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15/19

招待


朝、草原の空気は昨日より少しだけ軽かった。


近づく理由を失った人間が減った分だけ、風の通り道が戻っている。


相沢悠――HN:YUは身体を起こした。


――眠れた。


もう、数えていない。

数えなくても身体が知っている。

眠れた日は、頭の重さが違う。胸の奥に詰まっていた白い塊が、少しだけ薄くなっている。


画面の端に通知が積もっていた。


```text id="g15a"

System Notice:

Sleep record saved.

```


```text id="g15b"

System Notice:

Sleep record integrity check failed.

Data partially corrupted.

```


```text id="g15c"

System Notice:

Observation session terminated unexpectedly.

```


見慣れた異常。

見慣れてはいけないのに、もう朝の定型文みたいな顔で並んでいる。


その下に、もうひとつ。


```text id="g15d"

System Notice:

You have received a Guild Invitation.

```


指が止まった。


ギルド招待。


目を擦って、もう一度見た。

消えない。


少し遅れて、三歩先から声がした。


「……来たか」


MINAだった。

昨夜よりはましな顔をしている。

まし、というだけで、元気ではない。目の赤さも、指先の乾いた動きも、夜を越えた人間のままだ。


「何がですか」


「招待。たぶん、もう来ると思ってた」


驚いていない。

つまり昨日の時点で、もうそのくらいの速度で世界が変わると読んでいたのだろう。


YUは通知を開いた。


黒いウィンドウ。

金の枠。

いつもより、妙に仰々しいデザイン。


```text id="g15e"

Guild Invitation


Guild Name:

ECLIPSE


Invited by:

ORACLE


Assigned Role:

Master

(Guild Master Transfer included)


Accept? [Y/N]

