすぎて逆に冷たい。金色は暖色のはずなのに、この旗は冷たい光を出している。


その下に、黒服のプレイヤーたちが並んでいた。装備は派手じゃない。武器も見せていない。鎧も着ていない。でも——立ち方が、戦う人間のそれではなかった。「管理する」人間の立ち方だ。会社の経理部の人が机に座っているときの、あの静かな圧と同じ種類。


目が笑っていない。


「支払い」を当然だと思っている目だ。


広場の反対側では、ORACLEがすでに立っていた。いつもの白ローブ。いつもの穏やかな顔。ただし今日は、穏やかさの奥に見えるマグマの光が一段明るい。腕章の人たちも増えていた。並び方に規則がある。もう「集団」ではなく「組織」に見える。


RAMPARTも広場の入り口に立っていた。盾を背負って、腕を組んでいる。昨日の夜に何かがあったのか、鎧に新しい傷がまた増えている。増えているのに表情が変わらない。


YUが門をくぐった瞬間、全員の視線が集まった。


——いつものことだ。


いつものことなのに、慣れない。慣れないことに慣れた。矛盾だが、社畜は矛盾に強い。


ORACLEが深く頭を下げた。


「おはようございます、YU様」


(様、やめてって言ってるのに)


言い返す前に、金色の旗の下から声が飛んできた。


「おや。噂の方ですか」


声は丁寧だった。


丁寧語でできた刃。現実で聞き慣れている。クライアントの「念のため」と同じ匂い。上司の「見せて」と同じ構造。柔らかい言葉で、逃げ道を全部塞ぐやり方。


黒服の先頭が、薄い笑みを浮かべて一歩前に出た。装備は地味だが、仕立てが良い。プレイヤーの中でも金を持っている側の装備だ。


「当商会は、このエリアの治安維持のために"協力金"を集めております。最近、草原周辺が大変騒がしいようでして」


協力金。治安維持。


言葉が綺麗すぎて、胃が縮む。


現実でも同じだ。「協力」という言葉は、断ると「協力しない人」になる。「しない」が罪になる。やらないことが悪になる。日本語の受動攻撃は、世界一洗練されている。


「ですので……特別扱いを受けている方には、相応のご負担をいただければ、と」


特別扱い。受けている覚えがないのに、受けていることになっている。自分の知らないところで自分の名前が使われて、自分の知らない「特別」が勝手に積み上がっている。


YUは口を開こうとした。


何を言えばいいか分からない。「払います」と言えば終わるのか。「払いません」と言えば揉めるのか。どちらを選んでも面倒で、どちらを選んでも眠りが遠のく。


口が開く前に——ORACLEが、一歩前に出た。


「協力金という名の搾取は、神意に反します」


声が低い。いつもの神託モードではない。もっと地に足のついた怒りの声だ。


黒服は肩をすくめた。表情は変わらない。丁寧な笑みのまま。


「搾取? いえいえ。任意ですよ。ただ——払わない場合、皆さんの安全を保証しかねます、というだけの話です」


保証しかねます。


脅しの丁寧語。クライアントが納期に間に合わないと分かった時に送ってくるメールと同じ構造だ。「弊社としては最善を尽くしますが、ご期待に沿えない場合もございます」——あれの暴力版。


RAMPARTが、盾に手をかけた。


「帰れ」


短い一語。感情がない。事実の宣言。「帰れ」は命令ではなく、物理法則の提示だ。


黒服の先頭は、RAMPARTを見て——それからORACLEを見て——それからYUを見た。


計算している目だった。天秤にかけている目。ここで押すか、引くか。


引いた。


「……失礼しました。またの機会に」


またの機会。


また来る。確実に来る。今日は「挨拶」だ。次は「回収」だ。丁寧語は段階を踏む。最初は挨拶。次は催促。その次は——。


黒服が去っていく。足音が静かだ。PKの《REDJACKS》より、ずっと静かだ。静かなほうが怖いことを、悠は知っている。怒鳴る上司より、静かに詰める上司のほうが怖い。


YUは、何もしていなかった。


一言も発していない。ORACLEとRAMPARTが勝手に対処して、黒服が勝手に引いた。自分は立っていただけだ。


立っていただけなのに——巻き込まれている。


---


黒服が去った後、広場の空気が戻る——はずだった。


戻らなかった。


腕章のプレイヤーたちが、YUの前に集まり始めた。手に何かを持っている。小さな箱。布袋。革の袋。光る石。


一人目が、YUの足元に箱を置いた。


「どうか、お受け取りください」


(え)


二人目が、布袋を置いた。


「これは、我々からの感謝です」


(感謝? 何に?)


