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ホーステイル砦の撤退戦  作者: 林忍


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8/12

第7章 軍議

 本作はムーンライトノベルズで連載中の「アコニットの町で」の過去譚ですが、単独でも戦記作品として楽しんでいただけると思います。


「これは……退却しかありませんな」


 ユーグ・コスト騎士団長が兜を脱いで汗を拭いながら、薄ら笑いを浮かべた。

 隣の騎士が兜を脱ぐと、美しい金髪碧眼の美青年、ドリス子爵カイルが現れた。流れる汗を拭おうともせず、冷たい視線で敵軍を眺めている。

 そこへ騎士アベル・ボリバルが歩み寄ってきた。


「閣下……東の尾根から……少し煙が」


「煙?」


 カイルは眉をひそめ、東側の傾斜へ視線を向けた。

 そこはアコニット軍の〝退路〟となる針葉樹林帯の林道だ。


 細い煙が一本、立ち上っていた。


 カイルは胸の奥がじくりと焼けるような感覚を覚えた。


「……ドワイトを呼べ」


 ほどなくして騎士ドワイト・オズボーンが戻ってきて、譜代家臣三人——ユーグ、ドワイト、アベルがそろった。

 カイルは無言で、煙の方向を見ている。


「閣下。あれは……狼煙ではないでしょうか」


「蛮族どもが退路を見張っている、という意思表示か」


「御意」


 カイルは息を深く吸う。しかし、胸奥のざわつきは消えなかった。戦場での“嫌な予感”は、いつも理屈の外側にある。


「斥候を出せ。退路の安全を確認させよ」


「はっ」


「閣下……あれは撹乱と考えまする」


 カイルが反応して振り返ると、アベルは西方イグナシア訛りの古めかしい言い回しで続けた。


それがしが退路を塞ぐ気なら、もっと派手にやりますな……崖から岩を落とし、茂みから射かけ、道を塞ぎ……だがあれは、見せつけておるに過ぎませぬ」


「退路は安全ではない、と……そう植えつけるためか?」


「御意」


「私も不自然に感じていた。ボリバル卿の考えに賛成だ」


 そこへミック副長が駆けてきた。


「報告!東の尾根で……斥候が敵と接触!」


「数は?」


「それが、坊ちゃん……弓矢を森の中から射かけられただけで、姿ははっきりと見てねえんだと」


 ミックの態度を咎めるようにドワイトが睨みつけた。

 ユーグとアベル一瞬、顔を見合わせる。

 これは完全に“敵がいる”という見せかけだ。

 退路が塞がれているという伏兵のアピールで、奇襲をかける気なら、あからさまに狼煙を上げたりはしないはずだ。


「なるほどな……となると、次の一手はもうすぐやって来るな」


「やって来るとは?」


 ドワイトが尋ねた。


「降伏勧告ですな」


 ユーグが代わりに答えた。

 ほどなく見張りの兵が走ってきて、カイルの前で片膝をついた。


「伝令!敵の使者が中腹に現れました!」





 グラント侯爵アンドリューは山の麓で出発の準備をしていた。このまま街道へ抜ければ、バーリー大公領の北辺の村々に着き、負傷兵らを休ませられる。

 夜明け前から鬨の声が山頂の方から聞こえていたが、今は静かだ。

 その時、山頂付近の尾根から煙が上がっているのを見た。

 

 アンドリューは不意に背筋が冷えた。

 あれは敵ではないのか?

 カイルの退路が脅かされているのでは?


