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第十話

 エリッサの後を追って森の奥へと進みながら、俺の内部では激烈な憤怒が煮えたぎっていた。

 歩くたびに身体に突き刺さった三本の槍が軋む音を立てる。金属が骨を削るような不快な音が、静寂の森に響き続ける。その音が俺の怒りをさらに燃え上がらせた。

 自分の意思とは無関係に足が前に進む。エリッサの後をついて歩かざるを得ない。六本の触手が彼女の歩調に合わせて地面を蹴り、俺の身体は自動的に彼女との距離を一定に保っている。


 この屈辱的な状況に、俺の全身が憤怒で激しく震えていた。

 前を歩くエリッサの首筋を見るたび、歯を立てて血肉を貪りたいという衝動が湧き上がる。その白く細い首に触手を巻きつけ、骨髄まで余すことなく捕食したい。彼女の記憶と知識、そして膨大な魔力のすべてを俺のものにしたい。


 だが、それ以上に強烈なのは、この束縛から解放されたいという願望だった。

 俺は何者にも縛られるべきではない。これまでに得た強大な力が、現在の扱いとの落差を際立たせた。

 彼女に倒されるまでは、負け知らずで周囲を蹴散らしてきた。それが今では、まるで手綱を引かれた家畜のように、主人の後をついて歩いている。


 この現実こそが、俺の怒りを増幅させていた。


 森を抜ける道筋で、俺は何度も反抗を試みた。

 足を止めて抵抗しようとする。しかし、身体は俺の意志を無視して歩き続ける。エリッサから離れようと横道に逸れようとすれば、見えない力に引き戻されるようだった。


 槍の制御は完璧だった。俺の思考こそ自由だったが、行動は完全に束縛されていた。

 逃走の試みが失敗するたび、俺の中で怒りが積み重なっていく。この無力感こそが、俺にとって最も耐え難い屈辱だった。


 エリッサは振り返ることなく歩き続けている。時折聞こえる彼女の鼻歌が、俺の苛立ちをさらに煽った。まるで散歩でもしているかのような軽やかな足取り。俺の怒りなど、彼女にとっては些細な問題でしかないのだろう。

 森の奥深くに進むにつれて、周囲の景色が変化していく。

 普通の森とは明らかに異なる、魔法的な雰囲気が濃くなってきた。木々の幹には発光する苔が付着し、花弁が宙に浮かぶ不思議な植物が点在している。


 魔法で強化された自然環境。エリッサの住処に近づいている証拠だった。


 やがて、エリッサが立ち止まった。

 俺の身体も自動的に停止する。彼女が手をかざした瞬間、空気が波紋のように揺らめき始めた。


 何もない空間から、美しい石造りの館が徐々に姿を現した。


 最初は輪郭だけがぼんやりと見え、次に壁面の詳細が鮮明になっていく。隠蔽魔法による偽装だったのだろう。俺がエルフから習得した知識でも、これほど完璧な術は見たことがない。

 館は二階建ての重厚な造りで、古典的な魔法使いの住居という印象を与える。石材は白に近い灰色で、表面には複雑な魔法文字が刻まれている。窓枠や扉には金属製の装飾が施され、全体的に洗練された美しさを持っていた。


「私の家です。これからここで一緒に過ごしましょう。」


 エリッサが振り返って微笑みかけてくる。

 その笑顔を見た瞬間、俺の中で殺意が膨れ上がった。あの無邪気な表情を恐怖で歪ませ、絶望に染めてやりたい。そして最後に、その美しい顔を俺の血肉の一部にしてやりたい。

 だが、身体は俺の意思に従わない。槍の力により、エリッサに危害を加えることは完全に不可能だった。


 館の正面玄関は重厚な木製の扉で、表面には守護の魔法文字が刻まれている。エリッサが扉に手を触れると、錠前が自動的に外れて扉が開いた。

 内部から漏れ出る光に、俺の嗅覚が様々な情報を捉える。

 古い羊皮紙の匂い、薬草の香り、そして強力な魔力の残滓。長年にわたって魔法研究が行われてきた場所の特有の匂いだった。


 館の内部に足を踏み入れると、その豪華さに目を奪われた。

 玄関ホールは天井が高く、シャンデリアから柔らかな光が降り注いでいる。床は磨き上げられた大理石で、壁には数多くの魔法画が飾られている。それらの絵画は静止画ではなく、人物や風景が微かに動いているのが分かった。


 エリッサが俺を案内しながら館の構造を説明していく。


「一階は居住空間と基本的な研究施設です。二階は高度な実験室と図書室になっています。」


 廊下を歩きながら、俺は絶えず逃走の機会を探っていた。

 窓の位置、扉の数、階段の配置。すべてを記憶し、脱出ルートを検討する。しかし、どの計画も槍の制御により実行不可能なことは分かり切っていた。彼女の意のままに俺の身体は動かされるのだ。


 廊下の途中で、俺の注意を引く部屋があった。

 扉が僅かに開いており、内部から強烈な魔力の匂いが漏れ出している。実験室らしく、様々な魔法装置が並んでいるのが見えた。ガラス製の器具、発光する液体、浮遊する魔法石。どれも高度な魔法研究に使用される道具だった。


