出会い
「異世界から来た青年は、自在に魔法を扱う天才魔法士だった!これは私と彼が絆の力で世の不条理に立ち向かい、借金を完済するまでの愛と勇気の物語……」「俺はもっと楽な仕事が見つかったらそっちに転職する」「あなたの身元保証人、私ですけど」「……」「さあ今日も稼ぎますよ♪」
晴れた夜空に、満月がくっきり浮かんでいる。
風が低くうなって、闇に沈んだ森をざわり、ざわりと、ゆっくり揺らしていた。
季節は春。冬の厳しい寒さは一日、一日と遠ざかっていたが、それでも夜になれば空気はいまだ冷たかった。
タッタタンッ、タッタタンッ、タッタタンッ!
ジャラッジャラ。ジャラッジャラ。ジャラッジャラ!
人気のない森の小道に、軽快な足音と、金属がぶつかり合う音が響く。ひとりの若い女が、歌いながら跳ねるようにして歩いていた。
二つに結んだ金髪のせいか、その満面の笑顔のせいか。彼女―――リナの周囲だけが昼間のように明るい。
「おっ金、おっ金、おっ金だおっ金!」
つま先立ちでクルクル回る。ぴたっと止まった拍子に、財布の小銭と腰の剣がぶつかって音をたてた。
リナは組んだ両手を頬に当てて、うっとりと目を閉じる。
「ああ、懐があったかいって、すてき!」
訳あって前の職場を辞めたのが、二か月前。引っ越し費用、生活費、借金の返済……。目減りしていく貯金は、落ち込んでいる暇など与えてくれなかった。
おかげで今日も、元気いっぱいに、リナは日雇い仕事に精を出してきたのだ。
最近見つけた、夜の間に街から街へと荷物を運ぶ仕事は、特に良い稼ぎになった。本来は剣士であるリナにとって、夜の森を通るぐらいの危険など取るに足りない。
リナは鞄の中から財布を取り出して、頬ずりした。
「うへへへへ……これ、ぜーんぶ、わたしのお金!」
数日後には借金の返済や食費、下宿代云々で半分に減るのだけれど。でも今は、この幸せを噛みしめていたい。
『リナ!』
突然、誰かに名前を呼ばれた気がした。
森の中の一本道は、前にも後ろにも、人の姿は見えない。リナは首を傾げた。
「気のせい……?」
『おい、リナ!』
「えっ!?」
確かに、誰かが自分の名前を呼んでいる。リナは声が聞こえた方向、茂みの奥をじっと見つめた。
その方向には、スイレンがたくさん咲くことで有名な泉があったはずだ。よくよく目を凝らしてみれば、暗闇の中にぼんやりと光が灯っているように見える。
こんな時間に、いったい誰が、何をしているのか。不思議に思いながら、リナは道を外れて茂みに入っていった。
生い茂る木々の中、ふわりと、小さな光が顔をかすめる。
「蛍?」
その光はリナの前を漂い、突然、火が消えるように見えなくなった。
泉に近づくにつれて周囲が明るくなっていく。やがて茂みを抜けると、ぱっと視界が開けた。
「うわぁ……すてき」
リナは思わず呟いた。
さいしょに目にとび込んできたのは、満開になったスイレンの花。泉のほとりでは、ミモザ、ヒナゲシ、マーガレット、野バラ、ありとあらゆる花が咲き誇って、甘い香りを放っていた。
―――すごい……天上の世界みたい……
リナは呆然としてその光景に見入った。鮮やかに照らされた花々が、ゆったりと風に揺れている。
―――って、あれ?
ハッと我に返った。いくら満月といえど、ここはあまりにも明るすぎる。そう思った次の瞬間、リナは背筋が凍った。
泉が光っているのだ。いや、水面に落ちた月の影が光を放っているのか。
その月の影を囲むように、七色に光る文字がくるくると動き、形を変えていた。
―――魔法陣!?
リナはとっさに剣の柄に手をかけた。
さっきの声は、リナをここへ連れてきたかったのだろうか。しかし、見回してみても周囲に人の姿はない。
風の中から、遠く、歌が聞こえてきた。
歌声はまるで、聖歌のように清らかに、それでいて魔物の唸り声のように不気味に響いている。
―――慌てちゃダメ。慌てちゃダメ……
リナは心の中で言い聞かせながら、浅く息を吐き出した。耳をそばだてて、柄を握りなおす。
そのとたん、歌声がひときわ高く響いた。
歌声に呼ばれたように、地面から無数の小さい光がいっせいに飛び立つ。
「っ!?」
視界が黄金の光でいっぱいになった。
強烈に輝く光があり、弱弱しく輝く光もある。すぐに消える光があって、ずっと消えない光もある。
お互いにぶつかって消えるものもあれば、一つに溶け合ってさらに輝くものもある。分かれてもとの輝きに戻るものもあれば、そのまま消えてしまうものもあった。
そしてそのなかには、分かれてなお、強く輝き続けるものもあった。
同じような光なのに、ひとつとして、同じ輝き方をしているものがない。
突然、リナの耳にたくさんの人の声が聞こえてきた。
リナは驚いて周囲に目を走らせるが、やはり人の姿はない。それでも声は、はっきり、明瞭に耳に響いてくる。
『どうしたどうした、お前が暴れるなんてめずらしいな』
『俺はスポーツで勝つ!お前は勉強で勝つ!そうしたら、もう誰にも馬鹿にされないな!』
『俺なぁ。お前はもっと、別の生き方があるんじゃないかって思うんだよ』
『ありますよ、楽しい仕事!』
『彼女がずっと変わらないって、本気でそう思ってるの?』
『わたし……生きていて、良かったです。あなたが生きていて……わたしと生きていて……この今が、本当に、嬉しい』
ばらばらに動いていた小さな光が、吸い寄せられるように魔法陣の上に集まっていった。たくさんの小さな光がひとつになって、大きな光の玉をつくる。
突然、ぶつりと、声が止んだ。
ゆるやかな風の中で、歌だけが残っている。
『へえ、相棒か。いいね、そういうの。憧れるなぁ』
すぐ左隣から声が聞こえて、リナは驚いて振り向いた。
『そっすか?うっとうしい時とか、けっこうありますよ』
今度は右隣から声がする。
『そんなこと言って。君、なんか楽しそうな顔してるじゃない』
『んなこと無いっすよ。俺はこれが普通です』
『よく言う。君って愛想笑いとか絶対しないでしょ』
『まあ、面倒くさいんで?』
『出た、これだよ。僕も会ってみたいなぁ、その相棒くんに。君の扱い方を教えてほしいもんだ』
『あー、それはちょっと無理っすね』
『えー、無理なのぉ?』
『まあハイ。だって』
泉の真ん中で、光の玉が弾けた。
現れたのは、見たこともないような異国の服を着た青年。
その身体が、泉の光に照らされて、宙でたゆたう。
森がざわめく。歌が聞こえる。
青年が、眠りから覚めるように目を開いた。
『 あいつ、いま、異世界にいるんで 』
リナと青年の、目が、あった。
※3年くらい前に書いた小説。最近書いたものを同アカウントで連載中→『パドマの森のまれびと』(かなり雰囲気は違うけど…よかったら覗いていってください)