```


読み終わるまでに少し時間がかかった。


役職。

そこだけが、目にうまく入らない。


「……Master?」


MINAは片手で顔を押さえた。


「うん」

「そこが一番だめ」


「役職、間違ってません? 普通、作った人がマスターでしょ」


「たぶん、向こうは最初からこのつもり」


最初からこのつもり。

それはつまり、自分のために作ったということだ。

その事実が、胃の下にゆっくり沈んだ。


YUは画面を見た。


ECLIPSE。

聞いたことのない名前だった。

でも雰囲気だけは分かる。初心者歓迎ギルドではない。たぶんもっと、夜寄りの名前だ。


「……これ、何なんですか」


MINAは答える前に、草原の外縁を見た。


白ローブがいる。

昨日より少ない。

でも減った人数の分だけ、残っている者の目が深い。


「名乗り始めたんだよ」


「誰が」


「信者」


その単語が、朝露みたいに冷たく落ちた。


広場の喧騒でも、掲示板の皮肉でもなく、いまここで言われると急に現実味がある。

自分の周りにいた白ローブたちが、公式敗北を境に、ただの集まりではなくなった。

そういうことらしい。


「……入らないと駄目ですか」


「駄目じゃない」

「でも、今ここで断ると、たぶんもっと変なことになる」


変なこと。

それが具体的に何かは言わない。

でもMINAが言葉を選ばず「変なこと」と言う時は、たいてい説明した方が余計に悪化する種類の面倒だ。


草原の外縁から、白い影がひとつ、こちらへ歩いてきた。


ORACLEだった。


白ローブ。腕章。昨夜の土がまだ裾に残っている。

顔色は悪い。悪いのに、目だけが妙に澄んでいる。

眠っていない人間の目ではなく、眠れないことに意味を見つけてしまった人間の目だった。


少し遅れて、RAMPARTも来た。

何も言わない。

ただ、少し後ろで止まる。


ORACLEはYUの前で足を止め、頭を下げた。


「お目覚めですか」


「……はい」


「よくお休みになれたようで、何よりです」


その言葉が、嫌味ではなく本気なのがいちばん困る。


ORACLEの視線が、まだ開いたままのギルド招待ウィンドウに落ちた。


「届きましたね」


「届きましたけど……これ、おかしくないですか。ギルドを作ったのはそちらでしょう」


「ええ。ですが、最初からこの方のために用意した器です」


MINAがすぐ横で言った。


「正しいわけないでしょ」


「正しいのです」

「名は器に宿ります。中心にある方が中心であるのは、構造として自然です」


構造。

また構造だ。

最近、自分の周りではその言葉だけが増えている。


YUはウィンドウを見た。


Master。


初心者の画面に出る単語ではない。

出たとしても、たぶん別の人生の人に出る単語だ。


「……これ、初心者サポートみたいなものですか」


言った瞬間、MINAが横で息を止めた。

ORACLEは一瞬だけ目を細めて、それから静かに答えた。


「居場所です」


居場所。


その一言だけは、変換なしで胸に落ちた。


現実にはない言葉だ。

会社にはない。

鬼塚のチャット欄にはない。

「念のため」の向こう側にもない。


居場所。


それが本当か嘘かは分からない。

でも、その語感だけで少しだけ指の力が抜けた。

抜けたことが怖い。

こんなに簡単に緩む自分が、怖い。


MINAが低く言った。


「待って。そういう言い方するな」


「事実を申し上げています」


「事実を都合よく切るなって言ってるの」


二人の間の空気が、朝の草原に似合わない硬さになった。


YUはウィンドウを見たまま考えた。


断る。

それはたぶんできる。

でも断った後の説明と視線と沈黙を受け止める体力が、自分にあるかと言われると、ない。


入る。

それもたぶん変だ。

でも「居場所です」と言われてしまうと、その変さの輪郭が少しだけぼやける。


何より、Master以外はよく分からないが、ギルドに入ること自体はゲームでは普通のことだ。

ゲームっぽい普通は、最近かなり貴重だった。


「……入ったら、少しは静かになりますか」


ORACLEは答えた。


「外から名付けられるよりは」


意味が分からない。

でも分からないことの説明を受け始めると長くなる。

長くなると疲れる。


MINAが言った。


「相沢、よく聞いて。いま承認すると――」


MINAの声が聞こえている。

聞こえているのに、指が先に動いた。


居場所、という言葉がまだ胸の中にある。

それが判断力を甘くしている自覚はあった。

あったのに、指の方が先だった。


Y。


```text id="g15f"

Guild Invitation Accepted.

Welcome to ECLIPSE.

```


```text id="g15g"

Role assigned:

Master

```


通知が閉じた。


草原の風はそのままだった。

空も青いままだった。

でも周囲の白ローブたちの空気だけが、一段沈んだ。


誰かが膝をつく音がした。

誰かが息を呑む。

誰かが泣きそうな顔で俯いた。


(そんなに?)