三人目。四人目。五人目。


箱が積み上がっていく。


YUは動けなかった。目の前で起きていることの意味が、脳に届くまでに時間がかかる。疲労が処理速度を落としている。


ORACLEが、胸の前で手を組んだ。


「献上です」


献上。


その二文字が、空気を変えた。


「皆様。先ほど、搾取の手が伸びました。しかし神は——動かれなかった」


ORACLEの声が、広場に響く。


「動かないことこそが、拒絶です。沈黙こそが、否定です。神は、搾取に一言も応じなかった。——それが答えです」


(違う。喋るタイミングがなかっただけだ)


「我々は、その沈黙に応えなければなりません。搾取が奪おうとしたものを、我々が満たす。神の手を、空にさせてはならない」


(手は最初から空だよ。初心者だもん)


箱がさらに増えた。


YUは、積み上がる箱を見下ろした。中身が見える。素材。鉱石。ポーション。装備の一部。どれも初心者には手が届かない品質のものだ。


「あの……これ」


声を出した。出さないと、もっと積み上がる。


「落とし物じゃないですか?」


言った瞬間——空気が震えた。


ORACLEのペンが止まった。


彼は顔を上げた。目が光っていた。マグマではない。もっと深い光。星が生まれる直前の光。


長い沈黙。


三秒。五秒。


広場の全員が、息を止めていた。


ORACLEが、震える声で言った。


「——"落とし物"」


その言葉を噛みしめるように。


「神は……迷える者が落としたものを、拾い上げ——」


来る。変換が来る。


「——正しい場所に、戻される」


来た。


「これは献上ではない。"返却"です。我々が失い、忘れ、諦めたものを——神が拾い、戻してくださる。だから我々も、神の手に戻す。循環です。摂理です」


(摂理って。ただ「落とし物じゃないですか」って聞いただけなのに)


周囲の腕章たちが、泣いていた。


またか。


またVRの表情トラッキングが本物の涙を拾っている。この世界の人たちは、よく泣く。現実では泣けない分、ここで泣いているのかもしれない。


——そう思ったら、少しだけ胸が痛んだ。


自分だって泣きたい。泣きたいのに泣けない。泣く余裕がない。泣いたら朝が来なくなる気がして、泣けない。


でもこの人たちは泣いている。ゲームの中で。仮想空間の広場で。誰かが「落とし物」と言っただけで。


(……受け取るしかないのか)


YUは、小さく頷いた。


「……分かりました」


分かってない。全然分かってない。でも「分かりました」以外に、この場を終わらせる言葉がなかった。現実と同じだ。会議で「分かりました」と言うのは理解の表明ではない。終了の合図だ。


インベントリが、一気に重くなった。箱の中身が流れ込んでくる。素材。鉱石。ポーション。装備パーツ。宝石。


数字がどんどん増えていく。


所持金も増えていた。献上の中に、金貨が混じっていた。


```

Total: 24,800G

```


(……に、二万?)


初期所持金の二十四倍。


宿屋どころの話ではない。何泊できるか分からない。いや、そもそも——初心者がこの額を持っていていいのか。これは正常なのか。


寝てるだけでこれは、正常じゃない。


正常じゃないことは分かっている。分かっているのに、棚に上げる。社畜の生存戦略。考えない。考えたら壊れる。壊れる余裕がない。


---


夕方、草原へ向かう道の途中で、風向きが変わった。


風の匂いが違う。草と土の匂いではない。もっと——金属的な匂い。


道の脇に、黒服の人影が一つ見えた。


昼間の「またの機会」が、もう来ている。


人影はYUには近づかなかった。RAMPARTが後ろを歩いているからだ。いつの間にかついてきていた。護衛というより、影のように。


でも——人影は、草原の方角を見ていた。


見ている。距離を測っている。タイミングを計算している。


「回収」の下見だ。


(また来る)


胃が重い。現実の胃痛とゲームの胃痛は、不思議と同じ重さだった。


草原に着いた。


今日は、見学者の輪が少し小さい。昨日までの野次馬は減っている。代わりに、残っている人間の目が本気になっている。


怖いもの見たさではなく——信じている目。


それが、いちばん怖い。


YUは、いつもの場所に座った。草の感触。冷たさ。硬さ。


ここだけが要求しない。ここだけが何も聞いてこない。


ORACLEが、少し離れた場所で膝をついた。メモ帳を開いている。今日の「落とし物」も、もう書き込まれているのだろう。自分の何気ない一言が、また一行の教義になっている。


目を閉じる。


```id="j7x0t8"

SLEEP MODE (Beta)

Safe Zone detected.

Proceed? [Y/N]

```


迷わない。


横になる。草が冷たい。


```id="t8ouq0"

Resting...

