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第十三話

 ダンジョンの内部は確かに異常な状況を呈していた。

 通常よりもはるかに多数の魔物が浅い階層に出現しており、その行動パターンも通常とは大きく異なっていた。俺の鋭敏な嗅覚が感知する魔物の匂いは、興奮と混乱に満ちている。


 さらに奇妙なのは、異なる種類の魔物が共存していることだった。

 通常であれば互いに争うはずの肉食系魔物と草食系魔物が、同じ空間で生息している。縄張り意識の強い魔物たちが、なぜか平和的に共存しているのだ。


 エリッサは魔法的な調査を開始した。複雑な魔法陣を空中に展開し、ダンジョン内の魔力流動を分析している。

 魔法陣から放射される光が洞窟内を照らし、壁面に刻まれた古い文字や図形を浮かび上がらせる。このダンジョンには長い歴史があり、様々な魔法的現象が蓄積されているようだった。


「魔力の循環に問題があります。深層部で何らかの異常が発生しているようですね。」


 エリッサが調査結果を報告した。


 俺は周囲の魔物たちを警戒しながら、同時に脱出の機会を探っていた。制約が緩和された今なら、エリッサから逃走することも可能かもしれない。

 だが、ダンジョンの奥から聞こえてくる魔物の鳴き声が、俺の注意を引いた。この異常な状況の原因を突き止めることに、純粋な興味を感じていた。


 それに、戦闘を通じて俺自身の能力を確認することも重要だった。館での監禁生活で衰えた部分がないか、実戦で検証する必要がある。


 ダンジョン探索が本格化すると、俺とエリッサの戦闘での相性が明らかになった。

 エリッサの高度な魔法技術と俺の進化能力が組み合わさることで、極めて効率的な戦闘が可能になる。彼女は後方で魔法支援に徹し、俺が前衛で敵を殲滅する分担が自然に成立した。


 最初に遭遇したのは、群れをなした小型の魔物たちだった。

 通常であれば単独行動を好むはずの種類が、十数匹の集団で行動している。俺が近づくと、一斉に攻撃を仕掛けてきた。


 俺は触手を展開し、金属片を射出して迎撃する。久々の実戦だったが、身体は完璧に動いてくれた。

 小型魔物の群れを一掃した後、エリッサが魔法で傷の回復を行ってくれた。


「お疲れ様です。久しぶりの戦闘はいかがでしたか?」


 彼女の声に気遣いが込められていた。

 俺は少し驚いた。

 これまでエリッサは俺を実験動物としてしか扱っていなかったが、今は戦闘パートナーとして接しているようだった。


『問題ない。身体の調子は良好だ。』

「それは良かったです。これから本格的な探索が始まりますから。」


 エリッサの表情に安堵の色が浮かんだ。


 俺は複雑な心境だった。彼女が俺の安全を気遣っているようにも見えるが、それは貴重な実験材料を失いたくないからかもしれない。

 ダンジョンの奥へ進むにつれて、魔物たちの攻撃はより激しくなった。

 中型の肉食魔物が俺たちを包囲し、組織的な攻撃を仕掛けてくる。その連携は野生動物のそれを超えており、何者かに統制されているような規律があった。

 俺は分裂した触手で複数の敵を同時に相手取り、エリッサの魔法支援を受けながら敵を撃破していく。戦闘の感覚が徐々に戻ってきて、久々に生きている実感を味わっていた。


 館での実験生活では感じられない、純粋な戦闘の快感。敵を倒し、血肉を貪り、さらなる力を得る。これこそが俺の本来の在り方だった。

 しかし、戦闘の最中に俺は重要な体験をした。

 大型の魔物が突然エリッサを狙って攻撃を仕掛けてきたのだ。


 それは俺が今まで見たことのない種類の魔物だった。身長は三メートルほどで、全身が黒い鱗で覆われている。四本の腕を持ち、それぞれが異なる武器を握っている。顔面は昆虫のような複眼を持ち、牙の生えた口から毒々しい液体を滴らせていた。

