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ホーステイル砦の撤退戦  作者: 林忍


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第2章 変人

 本作はムーンライトノベルズで連載中の「アコニットの町で」の過去譚ですが、単独でも戦記作品として楽しんでいただけると思います。


 追撃してきた蛮族が去り、砦の門が開いた。

 ゆっくりと入城してきた味方の集団を、兵士らが歓喜の声で迎える。


 先頭の騎士が馬から降り、横にいた兵士に手綱を渡した。兜を脱ぐと、ひとりの美青年がその下から現れ、迎えた兵士たちは息を飲んだ。

 陽光を受けて煌めく金髪。翡翠色の双眸は、砦の様子を一瞥しただけで全てを見透かすかのように鋭い。その美貌は、噂に違わず貴婦人のように整っている。


 グラント侯爵アンドリュー以下、数十名の上級騎士が広場へ下りてきて、敗残兵らを出迎えた。

 先頭の美丈夫が、顔に似合わぬ低い声が口を開いた。


「グラント侯爵閣下……この度は、砦に受け入れていただき、深く感謝いたします。アコニットの町の領主、カイル・ドリスです。兵とともに撤退して参りました」


 無表情のまま、礼儀正しすぎるほど深い一礼。

 貴族としての作法は完璧だが、どこか“距離の測れぬ男”という印象を強くする。


 そのすぐ後ろに控えるのは四人の騎士。彼の腹心なのだろう。

 さらに驚いたことに、後の騎士と兵士たち。

 負傷兵も埃まみれの者も、立てる者は背筋をぴんと伸ばしたまま微動だにしない。立てない者は座ったまま頭を下げている。

 歴戦の騎士も、若い兵士も、皆が沈痛と緊張を背負っているが、礼儀正しく目の輝きは死んでいない。

 

 一般兵士は鉄環を張り付けた革鎧(リングメイルアーマー)大楯(ラージシールド)を使って備え、どちらも中央にはアコニットの花を象った徽章が描かれている。

 足元には騎士が履くような厚手のブーツまで揃い、敗残兵のはずなのに妙な統一感があった。


 そして目を引いたのは、その鎧下からのぞく濃藍の布地だ。


 (……イソク織か。アコニット軍らしい)


 ドリス子爵領イソク村の名を冠した高級布で、耐魔性が高く切れにくいことから上級装備の裏地として扱われる。珍しいはずのそれを、下級兵士の鎧下着(ギャンベゾン)にまで惜しげなく使っているのが、逆に彼ららしい。


 埃まみれで傷も負っているのに、どの兵も背筋を伸ばしており、まるで異国の近衛兵団のように見えた。敗残兵という印象は薄い。


(……これが、アコニット軍)


 アンドリューは先ほど戦場で見た“巨大な甲羅を引きずる生き物”の幻影を思い出す。

 統率、陣形、装備、そのすべてが異質だった。

 

「よく無事に辿り着いた。遠慮なく座りたまえ、兵士たちよ。砦は狭いが、できる限りの便宜は図ろう。井戸は無事だ、水を使いたいなら遠慮なく使いたまえ」


「寛大なお言葉、痛み入ります。兵たちは負傷者も多く……まずは治療を受けさせる許しを頂きたいのですが」


「もちろんだ」


「ありがたき幸せ」


 アンドリューの即答に、カイルは静かに頭を下げた。その横顔には感謝こそあれ、必要以上の卑屈さも驕りもない。


「トーマス……聞いた通りだ。兵らは一時解散。重症の者から順に手当てを受けさせてくれ。ダニエル兵士長とミック副長に指揮させよ」


「はっ!」


 若い騎士が一礼し、後の兵士長らしき男に指示をした。途端に兵士らが破顔し、ある者は座り込み、アンドリューのよく知るだらしない兵士らの姿に戻った。

 カイルがそれを見て、一瞬微笑んだ。

 腹心の一人はおそらく堅物なのか、それを見て少し渋い顔をしている。

 

(噂の“変人貴族”という印象とかけ離れているな)


 アンドリューは思わず内心で呟いた。

 民兵にまで高価な装備を与えるほどの浪費家、戦場では無表情で氷のように冷徹、何を考えているのか分からない若領主——そう聞いていた。

 確かに兵士らはカイルが指示するまで整列を維持していたので、よほど厳しい上司で訓練が行き届いているのだと思っていたが、生還した喜びを分かち合う兵士らを見る目は優しく、とても冷徹な人物には見えない。


 カイルは真顔に戻ると、再びこちらへ向き直った。


「閣下……砦の状況を教えていただければと存じます。我らも可能な限り、お役に立ちたい」


 その瞳が、アンドリューをまっすぐに射抜く。

 感情の読めぬ眼光に、アンドリューは一瞬だけ背筋を伸ばした。


「では一時間後、天守閣で軍議を開こう。それまで休憩しておいてくれ」


「承知しました」


 カイルは優美に一礼すると、踵を返して家臣たちと厩舎へ歩いていった。


(底が見えん男だ……だが、今は味方だ)


