【イラクへ(Return to Iraq)】
もう直ぐ夏が来る。
POCの研修生には殆ど休みと言うものがない。
土曜や日曜日に大学の行事があれば参加するが、それ以外の土日は研修棟内で各自自習する事に決められていて外出は出来ない。
外出が許されるのは冬休みと夏休みの2回だけだけど、私は1年目の冬休みをヨーロッパ支部へ研修生として、スイスとの国境に近いフランスのシャモニで1週間のスキー研修に参加した。
もちろんここでは座学で覚えたフランス語の勉強も兼ねての参加だったことは言うまでもない。
広大なスキー場でフランス人インストラクターと一緒に1日中滑る。
世界でも有名なスキーリゾート地なのに、昼食も取らずに朝から夕方まで。
食料はカロリーブロック。
飲料はスポーツドリンク。
ともに担いだリュックに携帯して、ゴンドラに乗っているときに補給するスパルタ式。
まるで、何かの大会に出場する選手みたい。
でも、その気持ちが余計私を奮起させてくれた。
おかげで1週間と言う短い期間にも拘らずソコソコと言うレベルではないくらいスキーが上達したが、このスキー実習と移動だけで私の冬休みは終わってしまい妹の捜索が出来なかったのは残念だった。
そして大学に通い出して1年が過ぎ、初めての夏休み。
大学と研修施設との往復だけで、アルバイトも許されてない私たちには、この休みの時期に合わせて“お小遣い”が支給される。
日頃大学で学食や文房具、テキストなどの支払いは各自に配られているカード払いなのだが、履歴が全て残るので無駄遣いが出来ないのが難点。
もっとも私は無駄遣いをしようとは思っていないので、何とも思っていないけれど、ルーシーも含めて他の皆はいつもブツブツ言っている。
お小遣いと言っても1000ドルもあり、私はビックリしたが、これもやはり他の皆とは温度差があった。
皆はこの休みを利用して国に帰る。
ルーシーに南アフリカに遊びに来ないかと誘われたが、遠慮した。
私には、やらなければならないことがある。
事務所でイラク行きの日程表と、申請を出しておく。
生徒たちには内緒にしているが研修所の人達には私の素性はバレているから、実家に帰ると言う確固たる理由もない旅は却下されるかと思っていた。
ところが何も言われずに受理された上に、面倒な手続きも代行してくれて、更に1通の封筒を渡された。
「これは?」
「検問所でパスポートと一緒に必ずこの封筒を見せなさい。そうすれば時間が短縮されるはずです」
女性事務員がクスッと笑いながら私に渡したあと「中身は絶対に見ないこと。いいわね」と釘を刺された。
封筒と言っても他所のものではなく会社用のものでPOCの文字が書かれていて、封も軽く閉じられているだけで直ぐにでも開けられる。
盗み見たところで、バレやしない。
けれども言われた通り、見ないでおいた。
理由は、興味がないから。
どのみち検問所の警備員に宛てられたもので、警備員が見てはじめて価値があるもの。
それを私が見たところで、何の価値もない。
好奇心だけで、約束を破るつもりはないから、そのままリュックに仕舞っておいてオートバイの整備をしておいた。
早朝に研修所のあるハイファを出発して、マオズハイムの検問所からヨルダンに入る。
ヨルダンに入ると幾つもの丘を越えて昼過ぎにはキング・フセイン空軍基地のあるマフラクの街に入り、その日は来るときに泊まったルワイシュドの手前にある林の中で野宿をした。
リュックからアルミ缶で作ったキャンプ用コンロを取り出して、燃料のアルコールを注いで火を付ける。
コッヘルに水を入れて、その中に1年前オビロン軍曹から貰った軍用のレトルト食品を入れて温め、出来上がった中身を器に移して残ったお湯は違うカップに用意したインスタントスープに注いだ。
夏とは言え熱を蓄積する物が自然界に少なすぎるこの辺りの砂漠地帯では、日没後から急に気温が下がって来る。
こうして暖かいものを口にしているだけで、心も体もリラックスできて寛げる。
ナトーは今頃どうしているのだろう。温かい家庭で幸せに暮らしていればいいのだが……。
翌朝、珈琲とパンを食べて日の出とともに出発した。
メェナードさんと初めて会ったホテルの横を通り過ぎ、国境の検問所でパスポートと一緒に研修所で渡された封筒を渡すと、あっと言う間に検問をパスできた。
ここからは何もない砂漠が延々と続く。
ガソリンは昨日のうちに補充しておいたが、今日の宿泊予定地ラマーディーまでは500kmもあるので燃費走行に切り替えてゆっくり走る。
世間で騒がれているほど危険ではなく、穏やか過ぎる退屈な道をただ延々と走り抜けた。