```


意識が沈む。


鬼塚の「念のため」が遠くなる。ORACLEの「摂理です」が遠くなる。黒服の「またの機会に」が遠くなる。缶コーヒーの甘さだけが、少しだけ残って——それも、沈む。


輪の外側で、息を呑む気配がした。


風が止んだ。


草のざわめきが消えた。


空が——暗転した。


闇が落ちる。いつもと同じ闇。いつもと同じ静寂。


だが今夜は——闇の中で、何かが光った。


金色の光。


黒服が持ち込んだ回収用のアイテムだろうか。闇の中に金色の光点がいくつか浮いている。


回収係が動いた。


音はもう薄くなっているのに、足取りだけが分かった。足音ではない。草を踏む気配でもない。空気の重さが、慎重に進んでいくのが分かる。PKの乱暴な突入とは違う。静かに、確実に、目標に近づく動き。


金色の光点が、一つ消えた。


音がなかった。


消えたのではない。光が——吸い込まれた。闇の中に、何かがある。何かが、金色を飲み込んでいる。


二つ目が消えた。


三つ目が消えた。


回収係の一人が声を出した。声は、最初から薄かった。


「——インベントリが」


声が震えていた。


「インベントリが、空に——勝手に——」


中身が消えている。持っていたものが、一つずつ、消えている。奪われているのではない。溶けている。闇の中に溶けて、なくなっていく。


「戻せ! 戻せって! 金貨が——」


叫んだ。叫んだ声は途中で削れていった。音量が下がったのではない。声を出す力が、抜けていった。


最後の金色の光点が、消えた。


闇だけが残った。


---


朝、草原は何事もなかった顔をしていた。


朝露が光っている。空が白い。鳥が鳴いている。風が草を撫でている。


平和だ。完璧すぎる平和。


YUは身体を起こした。


——眠れた。


安堵が先に来て——それから、遅れて、目が覚めた。


視界の端に、何かがある。


足元。


草原の上に——箱が並んでいた。


木箱。革袋。金属の容器。布に包まれた何か。宝石箱。


献上とは違う。昨日、広場で受け取ったものとは形が違う。


もっと——高級。もっと——重い。


そしてその奥に、YUのインベントリに入りきらなかったのか——地面に直接置かれたアイテムの山がある。


黒い装備の断片。地味だが仕立ての良い布。商会の紋章が入った鞄。


そして——金貨。


金貨が、草の上に散らばっていた。


朝露に濡れて、光っている。


(……なに、これ)


昨日までとは質が違う。量も違う。


これは「初心者サポート」では——どう考えても——説明がつかない。


でも。


(落とし物だろ)


もう一度言う。声に出さずに、心の中で。


落とし物。誰かが落としたものが、自分の近くに集まっただけ。フィールドに放置されたアイテムを、システムが自動で回収して、一番近くのプレイヤーに配分する機能——きっとそういうのがあるのだろう。


(きっと、そういうのが、あるんだろ)


「きっと」が三回重なった。三回重なる「きっと」は、もう信じていない証拠だ。


でも——考えない。


考えない。考えたら壊れる。


YUはインベントリを開いた。開いて——数字を見て——閉じた。すぐに閉じた。


見たくなかった。でも見えてしまった。


所持金が、桁を一つ超えていた。


画面の端に、いつもの通知。


```

System Notice:

Resting record could not be retrieved.

Data partially corrupted.

```


草原の端に、人影が数人立っていた。


装備がない。布一枚。顔色が灰色。


昨日まで黒服だった人たちだろう。仕立ての良い装備が全部なくなって、何も持っていない。


そのうちの一人が、自分の手を見ていた。何度も何度も見ていた。指を開いて、閉じて、開いて。


さっきまで何かを握っていた手が、空になっている。


空になった手で、何をすればいいか分からない——そういう顔をしていた。


YUは、目を逸らした。


その顔に、見覚えがあった。


毎朝、鏡を見ないようにしている自分の顔と——少しだけ似ていた。


---


初期村に戻ると、広場が割れていた。


片側に、金色の旗。その下で怒鳴り声が飛んでいる。


「回収係が全滅だ!」

「装備ロスト! 全部!」

「金貨まで消えた! インベントリごと空にされた!」

「なんで——なんで"金"だけ正確に抜かれてんだよ!」


怒声が重なる。泣き声も混じっている。


広場のもう片側では、ORACLEが静かに立っていた。メモ帳を閉じている。今日は書かない。書く必要がない——と思っていた顔だ。


彼は、YUが近づくのを待って、深く頭を下げた。


「おはようございます」


今日は「YU様」とは言わなかった。いつもより声が低い。


「昨夜の件は、すでに広まっています」


「昨夜の件」が何なのか、YUには分からない。分からないが——足元に散らばっていた金貨と、広場の怒鳴り声が、同じ物語の表と裏であることくらいは、分かってしまった。分かりたくなかったのに。


