招待
朝、草原の空気は昨日より少しだけ軽かった。
近づく理由を失った人間が減った分だけ、風の通り道が戻っている。
相沢悠――HN:YUは身体を起こした。
――眠れた。
もう、数えていない。
数えなくても身体が知っている。
眠れた日は、頭の重さが違う。胸の奥に詰まっていた白い塊が、少しだけ薄くなっている。
画面の端に通知が積もっていた。
```text id="g15a"
System Notice:
Sleep record saved.
```
```text id="g15b"
System Notice:
Sleep record integrity check failed.
Data partially corrupted.
```
```text id="g15c"
System Notice:
Observation session terminated unexpectedly.
```
見慣れた異常。
見慣れてはいけないのに、もう朝の定型文みたいな顔で並んでいる。
その下に、もうひとつ。
```text id="g15d"
System Notice:
You have received a Guild Invitation.
```
指が止まった。
ギルド招待。
目を擦って、もう一度見た。
消えない。
少し遅れて、三歩先から声がした。
「……来たか」
MINAだった。
昨夜よりはましな顔をしている。
まし、というだけで、元気ではない。目の赤さも、指先の乾いた動きも、夜を越えた人間のままだ。
「何がですか」
「招待。たぶん、もう来ると思ってた」
驚いていない。
つまり昨日の時点で、もうそのくらいの速度で世界が変わると読んでいたのだろう。
YUは通知を開いた。
黒いウィンドウ。
金の枠。
いつもより、妙に仰々しいデザイン。
```text id="g15e"
Guild Invitation
Guild Name:
ECLIPSE
Invited by:
ORACLE
Assigned Role:
Master
(Guild Master Transfer included)
Accept? [Y/N]
```
読み終わるまでに少し時間がかかった。
役職。
そこだけが、目にうまく入らない。
「……Master?」
MINAは片手で顔を押さえた。
「うん」
「そこが一番だめ」
「役職、間違ってません? 普通、作った人がマスターでしょ」
「たぶん、向こうは最初からこのつもり」
最初からこのつもり。
それはつまり、自分のために作ったということだ。
その事実が、胃の下にゆっくり沈んだ。
YUは画面を見た。
ECLIPSE。
聞いたことのない名前だった。
でも雰囲気だけは分かる。初心者歓迎ギルドではない。たぶんもっと、夜寄りの名前だ。
「……これ、何なんですか」
MINAは答える前に、草原の外縁を見た。
白ローブがいる。
昨日より少ない。
でも減った人数の分だけ、残っている者の目が深い。
「名乗り始めたんだよ」
「誰が」
「信者」
その単語が、朝露みたいに冷たく落ちた。
広場の喧騒でも、掲示板の皮肉でもなく、いまここで言われると急に現実味がある。
自分の周りにいた白ローブたちが、公式敗北を境に、ただの集まりではなくなった。
そういうことらしい。
「……入らないと駄目ですか」
「駄目じゃない」
「でも、今ここで断ると、たぶんもっと変なことになる」
変なこと。
それが具体的に何かは言わない。
でもMINAが言葉を選ばず「変なこと」と言う時は、たいてい説明した方が余計に悪化する種類の面倒だ。
草原の外縁から、白い影がひとつ、こちらへ歩いてきた。
ORACLEだった。
白ローブ。腕章。昨夜の土がまだ裾に残っている。
顔色は悪い。悪いのに、目だけが妙に澄んでいる。
眠っていない人間の目ではなく、眠れないことに意味を見つけてしまった人間の目だった。
少し遅れて、RAMPARTも来た。
何も言わない。
ただ、少し後ろで止まる。