そう思ったけれど、もう遅い。


MINAは目を閉じた。

怒るのを一度やめて、現実を受け止める顔になった。

でもその受け止め方は、諦めではなく、計算に近かった。

これで何が変わるのか。守りやすくなるのか。それとも――。

考えている目だった。まだ終わっていない目だった。


ORACLEは深く頭を下げた。


「ようこそ」


RAMPARTは何も言わなかった。

代わりに、盾を一度だけ地面に打った。

短い音が草原に走った。

それだけで、さっきまで曖昧だったものが全部固まってしまった気がした。


YUは、少しだけ困って言った。


「……よろしくお願いします」


その瞬間、背後で誰かが静かに腕章を外した。

外した腕章を、両手で胸の前に掲げている。

捧げている、と言った方が正しい姿勢だった。


インベントリをもう一度開いた。


白い破片は、まだある。

称号欄の空きも、まだある。

その隣に、今日からギルド名が表示されていた。


ECLIPSE。


空きの枠と、ギルドの名前が、並んでいる。

まだ埋まっていないものと、たった今決まったものが、同じ画面に同居している。


すぐ閉じた。


---


昼の終わりに、村の外れの倉庫は閉められていた。


表向きは空き倉庫。

実際には、人が集まっていた。


白ローブばかりではない。

装備の種類も立ち方もばらばらだった。

信仰だけで集まった集団が、一晩で役割を必要とし始めた顔ぶれだった。


ORACLEが中央に立つ。

RAMPARTが壁際に立つ。

他にも何人か、見慣れない顔がいた。帳簿のような画面を開いている者。腕を組んで隊列図を見ている大柄な者。影の濃い場所で掲示板の流れを追っている者。

名前はまだ知らない。でも「役割で立っている」人間の空気だけは分かる。


白ローブの若い男が、少し震えた声で言った。


「……受諾されました」


ORACLEが頷く。


「ええ。今朝、正式に登録されました」


それで、倉庫の空気が一段締まった。


もう仮組みではない。

もう“草原の噂の集まり”ではない。

一覧に載る名前になったのだと、誰もが理解した。


帳簿画面を開いた女が言った。


「これで倉庫を分けられます」

「献上品がもう“落とし物”で処理できる量じゃない」


大柄な男が低く言う。


「守るだけじゃ足りない。巡回と迎撃の線を引く」

「昨夜みたいに大軍で来るなら遅らせる。少人数で来るなら返す」


影の濃い場所にいた女が、掲示板の流れから目を離さずに言った。


「外も勝手に名付け始めてる」

「なら、こっちが先に名乗って正解。他人の言葉で囲われる前に」


ORACLEは少しだけ目を伏せた。


「夜は、ただの暗さではありませんでした」

「光が届かないのでも、光を消すのでもなかった」

「境界でした」


誰も口を挟まなかった。


あの夜を見た者には、その言葉が大げさでないと分かる。

見ていない者も、見た者の顔を見れば軽くは扱えない。


ORACLEはゆっくり言った。


「我らの名は、《ECLIPSE》」

「光と闇のどちらでもなく、その境に立つもの」


倉庫の空気が少し固まった。


ORACLEは続けた。


「教義は二つで足ります」


震えはまだ残っていた。

でも震えていることごと押し切る声になっていた。


「搾取を断つこと」

「眠りを守ること」


RAMPARTが盾を床に一度打った。

他の者たちが、それぞれ短く頷く。


「拠点は草原周辺」

「まだ城はありません。壁もない」

「ですが、昨夜引かれた線は、消えていません」


その一文だけで、倉庫の中の空気が変わった。


昨夜まで「起きてしまったこと」だったものが、

今この瞬間に「運用されるもの」へ変わった。


ギルドは、そこで完成した。


中心にいる本人を置き去りにしたまま。


---


夕方、初期村の広場は朝よりも静かだった。


大軍はいない。

大声もない。


その代わり、視線だけが増えていた。


見に来る者。

近づかないと決めた者。

でも、まだ見ていたい者。


YUはその中を歩いて、掲示板の前で立ち止まった。


新しい表示があった。


ギルド一覧。

その端に、見慣れない名前が増えている。


```text id="g15h"

Guild Registered:

ECLIPSE

```


自分がさっき押した通知が、もう村の掲示板の一部になっている。


「早いですね」


思わず言うと、MINAが横で答えた。


「こういうのは、早い方が勝つ」


「勝つって」


「他人に勝手な名前つけられる前に、こっちが先に名乗るって意味」


言われてみれば、会社でもそうだった。

問題に名前がつくと、責任の流れが決まる。

先に言葉を置いた方が、あとで議事録を握る。


ゲームなのに、やっていることが妙に現実的で疲れる。


そのとき、画面の端にまた通知が出た。


```text id="g15i"

Guild Storage access pending.

Guild settings initialized.

Territory permissions updated.

```


Territory permissions updated.


