【男と女①(Men and Women)】
ハイファ・ハミル。
イラク、バクダッド出身。
父親は外資系大手貿易会社の現地社長を務め、母親は大学教授。
裕福な家庭と良好な教育環境のもとに育てられ、イラク工科大において最年少で博士を取得した才女。
大学卒業後の職歴はなく、卒業の2年後にバグダッドに出稼ぎに来ていた大工のヤザと結婚する……。
「サラ、何調べているの?」
私に声を掛けて来たのはルーシー。
「ねえ、学識もある良家のお嬢様が、大工さんなんかと普通に結婚する?」
「何々、どういう事?それって、誤解を招く発言で炎上するやつだよ」
「でも、普通は」
「結婚すると言う事は、2人に愛が芽生えたと言う事でしょう?愛に差別や階級はないわ」
「それは、そうだと思うけれど……」
そう言われても恋愛経験のない私には分からない。
ルーシーは、その事に気が付いて大きな目を更に大きく開けて驚いた。
「サラ、もしかしてアナタ恋愛経験がないとか言わないよね」
「ないよ」
「嘘!?」
「だって私は孤児院育ちだもの」
「孤児院に居ても学校には行くでしょう?ましてサラみたいに綺麗な女の子なら、男子が放っておくはずがないと思うけれど……」
一般的にはルーシーの言う通りだと私も思う。
確かに小学校低学年の頃は酷い虐めも受けたが、高学年になりチョットだけ“大人”を意識し始めた男たちの中には、私に話し掛けて来る男子もいた。
でもそれは、さっきルーシーが言った通り、この容姿があるからこそ。
つまり、ファッションと同じ様に、私の事をブランド扱いしている馬鹿野郎なのだ。
「まさかとは思うけれど、もしかして、恋愛経験って無い?」
「ないよ」
「じゃあ、ひょっとして処女!?」
ルーシーのストレート過ぎる言葉に、何故か焦ってしまう。
年齢は誤魔化しているけれど私は未だ15歳で、しかも12歳から15歳までは勉強に明け暮れているから、とても恋愛なんて出来る状態でもない。と、思っていたら、世間の状況は私の考えとは大分違うようだ。
「そりゃあサラみたいに勉強に集中するのも悪くはないけれど、折角なんだからキャンパスライフも少しは楽しまなくっちゃ」
「キャンパスライフ?楽しむ?私は充分楽しんでいるけれど」
「知っているよ。でもサラが楽しんでいるのは知識の習得でしょ?たしかに世の中には沢山の知識があり、それを活用し工夫する事で新たな技術が生まれる。でも、人間もまた知識と同じ数だけ、いいえ知識以上に人は居る。そして人々の多くは、知識よりも人間そのものを重んじるの」
「たしかに、それは分るけれど。今の私たちには、やらなければならない事がある」
「1日は86,400秒もあるのよ。人間は機械じゃないから、その全ての時間を“やらなければならない事”に費やす事は出来ないでしょう?」
「まあ、それはその通りね。いま私が調べていることも、習得しなければならないカリキュラムとは違うし……」
「明日のお昼休みに下に降りて来て!四六時中、大学院の研究室に籠っていても分からない事を教えてあげるから」
折角他の人が皆食事に行って研究室を独り占めに出来る時間なのに、なんでワザワザお昼時に人で混み合う食堂に行かなければならないのだろう。
私はトボトボと坂道を下りながら、ルーシーと約束してしまったことを後悔していた。
学食のある建物の前まで来ると、出入りする人の多さにギョッとした。
この光景を上から見たら、まさにゴキブリ退治用にホウ酸団子を食べさすプラスチックケースと同じ感じなのだろうと思ってしまい、入る人出る人の姿がゴキブリに思えて寒気がした。
「サラー!こっち、こっち‼」
ルーシーの元気な声が私の名前を呼ぶ。
声のした方を向くと、笑顔で大きく手を振るルーシーと、その隣には大陸系の黒人男性が居た。
「嫌々来たという表情ね」
「そうでもないよ。来ることに特に問題は無いの。ただ、お昼休みに研究室を占領できていた時間が今日は無いのが少し残念だけ」
「普通、それを“嫌々来た”って言うのよ」
「ああ、だから食堂棟に出入りする人たちがゴキブリに見えるのね」
「ゴキブリに!?」
「似ていない?ほら、ホウ酸団子を食べさせるプラスチック製のケースと」
「(~_~;)」
ルーシーの顔が、絵文字の汗のマークになったと思ったら、その隣に居た黒人の男性が笑い出した。
ムラータ(白人との混血黒人女性)のルーシーは肌も褐色で顔立ちも白人っぽいけれど、隣の男の肌は正に真っ黒で、その対比のせいなのかやけに白い歯が輝いて見える。
「やあ、僕はキャディアバ。コンゴ民主共和国から来た留学生です。サラさんの事は、いつもルーシーから聞いて、思った通り素晴らしい方ですね」
こう言われるとどの様な話をルーシーから聞かされているのか気になる所だけど、キャディアバと言う男はその内容が決して悪いものでは無い事を付け加えて私を安心させた。
さすがルーシーが選んだだけあって、ナカナカ賢そうな男だ。