ORACLEはYUの前で足を止め、頭を下げた。
「お目覚めですか」
「……はい」
「よくお休みになれたようで、何よりです」
その言葉が、嫌味ではなく本気なのがいちばん困る。
ORACLEの視線が、まだ開いたままのギルド招待ウィンドウに落ちた。
「届きましたね」
「届きましたけど……これ、おかしくないですか。ギルドを作ったのはそちらでしょう」
「ええ。ですが、最初からこの方のために用意した器です」
MINAがすぐ横で言った。
「正しいわけないでしょ」
「正しいのです」
「名は器に宿ります。中心にある方が中心であるのは、構造として自然です」
構造。
また構造だ。
最近、自分の周りではその言葉だけが増えている。
YUはウィンドウを見た。
Master。
初心者の画面に出る単語ではない。
出たとしても、たぶん別の人生の人に出る単語だ。
「……これ、初心者サポートみたいなものですか」
言った瞬間、MINAが横で息を止めた。
ORACLEは一瞬だけ目を細めて、それから静かに答えた。
「居場所です」
居場所。
その一言だけは、変換なしで胸に落ちた。
現実にはない言葉だ。
会社にはない。
鬼塚のチャット欄にはない。
「念のため」の向こう側にもない。
居場所。
それが本当か嘘かは分からない。
でも、その語感だけで少しだけ指の力が抜けた。
抜けたことが怖い。
こんなに簡単に緩む自分が、怖い。
MINAが低く言った。
「待って。そういう言い方するな」
「事実を申し上げています」
「事実を都合よく切るなって言ってるの」
二人の間の空気が、朝の草原に似合わない硬さになった。
YUはウィンドウを見たまま考えた。
断る。
それはたぶんできる。
でも断った後の説明と視線と沈黙を受け止める体力が、自分にあるかと言われると、ない。
入る。
それもたぶん変だ。
でも「居場所です」と言われてしまうと、その変さの輪郭が少しだけぼやける。
何より、Master以外はよく分からないが、ギルドに入ること自体はゲームでは普通のことだ。
ゲームっぽい普通は、最近かなり貴重だった。
「……入ったら、少しは静かになりますか」
ORACLEは答えた。
「外から名付けられるよりは」
意味が分からない。
でも分からないことの説明を受け始めると長くなる。
長くなると疲れる。
MINAが言った。
「相沢、よく聞いて。いま承認すると――」
MINAの声が聞こえている。
聞こえているのに、指が先に動いた。
居場所、という言葉がまだ胸の中にある。
それが判断力を甘くしている自覚はあった。
あったのに、指の方が先だった。
Y。
```text id="g15f"
Guild Invitation Accepted.
Welcome to ECLIPSE.
```
```text id="g15g"
Role assigned:
Master
```
通知が閉じた。
草原の風はそのままだった。
空も青いままだった。
でも周囲の白ローブたちの空気だけが、一段沈んだ。
誰かが膝をつく音がした。
誰かが息を呑む。
誰かが泣きそうな顔で俯いた。
(そんなに?)
そう思ったけれど、もう遅い。
MINAは目を閉じた。
怒るのを一度やめて、現実を受け止める顔になった。
でもその受け止め方は、諦めではなく、計算に近かった。
これで何が変わるのか。守りやすくなるのか。それとも――。
考えている目だった。まだ終わっていない目だった。
ORACLEは深く頭を下げた。
「ようこそ」
RAMPARTは何も言わなかった。
代わりに、盾を一度だけ地面に打った。
短い音が草原に走った。
それだけで、さっきまで曖昧だったものが全部固まってしまった気がした。
YUは、少しだけ困って言った。
「……よろしくお願いします」
その瞬間、背後で誰かが静かに腕章を外した。
外した腕章を、両手で胸の前に掲げている。
捧げている、と言った方が正しい姿勢だった。
インベントリをもう一度開いた。
白い破片は、まだある。
称号欄の空きも、まだある。
その隣に、今日からギルド名が表示されていた。