ORACLEは、一拍置いて言った。


「神は——奪う者に対して、"奪い返す"ことで応えられました」


変換だ。


いつもの変換。いつもの神託化。


でも今日の変換は——YUの胸に、妙に近い場所で鳴った。


奪う者に対して、奪い返す。


それは——正しいのだろうか。


分からない。分からないが——インベントリの中の金貨が、少しだけ重くなった気がした。


広場の奥で、黒服の残党が叫んでいた。


「こんなの商売にならねぇ!」

「上に報告だ! ギルド本部に——」

「いや、それだけじゃ足りない。もっと上だ。上位ギルドに話を通せ!」


上位ギルド。


YUにはその意味が分からなかった。ゲームの勢力図など知らない。でも——「もっと上」に話が行くのだということだけは、分かった。


もっと大きな力が、動き始める。


ORACLEは、結局メモ帳を開いた。閉じたままでいられなかった。ペンが走る。


今日の一行は、きっとこうだ。


"試練の第三幕。神の秤は、さらに大きな天秤を呼ぶ。"


YUは、それを見ないようにして、宿屋に向かった。


RAMPARTが、広場の端に立っていた。鎧にまた傷が増えていた。でも、表情は変わらない。


目が合った。


小さく、頷いた。


何も言わなかった。


今日も、その「何も言わない」が、いちばんありがたかった。


---


> 【速報】"徴収ギルド"の回収係、草原で壊滅

>

> 1:名無しの旅人

> 昨夜、草原に回収係が入った。商会系のやつら。装備が良くて、動きも訓練されてた。PKとは違う。

>

> 8:名無しの盾

> で、結果は?

>

> 11:名無しの旅人

> 全滅。

>

> 14:名無しの槍

> 戦闘ログは?

>

> 16:名無しの旅人

> 「記録がありません」

>

> 19:名無しの僧

> もう驚かない自分がいる。

>

> 24:名無しの弓

> 今回は情報ある。生き残りが何人かいて、証言が出てる。「装備が溶けた」って。

>

> 29:名無しの盾

> 溶けた?

>

> 33:名無しの弓

> インベントリの中身が勝手に消えていったらしい。金貨から先に。装備は後。最後に武器。順番に。

>

> 37:名無しの魔

> それ戦闘じゃなくない? 戦闘で「インベントリの中身が順番に消える」って何?

>

> 41:名無しの旅人

> だから「記録がありません」なんだよ。戦闘が成立してない。

>

> 45:名無しの僧

> 殺されたんじゃなくて、"剥がされた"?

>

> 48:名無しの弓

> そう。装備ロスト。金貨ロスト。でも本人は生きてる。布一枚で草原の端に立ってたって。

>

> 53:名無しの盾

> これPKの時と違うな。PKの時は「消えた」だった。今回は「剥がされた」。

>

> 59:名無しの盾

> 殺してない。殺さずに、持ち物だけ全部抜いた。……制裁だろ、これ。

>

> 63:名無しの魔

> 徴収ギルドが"徴収された"ってこと?

>

> 66:名無しの旅人

> 笑えねぇよ。

>

> 71:名無しの僧

> で、商会側はどうするの?

>

> 74:名無しの弓

> 怒ってる。めちゃくちゃ怒ってる。上位ギルドに話を持っていくらしい。「単独じゃ無理」って。

>

> 79:名無しの盾

> 上位ギルドが出てきたら、もうゲームの勢力図が変わるぞ。

>

> 83:名無しの旅人

> 草原の王は?

>

> 86:名無しの槍

> 寝てたよ。

>

> 88:名無しの旅人

> 知ってた。


眠りたいだけなのに、世界が勝手に形を変えていく。


PKが来た。壊滅した。

金の連中が来た。剥がされた。

次は——もっと大きな力が来る。


YUは何もしていない。寝ているだけだ。


それでも、草原の「夜」だけが、何かを減らして、何かを増やして、世界を少しずつ書き換えていく。


そして今日も、眠れる場所は草原しかない。


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