 腹心のチェンバレン男爵アルフレッドとアーヴィン子爵イアンも一緒に煙を見つめている。


「魔術師殿」


 アンドリューはイアンに声をかけた。


「ドリス子爵は包囲されたのではないか?」


「可能性はありますね」


「なぜ狼煙を?」


 アルフレッドが尋ねた。


「動揺を誘う作戦かもしれません」


 アンドリューはうなずくと、今度はファーストネームで呼ぶ。


「イアン……ここまで来たら、卿一人でも指揮できるな?」


 イアンはあからさまに困り顔になった。


「馬鹿なこと、おやめください。何のためにドリス子爵が苦労なさったと思うんです?」


「仮にも閣下はグラント王家に連なるお方。行くなら私が戻って彼の退路を確保します」


 アルフレッドもイアンに賛同した。

 しかしアンドリューはかぶりを振った。


「あの生意気な小僧に借りを作ったまま死なれては腹が立つ……それに、あの面白い変人を社交界から無くすのは惜しい」


 しかしイアンはアンドリューに別の意図があると見ていた。


 実際にカイルが討ち取られてしまうと、あの莫大な資産を産むドリス子爵領を誰が継ぐか……おそらく王国と大公領で内紛が起きる可能性がある。

 なぜなら、ドリス家はリビン王国の騎士家系だが、約百五十年前の王国分裂期に事実上の独立を果たしており、ナギム鉱山を発見してアコニットの町を建設し、その財力で周辺領土を切り取ったからだ。

 中興の王ケリー・グラントが王国を再統一した後、領地安堵を条件に王国へ帰順した。つまり、ドリス家の領地の大部分は、王からの正式な拝領地ではなく、再統一期に“黙認”された土地である。

 ドリス子爵家は国王と大公に二重臣従しているので、その双方が領有権を主張するだろう。

 おまけに位置が争いの原因となりやすい。王国と大公領の境にあり、交通の要衝、重要戦略拠点ときている。

 ドリス子爵家が断絶した場合、新たな火種になるのは火を見るより明らかだった。


 アンドリューは頭脳明晰だが野心剥き出しのタイプではない。どちらかと言えば王国の存続を願い、宥和と協調を重んじる貴族だ。それゆえ国王からの信頼も篤く、有力諸侯からも一目置かれる存在である。

 できることならカイルを救出し、恩を売っておきたいのだろう。


「閣下! お待ちください!」


 麓の隊列から、騎士数名が駆け寄ってきた。顔色が悪い。


「山に戻るなど、自殺行為です!」


「殿軍を務めたカイル殿のご厚意を無駄にしない方が……」


「負傷者も多いのです。彼らを安全地帯に運ぶのが最優先では?」


 家臣たちの意見にアンドリューは苦笑し、軽く手を上げた。


「……そんなに反対されるとは思わなかったな」


「当然です!それに……最強のアコニット軍です。易々とやられはしないでしょう」


 全員が真剣に侯爵の身を案じていた。

 イアンさえ気圧され、口を開けなかった。


 アンドリューは一度、目を閉じた。


「……進軍を続けよう」


 家臣たちはほっと安堵し、持ち場へ戻っていった。


 だがイアンは幼馴染の性格を熟知している。滅多に没頭することはないが、一度気に入ると没頭し続ける。

 一途と言えば聞こえはいいが……偏狂だ。


 イアンだけが、山頂の煙を見つめ続けるアンドリューを不安な目で見ていた。





 カイルの前に蛮族の使者がひざまづいた。そして額を三回、軽く地面に当て、書簡を恭しく差し出した。

 彼らの伝統的な貴人への儀礼だ。


 アベルが受け取り、カイルに手渡した。

 何とか読める文法ではある。


——


前略


将軍閣下


 貴方たちの勇戦に賛辞を送ります。

 しかしすでに貴方は包囲されている。

 これ以上、無駄な血を流したくはない。

 将軍閣下の命をいただきたい。

 そうすれば家来の命は助けると約束する。


  スリヤ族族長 竜の牙 (サイン判別不能)


