婚約はなかったことに
婚約者であり、我が辺境伯家に婿に来る予定だった騎士団長の三男が、最近聖女と親しいという噂を聞いたのでジャネットは半年前に卒業した学園を訪ねることにした。
聖女という存在は、光魔法、治癒魔法が使える貴重な存在で、通常の治療では回復が望めない大怪我や身体の欠損すらも回復させられる。そんな方と親しいのはいいことだが気になることがあったのだ。
辺境伯軍の軍服に身を包み、凛と歩く様に目を輝かせている少年や顔を赤らめている少女の姿は、学生時代と変わらないなとつい微笑ましく思えて、少しだけ笑い掛けると何故か悲鳴が上がる。
そう言えば、在学中もこんな感じだったな。
「相変わらず、罪作りな方ですね」
側近に言われるが理解できない。
「レンブランド辺境伯令嬢」
首を傾げていたら一人の青年が声を掛けてくる。
「お久しぶりです。貴方が来たと言うことで騒ぎになって慌てて飛んできましたよ。――生徒会の仕事を増やさないでください」
「生徒会? 今代には王太子とその側近がいたと思うが……」
目の前の青年は確かに成績や身分では生徒会になっていてもおかしくないが、今代の面々が王太子と側近。聖女も居るので生徒会に加わるとは思えなかった。
「確かに多少国政に関係するように生徒会を回すよう選ばれますが……実力が今回評価されました。生徒会長がキアンヌ公爵令嬢なので」
王太子の婚約者の名前があげられて、彼女の性格を知っているからこそ納得がいった。
それでも王太子が文句を言ってきそうだがと首を傾げると、
「生徒に平等に接しろと言いながら一人の少女を優遇している人を選びませんよ。一応、選挙で会長は選びますので」
人望が無いと言うことか……。
「それはそうと」
こちらに向かって鋭い視線を向けくる。
「いくら卒業生とはいえ、勝手に学園を歩き回られるのは困ります」
在学中はひ弱な印象だったが、ガタイが良くなって逞しい印象に変わった後輩をまじまじと見つめて、
「ああ。防犯上よくなかったな。すまない。――私の婚約者を探しているのだが」
「防犯だけが理由では……いえ、婚約者と言えば、コカリス伯爵子息ですね」
騎士団長ではなく、爵位で告げてくる。
「噂を聞き付けたんですか?」
「それ以外何がある?」
「愚問でした」
そんな話をしながらこちらですと案内されるがそこには婚約者の姿は見えない。
「いないが?」
「ここからの方がよく見えるんですよ。最近はここに居ると噂になっているので」
窓から下を見てくださいと言われて見ると中庭で婚約者と一人の女子生徒。
「あれが、聖女……」
確かミナさまだったか。
婚約者は木刀を振り回して訓練をして、それを応援している聖女さま。
――青春の一コマと言える光景。
「………………」
しばらく観察していたが、観察だけで用はすんでしまった。
「もういいのですか? 声を掛けなくて」
「ああ。――必要ない」
案内してくれたことの礼を述べる。
すぐに騎士団長……いや、コカリス伯爵の元に向かう。
「婚約の件ですが、解消に来ました」
さっさと本題を告げると、
「ジャネット嬢。いくらなんでも早いのでは……いえ、息子の火遊びを擁護するつもりはないのですが、聖女は王太子が本命のようで……」
婚約者がいる王太子が他の女性に懸想をしている時点で引き留めるのが真の忠臣だろうと思いつつも、
「原因はそれ以前の問題なので」
と伝えておく。
「と言うと……」
「――婚約者が戻り次第訓練場をお借りしたい」
原因を教えますのでと告げると許可をくださった。
「ジャ……ジャネットっ⁉ なんでここに」
しばらく待っていたら婚約者……すぐに過去形になる人が、聖女と王太子、そして、側近を連れて帰ってきた。
「そこで、屋敷の雰囲気の変化に気付かないのは減点。私の馬と我が家の馬車が止まっていたが」
呆れたように告げて、
「殿下も殿下です。急な予定変更は護衛に影響が出ます」
「それはっ……」
「えぇぇぇぇ!! 勝手にシュダルくんの家にやってきて、アルトが自由に行動しちゃいけないって責めるのはおかしいよっ!!」
聖女が文句を言ってくるので、溜息を吐いて、
「では、言い方を変えます。――急な予定変更をして有事の際連絡をしないといけない場合。殿下の行方が分からない場合どう連絡をつければいいのでしょうか」
