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第九話

 エリッサとの初戦から三日が過ぎた。

 俺は森の最深部で新たな獲物を探していた。エリッサとの戦闘により俺の魔法能力は飛躍的に向上しており、小動物程度では満足できなくなっている。もっと大きな獲物、もっと多くの知識を蓄えた存在への渇望が、日を追うごとに激しくなっていた。


 あの強大な魔力を持つ少女を取り逃がした悔しさも残っていた。

 これまで俺が捕食できなかった相手は存在しなかった。エリッサは初めて俺の手から逃れた獲物であり、それだけに俺の興味を強く引いていた。


 その時だった。


 風向きが変わった瞬間、あの独特の魔力の匂いが鼻腔を刺激した。間違いない。エリッサの魔力だ。


 俺の身体が本能的に興奮した。六本の触手が小刻みに動き、身体に埋め込まれた金属片が共鳴するように振動した。

 あれほどの魔法使いの脳を捕食できれば、どれほどの知識が手に入るだろうか。この世界の秘密、高度な魔法技術、そして彼女が隠している真実。すべてが俺のものになる。


 今度こそ、彼女を逃がすことはない。


 茂みの間から彼女の金髪が見えた時、俺は奇異な光景に目を奪われた。


 エリッサの周囲に、三本の槍が宙に浮遊している。

 それらは普通の武器ではなかった。柄の部分は深い黒色をした石材で作られ、穂先は青白く発光する魔法石のような物質で形成されていた。三本とも同じ大きさで、彼女を中心にゆっくりと円を描くように回転している。


 それぞれの槍は人間の身長ほどの長さがあり、表面には無数の魔法文字が刻まれていた。文字は常に変化し続けており、複雑な魔法式が槍全体を覆っている。

 槍から発せられる魔力は、エリッサ本人の魔力とは明らかに異質だった。より禍々しく、俺のような存在に対して特化した力のようにも感じられる。


 何だ、あれは。


 俺がこれまで見たことのない代物だった。武器というより、高度な魔法装置のようにも見える。ただ一つ確実なのは、それらから放たれる魔力が俺の警戒本能を刺激していることだった。


「こんにちは。また会えて嬉しいです。」


 エリッサの声が森に響いた。相変わらず少女らしい明るい声だが、俺の意識は既に彼女の首筋に釘付けになっている。

 あの細い首を触手で締め上げれば、簡単に捕食できるはずだ。


「今日は少し違うことを試してみたいのです。」


 彼女が何を言っているかなど、どうでもいい。俺の頭の中は、彼女の脳髄を貪り食うことで溢れていた。どれほどの記憶が流れ込んでくるのか。どれほどの知識が俺のものになるのか。

