ルッキズムと私の恋
五月の柔らかな光が教室いっぱいに広がる午後の終わり。
わたしはノートを片付けながら、ひとつ深呼吸をする。
今日一日の出来事が、頭の中でぐるぐると回っていた。
――クラスメイトの藤本に告白された。
藤本は学級委員長で、生真面目な優等生タイプ。
友人が困っていればすぐ助けに行くし
、先生への応対も卒なくこなし、みんなから頼りにされている。
わたしもその誠実さや優しさを間近で見てきたからこそ、告白されたときは正直嬉しかった。
でも、わたしはすぐに「はい」と返事ができなかった。
胸の中で「違う」と感じる何かが、大きく膨らんだから。
本当に気になっているのは、隣のクラスの三浦。
バスケ部で背が高く、顔立ちも整っている。
そういう理由だけで惹かれている自分がいるのが、
どこか後ろめたく思えるのに、それでもどうしても彼を目で追ってしまう。
――でも、こんなのってわたしの主義に反しない?
そう考えるのには、理由がある。
わたし自身、昔から「可愛い」とか「綺麗」とか言われてきた。
もちろんそれ自体は嬉しい。
だけど、そのせいで何をやっても
「だって可愛いから」「顔がいいから得してるだけ」
と言われて、わたしの努力や中身を正当に見てもらえない、
そんな感覚をずっと抱えていた。
小テストでいい点を取っても
「可愛いから先生に好かれてるんだよ」
なんて茶化されたり、
部活の仕事を頑張っても
「お前がやると目立つからね」
と外見ばかり評価されたり。
「わたしが頑張ったから結果が出たのに!」
と何度も悔しい思いをした。
だからこそ、わたしは常々
「人の魅力や成果は、外見ではなくその人自身の努力や内面を基準に評価されるべき」
と考えてきた。
ルッキズム――つまり外見で人を評価する風潮には否定的だ。
なのに、わたしは今、藤本の顔があまりタイプじゃないとか、
三浦がイケメンだから気になるとか、まるで自分の信念に反する形で恋をしている。
それがどうしようもなく矛盾していて、胸の奥が苦しくなる。
「好きって、一体何なんだろう?」
誰かを好きになるのって、
本来はもっと内面や性格を知っていくうちに自然と芽生えるものだと思っていた。
それなのに、三浦についてはほとんど話したこともないのに、
顔や雰囲気だけで惹かれている気がする。
自分が一番嫌ってきたはずの外見重視に、
結局わたしも囚われている――そんな事実に、もやもやした罪悪感を覚えていた。
藤本に告白されてから、あっという間に二週間が過ぎようとしていた。
その間、わたしはまともに彼と向き合うことを避けてきた。
いつもなら通学路が少し重なれば一緒に帰ったり、
班活の打ち合わせを二人で話し合ったりしていたのに、
告白された翌日からは意図的に距離を置いてしまった。
藤本の視線を感じてもすぐに話す相手を変えるか、
トイレに行くふりをする。
そんな自分に
「最低だな……」
と思いつつも、
彼にきちんと返事をする勇気がなかなか出なかったのだ。
しかし、そんな日々は長くは続かない。
ある日の放課後、校門を出ようとしたところで藤本に呼び止められた。
「ねえ……」
声に振り返ると、校門の脇に立つ藤本と目が合う。
いつもよりも少しだけ硬い表情。
それでも、その瞳はどこまでも優しくわたしを見つめていた。
心がぎゅっと苦しくなる。
もう逃げることはできない。
「……告白の返事、聞かせてもらえないかな」
わたしは俯いたまま小さく息を吐く。
意を決して顔を上げる。
ずっと避けてきたことを謝るべきなのに、
最初に出てきた言葉はわたしの結論だった。
「……ごめんなさい。わたし、藤本のことは本当に良い人だと思う。
人柄とか真面目に努力してるところとか、尊敬できる部分がたくさんあるのは知ってる。
でも……その、わたし……ごめん」
そこまでが精一杯。
もっとちゃんとした理由を伝えられたかもしれないのに、
頭の中がごちゃごちゃで言葉にならない。
藤本は少し顔を曇らせながらも、「そっか」と短く呟き、
わたしを責めるでもなく問いただすでもなく、
ただ受け止めて寂しそうに微笑んだ。
その優しさに胸を締めつけられる。
