第十一話
館での生活が始まって一週間が過ぎた。
俺はエリッサの日常を詳細に観察することで、彼女の行動パターンを完全に把握していた。
毎朝六時に起床し、中庭での魔法植物の世話から一日を始める。八時から正午まで研究活動に没頭し、午後は町からの依頼への対応に時間を割いている。
ただ、その行動パターンの中で、俺が最も憎悪するのは、彼女が俺の部屋を訪れる時間だった。
午前中の研究時間に、エリッサは必ず俺の部屋にやってくる。
毎回異なる魔法装置を持参し、俺の身体や能力を調査していく。最初は簡単な観察だけだったが、日を追うごとにより詳細で侵襲的な調査へと変化している。
俺はその度に激しい屈辱を感じていた。
すべての存在の上になるべきはずだった俺。
だが今の俺は、単なる彼女の観察対象でしかない。
その朝も、エリッサが俺の部屋を訪れた時の表情は研究者のそれだった。
彼女の手には見慣れない魔法装置が握られており、その装置からは微弱な魔力が発せられている。
装置は手のひらサイズの金属製の球体で、表面には無数の小さな穴が開いている。各々の穴から異なる色の糸状の光が放射され、空中で複雑な模様を描いていた。
「おはようございます、タカシ。今日は詳しい検査をしてみたいのです。」
エリッサの声には純粋な学術的期待が込められていた。
俺は警戒した。
これまでの一週間、彼女は俺を観察するだけだったが、今日から本格的な実験が始まるのだ。
「心配しないでください。危険なことはしませんから。」
エリッサが俺を安心させるように言った。
だが、その言葉が俺の憤怒をさらに煽った。それは、実験動物に対する配慮と何ら変わらない口調だったからだ。
俺は喉の奥から低い威嚇音を発した。
エリッサはその音を聞いても表情を変えることなく、むしろ興味深そうに俺を観察している。
彼女にとって俺の怒りも、単なる研究データの一部でしかないのだ。
「今日使用するのは、魔力構造解析装置です。あなたの身体から発せられる魔力を詳細に分析することができます。」
エリッサが装置の説明を始めた。
俺は抵抗しようとしたが、身体は槍の制御により身体が動かない。
エリッサが装置を俺の身体に近づけると、無数の光の糸が俺の身体を包み込み始めた。
糸は俺の身体表面を這い回り、内部構造を探るように浸透していく。痛みはないが、非常に不快な感覚だった。まるで無数の虫が身体の中を這い回っているような気持ち悪さがある。
装置の表面では、複雑な光のパターンが次々と変化していく。俺の魔力構造を解析し、データとして記録しているのだろう。
エリッサはその変化を注意深く観察し、いかにも魔法使いが使用するかのような年季の入った手帳にメモを取っていく。
「興味深いですね。これほど複雑な魔力パターンは初めて見ます。」
彼女の声に学術的な興奮が込められていた。
俺はこの状況に激しい屈辱を感じた。自分が研究対象として扱われ、データを取られている。まるで解剖台の上に置かれた標本のようだった。
装置からの光の糸が俺の内部により深く浸透していく。魔力の中枢部分、これまで経験した戦闘により獲得した様々な能力、そして身体に埋め込まれた金属片の特性まで、すべてが詳細に調べられていく。
「通常の魔物とは全く異なる構造ですね。まるで人為的に設計されたかのような秩序があります。」
エリッサが驚きを込めて呟いた。
俺の身体構造が、これまで彼女が知っている常識を覆すものらしい。それがさらに彼女の研究意欲を刺激しているのが分かった。
約一時間にわたる魔力解析が終了すると、エリッサは次の装置を取り出した。
今度は透明な球体の中に光る機構が封じ込められた装置だった。球体の大きさは人の頭ほどで、内部の機構は絶えず回転していた。この装置を俺の頭部に近づけると、機構が激しく回転し始めた。
「記憶読取器です。表層的な記憶の断片を読み取ることができます。」
装置が活性化すると、俺の人間だった頃の記憶の一部が装置内の機構にホログラムのような映像として映し出された。
東京の街並み、オフィスでの仕事、満員電車の風景。俺の前世の記憶が、鮮明な映像として再現される。高層ビルの谷間を歩く俺の姿、パソコンに向かって作業する様子、疲れ果てて帰宅する夜の光景。
エリッサはその映像を食い入るように見つめていた。
「これは…この世界のものではありませんね。」
エリッサが驚愕の表情で俺を見つめた。
「あなたは、別の世界から来た存在なのですか。」
俺は答えなかった。
しかし、記憶読取器が示す映像が、既に答えを提供している。
装置内の霧に映し出される映像は、この世界の住民には理解不能なものばかりだった。電車、自動車、高層ビル、パソコン。魔法が存在しない科学技術の世界の産物。
エリッサの表情に、より深い興味の色が浮かんだ。
「異世界転移…理論的には可能ですが、実際に確認されたのは初めてです。」
彼女が興奮を抑えきれずに呟いた。
俺にとって、この発見は新たな屈辱だった。自分の過去すら彼女の研究材料にされている。人間だった頃の記憶も、今では貴重なデータとして扱われているのだ。
