献上
朝、会社の蛍光灯は昨日と同じ明るさで、昨日と同じ顔をしていた。
昨日がどれだけ壊れても、世界は「翌日」を当然のように出してくる。壊れたままでも出社できるなら、壊れてない扱いになる。壊れているのに「おはようございます」と言えてしまうなら、言える方が悪い。
相沢悠は、机に座って、息を吐いた。
画面の右下に、未読のチャットが点滅している。鬼塚からだ。開かない。開けば「念のため」が増える。増えれば夜が遠のく。夜が遠のけば、眠りが遠のく。
(夜まで。夜になれば、眠れる)
それだけを握って、指先を動かした。修正。報告。返信。丁寧語。丁寧語は、優しい顔で人を削る道具だ。もう何周目か分からない。
昼休み、同期が小声で言った。
「お前、最近顔色ヤバくない? 大丈夫?」
大丈夫です、と言いかけて、喉の奥で止めた。
大丈夫じゃない。大丈夫じゃないのは分かっている。でも「大丈夫じゃない」と言った瞬間、何かが始まってしまう。心配が始まる。質問が始まる。「何がつらいの」「病院行った?」「上に言おうか」——全部ありがたいはずの言葉が、全部重い。ありがたさの重さに耐える余力が、今の悠にはない。
「まあ、寝れてないだけ」
嘘じゃない。半分だけ本当だ。
同期は心配そうに笑って、缶コーヒーを置いていった。甘い匂いがした。ブラックじゃなくて、カフェオレ。悠がブラックを飲めないことを覚えている。
それが、現実の優しさの限界だった。缶コーヒー一本分の優しさ。それ以上は、誰も踏み込めない。踏み込まないのが大人で、踏み込まないのが正解で、踏み込まないから人は壊れていく。
夜まで。夜になれば、眠れる。
缶コーヒーを飲んだ。甘かった。甘いものが胃に落ちると、少しだけ身体が動く。少しだけ動いた身体で、また修正を始めた。
---
視界が暗転して、次に開けた時、草原は朝だった。
ネオスフィアの朝は、いつも白い。空が白くて、鳥が鳴いて、草が揺れて、風が冷たくて、世界が静かだ。現実の朝が殴ってくるのに対して、こっちの朝は撫でてくる。
YUは身体を起こした。
——眠れた。
ここで眠りに落ちて、ここで目が覚める。それだけのことが人生を支えている。一日の中で「良いこと」がこれしかないのは悲しいはずだが、悲しむ余裕すらないので、ただ「嬉しい」だけが残る。
風が草を撫でている。朝露が光っている。
そして——今日は、草原が静かだった。
昨日までの見学者の輪がない。人影は遠くにいるが、距離が開いている。近づこうとしない。
(……何かあったのか)
分からない。分からないが、静かなのはありがたい。視線が減るだけで呼吸が楽になる。
YUは立ち上がって、草を払った。
インベントリを開く。開きたくないのに、開いてしまう。開かないと不安だから開く。不安を確認するために不安の元を見る。人間は矛盾した生き物だ。
増えていた。
金属片。宝石。紋章。黒い布の切れ端。いつもの「説明のつかない素材」に加えて——今日は、見慣れない形のアイテムが混じっていた。
紫色の紋章。装飾が細かい。見るからに「所属」を示すものだ。会社の社員証みたいな。
そして、その横に——名前のないアイテム。
```
???
```
説明文なし。アイコンもぼやけている。タップしても何も起きない。捨てようとしても「破棄できません」。
二つ目だ。この間の夜にも同じものがあった。意味不明の、捨てられないアイテム。
(……何これ)
初心者サポートでは説明がつかない。放置報酬でも説明がつかない。落とし物でも——いや。
(落とし物だろ)
そう思うことにする。そう思うしかない。思わないと、朝が始められない。
紫色の紋章のほうが気になった。どこかの組織のものだろう。PKのとは違う。もっと「公式っぽい」デザイン。
でも——考えない。考えると壊れる。
画面の端に、通知。
```
System Notice:
Resting record could not be retrieved.
Data partially corrupted.