 そう思った途端、安堵のため息が漏れた。





 軍議が開かれた。

 上座にはグラント侯爵アンドリュー。

 彼は四角いテーブルの端に座ると、右を見た。

 右側には、銀髪碧眼の青年——アーヴィン子爵イアンが座っていた。

 アンドリューの幼馴染であり、参謀を務める数少ない魔術師の一人である。

 家督を継いでからも領地には戻らず、妻子を預けたまま、ホークアイ砦の離れに籠もって魔法研究に没頭している。

 その隣にはチェンバレン男爵アルフレッド。グラント侯爵軍の騎士団長である。

 黒髪の寡黙な男だが、落ち着かない時に口髭をいじる癖があり、今もしきりに口髭の角度を気にしている。

 下座に当たる左側には、アンドリューに近い方からドリス子爵カイル、ユーグ・コスト騎士団長が座った。

 ユーグは少し白髪の入った黒髪、小皺の数から、この五人の中ではおそらく最年長だろう。カイルとはまるで親子のような感じがする。

 コスト家はドリス子爵家の庶流とのことであり、爵位は無い。しかし、茶色の瞳で机の上を静かに眺める姿は、威厳と落ち着きを漂わせ、向かいに座るアルフレッドの方が格下に見えてしまうほどだ。


 アンドリューは静かに口を開いた。


「さて、諸君……我々には長期に籠城するほど、食糧に余裕がない。見ての通り、砦は敵の軍勢に包囲されてしまっている……」


 窓の外に目を向けると、蛮族の軍勢に四方を取り囲まれている。

 彼らの色とりどりな旗が目に入る。


「選択肢は三つだ。降伏するか、脱出するか、籠城して戦い続けるか」


 アンドリューは全員の方を向いた。


「諸君らの意見を聞きたい。自由に意見を交わしてくれ」


 アルフレッドが髭から手を離し、手を挙げた。


「味方が引き返してくれる希望はあるだろうか?」


 イアンが答えた。


「砦とサイグナス山脈に続く街道は狭く、山脈の向こうから味方が戻ったとしても、部隊を展開する前に各個撃破されるリスクが高いと思われる。戻ってきた時点で、われわれもタイミングを合わせて出撃するという、極めて高度な戦術が必要になるでしょう」


 ユーグが手を挙げた。


「食糧はどれほど残っておるのでしょうか?」


 アルフレッドが眉間に皺を寄せた。


「スープにして薄めても十日でしょうな」


「事実上、一週間程度か……我々アコニット軍の腰兵糧(レーション)も残り四日分程度なので、籠城の選択肢はありませんな」


 ユーグが冷静な声で意見した。

 イアンもうなずき賛同する。


「討って出て、街道へ脱出あるのみです」


 アンドリューもうなずいた。


「降伏する前にひと足掻きしよう。戦える者はどれほどか?」


 アルフレッドが挙手し、メモを読み上げる。


「急ぎで数えたのですが、グラント軍が騎士と兵士合わせて七百人余り。そのうち負傷兵が百人余り、従者などの非戦闘員が九十八人おります。他領の敗残兵が八十二人、アコニット軍が三百人余り。負傷兵は……回収された他領の兵士を合わせて、五十四人」


「正確にはアコニット軍が三百二十五人が健在。負傷者は十二人。うち七人が軽傷なので、すぐ戦線復帰できます」


 ユーグが補足した。


「まともに戦えるのは千人ほど……負傷兵と非戦闘員が三百人近くいるのか」


 アンドリューは嘆息し、天を仰ぐ。


「千人あれば、侯爵閣下だけでも何とか落ち延びさせることはできると存じます。負傷兵らは置いていくことになりますが……」


 アルフレッドが力強く言うが、すぐ髭を触りだした。


「置いていく?陛下の為に戦い、傷ついた者どもをむざむざ敵に食わせるというのか?」


 今まで一言も発しなかったカイルが、静かに反論する。


「歩けない者は足手まといだ。仮に連れ出したとしても、途中で敵に追いつかれ、全滅することになりかねん」


 イアンがそう言うと、アンドリューも賛同してうなずいた。

 しかしカイルは初めて感情的に言い放った。


「私は連れていく。アコニットの町の兵はもちろん、負傷兵も非戦闘員も」


(何を言ってるんだコイツは!?)


 アンドリューは改めてカイルが変人だと思い知った。

 自分も負傷兵を置いていきたいわけではない。あくまで少しでも多くの兵が生き残るための算段をしているだけだ。

 まるで素人……いや、駄々をこねる子どものような発想だ。


「落ち着かれよ、ドリス子爵。私も負傷者を同行させるのは危険極まりないと思う」


 アンドリューは気持ちを落ち着けながら、極めて静かに説得を試みた。


「兵は人間だ。数字じゃない……置いていくと言うならアコニット軍は、グラント軍とは袂を分かつ。負傷者を捨てる隊伍に神は味方しない」


 流石のアンドリューも色をなして立ち上がる。カイルは視線を窓の外に向けていたが、その澄まし顔が余計にアンドリューの神経を逆撫でした。

 一触即発の状況に、ユーグとイアンが慌てて間に入る。

 騒ぎを聞きつけ、護衛の騎士たちが入口に駆けつけたが、アルフレッドは髭をいじりながら、騎士らを制した。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。林忍です。


本章では、アンドリュー侯爵とドリス子爵カイルの「決定的なズレ」を描きました。

どちらも兵を思っている。どちらも正論を持っている。

それでも、戦場という極限では価値観の違いが鋭く噛み合わなくなります。


負傷兵を切り捨てる判断も、連れていくという判断も、

それぞれの立場から見れば合理的であり、また非情でもあります。


この撤退戦は、単なる戦術の話ではなく、

「何を守るために戦うのか」という問いそのものでもあります。


次章では、いよいよ具体的な脱出計画が動き出します。

果たして、この“変人貴族”の選択は、無謀なのか、それとも……


第3章「名将」は明日19時30分更新予定です。

引き続き、お付き合いいただければ幸いです。


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