 考えただけで、身体の奥から興奮が湧き上がってくる。


 前回の戦闘では互角の勝負だったが、今度は違う。

 俺はあの戦闘でエリッサの能力を詳細に分析している。彼女の魔法パターン、回避技術、そして戦術的思考。すべてを把握した今なら、必ず捕らえることができる。


 俺は身を潜めていた岩陰から飛び出した。


 六本の触手が地面を蹴り、最高速度でエリッサに向かう。前回の戦闘経験を活かし、彼女の回避パターンを予測した軌道で突進する。


 エリッサが最初に放ったのは束縛魔法だった。魔力でできた糸状の縄が俺の身体を絡め取ろうとする。だが、そんなものは俺の適応能力の前では無意味だ。

 触れた瞬間、束縛耐性が発現する。魔力の糸は俺の身体を素通りし、何の効果も発揮しない。


 束縛魔法の無効化は想定内だった。前回の戦闘で、俺があらゆる魔法に適応することを彼女も理解しているはずだ。


 俺は一気に距離を詰めた。


 次にエリッサが発動したのは封印魔法だった。俺の動きを封じ込めようとする魔力の檻が空中に展開される。

 これも即座に適応した。封印に対する耐性が身体の深部で生成され、魔法の檻が霧散していく。


 複雑な魔法陣を展開する封印術も、俺の進化能力の前では一時的な障害でしかない。魔力の構造を瞬時に解析し、対抗手段を構築する能力は戦闘を重ねるたびに向上していた。


 もうあと五メートル。俺の触手が届く距離だ。


 その瞬間、エリッサの周囲を回転していた槍の一本が動いた。

 まるで射出されたかのように、槍が俺に向かって飛来する。だが普通の投擲ではない。空中で軌道を自在に変更し、俺の動きを予測して追尾してくる。


 念動力による制御か。だが、その精度と速度は尋常ではない。


 槍は俺の回避行動を完全に読んでいた。

 俺が左に移動すれば槍も左に軌道を変更し、右に動けば右に追従してくる。まるで俺の思考を読んでいるかのような正確性だった。


 回避しようとしたが、槍は俺の回避行動まで読んでいた。空中で急激に方向転換し、俺の中心部目がけて突進してくる。


 槍が俺の身体に突き刺さった。

 瞬間、俺の全身が激しく痙攣した。これまで経験したことのない異質な感覚が、神経系統を駆け抜けていく。まるで脳の奥深くに直接針を刺し込まれたような感覚だった。


 物理的な痛みではない。

 俺の意識そのものに作用する、未知の攻撃だった。視界が歪み、聴覚が麻痺し、身体の制御が利かなくなる。


 意識が一瞬混濁する。

 これまでの戦闘で経験したどの攻撃とも異なる種類の影響だった。魔法攻撃でも物理攻撃でもない、第三の攻撃手段。


 しかし、その影響は長続きしなかった。

 数秒後には意識が回復し、捕食欲も元通りになった。エリッサを捕らえたいという欲求に変わりはない。俺の進化能力が、この未知の攻撃に対しても適応を開始している。


 だが、槍が俺の身体に刺さったまま抜けない。

 触手で槍を掴み、引き抜こうとしたが、槍は俺の身体と一体化したかのように動かない。まるで元から俺の身体の一部であったかのように、完全に固定されていた。


 俺は再び彼女に向かって突進した。


 今度は触手だけでなく、金属片の射出も併用する。鉄パイプの破片と錆びた釘を同時に発射し、彼女の動きを封じようとした。

 エリッサは華麗にそれらを回避した。まるでダンスを踊るように軽やかに身体を翻し、俺の攻撃をかわしていく。同時に二本目の槍を操作し始めた。


 二本目の槍が俺を襲う。


 今度は警戒していたため、回避行動も素早かった。だが、槍は俺の予想を上回る機動性を見せた。空中で三回も方向転換し、最終的に俺の背中に突き刺さった。

 また同じ感覚が俺を襲った。


 だが今度は、先ほどよりも深刻な影響があった。何か重要な部分が阻害されているような感覚がある。まるで身体の制御系統の一部が書き換えられているようだった。

 神経系統に直接作用する攻撃で、俺の身体制御に微細な変化を与えているのかもしれない。


 それでも俺は諦めなかった。

 今度は魔法も併用することにした。

 火球術と氷の槍を同時に発動する。詠唱なしで放たれる魔法は、彼女にとっても予測困難なはずだ。


 俺が習得した各種魔法を組み合わせた複合攻撃を展開する。火炎と氷結を同時に放ち、相反する属性による混乱効果を狙った。

 さらに雷撃も加え、三属性同時攻撃でエリッサの防御を突破しようとした。


 しかし、エリッサは俺の魔法を軽々と無効化した。彼女自身の魔法で俺の攻撃を相殺し、さらに三本目の槍を操作し始める。

 三本目の槍が俺の周囲を旋回し始めた。まるで猛禽類が獲物を狙うように、最適な攻撃角度を探している。俺がどちらに動いても、常に最短距離を保って追従してくる。


 槍の動きには明確な意図があった。

 単純な攻撃ではなく、俺の行動を制限し、最終的に確実に命中させるための戦術的な動きだった。


 俺は最後の攻撃に賭けた。


 六本の触手すべてを使い、あらゆる方向から同時攻撃を仕掛ける。金属片の射出も最大威力で行い、魔法による援護射撃も併用した。

 これまでの戦闘経験で培った、俺の持てるすべての攻撃手段を同時展開する。


 正面の触手でエリッサを直接攻撃し、左右の触手で挟撃を狙う。上下からも触手を伸ばし、完全な包囲攻撃を実行する。