 魔物は俺を無視してエリッサに狙いを定めた。魔法使いを優先的に排除する知能を持っているらしい。


 その瞬間、俺の中で今まで感じたことのない感情が湧き上がった。

 それはエリッサを失いたくないという強烈な感情だった。


 俺は反射的にエリッサを庇い、魔物の攻撃を自分の身体で受け止めた。鋭い爪が俺の背中を深々と引き裂いたが、ゲル状の身体が即座に修復を開始する。

 痛みよりも、エリッサが傷つく可能性への恐怖の方が強かった。

 この感情の正体が何なのか、俺には理解できなかった。


 エリッサは俺の行動に驚いた表情を見せた。


「ありがとうございます、タカシ。」


 彼女が感謝の言葉を口にした時、俺は自分の感情の変化に困惑した。


 なぜ自分がエリッサを守ろうとしたのか。なぜ彼女を失うことを恐れたのか。

 これまでの敵意や脱出への願望とは全く異なる種類の感情だった。この感情の正体について、俺は理解できずにいた。


 戦闘を続ける中で、俺は自分の保護行動の動機を論理的に分析し始めた。

 エリッサは確かに俺の敵だった。俺を支配し、実験動物として扱っている。だが、同時に俺が最も捕食したいと願う対象でもある。


 他の魔物にエリッサを殺されてしまえば、俺は彼女を捕食する機会を永遠に失うことになる。

 そうだ。これは捕食権の保護なのだ。

 エリッサを捕食するべきなのは俺だけであり、他の存在に彼女が捕食されることは許されない。彼女の血肉、記憶、魔力のすべては俺だけのものであるべきだ。


 この論理に、俺は納得した。

 これは単純な捕食欲とも敵意とも異なる、新しい種類の感情だった。独占欲。エリッサの力と知識、そして彼女の全てを完全に俺だけのものにしたいという欲求。

 そのために、他の脅威から彼女を守ることは合理的な行動だった。


 ダンジョンの深層部に進むにつれて、俺の独占欲はより明確になっていった。

 エリッサが危険にさらされるたび、俺は即座に彼女を保護する行動を取った。それは槍による制御とは関係なく、俺自身の意志による行動だった。


 エリッサもまた、俺の変化に気づいているようだった。


「タカシ、あなたは…」


 彼女が何かを言いかけて、口を噤んだ。

 俺の行動パターンの変化を観察し、分析しているのだろう。研究者としての彼女にとって、これも興味深いデータなのかもしれない。


 ダンジョンの最深部で、魔力異常の原因となっている古い魔法装置を発見した。

 それは巨大な石柱に埋め込まれた複雑な魔法陣で、長年の使用により一部が損傷している。この装置がダンジョン全体の魔力循環を制御しており、その故障が異常発生の原因だった。


 魔法陣は直径十メートルほどの巨大なもので、無数の魔法文字が同心円状に配列されている。中央部分は特に複雑で、高度な魔法理論に基づいて設計されているのが分かった。

 だが、要所要所で魔法文字が欠落しており、魔力の流れが正常に機能していない。


「この装置を修復すれば、問題は解決できるはずです。」


 エリッサが装置の分析を終えて報告した。


「ただし、修復作業中は完全に無防備になります。周囲の魔物から私を守っていただけますか?」


 エリッサの依頼に、俺は即座に同意した。


 彼女を守ることは、俺のために必要なことだった。他の存在に彼女を奪われることは、絶対に許されない。

 修復作業が始まると、俺は単独で周囲の魔物と戦うことになった。


 深層部の魔物たちは表層部とは比較にならない強さを持っていた。しかし、俺の戦闘能力も館での期間中にさらに向上している。


 この状況で、俺の中の新たな感情が最高潮に達した。

 エリッサを守るために、俺は全力で戦った。彼女に危害を加えようとする魔物たちに対して、これまで以上の殺意を示した。


 彼女を失うことは絶対に許されない。


 なぜなら、彼女の血肉を血の一滴に至るまで捕食し尽くすのは、この俺だけであるべきなのだから。

 他の存在に彼女を奪われることは、俺の存在意義を否定することに等しい。エリッサは俺だけの獲物であり、俺だけの所有物でなければならない。


 戦闘の激しさが増すにつれて、俺の保護行動もより積極的になっていく。

 エリッサの周囲に結界を張り、魔物が近づけないようにする。彼女が魔法の詠唱に集中できるよう、完璧な防御を提供する。


 俺のこの行動は、もはや単純な護衛ではなかった。

 愛する対象を守る行為に近い。だが、その愛情は一般的なものとは全く異なっていることも自覚していた。


 俺の愛情は、相手を完全に所有し、最終的には捕食することを目的としている。エリッサを愛するからこそ、俺は彼女を完全に自分のものにしたい。

 そして、そのために彼女を他の脅威から守り続ける。


 この矛盾した感情が、俺の中で完全に統合されていく。

 捕食欲と保護欲、支配欲と愛情。すべてが俺独特の感情として高度に組み合わされていく。


 修復作業が完了すると、ダンジョン内の異常現象は収束した。魔物たちも通常の行動パターンに戻り、危険は去った。


「成功です。これで依頼は完了ですね。」


 エリッサが安堵の表情を見せた。


 俺は彼女を見つめながら、自分の感情の変化を確認していた。

 エリッサへの敵意は完全に消失したわけではない。だが、それ以上に強い感情が生まれていた。


 彼女を独占したいという欲求。他の誰にも渡したくないという所有欲。そして、そのために彼女を守り続けるという決意。


 これらの感情が統合されて、俺が持ち得る愛情となっているかのようだった。


 一般的な人間の愛情とは異なるかもしれないが、今の槍の制御下にある俺にとってはこれが最も自然で合理的な愛情の形である。

 エリッサを捕食するために、俺は彼女を永遠に保護し続ける。

 俺はその合理的な思考を持ち行動を始めていた。


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