【約束の地へ(To the promised land)】
翌朝は私のリクエストで、メェナードさんの部屋でルームサービスの朝食を食べた。
「いいのかい?下の朝食ラウンジならバイキング形式で好きな物が取り放題で、特にこのホテルは観光客向けだからスウィーツやドリンクの種類も豊富だったのに」
「私は、それほど量を食べる方ではないから、あまりバイキングには興味はありません。メェナードさんが楽しみにしていらしたのなら、私の我儘に付き合わせてしまったことを謝ります。すみません」
「いや構わないさ。実は僕もトレーを持って並んだり、食事中に何度も席を立ったりするのは好きじゃないから、こうしてのんびり朝の空気を味わいながら食事する方が楽しいよ」
この部屋はセミダブルでフロアーも広く、応接セットまであり、いま朝食を食べているベランダも倍以上もある。
真っ白なテーブルクロスを張られたテーブルに並んでいるのは、ベーコンエッグとフライドポテト、それにボイルしたソーセージにサラダとスープ。あとはパンとヨーグルトに珈琲と私用のフレッシュジュースが付くだけ。
たしかにバイキングに比べると物足らないかも知れないけれど、孤児院の時にスープとパンだけの朝食を毎日食べていた私にとっては十分すぎる立派な朝食だった。
朝食を終えた私たちはホテルを出て、車でイスラエルを目指す。
アンマンからイスラエルに入るだけなら、最短距離は50km程しかないので1時間も有れば到着するが、私たちは一旦南のネボ山を目指して回り道をして入ることにした。
もちろんこれは私の我儘ではなく、メェナードさんが提案した事。
ネボ山はモーゼ終焉の地として有名な場所で、きっとピスガの頂に登ったメェナードさんは遥かに見えるイスラエルを指さして私に言うつもりに違いない“見よ、あれが約束の地である”と。
思った通り、ネボ山に到着してピスガの頂きに登ったメェナードさんはヨルダン川の向こうに見えるイスラエルを指さして、モーゼと同じ台詞を言った。
私が可笑しくて笑うと、何故笑うのか不思議がるので更に可笑しくて笑ってしまう。
「なにが可笑しいの?」
「だって、ワザワザ、これを言うためにココに来たなんて。それに、それを言ったモーゼ自身はこの土地で亡くなってしまい、約束の地には行けなかったのよ。それでは私をイスラエルに連れて行けなくなるでしょう」
「なるほど、それはそうだ」
その言葉に、お互い顔を見合わせて一緒に笑った。
ネボ山を後にした私たちは、お昼過ぎにイスラエルに入る。
「これから私をどこに連れて行くの?」
「エルサレム」
「エルサレムの何所?」
「……」
イスラエル入国後から、それまで饒舌だったメェナードさんの言葉は少なくなった。
悪い人では無いのは知っている。
そして本当は弱い人である事も。
だから、彼に勇気を与えるつもりで、私は悪者になってあげることにした。
「昨日、ホテルでフィットネスに行くと言って誰に合っていたの?」
「誰って、僕はフィットネスに」
「誤魔化しても駄目よ。アナタは煙草を吸わないでしょう。でも夕食の迎えに来た時には煙草の臭いがしたわ。そしてアナタの部屋にも」
「それを確認するために朝食を僕の部屋で?」
「そうよ。それに、この車にも。誰かに私のオートバイを見せたのね」
「……」
「アナタは博物館を出たあと、私が正直に今まで私がしてきた悪事を話した後、全部知っていると言いましたよね」
「それは、後見人になるにあたって大使館から」
「嘘を言っては駄目。大使館員は公務員よ。厄介払いするために、自分の不利になるようなことは話さないわ。どこで調べたの?そして私をどうするつもり?そしてアナタは何者なのCNNの特派員ではないでしょう」
「……なるほど、本部が欲しがるわけだ。君は僕が思っている以上に賢い」
「本部?」
私の追及に、メェナードさんは話し始めた。
「本部が最初に気が付いたのは、小学校1年生の時に君が起こした教師と過激派の死亡事件。もちろん君が殺した訳ではなく不可抗力により偶然起こった事故であることは承知しているが、事故現場からは銅と鉄粉によるテルミット反応を利用した爆弾が何かの切掛けになったことは判明した。事件の調査段階で2人の犠牲者共に、そんな物を作る能力など無い事は分かった。では誰がそれを作ったのかが焦点になり、関係する人物を調べたところある意外な人物が浮かんだ」
「私ね」
「まさか小学1年生の女の子が、そんなものを作れるはずなんて無いと誰もが思っていたが、調べてみるとその子は受け子として武器の売買に関与している事だけは分かった。でも肝心の制作者は分らずじまい」
「マークしていたのね」
「そう。それからずっと」
「6年間も!」
「そしてついに製作者の尻尾を掴んだ」
「まさか、あのキャンプファイヤー」
「あの時君は、6年前の事件で使ったものと同じものを作り、そして使った。でも、それだけなら何の問題も無く済んだ」
「オートバイね」
「その通り。君は小学6年生なのに壊れたバイクを修理した上に、バッテリーを購入すれば良いのにワザワザ自動遠心クラッチを手動で操作できるように改造した。それで本部が本格的に動いた」
「でも、テルミット反応爆弾にしてもクラッチの改造にしても簡単な事よ」
「たしかに。テルミット反応爆弾や自家製スタンガンなどなら、インターネットを探せば原理が分かるし、回路図なども乗っているから頭の良い子なら作れるかもしれない。だがクラッチだけは違う。誰もそんな事をしようなんて思わないから改造なんてしないだろう?」
「バッテリーを買えば良いだけだものね。もしかして私の進学の邪魔をしたのも!?」
「その通り」
「なんで!?」
「君が欲しいと言う事になったから」
「じゃあ、スカウトに来れば良いじゃないの!」
「そう言う訳にはいかない。只の素性の悪いマッドサイエンティストなら僕たちには必要ないから」
「それで待ち合わせ場所を博物館にしたのね」
「その通り。君が世間の常識を無視したマッドサイエンティストなら僕はあの時に君の待ち合わせなど知らない他人として、君を無視して帰るはずだった。だけど君は後見人の立場と由緒ある博物館にそぐうチャンとした服装でやって来た」
「つまり試験にパスしたってことね」
「違うよ。パスしたのは1次試験」
「じゃあ2次試験があるのね」
「それも、もう済んだ」
「まさか……」
結局2次試験は既に済んでいた。
もし私がメェナードさんの素性に気が付かなければ、あのホテルに取り残されるか、このイスラエルのどこかで私は置き去りにされた。
でも私はホテルで彼の行動を確認するために朝食を装って部屋に入り、ホテルに取り残されず、更にここで理由を言いあぐねるメェナードさんを問い詰めることで2次試験もパスしたわけ。
「まあ、子供ながら、そこまで出来れば十分だよ。大人だったら問い詰められた僕の逆襲を受けて終わりなんだろうけれど……ひょっとして、その左手‼」
驚いたメェナードさんのリクエストに応えて、左手に隠していたものを見せた。
隠していたのはスタンガン。
「まいったな。3次試験は無かったんだけど、あったとしても君は合格だよ!」