やっぱり藤本はいい人だ。
それなのに、わたしは彼を好きになれない。
彼は何かを言いかけたが、
思いとどまるように目を伏せると静かに踵を返した。
数歩の距離がこんなにも遠く感じたのは初めてかもしれない。
わたしは彼の背中に向かって、
もう一度心の中で「ごめん」と呟いた。
少し風が冷たくなってきた夕暮れの街を歩く。
太陽が沈み始め、長い影が伸びていた。
家に帰る前にどこか寄り道でもしたい気分になるくらい、
頭の中は混乱している。
「わたし……結局、何がしたいんだろう」
歩きながら、自問自答が止まらない。
もっと藤本のことを知ろうと努力すれば、
彼の本当の魅力に気づけたかもしれない。
それなのに、わたしの心は最初から三浦へ向かっている。
外見で評価されることをあれほど嫌っていたのに、
結局わたし自身も三浦の外見に惹かれている――なんて皮肉だろう。
「そういった“努力している姿”にも、わたしはきっと惹かれていたのかもしれない」
そう考えると、少しは気が楽になるかもしれない。
三浦はバスケ部で練習にも熱心だし、
体育祭では全力で走る姿を見て胸を打たれた。
外見だけじゃなくて、きっと中身も魅力的なんじゃないか――そう思いたい気持ちはある。
でも、それは正直「言い訳」なのかもしれない。
三浦とはほとんど話したことがないし、
彼がどんな趣味を持ち、どんな音楽を聴き、
どんな性格なのかも知らないのだから。
それでも「好き」だと思ってしまったのは、
まず最初に胸がときめいたからに他ならない。
理由はあとづけだ。
「……わたしは、矛盾だらけだな」
部活や勉強で結果を出しても、
「可愛いから先生に贔屓されてるだけ」
「目立って得してるんだろう」
と言われ続けてきた。
だからこそ外見ではなく、
努力や内面を見てほしいとずっと思っていたのに、
わたし自身が外見で人を選んでいるように見えてしまう。
もちろん、見た目だけに惹かれているわけじゃないと思いたいけれど、
今のところ三浦について詳しく語れるわけじゃない。
結局、理屈じゃなく、心が勝手に動いてしまうのだ。
藤本への申し訳なさがこみ上げる。
もっと一緒に過ごして、彼のいろんな面を知れば好きになれたかもしれないのに、
わたしは逃げるようにしてあいまいな“ごめんなさい”で全部を終わらせてしまった。
誰も悪くないはずであると思いたいのに、結局はわたしだけが悪い気がして、
なんとも言えない虚しさに襲われる。
それでも、好きという感情はどうしようもない。
今、わたしの中で強く求めてしまうのは藤本ではなく、三浦の笑顔だ。
それはわたしの“いけないところ”なのかもしれないけれど、否定することができない。
夕暮れに染まる歩道橋の上で足を止め、オレンジ色の街並みを見下ろす。
前に進むか、立ち止まるか――どちらにしても苦しさから逃れられないような気がする。
「結局、わたしは自分に正直になるしかない、か」
そう呟いて、わたしはまた歩き出した。
もし“自分が理想とする自分像”を壊したくなくて、
妥協するように藤本と付き合ったとしても、きっとどこかで破綻するはずだ。
「本当は三浦のことが好きなのに、表向きは藤本と仲良くやっているわたし」
――そんな偽りの関係が長く続くはずがない。
だいいち、それでは藤本にあまりに失礼だし、自分自身だって息苦しくなるだけだ。
そもそも、それが“正しい選択”だとも思えない。
中途半端な気持ちで誰かを選んだところで、きっと誰も幸せにはなれないと思うから。
最終的にわたしは、今ここにある“好き”を受け入れるしかないのだと思う。
歯を食いしばりながら幾度も自問自答し、そのたびに少しずつ腹を括る。
明日からまた、藤本とどんなふうに接していけばいいのかはわからない。
それでも、わたしはわたしの矛盾ごと抱えながら、次の一歩を踏み出すしかない。
自分の醜い部分も含めて、これがわたしなのだ。
日がすっかり落ちた街を、夜風が抜けていく。
この胸の痛みも後悔も、逃げずに正面から受け止めて、
わたしはわたしに正直に生きていくしかない
――そう思ったとき、夜風がほんの少しだけあたたかく感じられた。