【カプセルホテル(capsule hotel)】
メェナードさんが驚くように、日本の食文化は他の国とはかなり異なっている。
それが日本の“生食の文化”
海外で、生で食べる事が出来るのは日持ちのいい果物や野菜くらいなもの。
生で食べると言うことは、信用のある生産者が必要不可欠となるが、日本では古来この生産者と消費者は固い信用が維持されている。
生で食べる魚にしても野菜や卵にしても、生産者は必ず朝の市場に間に合う様に、早朝や未明から収穫をしている。
他の国では、誰も生活のリズムを変えてまでその様な事はしないから、収穫したものが市場に並ぶのは早くても次の日以降となるのが当たり前。
当然鮮度は落ちているから“生”では食べにくい物が多くなってくる。
ところで、お箸を上手に使えないメェナードさんはフォークを借りて食べているのだけれど、レンゲに集めた麺をそのフォークでクルクルと丸めてスパゲッティの様に食べる姿はさすがに可笑しい。
でも、こんなのはマダ序の口。
明日は否応なしにお箸を使って、しかも経験したことのない食べ方をすることになるのだから……。
ラーメンを食べ終わり“オートリイ”からKQ線の特急列車に乗り移動した。
これはまるで暴走特急!
TGV並みの猛スピードで走るだけではなく、人で混雑する通過駅でもお構いなしにスピードをそれほど緩めずに通過する。
“運転手大丈夫なの?”と乗っているこちらが心配してしまう程。
けれどもこれには巧妙なトリックが隠されていて、実際の列車の速度はTGVや新幹線ほどは早くない。
ビルの合間を縫うように走る事と、この夜の闇、そして線路を所々でターンさせることによって乗客を一種の興奮状態に誘い込む筋書き。
私は見事にコレにハマった。
運転席の真後ろにある立見席を陣取って外を見ているとまるでジェットコースターに乗っているようでとても楽しかったが、列車が“キタシナガワ”を通過して急にスピードを落として“安全運転”に切り替えた時には心惜しく思った。
列車のスピードダウンと共に、私の興奮状態も次第に冷めてゆくが、そのあとに訪れた光景にまた目が奪われた。
左に緩やかにカーブしながら列車は“KQシナガワ”にまもなく到着することを告げるアナウンスが始まると、列車はダブルワーレンタイプのトラス橋に差し掛かる。
なにも気にしないで“川”だと思い込んでボーっとしていると、トラス橋の下を流れていたのは水ではなく沢山の線路で、しかも私の乗っているKQ特急が通過する際に幾つもの列車がトラス橋の下を光の尾を引きながら流れて行った。
「凄い!凄い‼」
私は思わず隣に居たメェナードさんの腕に抱き着いて、無邪気な子供のようにピョンピョンと跳ねてしまった。
シナガワで乗り換えて、今日のメインディッシュであるホテルに向かう。
何故ホテルがメインディッシュかと言うと、私はカプセルホテルと言う日本が発明した新しい形態のホテルに泊まる事を楽しみにしていたから。
新しい形態と言っても1979年に誕生しているので、どうやら日本には古くからあるらしい。
欧州に伝わって来たのはごく最近で、私の居るイスラエルには未だない。
ホテルのフロントで貰ったのは、ロッカーのカギ。
“あれ! 部屋の鍵は??”
とりあえずロッカーに荷物を収めてから部屋に向かうと、そこにあったのはハチの巣の様に並べられた穴が幾つもあった。
ハチの巣と違うのは人間が使いやすいように上下2段になっているという所で、その入り口は扉のない電子レンジのよう。
中を入ると人ひとり入れるスペースにマットレスと毛布、そしてテレビがあるだけで窓もなければテーブルもなく眠る事だけに特化していて、扉の代りに内側から開け閉めできるブラインドカーテンがあった。
まるでSF映画にでも出て来そうな宇宙基地にも思えるし、死体安置施設の様にも思える。
もし地球規模の核戦争が起きる前提で考えるなら、地下深くに建設されるシェルターの睡眠スペースはこの様な形態になるのだという見本の様にも思える。
巣穴の様なベッドのある部屋の中で立つことは出来ないが、寝るだけなら充分なスペース。
施設にはその他に個室のシャワールームとトイレ、共用の広いドレスルームとロビーが設けられていて、この辺りはハイファの研修施設に似て効率のいい空間の使い方が考えられていた。
ナカナカ好い!
ただ一つだけ残念だったのは男女共用のスペースが無い事で、メェナードさんに会うためにはソファーが置いてあるフロントまで行かなくてはならないと言うこと。
「やあ、おまたせ」
フロントのソファーに腰かけて待っていると、しばらくしてピッカピカになったメェナードさんがやって来た。
私がメェナードさんを呼び出したのは、このカプセルホテルに入ってから、これで3回目。
1回目は入って直ぐ施設を一通り見終わった後この感動を伝えたくて呼び、2回目はシャワーを浴びたあと男性用のシャワー室も同じかどうか聞いたけど、まだメェナードさんはシャワーを浴びていなかったので私が一方的に話しただけになった。
そしてこの3回目は……。
「シャワーを浴びて来たのね、ピカピカよ」
メェナードさんが薄くなった頭に手をやったけど、私がそういう意味で言ったのではない事は承知してくれているはずだから、なにか他に意味があるらしい。
「いや、大浴場に入って来た。ついでにサウナも」
「あら、羨ましい」
大浴場にサウナなんて女性用には無い。
“何それ? やはり日本は今でも男尊女卑がまかり通って居るってこと?”って思うかも知れないけれど、ここ日本でのカプセルホテル利用者は主に出張などの男性サラリーマンが多く女性客は極端に少ない。
安全面への配慮もあって殆どの施設が男性客専用になっていて、この様に女性も泊まれる施設は極最近になって出来てきたらしい。
今日泊まっている施設は女性専用のフロアを設けては居るが、メェナードさんに聞いた男性用フロアの混雑ぶりとは無縁で閑散としているから、誰もそんな状況で大金を掛けて大浴場なんて物は作らないのは分るが、でもチョット羨ましい。
「今度は、なに?」
メェナードさんがいつも通り優しく、楽しそうに聞いてくれる。
そう言えば私は何でメェナードさんを呼び出したのだろう?
とりあえず、こじつけでもイイから何か理由を言わなければ……。
「えっと……おやすみを言おうと思って」
「ありがとうサラ。おやすみなさい」
「おやすみなさい、メェナードさん♬」