記憶読取が続行される中、俺の様々な記憶が断片的に映し出されていく。
会社での同僚との会話、コンビニでの買い物、深夜の残業風景。それらはすべて俺の人格を形成する重要な要素だったが、エリッサにとっては学術的な資料でしかない。
約二時間の記憶読取が終了すると、エリッサは三つ目の装置を用意した。
それは複雑な魔法陣が刻まれた金属製の円盤だった。直径は一メートルほどで、表面には無数の魔法文字が螺旋状に配列されている。円盤全体が微かに振動し、低い唸り声のような音を発していた。
「知性測定装置です。あなたの思考能力を定量的に評価することができます。」
エリッサが装置を俺の前に設置した。
円盤から放射される魔力の波動が、俺の思考に直接作用してくる。複雑な論理問題、数学的な計算、空間認識テスト。様々な知的課題が俺の意識に直接送り込まれ、強制的に解答を求められる。
俺は問題に対して正確に答えていく。人間だった頃の知識に加えて、これまでの捕食により獲得した膨大な情報を駆使し、すべての課題を完璧に解決していく。
装置の表面で、測定結果を示す光のパターンが複雑に変化していく。
エリッサの表情が驚きから困惑へと変わっていく。
「信じられない…この数値は人間の最高レベルを遥かに上回っています。」
彼女が装置の結果を確認しながら呟いた。
「いえ、人間どころか、この世界のあらゆる知的生命体を超越している可能性があります。」
俺の知性レベルが、エリッサの予想を大幅に上回っていたのだ。
エリッサは数時間にわたって様々な実験を継続した。魔力の詳細分析、記憶構造の解明、身体組織の魔法的特性の調査、知性測定。
それぞれの実験は非破壊的で、俺に物理的な苦痛を与えるものではなかった。しかし、俺の内面を徹底的に暴き出される感覚は、精神的に極めて屈辱的だった。
俺は絶えず抵抗の機会を窺っていたが、槍の制御により何もできない。この無力感が、俺の苛立ちをさらに増大させた。
実験の合間に、エリッサは俺に対して質問を投げかけてくることがあった。
「あなたの前の世界では、魔法は存在しなかったのですか?」
俺は無視した。
「科学技術というものに興味があります。詳しく教えていただけませんか?」
俺は完全に無視した。
エリッサは俺の沈黙を気にすることなく、実験を続けていく。俺の反応も含めて、すべてが彼女の研究対象なのだ。
午後になると、エリッサは実験結果をまとめ始めた。
「驚くべき発見です。あなたの知性は人間と同等、いえ、それ以上のレベルにあります。」
エリッサが実験結果をまとめながら言った。
「当初は魔物の一種だと考えていましたが、全く違います。あなたは知的生命体です。」
この発見により、エリッサの俺に対する興味はさらに深まったようだった。
だが、それが俺に対する扱いを変えることはない。彼女にとって俺は依然として研究対象であり、知的であることがさらに研究価値を高めるだけだ。
むしろ、俺の知性が明らかになったことで、エリッサの研究意欲はより一層激しくなった。
「これからは心理学的な観点からの研究も必要ですね。」
エリッサが新たな実験計画について語り始めた。
俺の思考パターン、感情の変化、記憶の構造といった、より深層的な精神活動に関する研究を実施する予定らしい。
「異世界から転移した知的生命体の心理構造…これは学術的に極めて価値の高い研究になります。」
エリッサの声に抑えきれない興奮が込められていた。
俺にとって、これは新たな地獄の始まりを意味していた。
身体だけでなく、精神まで詳細に調べられることになる。俺の思考、感情、記憶のすべてが彼女の研究対象として扱われるのだ。
エリッサは俺の知性を認めても、扱いを変えるつもりはないようだった。知的生命体であることが判明しても、彼女にとって俺は研究材料でしかない。
この現実が、俺の憤怒をさらに燃え上がらせた。
「今日の実験はこれで終了です。データの整理と分析に時間がかかりそうですね。」
エリッサが装置を片付けながら言った。
「明日からは、より詳細な心理分析を実施します。あなたの協力をお願いしますね。」
彼女の言葉は依頼の形を取っているが、実際には俺に選択権はない。槍の制御により、俺は彼女の実験に協力せざるを得ない。
エリッサが実験道具を片付け終わると、俺に向かって微笑みかけた。
「本当に興味深い存在ですね。これからの研究が楽しみです。」
その笑顔に、俺は純粋な殺意を覚えた。
彼女が部屋を出て行った後、俺は一人で怒りに身を任せた。
この屈辱的な扱いは、いつまで続くのだろうか。
窓の外では、エリッサが中庭で魔法植物の世話をしている様子が見えた。彼女は俺を檻に閉じ込めたまま、何事もなかったかのように日常生活を送っている。
その光景が、俺の怒りをさらに増幅させた。
俺は窓際に立ち、外の彼女を見つめ続けた。
いつか必ず、この状況を逆転させてやる。エリッサを捕食し、彼女の知識と力を俺のものにする。
その時まで、俺は耐え忍ぶしかない。
だが、俺の復讐への意志は決して折れることがないだろう。この怒りこそが、今や俺を支える唯一の支柱となっているのだから。