「……何ですかこれ」


MINAの視線が鋭くなった。


「見せて」


画面を覗き込む。

一行読むたびに、MINAの眉間が深くなる。


「領域権限、更新?」

「いや、待って。ギルド作っただけでこんなの……」


MINAは一度口を閉じてから、考えるように言った。


「……ギルドのせいじゃない。たぶん」

「昨夜の夜が残した線を、システムが領域として読み始めてる」


「それは、いいことなんですか」


MINAは答えなかった。

答えないことが、答えだった。


広場のざわめきが、一瞬だけ変わった。


誰かが草原の方を指差している。


何人かが一斉に外へ向かう。

走らない。でも急ぐ足だ。


MINAが低く言った。


「行くよ」


「何があったんですか」


「たぶん、“線”が見え始めた」


---


草原の縁は、昨日と同じ場所のはずだった。


でも見え方が違っていた。


地面に線が引かれているわけじゃない。

柵が立ったわけでもない。

光の壁があるわけでもない。


それでも、そこから先は“向こう側”だと分かる。


空気の密度が違う。

画面の隅がわずかに暗い。

視界の端のコンパスが、草原に向けた瞬間だけ、ごくわずかに揺れる。


見ているだけなら気のせいで済む。

一歩踏み出すと、気のせいでは済まない。


草原の外縁にいたプレイヤーが、恐る恐る足先を入れた。


画面の表示が、変わった。


ほんの一瞬。

でも確かに変わった。


自分の名前が一瞬にじんだ。

地図の色が淀んだ。

普段は透明な画面の隅に、見慣れない紋様みたいな影が走った。


そのプレイヤーは慌てて足を引いた。


「今、変わったよな?」

「見たか?」

「不具合じゃね?」

「不具合で済ませるには嫌すぎる」


YUも見ていた。

自分には、よく分からない。

でも“普通じゃない”ことだけは分かる。


草原の中心に向かって、風がゆっくり流れていく。

その流れ方さえ、昨日までと少し違う気がした。


MINAが小さく言った。


「……残ってる」


「何がですか」


「境目」

「昨夜のあとで、夜の方が引いた線が、まだ残ってる」


残した。

誰が。

何のために。


聞いてもたぶん、今は説明できない種類のことだ。


少し離れた場所で、ORACLEが静かに立っていた。

その横にRAMPART。

さらに後ろ、倉庫で見た見慣れない顔も何人かいる。


昨日までの白ローブの群れではない。

配置された集団だった。


ORACLEは広場の方を向いたまま、でも声だけをこちらに届かせた。


「境は、もうこちらにも滲んでおります」


その言葉を聞いた瞬間、背中が少し冷えた。


作った、ではなく。

発生した、でもなく。

滲んでいる。


そういう言い方だった。


YUは草原を見た。


草はいつもと同じだ。

風も同じだ。

自分が寝た場所も、ただの草の上にしか見えない。


でも世界の方は、もう同じ見方をしていない。


草原に“向こう側”が生まれ始めている。

しかも、自分が眠っている間に。


その事実が、じわじわ遅れてきた。


「……初心者サポートじゃなかったですね」


思わず言うと、MINAが一瞬だけ息を止めたあと、小さく笑った。


「今さら?」


「今さらです」


その会話だけは、少しだけ普通だった。


でも普通のすぐ向こうで、草原はもう普通をやめ始めていた。


---


NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 47


`201:`

ギルドできたってマジ?


`204:`

マジ。名前出た。《ECLIPSE》


`207:`

中二病っぽいのに全然笑えないの何で


`211:`

マスター誰だと思う?


`214:`

……まさか


`217:`

そのまさか。寝てる初心者


`220:`

は???


`223:`

いや待て、何で初心者がマスターなんだよ


`227:`

信者側からしたらそりゃそうなんだろ。中心だし


`231:`

中心って言い方がもう怖い


`235:`

草原の縁、今なんか画面変わるんだけど


`239:`

見た。名前表示の色おかしくなる


`242:`

地図の端も変じゃね?


`246:`

聖域? 何それ怖い


`250:`

聖域で済むならいいけど、あれ境界じゃないの


`254:`

公式作戦の夜が残したやつ?


`258:`

公式負けた翌日にギルドできて線が残るの、展開早すぎるだろ


`262:`

寝てる初心者は何してんの


`265:`

たぶん何もしてない。それが一番怖い


`269:`

今朝から出品も止まってるし、草原方面ほんと行くやつ減ってる


`273:`

経済まで冷え始めてんの草


`276:`

草じゃねぇよ、草原だよ


`280:`

笑えねぇんだよもう


`284:`

《ECLIPSE》って名前、誰が考えたんだろ


`288:`

知らん。でも他人に名付けられる前に名乗った感じはある


`292:`

公式負けたあとで名乗るの、もう半分勝利宣言だろ


`296:`

REGALIA、ORACLE、そんでECLIPSEか。草原だけで三勢力あるの異常だよ


`300:`

異常だけど、もう昨日までの草原じゃない


---


夕方の草原で、YUは立ったまま風を受けていた。


ギルドに入った。

役職はマスターだった。

草原には、昨日までなかった線が残っている。


自分がしたことは、招待を押しただけだ。

押しただけなのに、周囲ではそれが“決定”として積み上がっていく。


眠るために来ているだけなのに。

起きるたびに、世界の方が先に話を進めている。


草が揺れる。

冷たい風が頬を撫でる。


今夜もたぶん、ここで眠る。


その眠りの外側で、もう名前を持った組織が動き始めている。


《ECLIPSE》。


まだ城はない。

壁もない。

でも線だけは、もうそこにあった。


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