```
また。
もう驚かない。驚く余裕がない。驚ける余裕は、全部会社に持っていかれている。
---
初期村の門をくぐった瞬間、空気が違った。
静かだ。人はいるのに、昨日までの熱がない。代わりに、ひんやりした緊張が漂っている。空気に金属の味がする。見えない刃物が空中に浮いているような。
広場の端に、見慣れない旗が立っていた。
金色の糸で縁取られた布。紋章が入っている。商会のマークだろうか。まぶしい。まぶしすぎて逆に冷たい。金色は暖色のはずなのに、この旗は冷たい光を出している。
その下に、黒服のプレイヤーたちが並んでいた。装備は派手じゃない。武器も見せていない。鎧も着ていない。でも——立ち方が、戦う人間のそれではなかった。「管理する」人間の立ち方だ。会社の経理部の人が机に座っているときの、あの静かな圧と同じ種類。
目が笑っていない。
「支払い」を当然だと思っている目だ。
広場の反対側では、ORACLEがすでに立っていた。いつもの白ローブ。いつもの穏やかな顔。ただし今日は、穏やかさの奥に見えるマグマの光が一段明るい。腕章の人たちも増えていた。並び方に規則がある。もう「集団」ではなく「組織」に見える。
RAMPARTも広場の入り口に立っていた。盾を背負って、腕を組んでいる。昨日の夜に何かがあったのか、鎧に新しい傷がまた増えている。増えているのに表情が変わらない。
YUが門をくぐった瞬間、全員の視線が集まった。
——いつものことだ。
いつものことなのに、慣れない。慣れないことに慣れた。矛盾だが、社畜は矛盾に強い。
ORACLEが深く頭を下げた。
「おはようございます、YU様」
(様、やめてって言ってるのに)
言い返す前に、金色の旗の下から声が飛んできた。
「おや。噂の方ですか」
声は丁寧だった。
丁寧語でできた刃。現実で聞き慣れている。クライアントの「念のため」と同じ匂い。上司の「見せて」と同じ構造。柔らかい言葉で、逃げ道を全部塞ぐやり方。
黒服の先頭が、薄い笑みを浮かべて一歩前に出た。装備は地味だが、仕立てが良い。プレイヤーの中でも金を持っている側の装備だ。
「当商会は、このエリアの治安維持のために"協力金"を集めております。最近、草原周辺が大変騒がしいようでして」
協力金。治安維持。
言葉が綺麗すぎて、胃が縮む。
現実でも同じだ。「協力」という言葉は、断ると「協力しない人」になる。「しない」が罪になる。やらないことが悪になる。日本語の受動攻撃は、世界一洗練されている。
「ですので……特別扱いを受けている方には、相応のご負担をいただければ、と」
特別扱い。受けている覚えがないのに、受けていることになっている。自分の知らないところで自分の名前が使われて、自分の知らない「特別」が勝手に積み上がっている。
YUは口を開こうとした。
何を言えばいいか分からない。「払います」と言えば終わるのか。「払いません」と言えば揉めるのか。どちらを選んでも面倒で、どちらを選んでも眠りが遠のく。
口が開く前に——ORACLEが、一歩前に出た。
「協力金という名の搾取は、神意に反します」
声が低い。いつもの神託モードではない。もっと地に足のついた怒りの声だ。
黒服は肩をすくめた。表情は変わらない。丁寧な笑みのまま。
「搾取? いえいえ。任意ですよ。ただ——払わない場合、皆さんの安全を保証しかねます、というだけの話です」
保証しかねます。
脅しの丁寧語。クライアントが納期に間に合わないと分かった時に送ってくるメールと同じ構造だ。「弊社としては最善を尽くしますが、ご期待に沿えない場合もございます」——あれの暴力版。
RAMPARTが、盾に手をかけた。
「帰れ」
短い一語。感情がない。事実の宣言。「帰れ」は命令ではなく、物理法則の提示だ。
黒服の先頭は、RAMPARTを見て——それからORACLEを見て——それからYUを見た。
計算している目だった。天秤にかけている目。ここで押すか、引くか。
引いた。
「……失礼しました。またの機会に」
またの機会。
また来る。確実に来る。今日は「挨拶」だ。次は「回収」だ。丁寧語は段階を踏む。最初は挨拶。次は催促。その次は——。
黒服が去っていく。足音が静かだ。PKの《REDJACKS》より、ずっと静かだ。静かなほうが怖いことを、悠は知っている。怒鳴る上司より、静かに詰める上司のほうが怖い。
YUは、何もしていなかった。
一言も発していない。ORACLEとRAMPARTが勝手に対処して、黒服が勝手に引いた。自分は立っていただけだ。
立っていただけなのに——巻き込まれている。
---
黒服が去った後、広場の空気が戻る——はずだった。
戻らなかった。
腕章のプレイヤーたちが、YUの前に集まり始めた。手に何かを持っている。小さな箱。布袋。革の袋。光る石。
一人目が、YUの足元に箱を置いた。
「どうか、お受け取りください」
(え)
二人目が、布袋を置いた。
「これは、我々からの感謝です」
(感謝? 何に?)