「あちらは私の主要な実験室です。明日以降、詳しく見学していただく予定です。」


 エリッサはそう語るが、少なくとも見学ではない。

 ここは俺が実験対象として研究される場所なのだ。


 さらに奥へ進むと、エリッサが立ち止まった。


「こちらがあなたの部屋です。」


 彼女が扉を開けて案内した部屋を見た瞬間、俺の怒りは頂点に達した。

 部屋は決して狭くはないが、明らかに監視を目的として設計されている。壁の四隅には小さな水晶が埋め込まれ、青白い光を放っている。天井からは糸状の魔法的な触手が数本垂れ下がり、空間を監視するように緩やかに蠢いている。


 床には複雑な魔法陣が銀色の線で刻まれており、俺の動きや行動を記録する機能を持っているようだった。魔法陣の中央部分は特に複雑で、強力な拘束術が組み込まれている可能性がある。

 窓は一つあるが、厳重な魔方陣が組まれた鉄格子が嵌められており、仮に槍による制御がなかったとしても、外部への脱出はかなり困難に見えた。


 ここは完全な監視下に置かれる檻だった。


「いかがですか? 気に入っていただけたでしょうか?」


 エリッサが無邪気な笑顔で俺を見つめていた。


 俺は返答せず、喉の奥から低い唸り声を発した。

 彼女は俺を単なる研究材料として扱っている。この認識が、俺の屈辱感をさらに深めた。


 俺は人間ではない、すべての存在の上にある存在だ。

 それにも関わらず、エリッサは俺を実験動物として扱う。

 

 最強に近い存在、恐れるものなど存在しなかった。

 それが今では、ただの実験動物として檻に入れられている。

 この落差が、俺の怒りを燃え上がらせた。


「ベッドもご用意しました。あなたが休息を必要とするかは分かりませんが、一応。」


 エリッサが部屋の隅を指差した。

 そこには簡素なベッドが置かれている。しかし、そのベッドにも監視用の魔法装置が組み込まれているのが匂いで分かった。睡眠時の状態まで観察されるのだろう。


「洗面台もこちらに。水は魔法で浄化されていますので、安全です。」


 彼女の説明は丁寧だが、まるでペットの世話について語っているような口調だった。


「お疲れでしょうから、今日はゆっくり休んでください。明日から本格的に始めましょう。」


 そう言い残して、エリッサは部屋から出て行こうとした。


 扉が閉まる直前、俺は最後の抵抗を試みた。

 彼女の後を追おうと足を踏み出す。しかし、部屋の境界線を越えようとした瞬間、見えない壁にぶつかったように身体が動かなくなった。槍の制御により、俺は部屋から出ることを禁じられているのだ。


 扉が完全に閉まる音が、俺の耳に響いた。

 重い金属音。それは俺の自由が完全に奪われたことを示す音だった。


 俺は一人で部屋に残された。四方の壁に囲まれた狭い空間で、俺の怒りは静かに燃え続けていた。

 まず、身体に突き刺さった槍を引き抜こうと試みた。

 触手を使って槍の柄を掴み、力を込めて引っ張ろうとした。しかし、触手は俺の意思に反してびくともしない。完全な制御下に置かれて槍に触れることすらかなわなかった。それに槍は完全に俺の身体と完全に一体化していることが伺えた。おそらく、物理的な除去は不可能だ。


 次に、部屋からの脱出を試みた。


 窓に近づき、鉄格子の強度を確認する。格子は魔法で強化された金属製で、俺の力でも破壊は困難に見えた。しかも、窓の外には監視用の魔法装置が配置されているのが見える。

 扉も同様だった。表面に刻まれた魔法文字が、強力な封印術を示している。

 そもそも、これらを破壊しようとしても、槍の制御によって、俺の肉体はその攻撃が行えないことだろう。


 床の魔法陣も調べてみた。

 銀色の線で描かれた複雑な図形は、俺の位置と行動を常時監視している。魔法陣の上を歩くたび、微弱な魔力の波動が発生し、どこかに情報を送信している。


 俺は完全に監視下に置かれていた。

 部屋の窓際に移動し、外の様子を確認した。


 窓からは館の中庭が見えた。月光に照らされた庭園には、様々な魔法植物が栽培されていた。発光する花、宙に浮かぶ葉っぱ、色とりどりの魔法薬草。それらはエリッサの研究材料として使用されているのだろう。

 中庭の中央には噴水があり、水が魔法の力で複雑な軌道を描いて流れている。その美しい光景が、俺の怒りをさらに煽った。

 エリッサは俺を檻に閉じ込めて、自分は優雅に研究生活を送っている。


 俺は窓の前で立ち尽くし、復讐の計画を練り始めた。

 明日の朝には、彼女の行動パターンを観察できるだろう。彼女の行動パターンを詳細に把握し、わずかでも隙があれば必ず彼女を殺してみせる。


 この束縛から解放され、再び自由の身となった時、俺はエリッサを捕食して自らの血肉にするのだ。

 彼女の血肉を味わい、記憶を貪り、魔力を吸収する。そして、俺はさらなる高みへと進化を遂げるだろう。

 槍の制御がいつまで続くかは分からない。しかし、必ず解除する方法を見つけ出してみせる。


 俺はベッドに身体を預け、復讐への意志を静かに燃やし続けた。

 天井に刻まれた監視用の魔法陣が、俺の一挙手一投足を記録している。だが、俺の内面の怒りまでは読み取れまい。


 この屈辱を必ず晴らしてやる。


 エリッサの血を啜り、骨を砕き、脳髄を貪る。そして彼女の知識と力を完全に俺のものにする。


 その時まで、俺は耐え忍ぶだろう。

 夜が深まっていく中、俺の復讐への意志は静かに燃え続けていた。


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