——


「使者の方、ご苦労だった。また返事をするゆえ、今はお帰りいただきたい」


 アベルがそう言うと、使者は再びひざまづき、三回額を地面に付けてから立ち去った。


「無礼で無学な文面だ」


 ドワイトが吐き捨てるように言う。


「となると、あとは脱出の手筈だけですな」


「東の退路は少数のはず。強硬突破すれば……」


 ドワイトが言うと、ユーグが首を振る。


「それくらいのことは連中も読んでいるだろう。罠かもしれん」


 アベルがさらに提案した。


「ならば鎧兜を交換し、影武者を使うのはいかがか?」


 ユーグが天を仰いだ。


「こちらは三百ほどだ。最初から全滅を狙ってくるだろう」


 カイルが口を開いた。


「お前たちに危険なことはさせたくない。強硬突破するくらいなら、連中に従おう」


「バカ言っちゃいけねえよ!」


 譜代家臣三人が諌めようとした時、叫んだ者がいる。

 三人が振り返るとミック副長が立っていた。


「この……無礼者!平民の分際で貴族の会合に口を出すとは!!」


 ドワイトが激昂して剣を抜き、無礼打ちにしようとミックに歩み寄る。

 騎士団と兵士らが、ドワイトを止めようと駆け寄ってくる。


「待て、ドワイト……ミック、発言を許す」


 カイルが静かに命令した。

 ドワイトはミックを睨みつけながら、剣を納めた。

 アベルがドワイトの肩を掴み、落ち着かせようとする。

 ミックは立ったまま、カイルを睨みつけている。


「せめて、頭を下ろせ」


 アベルが促すと、ミックはゆっくり片膝をついた。


「坊ちゃん……俺たちは、アンタだから付いてきたんだ。アンタのいねえアコニットの町に戻って、町の奴らになんて言うんだよ……」


 カイルは黙ってミックを見つめている。


「少なくとも平民の俺たちは、みんなアンタが好きなんだよ。出陣の前日にも俺たちと一緒に酒飲んで、博打して、娼館に行って……そんなお貴族様がどこの世界にいるんだ?」


 ユーグが咎めるように主人を見ると、カイルは気まずそうに目を逸らす。


「俺たちを盾に使う?上等!アンタの盾になって死ねるなら本望だ。ダニエル隊長もアーロンもトビーもレックスも……トーマスの旦那だって、アンタのために死んでいったんだ。今さらアンタの首を差し出したら、あの世で連中に顔向けできねえよ……」


 ミックは大粒の涙を流して泣き出した。

 取り囲む騎士や兵士らからも、すすり泣く声が聞こえた。


「いいか?アンタは俺たちにとって、弟分なんだ!弟は兄貴に守られて生き延びるんだ!わかったか!」


 最後は無茶苦茶な論理だな、とミックの無礼な言動に怒ることも忘れ、ドワイトは呆れた。

 しかし、同時に彼らの忠義の心は同じ本物だと確信できた。


「わかった」


 そう言うとカイルが立ち上がり、ミックに近づくと片膝をつき、両腕で抱きしめた。


「ならば、兄貴たちの命を預かろう。私をアコニットへ連れて帰ってくれ」


「へへっ、当たり前だ。兄ちゃんに、ちゃんとついて来いよ?」


 カイルは微笑みながら立つと振り返り、全員に通達した。


「皆の者、聞け!今からミックを兵士長に任命する。兵は全員、彼の指示に従うように!」


「応!!」


 兵士らが力強く呼応した。

 まだ日は高く、空気は熱を持ってきていた。


最後までお読みいただきありがとうございます。林忍です。


第7章「軍議」では、戦術や作戦ではなく、アコニット軍という集団の“芯”を描きました。

退路、敵の撹乱、降伏勧告——冷静に考えれば、選択肢はいくつもあります。

それでも最終的に何を選ぶのかは、理屈ではなく、人と人との関係でした。


兵を家族と呼び、守ろうとする指揮官。

そして、その指揮官を「弟」と呼び、命を預ける兵士たち。

ミックの言葉は無作法で、論理的でもありません。

しかし、その感情こそが、アコニット軍がここまで生き延びてきた理由でもあります。


一方で、山の麓から見上げるアンドリューの視点は、この戦いが一個人や一部隊の問題ではなく、王国全体に波紋を広げかねない危うさを示しています。

この撤退戦は、すでに多くの思惑を巻き込み始めています。


次章、第8章「突撃」。

選択は下されました。

もはや退くことはできません。

彼らは、生きて帰るために前へ進みます。


引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

明日19時30分に、またお会いしましょう。


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