狐神様、留守番をする
まかない帖シリーズ、2作目です。前作の中編と後編の間にあたる時期のお話です。
前作はこちら
きつね神様まかない帖 ~おなかがすいたら戦えません
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さてさて、お立ち会い。
盆と申しますれば、人は帰り、火は灯り、腹は満ち。
その裏で、神様は一歩、距離を取るものでございます。
迎え火焚いて、太鼓が鳴って、
「賑やかが好きだろう」と言われても、
神様だって、静かにしていたい夜がある。
今宵はそんな宵。
狐神ひとり、留守番の話から、始まり始まり。
ーーーーーー
境内は、夕暮れの色に沈みはじめていた。
村の方角からは、太鼓の音が途切れ途切れに届く。
迎え火の煙が風に流れ、笑い声と呼び声が混じって、落ち着かない気配だけが漂っていた。
琥珀は、社殿の屋根の上に伏せていた。
瓦は昼の熱をまだ残していて、腹の下がじんわりと温かい。
この位置は、人の動きがよく見える。
見えるがーー近づかずに済む。
くは、とひとつ欠伸をしたあと、琥珀はぼんやりと村の方を眺める。
(……盆は、好かん)
盆は死者の霊、そして神を迎える日であり、同時に、琥珀にとっては"神を忘れてもいい日"でもある。
今夜は湊もいない。
村の行事だか何だかで、朝から呼び出されていた。
ーー「今日は帰りが遅くなると思う」
その一言だけ残して。
台所には、きちんと蓋をされたお櫃と、鍋がひとつ。
冷めかけた飯の匂いが、屋根の上まで微かに届いている。
(…今宵は我は何も関与せぬ日じゃ)
琥珀はそう決めて、目を閉じかけた。
ーーが。
屋根の上にいる琥珀の耳に、下の方から何かの音が届いてくる。
最初は風の音かと思った。
だが、違う。細くて、途切れ途切れで、我慢するような、子供の声だ。
琥珀は、面倒くさそうにそっと頭を上げた。
境内の入口の方。小さな影がひとつ見える。
女の子だった。
明るい色の髪が、夕闇の中でふわりと揺れる。
足元を見て、周りを見て、また足元を見る。
泣いているが、声は抑えている。
(……人の子か)
今日は関与しない日、だ。口煩い湊も居らぬし、ゆっくりと飯を食うと決めておったのじゃ。
琥珀は動かなかった。
それに迷子は、珍しくない。
盆の夜などは特に、人も音も多い。
親はすぐ見つかる。
そう思って、持ち上げた頭を再び前脚の間に沈める。
ーーそのとき。
遠くで、太鼓が一段強く鳴った。
キャーハ…
アハハハ…
人々の笑い声。
迎え火が、ぱち、と爆ぜる音。
そんな中、太鼓の大きな音に、境内の女の子が、びくっと肩を跳ねさせた。
「……っ」
後ずさり、足を滑らせ、石段に尻もちをつく。
うう…ズズズ…
小さな嗚咽が、今度は抑えきれずに漏れた。
(…やれやれ、おちおち昼寝も出来やせぬ)
琥珀は、ふう、と一つ息を吐くと静かに身を起こした。
屋根の上から、ふわりと地に降りる。
音を立てぬように。
影が、女の子の前に落ちる。
女の子は気配を感じたのか顔を上げ、目を丸くした。
「……あ」
一瞬で、泣き止む。
「……わんちゃん?」
目に涙を浮かべていた少女の顔が、パアッと花が咲いたかのように満面の笑みへと変わる。
琥珀は、何も答えない。ただ、そこにいる。
女の子は、立ち上がり、一歩ずつ近づいていく。
琥珀は逃げない。吠えない。睨みもしない。
「……ここ、ひと、いっぱいいて……
おと、うるさくて……」
誰に言うでもなく、そう呟く。
ドーン、と再び太鼓の音が大きく響くと、女の子は再びビクッと肩を震わせる。
琥珀は、尾を軽く揺らし、社殿の影へと歩いていく。
女の子の視界から、太鼓の音が少し遠のく位置。
女の子は、少し迷ってから、ついてくる。
「……ここ、しずかだねぇ」
琥珀は、立ち止まる。
女の子も止まる。
境内には、風の音と、虫の声だけ。
女の子は、ほっと息をついたあと、ふと琥珀を見た。
「……わんちゃん、ひなのかみと、いろ、いっしょだねぇ」
夕暮れの光の中で、少女の髪は、確かに琥珀色に透けていた。
琥珀は、ほんの一瞬だけ、視線を逸らす。
(……色、か)
そのとき。
ーーぐぅ。
小さな女の子のお腹から、大きな大きな誤魔化しきれない音が響く。
女の子は、はっとしてお腹を押さえる。
「わんちゃん…いまの、きいてない?」
琥珀は、聞いてしまっていた。
社の奥から、冷めた飯と煮物の匂いが、静かに流れてくる。
(…これは関与ではない)
そう、己に言い聞かせる。
(これは、ただーー湊が置いていった飯が、余っておるだけじゃ)
狐神は、無言のまま、社殿の奥へと歩き出した。
少女は一瞬迷うものの、それから小さく走って追いかける。
「…まって!」
その声に、琥珀は振り返らなかった。
だが、歩みはーー少しだけ、遅くなった。
ーーーーーー
さてさて。
神様は関わらぬつもりでおりましたが、腹の虫と縁というものは、なかなか言うことを聞きません。
この先、
飯を出すか、
名を聞くか、
それともーー何もせぬか。
盆の夜は、まだ長うございます。
続きは次の一席で。
ーーおあとがよろしいようで。
長編物も書いてます。もし良ければどうぞ!
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