三人目。四人目。五人目。
箱が積み上がっていく。
YUは動けなかった。目の前で起きていることの意味が、脳に届くまでに時間がかかる。疲労が処理速度を落としている。
ORACLEが、胸の前で手を組んだ。
「献上です」
献上。
その二文字が、空気を変えた。
「皆様。先ほど、搾取の手が伸びました。しかし神は——動かれなかった」
ORACLEの声が、広場に響く。
「動かないことこそが、拒絶です。沈黙こそが、否定です。神は、搾取に一言も応じなかった。——それが答えです」
(違う。喋るタイミングがなかっただけだ)
「我々は、その沈黙に応えなければなりません。搾取が奪おうとしたものを、我々が満たす。神の手を、空にさせてはならない」
(手は最初から空だよ。初心者だもん)
箱がさらに増えた。
YUは、積み上がる箱を見下ろした。中身が見える。素材。鉱石。ポーション。装備の一部。どれも初心者には手が届かない品質のものだ。
「あの……これ」
声を出した。出さないと、もっと積み上がる。
「落とし物じゃないですか?」
言った瞬間——空気が震えた。
ORACLEのペンが止まった。
彼は顔を上げた。目が光っていた。マグマではない。もっと深い光。星が生まれる直前の光。
長い沈黙。
三秒。五秒。
広場の全員が、息を止めていた。
ORACLEが、震える声で言った。
「——"落とし物"」
その言葉を噛みしめるように。
「神は……迷える者が落としたものを、拾い上げ——」
来る。変換が来る。
「——正しい場所に、戻される」
来た。
「これは献上ではない。"返却"です。我々が失い、忘れ、諦めたものを——神が拾い、戻してくださる。だから我々も、神の手に戻す。循環です。摂理です」
(摂理って。ただ「落とし物じゃないですか」って聞いただけなのに)
周囲の腕章たちが、泣いていた。
またか。
またVRの表情トラッキングが本物の涙を拾っている。この世界の人たちは、よく泣く。現実では泣けない分、ここで泣いているのかもしれない。
——そう思ったら、少しだけ胸が痛んだ。
自分だって泣きたい。泣きたいのに泣けない。泣く余裕がない。泣いたら朝が来なくなる気がして、泣けない。
でもこの人たちは泣いている。ゲームの中で。仮想空間の広場で。誰かが「落とし物」と言っただけで。
(……受け取るしかないのか)
YUは、小さく頷いた。
「……分かりました」
分かってない。全然分かってない。でも「分かりました」以外に、この場を終わらせる言葉がなかった。現実と同じだ。会議で「分かりました」と言うのは理解の表明ではない。終了の合図だ。
インベントリが、一気に重くなった。箱の中身が流れ込んでくる。素材。鉱石。ポーション。装備パーツ。宝石。
数字がどんどん増えていく。
所持金も増えていた。献上の中に、金貨が混じっていた。
```
Total: 24,800G
```
(……に、二万?)
初期所持金の二十四倍。
宿屋どころの話ではない。何泊できるか分からない。いや、そもそも——初心者がこの額を持っていていいのか。これは正常なのか。
寝てるだけでこれは、正常じゃない。
正常じゃないことは分かっている。分かっているのに、棚に上げる。社畜の生存戦略。考えない。考えたら壊れる。壊れる余裕がない。
---
夕方、草原へ向かう道の途中で、風向きが変わった。
風の匂いが違う。草と土の匂いではない。もっと——金属的な匂い。
道の脇に、黒服の人影が一つ見えた。
昼間の「またの機会」が、もう来ている。
人影はYUには近づかなかった。RAMPARTが後ろを歩いているからだ。いつの間にかついてきていた。護衛というより、影のように。
でも——人影は、草原の方角を見ていた。
見ている。距離を測っている。タイミングを計算している。
「回収」の下見だ。
(また来る)
胃が重い。現実の胃痛とゲームの胃痛は、不思議と同じ重さだった。
草原に着いた。
今日は、見学者の輪が少し小さい。昨日までの野次馬は減っている。代わりに、残っている人間の目が本気になっている。
怖いもの見たさではなく——信じている目。
それが、いちばん怖い。
YUは、いつもの場所に座った。草の感触。冷たさ。硬さ。
ここだけが要求しない。ここだけが何も聞いてこない。
ORACLEが、少し離れた場所で膝をついた。メモ帳を開いている。今日の「落とし物」も、もう書き込まれているのだろう。自分の何気ない一言が、また一行の教義になっている。
目を閉じる。
```id="j7x0t8"
SLEEP MODE (Beta)
Safe Zone detected.