「なんでそんなことをアルトに連絡しないといけないんですかっ!!」
聖女がまた騒ぐのに呆れて、
「王族は有事の際に責任者として動くからこそ許されていることがあります。聖女さまも有事の際に呼ばれるでしょう」
「はぁぁぁぁ。今関係ないでしょう」
癇癪を起こすように叫んでいる聖女さまを見て、話をするのが面倒になった。
「いい加減本題に入る。――剣を取れ」
「もっ、もしかしてっ、俺がミナと仲がいいから浮気を疑っているのか? 安心しろ。ミナは殿下の……」
「剣を取れと言っている」
余分な言葉を告げるのを遮って、目の前に剣先を突き付ける。
「真剣でも構わないぞ」
これ以上グダグダ言うのならと左手で鞘を軽く撫でる。
「わ、分かったよ……」
審判をしてくれた騎士団長の声が響くと同時に動くが、動きの緩慢さに呆れて、次にこちらの攻撃を読んでいるはずなのにわざと当たりに行く癖に舌打ちをする。
審判をしている騎士団長もその悪癖に気付いてこめかみをぴくぴくさせているのが見える。わざと当たりに行って、そのまま負ける様に失望した眼差しを向ける。
「シュダルくん大丈夫!!」
すぐさま治癒魔法を掛ける聖女に甘えるように、
「ああ。助かったよ。ミナ」
笑い掛ける元婚約者。
「こんな有様です」
「――確かに、こんな腑抜けた息子では婚約を破棄する必要があるな」
騎士団長の鋭い視線。
「父上……?」
聖女に甘えるように寄り掛かったまま呼び掛ける元婚約者に騎士団長は答えない。
「破棄ではなく、解消で構いませんが」
「いえ、こんな息子を辺境伯領に婿として送り込もうとしたのです。解消という名の恩情をもらっては騎士団長として自分が許せません」
告げると同時にいまだ聖女の傍でくっついている元婚約者の元に近付いて、力いっぱい殴っていた。
「きゃあぁぁぁぁぁ!!」
悲鳴を上げる聖女。
「騎士団長!!」
王太子が声を荒げるが、
「辺境伯領は常に隣国からの国防を担っている。勝ち続けないと国を守れない。なのにお前は!!」
学園の中庭で訓練している様を見ていたら真剣さを感じなかった。
聖女に格好いいところを見せるような動きは形ばかりで実戦向けではなく。そして、しばらく動いてから聖女に手当てをしてもらっていた。
わずかな掠り傷でも治療してた。
そして、今も聖女は殴られた箇所を治療しようとするが、
「しないでください。いや、するな」
騎士団長の怒気を含んだ声。それに聖女は怯えて、治癒の手が止まる。
「聖女の治癒は重傷の者を優先させる。それなのに、わざと怪我をして治癒をしてもらう。そんな存在が国を守れるわけないだろう!! 聖女さまもやすやすと治癒してはいけないと教わってきたのではないのですか」
騎士団長の声に、意味が分からないでただ怒られて怯えている少女に呆れるしかない。王太子もこれでは、近いうちに弟王子にその地位を明け渡すだろう。
聖女の治癒能力は便利だと思われているが、当然欠点もある。
聖女の力は無尽蔵ではない。必ずどこかで限界が来て、治癒能力が枯渇する。僅かな怪我に治癒をし続けていたら肝心な時に治癒能力が消えてしまう恐れもあるし、そもそも聖女の限界は能力の強さではなく。
回数なのだ。
わずかな怪我を治癒をするのと重傷人を治療する、治療の範囲が違っても回数は同じ。聖女が見つかる時に聖女が使える治癒の回数も同時に関係者は知らされるのだ。
そして、治癒を受ける人間にも影響は大きく出てしまう。
――そう。かつて身体の欠損をした二人の戦士が居て、一人は常に治癒を受けていた親しい関係者で、もう一人はほぼ初対面の戦士。
親しい関係者の方が先に治癒してもらっていたのに二人の回復は後から受けた初対面の戦士の方が早く。すぐに戦場に復帰した。
だけど、関係者だった人は長期の療養を必要とし、結局完治せず。補助具の使用を余儀なくされた。
治療してもらった、動かせるという時点で恵まれてはいるだろうが……。
「覚悟のない人に国防を担ってもらうわけにはいかない」
婚約者だけではなく。聖女にも王太子にも言える。
だからこそ宣言する。
「婚約はなかったことに」
と――。
その後。どうなるか知らないが、次は覚悟を決めている人を婚約者に……婿にしないと。
ちなみに候補は二人いる。