ECLIPSE。
空きの枠と、ギルドの名前が、並んでいる。
まだ埋まっていないものと、たった今決まったものが、同じ画面に同居している。
すぐ閉じた。
---
昼の終わりに、村の外れの倉庫は閉められていた。
表向きは空き倉庫。
実際には、人が集まっていた。
白ローブばかりではない。
装備の種類も立ち方もばらばらだった。
信仰だけで集まった集団が、一晩で役割を必要とし始めた顔ぶれだった。
ORACLEが中央に立つ。
RAMPARTが壁際に立つ。
他にも何人か、見慣れない顔がいた。帳簿のような画面を開いている者。腕を組んで隊列図を見ている大柄な者。影の濃い場所で掲示板の流れを追っている者。
名前はまだ知らない。でも「役割で立っている」人間の空気だけは分かる。
白ローブの若い男が、少し震えた声で言った。
「……受諾されました」
ORACLEが頷く。
「ええ。今朝、正式に登録されました」
それで、倉庫の空気が一段締まった。
もう仮組みではない。
もう“草原の噂の集まり”ではない。
一覧に載る名前になったのだと、誰もが理解した。
帳簿画面を開いた女が言った。
「これで倉庫を分けられます」
「献上品がもう“落とし物”で処理できる量じゃない」
大柄な男が低く言う。
「守るだけじゃ足りない。巡回と迎撃の線を引く」
「昨夜みたいに大軍で来るなら遅らせる。少人数で来るなら返す」
影の濃い場所にいた女が、掲示板の流れから目を離さずに言った。
「外も勝手に名付け始めてる」
「なら、こっちが先に名乗って正解。他人の言葉で囲われる前に」
ORACLEは少しだけ目を伏せた。
「夜は、ただの暗さではありませんでした」
「光が届かないのでも、光を消すのでもなかった」
「境界でした」
誰も口を挟まなかった。
あの夜を見た者には、その言葉が大げさでないと分かる。
見ていない者も、見た者の顔を見れば軽くは扱えない。
ORACLEはゆっくり言った。
「我らの名は、《ECLIPSE》」
「光と闇のどちらでもなく、その境に立つもの」
倉庫の空気が少し固まった。
ORACLEは続けた。
「教義は二つで足ります」
震えはまだ残っていた。
でも震えていることごと押し切る声になっていた。
「搾取を断つこと」
「眠りを守ること」
RAMPARTが盾を床に一度打った。
他の者たちが、それぞれ短く頷く。
「拠点は草原周辺」
「まだ城はありません。壁もない」
「ですが、昨夜引かれた線は、消えていません」
その一文だけで、倉庫の中の空気が変わった。
昨夜まで「起きてしまったこと」だったものが、
今この瞬間に「運用されるもの」へ変わった。
ギルドは、そこで完成した。
中心にいる本人を置き去りにしたまま。
---
夕方、初期村の広場は朝よりも静かだった。
大軍はいない。
大声もない。
その代わり、視線だけが増えていた。
見に来る者。
近づかないと決めた者。
でも、まだ見ていたい者。
YUはその中を歩いて、掲示板の前で立ち止まった。
新しい表示があった。
ギルド一覧。
その端に、見慣れない名前が増えている。
```text id="g15h"
Guild Registered:
ECLIPSE
```
自分がさっき押した通知が、もう村の掲示板の一部になっている。
「早いですね」
思わず言うと、MINAが横で答えた。
「こういうのは、早い方が勝つ」
「勝つって」
「他人に勝手な名前つけられる前に、こっちが先に名乗るって意味」
言われてみれば、会社でもそうだった。
問題に名前がつくと、責任の流れが決まる。
先に言葉を置いた方が、あとで議事録を握る。
ゲームなのに、やっていることが妙に現実的で疲れる。
そのとき、画面の端にまた通知が出た。
```text id="g15i"
Guild Storage access pending.
Guild settings initialized.
Territory permissions updated.
```
Territory permissions updated.
