【思春期②(Sarah's puberty)】
一応“仮”ではあるけれど、契約が取れて大手を振ってイスラエルに帰る事が出来た。
もちろん会社は帰りの便もファーストクラスを取っていてくれたけれど、成功したのと失敗したのでは乗り心地が違う。
しかも今回は18時30分発だから、メェナードさんが楽しみにしていたディナーも一緒に堪能する事が出来た。
なるほどメェナードさんの言う通り“人が人のために、そして航空会社が自分の会社を選んでくれた旅行者のために用意してくれた料理”は、最高に美味しかった。
朝食も堪能してお昼過ぎ14時40分にテルアビブのベン・グリオン国際空港に到着した。
これからハイファまで送ってもらったら、私は研修施設へ、そしてメェナードさんはイラクに帰る……。
「あー空の色が違う!」
空港から出ると宇宙まで抜けるような青空が私たちを出迎えてくれた。
駐車場に置いていた車に戻ると、風が強い日があったのかフロントガラスに沢山の砂が付いていて、メェナードさんがタオルでその砂を払い落としていた。
「4日しか置いてなかったのに、まるで1ヶ月近くも放置していたように見えるね」
「まあ、砂嵐が来れば直ぐにこんなものさ」
「それにしても、お腹が空いたわ」
窓についた砂を払い落として、今度はタオルに着いた砂をパタパタと払い落としていたメェナードさんが「じゃあ空港に戻って、レストランに入ろうか」と言ってくれた。
「もう飛行機を連想させられる場所は……。車の中に貴重品は?」
「そんなものは無いよ」
「そう」
メェナードさんの返事を聞いてから、私は生垣の中から拳より少し大きな石を見つけて荷室の窓ガラスを割った。
「サラ!なんてことをするんだ」
メェナードさんが驚いた顔で私を見るけれど、発せられたその言葉には非難や怒りといった悪い感情上は無く、ただ私の行為に驚いただけでホッとした。
「警察を呼んで!」
「僕に君を警察に売れって言うのかい?そんなことできるはずもない。だいいちこのオンボロ車の窓ガラスが1枚割れただけのことだ」
「違うの。私の運転免許所や研修所のIDカードが無いの」
「でもそれは車の中には……。分かった、連絡してみる」
メェナードさんが警察に連絡すると、直ぐに警察がやって来た。
私は警察の人に、旅行中に車の中に置き忘れていた貴重品が盗まれた事を言い、その場で被害届を書いた。
そして研修所にもその旨を伝え、手続きや車の修理などで遅くなるので今日は帰れないと連絡して、メェナードさんは修理屋に連絡していた。
「さて、これから、どうするの?」
メェナードさんが少し困った顔で私に聞く。
私は時計を確認して、メェナードさんの手を取って急いで空港に引き返す。
「おっ、おい、そっちは空港だよ。飛行機はもう嫌だって言ってなかったかい」
「だから海に行くの!」
「海?海だったら直ぐそこにも……」
「違う海が見たくなったの!」
私たちは直ぐにヨルダンのアカバ空港行きの便に飛び乗り、そこから国境を渡りイスラエルの紅海に面した街エイラトにある海洋公園に向かった。
アカバ空港から海洋公園までは、たったの17kmの道のり。
普段は16時閉館の水族館だけど、今日は金曜日のイベントDayなので閉館時間は特別に19時となっているから充分間に合う。
雨の少ないこの地方の山々は砂と石だけで出来ている。
道路沿いには人工的に植えられた草木が疎らに存在するだけで、景観を良くしようと頑張ってみた努力は認めるものの効果のほどはイマイチ。
でも海はエメラルドに輝いて、とても綺麗。
所詮、人間にはこの大自然を操る能力などないと言う事。
16時丁度に水族館に着いた。
いつもならOUTな時間なので、イベントに感謝。
「うわぁ~!魚がいっぱい‼」
中に入ると直ぐ目の前に巨大な水槽があり、多くの魚たちが私たちを出迎えてくれた。
「まるで海の中に居るみたい‼ ほらメェナードさん、ハンマーヘッドシャークよ!」
「えっ、どれ??」
「頭が金づちみたいになっているあの魚よ」
「アッなるほど、名前の通りだ!じゃあアレは?」
「あれはサンドバーシャーク(メジロザメ)で、向こうはゼブラシャーク(トラフザメ)にビッグノーズシャーク(ハビレ)で、あの平べったいのはスティングレイ(アカエイ)よ。それにオレンジ色の綺麗なお尻をした魚はトラッドフィンバタフライフィッシュ(トゲチョウチョウウオ)で、あっちのチョッと間の抜けた顔の魚がピカソフィッシュでモンガラカワハギ科の仲間よ」
「君、魚にも詳しいね」
「百科事典や図鑑で沢山見たの!でも、こうして海の中で生きている姿を見るのは初めてよ!こんな日が来るなんて思っても居なかったわ」
「そっか、それは良かったね」
メェナードさんは思った。
サラは凄く賢いけれど、それは孤独と引き換えに得てしまったのものなのではないかと。
5歳の時に両親が亡くなり、引き取り手も無いまま孤児院に放り込まれて7年もの間、サラはずっと小さな体で孤独と戦ってきた。
普通の家庭で育ったのなら、水族館くらい連れて行ってもらえただろう。
でも、サラにはそれを実現させることのできる両親が居ない。
屹度サラは毎日図書館に通っては、ワクワクしながら百科事典や図鑑の世界に見入っていたに違いない。
無邪気に楽しんでいるサラは、まるで16歳のティーンエージャーそのもの。
今のサラを見て誰が既に大学院で博士号を取得して、自ら新型砲弾を開発してそれをアメリカ国防省に出向いて100万ドルのビジネスを成功させてきた女性だと思うだろう。
サラ自身がここを選び僕を誘って連れてきたわけだけど、何故か自分がサラの為に役に立ち、良いことをしたような気がしてならなかった。




