【合気道家サオリとの出会い(Encounter to Saori, an Aikido artist)】
どうにもルーシーの言っていることがピンとこない。
だってこのサオリと言う人は私より背が低くて、しかもマッチョにも見えない普通の体型。
誰がどう見ても、格闘技が強いようには見えない。
「ねえ、クレオ。チョッとサオリさんの腕を掴んでみて」
ルーシーは、そう言うとサオリさんに悪戯っぽくウィンクをした。
なるほど、つまり掴んだ手をどうかしようということか。
強く掴めとは言われなかったけれど、私は逃がさないように強く素早く掴んだ。
「イタタタタ」
何がどうなったのか分からないまま、掴んだはずの手が捻じられて後ろ向きに倒れそうになる。
ルーシーは、私がどうなるか分かっていたらしく、倒れようとする私の体を後ろに回って支えてくれた。
「一体何!?なにが起きたの??」
左程力ずくで倒されそうになったわけではなく、どちらかと言うと自分で勝手にバランスを崩して倒れる感じに驚いた。
「今度はサオリさんを後ろからホールドしてみて」
私が用心して近付くと、ルーシーが抱きつくまでサオリさんは何もしないから確りホールドしてと言われたので、今度は簡単に振り解かれないようにガッチリと後ろから捕まえた。
「いい?」
「いいよ」
「じゃあ、サオリさんお願いします」
ルーシーが言った途端サオリさんが両腕を前に突き出すと、あっという間に抱きついていた手が解かれた上に、いつの間にか顔に回された手で後ろに倒されそうになった。
今度も私は勝手にバランスを崩して、ルーシーが後ろで支えてくれた。
「なにコレ、手品?催眠術の一種なの?」
格闘技の様に、ヤラレタと言う感覚はない。
むしろ、その逆。
手を掴んだのも、後ろからホールドしたのも私。
つまり先に攻撃して有利なはずの私が、何かの拍子に倒されそうになった。
いやルーシーが後ろで支えてくれなければ、2度とも私は倒されていた。
「護身術よ。合気道ともいうらしいわ」
合気道。
たしかに百科事典に載っていた。
合気道は20世紀の初めに植芝盛平と言う日本人が柔道や空手、剣道などを研究してつくり上げた体術を主とする総合武道だと書かれていたのが記憶に残っているだけで、今まで気にも留めていなかった。
「合気道の創設者、植芝盛平と言う人は身長160cmもないとても小柄な人だったそうよ。その人がお年寄りになった時に、身長2mもあるプロボクサーと闘って一瞬で倒してしまった話は、とても有名な話らしいわ」
「そんな小柄な人が2mの大男、しかもプロの格闘家を!?」
ルーシーの話しに一瞬驚いたけど、驚くことではないと言う事は直ぐに分かった。
今私は2度もサオリさんに技を掛けさせないように、精一杯の力を出したと言うのに、おそらくサオリさんの方は日常的に使う様な軽い力しか使っていない。
「どう?覚えてみる価値はあるでしょう?」
たしかに覚える価値はある。
いや、習得したい。
でもサオリさんだって都合があるはず。
特に私たちは放課後の時間は使えないのだから。
「クレオちゃんが覚えたいのであれば、私はお昼休みでも大丈夫よ」
遠慮して言い出せないでいた私の気持ちを察したのか、サオリさんがお昼休みの稽古を提案してくれた。
その日から私たちはサオリさんに合気道を教えて貰う事にした。
最初は簡単な動作から。
手を掴まれたときの返し方や、後ろからホールドされたときの逃げ方、倒し方。
稽古をするうちに分かってきたのは、この合気道が関節の動き方や2本足で立つ人間のバランスのとり方を十分に研究しつくされたうえに成り立っているものである事が分かった。
握られた手を力づくで解くのではなく、握る力の入らない向きに逃げる事によって解き、関節の曲がらない方向に捻る事で上半身が反ってしまった私はバランスを崩して倒れる。
顔を反らされてバランスが少し後ろ向きになった時に、そのバランスを保つために後ろに引くはずの足の移動スペースを予め塞いでおくことで、相手はバランスを保つ事が出来なくなり倒れる。
他の格闘技の様に強い力や、鋭い瞬発力はいらない。
形を覚えれば力のない私にもできてしまう。
それがとても魅力的であり、実用的だった。
調べると、合気道創設者の植芝盛平と言う人が、非常に女性を大切にしたと言う事も分りその事も私が合気道に夢中になった要因のひとつでもあった。
彼は女性を暴漢から守るために『護身術』と言うものも世に広めている。
そして私たちの稽古は、サオリさんの研修期間の終わる3月まで欠かさず続けられた。