Proceed? [Y/N]
```
迷わない。
横になる。草が冷たい。
```id="t8ouq0"
Resting...
```
意識が沈む。
鬼塚の「念のため」が遠くなる。ORACLEの「摂理です」が遠くなる。黒服の「またの機会に」が遠くなる。缶コーヒーの甘さだけが、少しだけ残って——それも、沈む。
輪の外側で、息を呑む気配がした。
風が止んだ。
草のざわめきが消えた。
空が——暗転した。
闇が落ちる。いつもと同じ闇。いつもと同じ静寂。
だが今夜は——闇の中で、何かが光った。
金色の光。
黒服が持ち込んだ回収用のアイテムだろうか。闇の中に金色の光点がいくつか浮いている。
回収係が動いた。
音はもう薄くなっているのに、足取りだけが分かった。足音ではない。草を踏む気配でもない。空気の重さが、慎重に進んでいくのが分かる。PKの乱暴な突入とは違う。静かに、確実に、目標に近づく動き。
金色の光点が、一つ消えた。
音がなかった。
消えたのではない。光が——吸い込まれた。闇の中に、何かがある。何かが、金色を飲み込んでいる。
二つ目が消えた。
三つ目が消えた。
回収係の一人が声を出した。声は、最初から薄かった。
「——インベントリが」
声が震えていた。
「インベントリが、空に——勝手に——」
中身が消えている。持っていたものが、一つずつ、消えている。奪われているのではない。溶けている。闇の中に溶けて、なくなっていく。
「戻せ! 戻せって! 金貨が——」
叫んだ。叫んだ声は途中で削れていった。音量が下がったのではない。声を出す力が、抜けていった。
最後の金色の光点が、消えた。
闇だけが残った。
---
朝、草原は何事もなかった顔をしていた。
朝露が光っている。空が白い。鳥が鳴いている。風が草を撫でている。
平和だ。完璧すぎる平和。
YUは身体を起こした。
——眠れた。
安堵が先に来て——それから、遅れて、目が覚めた。
視界の端に、何かがある。
足元。
草原の上に——箱が並んでいた。
木箱。革袋。金属の容器。布に包まれた何か。宝石箱。
献上とは違う。昨日、広場で受け取ったものとは形が違う。
もっと——高級。もっと——重い。
そしてその奥に、YUのインベントリに入りきらなかったのか——地面に直接置かれたアイテムの山がある。
黒い装備の断片。地味だが仕立ての良い布。商会の紋章が入った鞄。
そして——金貨。
金貨が、草の上に散らばっていた。
朝露に濡れて、光っている。
(……なに、これ)
昨日までとは質が違う。量も違う。
これは「初心者サポート」では——どう考えても——説明がつかない。
でも。
(落とし物だろ)
もう一度言う。声に出さずに、心の中で。
落とし物。誰かが落としたものが、自分の近くに集まっただけ。フィールドに放置されたアイテムを、システムが自動で回収して、一番近くのプレイヤーに配分する機能——きっとそういうのがあるのだろう。
(きっと、そういうのが、あるんだろ)
「きっと」が三回重なった。三回重なる「きっと」は、もう信じていない証拠だ。
でも——考えない。
考えない。考えたら壊れる。
YUはインベントリを開いた。開いて——数字を見て——閉じた。すぐに閉じた。
見たくなかった。でも見えてしまった。
所持金が、桁を一つ超えていた。
画面の端に、いつもの通知。
```
System Notice:
Resting record could not be retrieved.
Data partially corrupted.