 同時に火球、氷槍、雷撃を連続発射し、魔法による制圧射撃を行う。金属片も全方位から射出し、彼女の回避選択肢を完全に封じる。


 まさにその瞬間、三本目の槍が俺の中心部に深々と突き刺さった。


 俺の世界が一変した。


 エリッサに向かって伸ばしていた触手が、彼女に触れる寸前で完全に停止した。まるで目に見えない壁にぶつかったかのように、それ以上前に進むことができない。

 俺は必死に触手を動かそうとした。だが、エリッサに危害を加える可能性のある動作は、すべて強制的に中断されてしまう。


 何だ、これは。


 身体が俺の意思に従わない。捕食したいという欲求は変わらずあるのに、それを実行に移すことができない。まるで見えない鎖で縛られているような感覚だった。

 三本の槍が俺の身体に刺さったことで、根本的な変化が生じているのは明らかだった。


 俺は火球術を発動しようとした。

 しかし、エリッサに向けて魔法を発動しようとした瞬間、術式が強制的に中断された。魔力の流れそのものが阻害され、攻撃魔法を完成させることができない。


 金属片の射出も試みたが、同じ結果だった。

 エリッサを狙った射出は全て無効化され、彼女以外の方向への攻撃は正常に機能する。明らかに特定の対象に対してのみ、攻撃能力が封じられている。


 エリッサがゆっくりと俺に近づいてきた。

 俺は本能的に威嚇の姿勢を取ろうとしたが、それさえも阻止された。彼女に対する攻撃的な行動は、どんなに些細なものでも完全に封じられている。


「うまくいったようですね。」


 エリッサが満足そうに微笑んだ。その表情には、何かを成し遂げた時の充実感があった。


「これで、あなたは私を傷つけることができなくなりました。」


 俺は喉の奥から低い唸り声を発した。獣のような、怒りと困惑が入り混じった音だった。

 捕食欲は少しも衰えていない。だが、それを実行することができない。この状況は俺にとって耐え難いほど不快だった。


 身体に突き刺さった三本の槍を見て、ようやく理解した。


 これらは単なる武器ではない。俺を制御するための特殊な装置だったのだ。物理的な攻撃力ではなく、精神支配を目的とした道具。

 槍が俺の神経系統に直接作用し、特定の行動を制限する機能を持っているのだろう。


 エリッサが俺の頭部に手を伸ばした。

 俺は反射的にその手を振り払おうとしたが、動作は途中で停止した。彼女に危害を加える可能性があると判断されたのだろう。


「いい子ですね。」


 エリッサが俺を撫でるように触れた。その手は意外なほど温かく、柔らかかった。

 とても美味しそうな存在が目の前にいるのに、それを味わうことができない。


 この状況は俺にとって究極の拷問だった。

 最高の獲物が手の届く距離にいるのに、捕食することが物理的に不可能になっている。


「これからは私と一緒にいましょう。あなたのような素敵な存在を、一人にしておけませんから。」


 俺は抵抗しようとしたが、彼女に対する攻撃的な行動はすべて無効化された。槍の力により、俺はエリッサの前では無力な存在となっていた。

 捕食欲そのものは残っている。他の獲物に対する渇望は変わらず、血肉への欲求も以前と同じだった。ただ、目の前にいるエリッサに対してだけは攻撃できないという制限がかかっているようだった。


「心配しないでください。他の獲物は今まで通り捕食して構いません。」


 エリッサが俺の心を読んだかのように言った。その洞察力の鋭さに、改めて警戒心を覚える。


「ただし、私の許可がある時だけです。」


 俺の自由が大幅に制限されることになった。

 エリッサは俺にとって主人のような存在となり、俺は彼女のペットのような立場に置かれた。


 抵抗して彼女の血肉を得たい気持ちはあったが、身体に突き刺さった槍の力により物理的な反抗は不可能だった。

 エリッサが俺の前に立ち、上から見下ろすように微笑んだ。


「あなたの名前を教えてくれませんか。」


 俺は威嚇するような唸り声を上げた。しかし、その時、俺の意識の中に直接彼女の声が響いた。


『話しかけてみてください。きっと通じますから。』


 テレパシーだった。エリッサは直接俺の意識に語りかけることができるらしい。

 俺は戸惑いながらも、人間だった頃の名前を思い浮かべた。


『有賀タカシ。』


 俺の思考が、まるでテレパシーのように彼女に伝わった。


「有賀タカシ、ですか。」


 エリッサが少し首をかしげた。その動作は愛らしいが、俺には屈辱的でしかない。


「奇妙な名前ですね。この世界では聞いたことがありません。」


 彼女は興味深そうに俺を見つめた。まるで珍しい標本を観察する研究者のような目つきだった。


「でも、素敵です。タカシ、これからあなたは私の忠実なペットです。どこへでも一緒について来てくださいね。」


 俺の意志に関係なく、俺の運命が決められようとしていた。


 身体に突き刺さった槍の力により、俺はエリッサに逆らうことができない。彼女が俺の主人となり、俺は彼女のペットとして生きることになる。

 俺は新たな束縛の中で、自分の立場を受け入れるしかなかった。


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