「……何ですかこれ」
MINAの視線が鋭くなった。
「見せて」
画面を覗き込む。
一行読むたびに、MINAの眉間が深くなる。
「領域権限、更新?」
「いや、待って。ギルド作っただけでこんなの……」
MINAは一度口を閉じてから、考えるように言った。
「……ギルドのせいじゃない。たぶん」
「昨夜の夜が残した線を、システムが領域として読み始めてる」
「それは、いいことなんですか」
MINAは答えなかった。
答えないことが、答えだった。
広場のざわめきが、一瞬だけ変わった。
誰かが草原の方を指差している。
何人かが一斉に外へ向かう。
走らない。でも急ぐ足だ。
MINAが低く言った。
「行くよ」
「何があったんですか」
「たぶん、“線”が見え始めた」
---
草原の縁は、昨日と同じ場所のはずだった。
でも見え方が違っていた。
地面に線が引かれているわけじゃない。
柵が立ったわけでもない。
光の壁があるわけでもない。
それでも、そこから先は“向こう側”だと分かる。
空気の密度が違う。
画面の隅がわずかに暗い。
視界の端のコンパスが、草原に向けた瞬間だけ、ごくわずかに揺れる。
見ているだけなら気のせいで済む。
一歩踏み出すと、気のせいでは済まない。
草原の外縁にいたプレイヤーが、恐る恐る足先を入れた。
画面の表示が、変わった。
ほんの一瞬。
でも確かに変わった。
自分の名前が一瞬にじんだ。
地図の色が淀んだ。
普段は透明な画面の隅に、見慣れない紋様みたいな影が走った。
そのプレイヤーは慌てて足を引いた。
「今、変わったよな?」
「見たか?」
「不具合じゃね?」
「不具合で済ませるには嫌すぎる」
YUも見ていた。
自分には、よく分からない。
でも“普通じゃない”ことだけは分かる。
草原の中心に向かって、風がゆっくり流れていく。
その流れ方さえ、昨日までと少し違う気がした。
MINAが小さく言った。
「……残ってる」
「何がですか」
「境目」
「昨夜のあとで、夜の方が引いた線が、まだ残ってる」
残した。
誰が。
何のために。
聞いてもたぶん、今は説明できない種類のことだ。
少し離れた場所で、ORACLEが静かに立っていた。
その横にRAMPART。
さらに後ろ、倉庫で見た見慣れない顔も何人かいる。
昨日までの白ローブの群れではない。
配置された集団だった。
ORACLEは広場の方を向いたまま、でも声だけをこちらに届かせた。
「境は、もうこちらにも滲んでおります」
その言葉を聞いた瞬間、背中が少し冷えた。
作った、ではなく。
発生した、でもなく。
滲んでいる。
そういう言い方だった。
YUは草原を見た。
草はいつもと同じだ。
風も同じだ。
自分が寝た場所も、ただの草の上にしか見えない。
でも世界の方は、もう同じ見方をしていない。
草原に“向こう側”が生まれ始めている。
しかも、自分が眠っている間に。
その事実が、じわじわ遅れてきた。
「……初心者サポートじゃなかったですね」
思わず言うと、MINAが一瞬だけ息を止めたあと、小さく笑った。
「今さら?」
「今さらです」
その会話だけは、少しだけ普通だった。
でも普通のすぐ向こうで、草原はもう普通をやめ始めていた。
---
NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 47
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ギルドできたってマジ?
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マジ。名前出た。《ECLIPSE》
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中二病っぽいのに全然笑えないの何で
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マスター誰だと思う?
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……まさか
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そのまさか。寝てる初心者
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は???
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いや待て、何で初心者がマスターなんだよ
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信者側からしたらそりゃそうなんだろ。中心だし
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中心って言い方がもう怖い
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草原の縁、今なんか画面変わるんだけど
`239:`
見た。名前表示の色おかしくなる
`242:`
地図の端も変じゃね?
`246:`
聖域? 何それ怖い
`250:`
聖域で済むならいいけど、あれ境界じゃないの
`254:`
公式作戦の夜が残したやつ?
`258:`
公式負けた翌日にギルドできて線が残るの、展開早すぎるだろ
`262:`
寝てる初心者は何してんの
`265:`
たぶん何もしてない。それが一番怖い
`269:`
今朝から出品も止まってるし、草原方面ほんと行くやつ減ってる
`273:`
経済まで冷え始めてんの草
`276:`
草じゃねぇよ、草原だよ
`280:`
笑えねぇんだよもう
`284:`
《ECLIPSE》って名前、誰が考えたんだろ
`288:`
知らん。でも他人に名付けられる前に名乗った感じはある
`292:`
公式負けたあとで名乗るの、もう半分勝利宣言だろ
`296:`
REGALIA、ORACLE、そんでECLIPSEか。草原だけで三勢力あるの異常だよ
`300:`
異常だけど、もう昨日までの草原じゃない
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夕方の草原で、YUは立ったまま風を受けていた。
ギルドに入った。
役職はマスターだった。
草原には、昨日までなかった線が残っている。
自分がしたことは、招待を押しただけだ。
押しただけなのに、周囲ではそれが“決定”として積み上がっていく。
眠るために来ているだけなのに。
起きるたびに、世界の方が先に話を進めている。
草が揺れる。
冷たい風が頬を撫でる。
今夜もたぶん、ここで眠る。
その眠りの外側で、もう名前を持った組織が動き始めている。
《ECLIPSE》。
まだ城はない。
壁もない。
でも線だけは、もうそこにあった。