```
草原の端に、人影が数人立っていた。
装備がない。布一枚。顔色が灰色。
昨日まで黒服だった人たちだろう。仕立ての良い装備が全部なくなって、何も持っていない。
そのうちの一人が、自分の手を見ていた。何度も何度も見ていた。指を開いて、閉じて、開いて。
さっきまで何かを握っていた手が、空になっている。
空になった手で、何をすればいいか分からない——そういう顔をしていた。
YUは、目を逸らした。
その顔に、見覚えがあった。
毎朝、鏡を見ないようにしている自分の顔と——少しだけ似ていた。
---
初期村に戻ると、広場が割れていた。
片側に、金色の旗。その下で怒鳴り声が飛んでいる。
「回収係が全滅だ!」
「装備ロスト! 全部!」
「金貨まで消えた! インベントリごと空にされた!」
「なんで——なんで"金"だけ正確に抜かれてんだよ!」
怒声が重なる。泣き声も混じっている。
広場のもう片側では、ORACLEが静かに立っていた。メモ帳を閉じている。今日は書かない。書く必要がない——と思っていた顔だ。
彼は、YUが近づくのを待って、深く頭を下げた。
「おはようございます」
今日は「YU様」とは言わなかった。いつもより声が低い。
「昨夜の件は、すでに広まっています」
「昨夜の件」が何なのか、YUには分からない。分からないが——足元に散らばっていた金貨と、広場の怒鳴り声が、同じ物語の表と裏であることくらいは、分かってしまった。分かりたくなかったのに。
ORACLEは、一拍置いて言った。
「神は——奪う者に対して、"奪い返す"ことで応えられました」
変換だ。
いつもの変換。いつもの神託化。
でも今日の変換は——YUの胸に、妙に近い場所で鳴った。
奪う者に対して、奪い返す。
それは——正しいのだろうか。
分からない。分からないが——インベントリの中の金貨が、少しだけ重くなった気がした。
広場の奥で、黒服の残党が叫んでいた。
「こんなの商売にならねぇ!」
「上に報告だ! ギルド本部に——」
「いや、それだけじゃ足りない。もっと上だ。上位ギルドに話を通せ!」
上位ギルド。
YUにはその意味が分からなかった。ゲームの勢力図など知らない。でも——「もっと上」に話が行くのだということだけは、分かった。
もっと大きな力が、動き始める。
ORACLEは、結局メモ帳を開いた。閉じたままでいられなかった。ペンが走る。
今日の一行は、きっとこうだ。
"試練の第三幕。神の秤は、さらに大きな天秤を呼ぶ。"
YUは、それを見ないようにして、宿屋に向かった。
RAMPARTが、広場の端に立っていた。鎧にまた傷が増えていた。でも、表情は変わらない。
目が合った。
小さく、頷いた。
何も言わなかった。
今日も、その「何も言わない」が、いちばんありがたかった。
---
> 【速報】"徴収ギルド"の回収係、草原で壊滅
>
> 1:名無しの旅人
> 昨夜、草原に回収係が入った。商会系のやつら。装備が良くて、動きも訓練されてた。PKとは違う。
>
> 8:名無しの盾
> で、結果は?
>
> 11:名無しの旅人
> 全滅。
>
> 14:名無しの槍
> 戦闘ログは?
>
> 16:名無しの旅人
> 「記録がありません」
>
> 19:名無しの僧
> もう驚かない自分がいる。
>
> 24:名無しの弓
> 今回は情報ある。生き残りが何人かいて、証言が出てる。「装備が溶けた」って。
>
> 29:名無しの盾
> 溶けた?
>
> 33:名無しの弓
> インベントリの中身が勝手に消えていったらしい。金貨から先に。装備は後。最後に武器。順番に。
>
> 37:名無しの魔
> それ戦闘じゃなくない? 戦闘で「インベントリの中身が順番に消える」って何?
>
> 41:名無しの旅人
> だから「記録がありません」なんだよ。戦闘が成立してない。
>
> 45:名無しの僧
> 殺されたんじゃなくて、"剥がされた"?
>
> 48:名無しの弓
> そう。装備ロスト。金貨ロスト。でも本人は生きてる。布一枚で草原の端に立ってたって。
>
> 53:名無しの盾
> これPKの時と違うな。PKの時は「消えた」だった。今回は「剥がされた」。
>
> 59:名無しの盾
> 殺してない。殺さずに、持ち物だけ全部抜いた。……制裁だろ、これ。
>
> 63:名無しの魔
> 徴収ギルドが"徴収された"ってこと?
>
> 66:名無しの旅人
> 笑えねぇよ。
>
> 71:名無しの僧
> で、商会側はどうするの?
>
> 74:名無しの弓
> 怒ってる。めちゃくちゃ怒ってる。上位ギルドに話を持っていくらしい。「単独じゃ無理」って。
>
> 79:名無しの盾
> 上位ギルドが出てきたら、もうゲームの勢力図が変わるぞ。
>
> 83:名無しの旅人
> 草原の王は?
>
> 86:名無しの槍
> 寝てたよ。
>
> 88:名無しの旅人
> 知ってた。
眠りたいだけなのに、世界が勝手に形を変えていく。
PKが来た。壊滅した。
金の連中が来た。剥がされた。
次は——もっと大きな力が来る。
YUは何もしていない。寝ているだけだ。
それでも、草原の「夜」だけが、何かを減らして、何かを増やして、世界を少しずつ書き換えていく。
そして今日も、眠れる場所は草原しかない。




